アレンの矜持[ヴィル]
両手で顔を覆った。
冷静さを欠いていると自分でも分かる。
手が冷たい。変な汗をかいている。動悸がする。
リアのことになると俺はダメだ。まるでダメだった。
「ヴィル、いいか? 何か起きても守り切ればいい」
「次の見合いで何事もなければ叔父と話ができる。そうしたら一旦すべてを止められる」
「書記は特務師団の訓練をどの程度受けた?」
クリスがふいに聞いてきた。
「なぜそれを知っている」
「最近、急激に体が引き締まってきている。例の件をきっかけに訓練を受け始めたのだろう?」
「……ああ。もう特級特務師とほぼ互角に渡り合っているそうだ」
アレンはリアに正面突破されたことを恥じていた。
彼は己を鍛え直したいと言って、王都特務師団の特別訓練に参加することになった。
王都特務師団は、ベルソール商会のような丸ごと隠密になっている組織とは違い、その存在が明らかになっている集団だ。
歴史を紐解けば、もとは王都騎士団の一部だった。しかし、彼らの任務は時に騎士の心得に反する行為が含まれることがあるため、現在では騎士団とは切り離されている。
組織は中でオモテとウラに部隊が分かれており、ウラの部隊はベルソール商会と似たような働きをしていた。
王の許可さえあれば、特務師が騎士団の訓練に参加することも、またその逆も可能だ。
アレンが希望したのはウラ部隊のえげつない訓練だった。
ウラ部隊が主に使う『クーラム』という特殊な武術があり、彼の最大の目的はそれを学ぶことだった。表立って活動している人間はまず使わない技だ。
彼が兄のように慕うフィデルもクーラムを習得しており、特級特務師の免状を持っている。兄貴分に対して多少は対抗心があるのだろう。彼もまた特級特務師の免状を取ろうとしていた。
免状の取得には、クーラム以外の訓練も受けなくてはならない。
ウラの特務師には過酷な拷問訓練が課せられている。
披露目の会の少し前あたりから、地獄としか言いようのない拷問に耐える訓練が続いていた。
少々生きているのが嫌になる内容なので脱落者が多い。
訓練に行くたびに精神的にも身体的にもボロボロになる。それを通常の仕事をこなしながらやるのだから嫌になるのも当然だ。
満身創痍になって降参するかと思いきや、なぜか彼はピンピン元気にしていた。
移動のたびにリアがアレンの腕に触れるため、垂れ流し状態の癒しの魔力を余すところなく享受しているのだ。とんでもないズルである。
彼は訓練の翌日も「心身ともに無敵です」と不敵な笑みを浮かべていた。
アレンは騎士としてズバ抜けて優秀だが、おそらく特務師としてはもっと優秀な人材だと思う。
それを裏付けるかのように、俺は最近、特務師団長殿から「彼をウチに貰えないか」と頻繁に声を掛けられている。
本人の意志を尊重して丁重にお断りしているが、実のところ、随分と前から近衛騎士団からも彼が欲しいと言われていて、あっちもこっちもお断りするので大変だ。
彼の無敵はリアありきで成り立っているものだったが、いずれにせよ実力は折り紙付きだった。
しかし、彼はリアのために、まだ強くなろうとしている。
「リア様には過去最強と言っても過言ではない護衛が付いている。下手したら近衛より強い」
クリスの言葉に頷いた。
アレンが初めてリアと会った日、もう一人寄越してくれ、フィデルがいいと言った。
正直、フィデルには団長の仕事を手伝ってもらいたかったのだが、彼がどうしてもと言うので飲んだ。
結果的にそれはとても正しかった。アレンがいない日が不安にならない。
あの二人が揃っていれば大丈夫だと思えた。
「室内でやり合うなら、お前より書記に分がある」
「それは俺も正しく理解しているよ。場所を問わず、彼とフィデルに勝る護衛はいない。俺は……」
言い掛けて一瞬躊躇したが、相手がクリスなら別にいいかと思い直した。
「第一騎士団長がこんなことを言ってはいけないのだが、俺自身は戦向きの人材であって、護衛には向いていない。ついでに言うと、騎士団の団長も向いていないと思う」
クリスは眉を下げて「知ってるよ」と言った。
「その件については、全部が全部お前のせいではない。大半は陛下のせいだ」
「まあな。俺は派手な顔を有効利用して、囮にでもなるさ」
クリスは口角を上げると、「王宮の外は俺に任せろ。尻尾を掴んだら知らせる」と言った。
「何をする気だ?」
「なあに、王宮区画内の違法駐車の取り締まりだ。必ずどこかで馬車が待っているだろうからな」
「それは名案だな。警ら隊から本物の駐禁切符を借りてくるか」
「一度やってみたかった。パチンと穴を開けるやつ。穴が開く場所で罰金額が決まる」
「切符なんて切られたことがあるのか?」
「学生の頃な」
「女子を乗せてデートなんかしているからだ」
「うるせえ。その教訓を活かしてデートをしている馬車については不問とする」
「ははは、偏っている」
「俺が悪い男だけを捕まえてやるから、お前は彼女を守れ。持っている駒は全部使うぞ」
「ああ。そうしよう」
そして、次の見合いの日がやって来た。




