カミナリ
第九章 婚約
ヴィルさんのお父様が「俺が謝れば話が済むのか?」と言った。
しかし、陛下は「今さら責任の話はしていない」と言う。
「では誰の何のために夫候補にしないと言っている。噂の話はさておき、この子の話は手続きがされていなかった責任を取れというものだぞ。自分の未熟さを棚に上げて俺を悪人に仕立てたいらしい」
「何度も言わせるな兄上。もう責任云々の話はしていない」
陛下はぴしゃりと言った。
「手続きの責任を問うためでないのなら、いったい何の話をしている。具合の悪い彼女がわざわざここまでついてきて『夫候補に入れるな』とでも言ったのか?」
わたしはアレンさんの外套に潜り込んだ状態で三人のやり取りを聞いていた。
双子の弟が王で、兄は大臣。
主君であるはずの弟が、家臣であるはずの兄を「兄上」と呼ぶ。
家臣であるはずの兄は、主君にかしずくこともなく、普通に兄として振る舞う。話を聞いているだけだと、どちらが王なのか分からなくなって混乱する。どこか歪な感じがした。身内だけで話しているからこうなのだろうか……。
男性しかいない種族の王家ともなると、わたしのような庶民には想像もつかない世界だ。加えて関係性もよく分からないので余計に難しい。
お父様とわたしとでは物事の感じ方が根本的に違う気がするし、かと言って、お父様だけが悪いように主張するヴィルさんの意見にも賛成できなかった。
でも、お父様の言うとおり、わざわざついて来てまで「彼を夫候補に入れないでください」とは言わないので、この部分の指摘は的を得ていると思った。
「手続きだの責任だのの話は一旦置いておこう」と陛下は言った。
「色々と腑に落ちないことがある。ヴィル、お前の言う『あの手この手』とは何だ? それはリアの気持ちを尊重したものだったか? 彼女の求める形だったか? きちんと対話をしたか? お前は自分の気持ちを伝えたか?」
ヴィルさんは答えなかった。
「婚姻を希望していると伝えたか? 愛を言葉にしたか?」
ヴィルさんは無言だ。
「伝えていれば、その一覧にお前の名がないことくらい、リアが教えてくれただろう。『そうは言っても、ここにあなたの名前はないですよ』と、彼女なら言うはずだ。違うか?」
やはりヴィルさんは答えなかった。代わりにお父様の唸る声が聞こえた。
「お前はそれをリアではなくオーディンスに相談していたのか? それで彼に原因を突き止めてもらったのか?」
誰も何も言わなかった。沈黙は肯定だった。
「答えられないのならば別の角度からこの問題を見よう。仮にリアが侍女に愚痴をこぼしていたとする。それならば侍女長とオーディンスを経由してお前に報告が上がるはずだ。『一覧に名がないのに言い寄ってくる』と。そこでお前は事態を把握できたはずだ」
誰かの衣擦れの音がした。でも、誰も言葉を発しなかった。
「お前は周りに弱音を吐き、相談できる相手がいた。しかし、リアは誰にも何も語らなかった。『語れなかった』のだとしたら孤独だっただろうな。それはなぜだ。なぜリアは女官や側仕えに言えなかった」
ヴィルさんは沈黙していた。
「お前がしていた『あの手この手』とは何だったのかを具体的に言ってみろ。大きな声で言えないようなことではないのか? 嫁入り前の侍女には話せず、異性であり、夫候補に名を連ねているオーディンスにも話せない。それがリアを孤独にした原因ではないのか!」
肩に回されたアレンさんの手にぐっと力が入り、かすかに風が吹いた。
チラリと見上げると彼はヴィルさん達がいるほうを睨みつけていた。
わたしとヴィルさんが最も頻繁に言葉で交流していたのは、手紙のやり取りをしていた頃だった。
ヴィルさんは「これからは直接話がしたい」と言ってエムブラ宮殿に来たけれども、わたしが期待していたほどの会話はなかった。屋敷の中では常に周りに人がいるので、意図的に人を払わなければ二人きりにはならない。
そもそも日常会話が足りていない気がしていたので、人を払って二人きりで話すというよりかは、皆がいるところで普通に会話をしたいと思っていた。しかし、彼はそうは思っていなかったようだ。
わたし達の気持ちは、かなり早い段階からすれ違っていたと思う。
彼が力技を使ってアレンさん達を引き離し、屋敷の中で二人きりになる状況が何度もあった。いざ二人きりになってしまうと、彼のほうが会話どころの騒ぎではなくなっていることが多かった。
経験値が足りないせいだとは思うけれど、こちらも上手く対処できず、それに抗えなかった。
そうこうしているうちに「おぱんつ騒ぎ」で変な対立関係ができてしまったり、それが解決したら彼が忙しくなってしまったりと、タイミングも含めて色々なことが噛み合わなかった気がする。
「結果的にお前はリアの慈悲に甘え、ただ好き勝手をする下衆男だったのではないか? 本当に申し込みの確認を怠ったことだけがお前の非か? 兄の言葉は少々辛辣だったが、言っていることについては私も概ね同感だ。お前から何か反論はあるか?」
ヴィルさんは何も言わなかった。
しばらくして、陛下が「この未熟者め」と言った。
陛下は彼を叱ってはいるものの、口調はいつもどおり優しく、だいぶ愛のある「未熟者め」だった。
「それから兄上、息子をぞんざいに扱うな。この子が私のところに来て泣いていたことは一度や二度ではない。人間らしさが保てなくなるほど仕事にのめり込むな。責任の話をあえてするなら、神薙を傷つけるような大馬鹿者を育てた者の話もしなくてはならない。当然、私にも責任がある。ヴィルの半分は私が育てたようなものだ。しかし、あえて言う。あえて罰も与える」
陛下はそう言うと、無期限で兵部大臣を陛下の監視下に置くことを告げた。
「同じ部屋に出勤して隣で仕事をしてくれ。少し気になっていることがある」
淡々と話していた陛下だったけれども、わたしからは見えていないお父様の態度が問題だったのか、それともわたしに聞こえない声で何か言ったのか……理由は分からないけれども急にヴォルテージが上がった。
「いい加減にしろ。私の兄は息子に冷酷な言葉を浴びせるような人間ではない。ましてや目の前で打ちひしがれている息子を見ても平気でふんぞり返って座っていられるほど非情な生き物でもなかったぞ! それでも王太子と呼ばれていた男か!」
カミナリを落とした陛下はすぐに落ち着き、「もともと我々は二人で一人だ」と言った。
「私のためにも人に戻ってもらわねば困るぞ、兄上」
重苦しい空気が、今にも部屋を押し潰しそうだった。
怒った陛下の声を聞くのは初めてだったし、何が起きているのか、ヴィルさんがどうしているのか気になる。でも、怖くて見られなかった。心臓が激しくバクバクして、それが喉元に響いている。
アレンさんを見ると、そこで何事も起きていないかのような普通の顔をしていた。
わたしの視線に気づいて「ん?」と眉を上げると、わずかに口角を上げて頭を撫でてくれた。いつものヨシヨシだ。
彼の落ち着いた鼓動が「大丈夫。心配ない」と言っているようだった。




