駐禁切符[ヴィル]
イドレは初めこそ罪悪感を抱いていたが、王命が書かれた書類を紛失していることに気づき、罪悪感どころの騒ぎではなくなった。
バレれば己の身の一大事だ。
そもそも彼は大きな仕事を任されるような人材ではなく、急遽抜けることになった上司の代理で見合いの担当をすることになっただけだった。
王命もロクに読んでいなかったし、内容も記憶になかった。
どうにか見合いを乗り切って体裁を取り繕わなければならない。
しかし、賭博はやめられないし、それに費やす時間を減らしたくはない。
結果的に彼は、神薙法について詳しいスルトの提案を歓迎し、言われたとおりに行動した。
そうすれば今までどおり適当な理由をつけて賭博場に出勤できる。生活を変えずに済む。
イドレにとってスルトは親切な友であり、金づるでもあった。
顔を合わせるたびに一番高いチップを何枚かくれたし、昼食を奢ってもくれた。
イドレは多額の借金を返すため、勝てもしないのにセッセと掛け金の上乗せをし続けていた。
給料日前にもなると彼は馬車代にも困るほどの金欠状態で、スルトに「もう一枚チップをくれないか」とねだるようになる。
「仕方ないな。では、僕が好きそうな秘密を一つ暴露したら、これを一枚あげるよ。秘密とチップの交換だ」
彼はまんまと文官しか知り得ない王宮内の秘密情報を売るようになった。
王が大陸会議で不在になる期間を漏らしたのもイドレだ。彼はその見返りとして、スルトから昼食を奢ってもらったらしい。
彼の中では、国家の秘密とサンドウィッチ代が同じ天秤にかけられていた。
余談だが、取り調べ官からこの話を伝え聞いた宰相が「怒り狂って地下へ走って行き、イドレに飛び蹴りを食らわせた」という噂が王宮内でまことしやかに流れている。
真偽のほどは不明だが、やりかねないと思う人が多いから広まっているのだろう……。
魔法ではなく「飛び蹴り」というところが、いかにも宰相らしい(見た目に反してあの人は意外に武闘派だ)
次第にイドレは金にしか興味を示さなくなった。
金さえもらえれば理由や事情も聞かず、何でもスルトの言うことを聞くようになった。
スルトに飼い慣らされ、常識や誠実さ、そして信用を溶かしながら、その日に使うわずかな掛け金と食事を手に入れた。
そして、瞬く間にその金すらも失っていった。
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スルトはガラールの印影を使って精巧な偽造印を作った。
そして、まるで自分がガラールの養子になったかのように見合いの申し込み用紙を作り、押印して申し込んだ。
王の不在期間を好機と見た彼は、計画を実行することにした。
イドレを操り、まんまと見合いに潜り込んだ。
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事件当日、イドレは頼まれたとおり、見合いの部屋に魔法鍵を仕掛けると、一目散に王宮から逃げ出した。
彼は悪いことをしている認識はあったが、なぜ自分が魔法鍵をかける必要があったのかについては、あまり深く把握していなかった。興味もなかった。
クレイヴともう一人の手下は、王宮の外に拘束具を積んだ馬車を止め、その脇で彼らが出てくるのを今か今かと待っていた。
平民二人の興味は、美しいと噂の神薙を間近で見て触れることだった。
ここまで彼らの計画は順調だった。
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「──ちょっと失礼、お兄さんがたは王宮の関係者ですか?」
馬車の脇で待っていた手下の二人は、ふいに声を掛けられて飛び上がった。
騎士服を着た大男が三人並んで歩いてきている。向かって左にいたゴリラのように大きな騎士が「あ、驚かせて申し訳ない」と謝った。
「定期巡回なのですが、念のため免許証を拝見してもよろしいですかー?」
「あ、ああ、はいっ! ご苦労様です!」
やたらとデカい三人だったが、物腰は柔らかで仲も良さそうだった。
左側のゴリラ騎士は、彼らが出した馬車の操縦免許証を確認すると「一般免許ですねぇー」と言って慣れた手つきで手帳にメモを取った。
「ご協力ありがとうございます。じゃ、お返ししますねー」
ゴリラは彼らに免許証を返却しながら「ただね、お兄さんがた、ここは駐車禁止区域なんですよー」と言った。
真ん中にいた一番背の高い騎士が、胸のポケットから小さな紙とハサミのような道具を取り出し、ぷちぷちと音を立てて紙に穴を開けている。
「ツイていないな。この区画は特に罰金が高いのだぞ? 知らずに来たのか? どこから来た?」
そう言いながら、小さな穴の開いた紙を彼らに手渡した。駐禁の違反切符である。
お値段は驚きの五千シグだ。平民の平均的な月収よりずっと高い。二人は息を飲んだ。
「お兄さん達、どこかの納入業者ですか? 何を運んできたのー?」と、ゴリラが訊いた。
「あっ、あっ、えっと、いや! 違います! 業者ではないです!」
彼らの馬車の中には神薙を拘束する道具を積んでいたため、中を見られると困る。慌てて一人がゴリラを制止した。
騎士と揉めている場合ではなかった。
早くどこかへ行ってもらわないと、スルトが神薙を連れて出てきたときにバレてしまう。
そこでクレイヴは一番階級の高そうな真ん中の騎士に交渉を持ちかけた。
「友達を待っているだけなので見逃して頂けませんか?」
「友達とは? 王宮内に勤めている人物か?」
「スルト子爵のご子息と文官さんです。今、神薙様とのお見合いに行っていて、すぐに戻りますので」
彼が丁寧に説明すると、騎士は彼らを見下ろしたまま「ほぉん、そうかそうか」と歯を見せる。
「ははっ、一発で大当たりとはツイている。さすがはアホウドリだ。アホウだからすぐに捕まるうえに良く喋る」
騎士が部下に合図をすると、二人はあっという間に縄をかけられた。
ゴリラ騎士が「馬車の中に拘束具発見!」と言った。
真ん中の騎士が「伝令、行け!」と言った。
二人は何がなんだか分からないうちに運ばれて、別々の牢に入れられた。
この二人こそが『マルクスの酒場』で酒に酔い、覚えたての隠語を使って計画をベラベラ喋っていた奴らだった。
そして、違反切符を切った真ん中の大きな騎士は、言わずと知れた第三騎士団長クリストフ・クランツだ。
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