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神薙のドレス §3

「は……は、ホっ、はヒィ……」

 ハ行しか出なくなったマダムは、半ばつまみ出されるようにして連れて行かれた。

「お客様がお帰りですのでお見送りをお願いします」と執事長に声をかけた。

「お任せください」と、彼はメイドを従え、嫌味なほど丁重にマダムを見送った。


 排除が完了したとはいえ、良い気分ではなかった。

 お見送りをしている皆の背中を見ながら、こっそりとキッチンへ向かう。笑顔で迎えてくれた料理人たちと盛り上がるのは、旬の食材をどう食べるかという話題だ。

 料理長が「そろそろサンマの季節」だと言った。こちらでは塩焼きにして、仕上げにハーブを散らしてレモンなどの柑橘(かんきつ)類を絞り、オリーブオイルをかけて食べることが多いそうだ。食べ切れない分はオイル漬けにして、旬を過ぎても美味しく頂けるようにするのだとか。

 帰り際、近くにいた料理人に粗塩を少し分けてもらえないか尋ねると、小さな(つぼ)に入れて持たせてくれた。

「何に使うんですか?」と聞かれたので、ドレスを作るのに必要なのだと答えたところ、彼は不思議そうな顔をしていた。


 宮殿内はマダムが帰った後の対応でバタバタしている。

 いつもそばにいるオーディンス副団長は、この騒ぎを上へ報告するため、部下に指示を出していて忙しそうだ。

 頃合いを見て玄関へ行き、係の人に扉を開けてもらった。

 庭園はまだ暖かい日差しに包まれている時間だけれど、入り口付近はもう日が当たらない。ひんやりとした風が頬をなでていく。人の姿はなく、小鳥たちもいない。ただ、木々の葉がこすれる音が聞こえるだけだった。


 ――右よし。左よし。前方よし。後ろの扉もよーし。

 前後左右を指さし確認した。大丈夫。誰もいない。


 マダムが退場した後も胃の不快感が取れなかった。

「この世にケガレというものが本当にあるとするなら、こういうものを言うのではないか」と、オーディンス副団長に話してみたくなる。

 わたしが思うケガレとは、人が放った無意識の悪意に対する「嫌悪感」だ。でも、誰かを嫌っている自分は好きではないし、誰かを恨んでいる自分は惨めに思えて悲しくなる。だから「なんともない」フリをして、一人で消化しようとする。

 そうして、人は疲れていく。ケガレはいつだって疲れの素だ。

 何もせずにじっとしていれば、ただ消耗するだけ。下手に動いてもまた余計にくたびれる。

 だから、こんな時はこれに限る。


 すぅ……と、息を吸い込み、小さなツボの粗塩をつかんだ。

「払いたまえー、清めたまえー。うりゃっ!」

 わたしは土俵入りした力士のごとく、豪快に塩をまいた。ニッポンの伝統、清めの塩だ。

 坂下家では、変な人が来ると決まって父が玄関で塩をまいていた。こうして宮殿の主になってみると、父の気持ちがよくわかる。効果があるかどうかの問題ではなく、やることに意義があるのだ。


「よくもオーディンス副団長を侮辱してくれましたね、マダム赤たまねぎっ。失礼しちゃうっ。調子に乗るなぁ~っ!」

 ていっ! ていっ! もういっちょ、てぇいっ!


 ブンブン腕を振り回して塩をまいていると、後ろから「んぉっほん」とせき払いが聞こえた。

「へっ!?」

 驚いて振り返ると、執事長とオーディンス副団長、それに侍女三人が口元を押さえてプルプルと笑いをこらえている。

 全身がカーッと熱くなった。

 ――いつから見られていたの? 後ろもきちんと確認したのに……!


「リア様、もうそのへんで、よろしいかと」

 執事長は笑いすぎて普段の真面目キャラが崩壊していた。

「は、ハイ、ごめんなさい……」

 彼は「赤たまねぎですか」と言うと、ブフッと噴き出して口を押さえた。肩を上下させ「ふふっ、赤たまねぎ」と反芻(はんすう)してまた笑っている。

「赤たまねぎ」を聞いていたなら、もう全部見られたも同然だ。穴があったら入りたい。

「お行儀が悪くてスミマセン。出てきてはダメと言われていたのに出てしまうし、しゃべってしまうし、そのうえこんなことを……」

 肩をすぼめておわびをした。

 今回のドレス騒ぎは軽くトラウマになりそうだ。


 オーディンス副団長が近づいてきて、粗塩がたくさん付いたわたしの手を取ると、不機嫌そうに顔を引きつらせた。

 また「(けが)れます」を言われるのではと身構える。しかし、それは杞憂(きゆう)だった。

「こんなものに触れて、あなたの手が荒れるのは耐えられません」

 ご機嫌斜めの彼はパタパタと塩をはたいてくれた。

 一瞬、胸がキュンとしたような気がして、思わず彼の顔を見上げた。しかし、安定の仏像だった――


「これは何か特別な塩なのですか?」と、彼はいつものようにメガネをくいっと直して仏光を放っている。

「いいえ、わたしの国では塩に清めの力があると言われていまして……」

「なるほど。浄化の儀式ですね。非常に興味深いです」

 彼は片方の手袋を外してポケットに入れると、(つぼ)を手に取った。ひとつまみして目の高さまで持ち上げ、しげしげと粒を観察している。

 しばらくすると何か納得したように「ふむ」と言った。

「私もその教えに従いたいと思います」

「えっ?」

「作法はさきほど拝見しましたので」

「いや……作法というほどのものでは」

 つかんで投げるだけである。しかし、投げ方に個性を出してもいいだろう。下から投げる「土俵入り式」か、セットポジションからの「ピッチャー式」意表をついてサイドスローなどもカッコイイはずだ。


 彼はおもむろに塩をつかみ、一歩前へ進み出た。

 背中に青白く燃え上がる炎を背負い、不動明王のようになっている。

 彼は大きく息を吸い込むと、思い切り振りかぶった。ピッチャー式だ。腕がしなるように回転している。


「不敬だぞ、赤たまねぎッッ!」


 すぐ近くで発せられた大きな声に、耳がキーンとした。辺りには豪快に塩が散らばっている。

 彼は手をはたきながら満足そうにうなずいた。

「リア様」

「は、はいっ」

「この儀式は心の清めにもなるようですね。非常にスッキリしました」と、彼は言う。

 いつも無表情の彼が半笑いでそんなことを言うものだから、思わず噴き出してしまった。

 彼の人間らしい一面を見たのは初めてだ。彼もマダムに腹を立てていた――それだけのことなのに、わたしは妙にホッとしていた。

 身を寄せ合ってこらえていた侍女三人も、いよいよ耐え切れなくなったのか、弾けたように笑い出した。

「わたしもスッキリしました」

 ケガレを払う最も効果的な方法は、誰かと同じ気持ちを共有し合うことだ。


 わたしたちが代わるがわる塩をまいている間に、サロンはいつもの状態に戻っていた。

 ソファーに腰かけると、すぐに侍女とメイドが飛んでくる。小さなテーブルに温かい紅茶と一口サイズの焼き菓子が置かれ、膝にはブランケットが掛けられた。安定の過保護っぷりに「ありがとうございます」と声をかけた。

 オーディンス副団長と執事長から「使用人と騎士に敬語を使うな」「敬称をつけて呼ぶな」と、何度も言われていた。でも、わたしにはどうしてもそれができない。

 どんどん過保護になっていく皆と、それに恐縮して丁寧になっていくわたし。この永久循環で、脱敬語なんて到底無理だった。


「皆さん、座っていただけますか? ドレスのことでご相談があります」

 さあ、作戦会議だ。

 マダムを追い出してしまった以上、自ら動かなければドレスは手に入らない。


 お披露目会は重要なイベントだ。

 主催者が国王だという時点で普通ではないけれど、とにかく参加者が多い。わたしが予想していた人数と、実際に参加が見込まれている人数では桁が違っていたのだ。

 すべての来客とゆっくり会話をする時間がない割に、人生を大きく左右する催しだった。

 自分を良く見せすぎて過度な期待をされても困るし、手抜きをしてまったく興味を持ってもらえないのも困る。一人一人とお話をする時間がないのなら、見た目の雰囲気である程度わかってもらえるようにしておきたい。


 まず、フルオーダーのドレスが完成するまでの工程を確認した。

 マダム赤たまねぎはデザインから販売までのすべてを自分の工房でやっているけれど、これは王都では新しいビジネススタイルらしい。

 通常、貴族は工程ごとにお気に入りの職人に頼んで服を作っている。

 デザイン画から型紙を起こすパタンナー。その型紙で生地を裁断し、大勢のお針子さんを動員して服を作る仕立屋。それとは別に、生地屋やボタン屋などの材料を扱う店がある。

 ただの絵であるデザインを、現実的な服にできるかどうかはパタンナーの腕次第。ドレスが期日に間に合うかは仕立屋の能力次第だということがわかった。

 餅は餅屋に任せろ、というわけだ。


 皆と相談のうえ、キャリアを問わずデザインを募集することにした。募集期間中に、仕立てまでの業者選びをする。

 一応マダム赤たまねぎの工房にもデザイン募集の声をかけることにした。キャリアを問わないと決めた以上、お弟子さんにもチャンスは与えられるべきだ。


 諸々決まったことを伝えるため、王宮に使いを出した。

「本日の顛末(てんまつ)」として、マダムのデザイン画も持って行ってもらった。陛下が見たら驚くかもしれないけれど、一応事実は伝えておいたほうがよいだろう。

 使者を見送ると、ようやくホッと一息ついた。


 ☟


 一連のドレス騒ぎで、不思議に思っていたことが一つある。

 陛下から最初に聞いた話を踏まえると、わたしが来る前も神薙はずっといたはずだ。お披露目もしただろうし、ドレスも作っただろう。

 それなのになぜ、神経質なまでに好き嫌いを確認したり、注文どおりの服がなかなか作れなかったり、こうも周りがバタつくのだろう。


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