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黒い男

第十章 死の病

1 メガネ岩(POV:ミスト)

 ──息苦しくて目が覚めた。


 何かに圧し潰されそうになっていた。

 どうにか押しのけて外に出ると、辺りは一面深い霧に覆われていて濃い鉄の匂いがした。


 私に覆いかぶさっていたのが母だと分かった。

 すぐ近くに父と妹がいた。

 隣の家のおばさんとおじさん。

 それから、三軒隣の家に住んでいた叔父がいた。


 全員死んでいた。


 「あそこに幼い子が」と、誰かが遠くで言った。

 辺りは真っ白で何も見えない。でも、男の声だった。


 私も殺されるのだろうか。

 怖いけれど、別にいいか、とも思った。

 異様な状況で、自分の考えもおかしくなっていたのだと思う。


 地面を踏みしめる音が近づいてきて、真っ黒な大男が現れた。

 長いフード付きの外套に黒い服。ブーツも黒。身に着けている何もかもが黒かった。

 髪だけが金色に輝いていた。


「お前の両親か」


 黒い男が言った。

 頷いた。


「名は何という」

「わかんない」

「ここが何という町か分かるか」

「……ううん」

「もともと知らなかったのか?」

「知ってた。名前もあった。……と思う」

「思い出せないか」


 頷いた。

 自分でも信じられなかったが、両親の名も自分の名も、可愛がってくれていた叔父の名も覚えていなかった。初めのうちはボンヤリ分かっていたけれど、まるで川に流されたかのように消えていった。


「俺も肉親を殺された。お前の親を殺した奴の親玉にやられた」


 黒い男はしゃがんで私と視線を合わせた。

 そして少し声を小さくして、「俺も何もかも忘れてしまいたい」と言った。


「お前はどうしたい? 悪い奴から逃げるか、悪い奴と戦うか、それとも何もしないか。それに良い場所へ連れていってやる」

「戦う」

「……あのな、お前くらい小さな子どもは普通『逃げる』とか『わかんない』と言うのだぞ? 『怖いのはヤダ』とかな」

「でも戦う」

「わかった。もし途中で嫌になったら俺に言え」

「うん。オジサンは誰?」


 黒い男は声を押し殺して笑った。

 そして「まだ『お兄さん』だぞ?」と言うと、また笑った。


「カールだ。何も思い出せないのでは不便だろう。まずは食事をしながら一緒に良い名前を考えよう」

「うん」

「しとやかで可愛い名前とカッコイイ名前、どっちがいい?」

「カッコイイ名前」

「……そうか、分かったよ」


 いつものくせで、母に「行ってきます」と言いそうになった。

 振り返ろうとすると、黒いカールに制止された。


「振り返るな。お前の後ろには悪夢しかない。何も覚えていないのなら、ここから先は前だけを見て生きろ」

「……オジサンはカタキを討つの?」

「難しい言葉を知っているな。幼い子どもに話すようなことではないぞ」


 黒いカールは少し考えていた。


「しかし、民の質問にはすべて答える主義だ。……俺は何十年かかろうと仇を討つ」

「そのときは教えてくれるの?」

「いいだろう。そのときは教える。一緒に戦いたいと思ったら一緒に来ればいい」

「うん」

「それまではたくさん勉強しろ。戦う以外の生き方も学べ。仲間を作り、楽しいことも経験しろ」


 黒いカールは私を抱き上げ、別のオジサンに「随分と肝の据わった子どもだ。最近の子は皆こうなのか?」と言った。


 彼は私にミストという名を与え、食事と安心して寝られる場所を与え、服を与え、教育と仕事を与えてくれた。

 時々会うと「息災か?」と聞いてきた。

 私が「うん」と答えると、最近何を学んだかを聞かれた。

 あれとこれと……と説明すると、相槌を打ちながら私の話を全部聞いた。


「何が一番好きだ?」

「算術。でも、女子は授業の数が少ない」

「もっと勉強したいか?」

「うん」

「苦手なのはどれだ?」

「お行儀」

「嫌いな理由は?」

「教わってないから分からないだけなのに、先生がいきなり叱ってくるから意味が分からない」

「正論だ。いきなり叱らない別の先生だったら嫌ではないのか?」

「うん」

「放課後に別の先生が寮まで来て、授業よりも先に軽く教えてくれると言ったら?」

「嬉しい。授業で分からなかったことも聞きたい」

「よし。ではそうしよう」


 平民しかいない王都立の学校だった。

 寮に入っている子の中で、家庭教師がついている生徒なんて私ぐらいしかいない。

 黒いカールのおかげで私は恵まれていた。


 王都特務師団のウラ部隊に入り、数少ない特級特務師になった。

 黒いカールが王兄殿下だと知ったのは入団のときだ。


 今、黒いカールは、上司の上司の上司の……そのまた上司の上司くらいのところにいる。

 金髪は白いところが増え、黒くない服を着ている。最近見かけるときは眉を吊り上げて誰かを叱っていることが多い。



 「──ちょぉ、ミストぉ、聞いてぇー?」と、同僚のイヴが気の抜けた声を出した。


「こっちまでやる気なくすような声を出すな」

「なんかさぁー、また騎士様が来るらしいんだよぉ」

「そうなんだ」

「もうさぁー、やめとけっつーの……こっちは毎回教え損じゃんねえ?」

「教えるのはいいけど、いばり散らされるのが嫌いだ。意味が分からないし」


 特務師の訓練に騎士が参加するのは、決して珍しいことではない。

 大抵は要人護衛に従事している人達で、特務師との戦闘を想定し、対抗技術を身につけるためにやってくる。


 私たちは諜報活動が主な任務であり、騎士の剣のように目立つ武器を持ち歩くことはほとんどない。

 情報を持ち帰ることが最優先で、極力戦闘を避ける。しかし、やむを得ず戦うとなれば、小型武器での超近接戦か、飛び道具を用いて剣や槍よりも長い間合いで戦うのが通例だ。


 ウラの特務師が接近戦で使う武術『クーラム』を習いたがる騎士は少なくない。

 しかし、中には単に職務経歴に箔を付ける目的で来る者もおり、訓練所内での態度にも大いに問題があった。

 王都を守るご立派な職務に就いているはずの騎士様は、この訓練所では歓迎されざる者だった。


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