お天気雨
「ヴィルは来週、もう一度ここに来い」と、陛下が言った。
「何のために」と、ヴィルさんがかすれた声で尋ねる。
「婚約を承認する書類を用意しておく」
「……は? 何を?」
「お前はリアの夫候補ではなく『婚約者』になる」
わたしはコクコクと頷いた。
そうなのですよねぇ。
「叔父上、それは……」
「今さら頼まれても、婚約者を夫候補の一覧には入れられん。不満か?」
「どういうことですか。リアと話して拒絶されたのでは?」
わたしはぷるぷる首を振った。
外套の中でわたしがモソモソ動くものだから、アレンさんがふっと笑った。
「お薬が効いてきましたか? でも、もう少しだけ大人しくしていましょうね?」
彼は小声で言って、わたしの背中を撫でた。
王宮に良いお薬があるとは聞いていたけれども、頑張ってここまで来て良かった。陛下の二つの質問に答えたことで、胸に詰まっていた石の塊のようなものが溶け出していった。
「二つ、リアに尋ねて了承してもらった。一つ目、ヴィルに罰を与えても良いか。二つ目、ヴィルと婚約してもらえるか」
「……彼女が婚約を了承したのですか!?」
「婚約は認めてやる。しかし、今のお前は彼女にふさわしいとは言い難い。日常的に言葉が少なく、意図が周りに伝わりにくい。つまり頼りない。もっと精進しろ」
「はい、申し訳ありませんでした」
「まずは彼女を健康で幸福にすることが最優先だ。願わくはこちらの仕事も手伝ってくれ」
ヴィルさんの特大のため息が聞こえた。
アレンさんはわたしを外套の外に出して髪を直すと、ヨシヨシをしながら「念のため王宮医のところにも寄りましょうね」と言った。こくんと頷くと、またヨシヨシをしてくれた。
ヴィルさんがこちらに歩いてきていた。その向こうではイケオジ陛下がお父様の肩を優しくさすりながら何か声を掛けている。
「リア……」
ヴィルさんは、わたしの前に跪いて手にキスをした。彼の手は冷たくなっていて、かすかに震えている。
陛下のお仕置きが想像よりもだいぶキツイものだったので、了承してしまった手前、少し罪悪感があった。
「嫌な思いをたくさんさせた。本当にすまなかった」
俯いている彼の髪に触れると、彼ははっとしたようにこちらを見た。
彼の髪は猫っ毛だ。ふわふわしていて好き。彼に触れていると、色々なことがどうでも良くなってくる。彼はわたしの思考を奪うのが得意だ。すぐ論理的にものを考えられないようにしてしまう。
そろそろ貼り付け専用の笑顔でなくても笑えそうな気がしていたけれども、別の意味でこみ上げてきているものがあった。
でも、嬉し泣きをした場合、お天気はどうなるのだろう。やっぱり雨? 小雨ぐらいでどうにか許してもらえないかな……。こんな時までわたしはお天気を気にしている。
「ヴィルさん、ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします」
返事は聞けなかったけれども、代わりにきつく抱き締められた。
すっかりわたしの定位置となった彼の胸は居心地がいい。温かくて、優しくて、無敵になった錯覚がした。
なんだか大変でしたねぇ。色々と勘違いや、すれ違いがあって。
でも、ようやくこれで……。
じわっと視界が滲んだ。
窓の向こうでお天気雨が降っているのが見えて「あ、なるほど、そうなるのか」と思った。嬉し泣きでお天気雨ということは、泣きながら怒ればおそらく雷雨になる。
そうなると、笑い泣きはどうなるのだろう? まさか、カンカン照りの大雨とか、ややこしいことに?
そんなことを考えていたら、体がふわりと浮いた。
わたしを抱きかかえた彼は「帰ろう」と短く言った。彼の目も真っ赤だった。
アレンさんはメガネを外してイケメンに戻り、ハンカチで目元を拭った。そして、すぐさまメガネをかけ直し、歌舞伎の早替わりみたいにシュバッとイケメンを封印した。
王宮医のブロックル先生と会い、帰路についた。
馬車の窓から、白馬に乗ったカッコいい婚約者と、その向こうに大きな虹が見えた。




