神薙のドレス §2
侍女長は「ダメなものはダメだ」という態度を崩さなかった。それをほかの二人が左右から援護している。
「神薙の代わりにドレスを注文する」というミッションを背負っているので、職務としてニコヤカに接しているけれど、内心穏やかではないはずだ。三人ともヒト族の貴族令嬢なので、マダムよりもずっと身分が高いのだ。
さすがのマダムも「直さないとお金にならない」と気づいたのか、少しずつ譲歩してデザインに修正が入り始めた。
二十分ほどの攻防が続き、半分出ていたお胸はレース生地で首元まで隠すデザインに変わった。ウエストには大きなリボンが付いている。しかし、スカートには太ももあたりまで豪快にスリットが入っていて足がニョキッと出ていた。
十割セクシーだったところに、二割のカワイイを加えて中和しようとしたのだろうが、見事に失敗して迷走ドレスになっている。当然、侍女は納得などしておらず、依然としてわたしの要望を死守するために闘っていた。
声を出すなと言われている手前、仕方なく黙っていたけれど、この状況でのんびりとお茶ができるわけもない。楽しみにしていたマロンケーキにも手がつけられず、ハラハラして過ごしていた。
ここからドレス完成までの道のりは長すぎる。ゴールどころかスタート地点が遠い。
ふと「オーディンス副団長はこの光景をどう見ているのかしら」と考えた。
彼はどこに立っていてもわたしのほうを見ているので、ティーカップのフチをなめ続けている様子も見ているはずだ。
彼はわたしの左側にいることが多い。少し体を右に倒し、肘掛けにもたれるようにして左後方を見ると、案の定、バチッと視線が合った。涅槃仏のような表情で、仏像型防犯カメラと化している。
付き合いは浅いし、わかりにくい人だけれども、彼に関して確信していることが一つあった。彼は無能ではないということだ。
声を出してもいいのなら、彼に聞いていたことだろう。
神薙様ってオッパイを放り出したり、足をにょきにょき出したりしなくてもよいのですよね? と。
わたしの心の声が伝わったかは定かではないけれど、ギギギ……と彼の右手が上がり、人さし指と中指がメガネのブリッジに触れた。仏像の片合掌である。
同時にピカッと光を放ち、彼は動き始めた。
「注文どおり、露出は控えるようお願いをしたい」
彼はマダムの前に立ちはだかると、いつにも増して感情のない声で言った。
すっかり天狗になっているマダム赤たまねぎはフンと鼻を鳴らしている。
「なんですのアナタ。神薙様のドレスというものは――」
「これは我が神薙の希望だ」
マダムの言葉を最後まで聞かず、彼は食い気味に言った。
「わたくしは王宮の文官さんに頼まれて来たのですよ!」
「そんなことは聞いていない。要望どおりのものを作れ」
「んまあぁっ! なんって失礼な!」
「失礼はどちらか」
「騎士が神薙様のドレスに口を出すなど、聞いたことがありません!」
「神薙の代わりに意見しているまでだ」
「護衛ごときが! 立場をわきまえていただきたいわッ!」
――いやいやいや、わきまえるべきはアナタなのよ。
さすがに胃がモニョモニョして不快になった。
この国には「不敬罪」があるはずだ。
高い身分の人に非礼を働くと罰せられると侍女が話していた。上からのパワハラに使えないよう条件がいくつかあると言っていたけれど、この状況なら問題はないはず。
オーディンス副団長の身分は赤たまねぎよりもはるかに上だ。もし、彼が「不敬だ」と言えば、赤たまねぎは罪に問われることになるのでは?
確か、一番重い刑罰はギロチンだったような……
周りの皆は緊張した面持ちで目配せをし合っていた。
ウォールステッカーのように壁に貼り付いていた騎士団員たちは、いつの間にか壁からはがれて移動し始めている。侍女三人は巻き添えを食わないよう席を移動して距離を取った。
近くにいた隊長と目が合うと「いつでも行けます」とでも言うように目配せをしてきた。
全員がマダムを捕える心づもりをしているのだ。
願わくは、わたしの住まいでギロチン刑になる人を出したくない。なんとか平和的に仕事を進めてもらうことはできないものだろうか。
こちらの気も知らず、マダムは副団長に向かって鼻息を吹いていた。
「アナタなんかに用はないわ! お下がりなさいっ!」
――赤たまねぎがリアルみじん切りへの道を猛ダッシュしている。わたしの服のせいで、人が死ぬかもしれない……
幸いなことに、彼はマダムを不敬罪に問う気はなさそうだった。淡々と「言うとおりにやれ」と訴え続けている。彼もまた人間ができているのだ。
しかし、このまま放っておくのも危険だ。彼の堪忍袋の緒が切れたら、マダムをギロチン・ロードへご案内しなくてはならない。
かつて職場でこの手のモンスターが湧いた時、人事部長が現れて排除していた。おそらくそれしか選択肢がなかったのだろう。
致し方ない。それに倣って、この場をどうにかしよう。わたしの家なのだから、わたしがやらなくては。
ティーカップと一体化しそうだった唇に軽くリップバームを塗った。
いったいどれくらいの時間、フチをなめていたのだろう。紅茶はほとんど量が減っておらず、すっかり冷たくなっていた。
隊長が手を差し出してくれたので、それにつかまって立った。しかし、彼は間仕切りの外に出て欲しくないようで、困った表情を浮かべている。神薙が平民の前に姿を現さないのは、顔バレすると身辺警護が大変になるからだ。
ただ、相手はギロチン・ロードまっしぐらの年配女性。今ここで顔を知られたからと言って、わたしの脅威になるとは思えなかった。
「大丈夫です。お願いします」
隊長は少し戸惑った様子で「承知しました」と言った。
間仕切りの脇を通り、皆のいるほうへと歩いて行くと、執事長が表情だけで「アッ」と言った。
軽く笑いかけると、彼も少し困ったように笑みを見せる。
マダム赤たまねぎは、わたしに気づくとギョッと目をひんむいた。
彼女の視線を追うように、オーディンス副団長がこちらを振り返る。
「我が神薙……」
彼の反応から、わたしの名前すらも秘匿情報なのだとわかった。
マダムたちが屋敷に入ってきて以来、宮殿の皆がわたしの名前を口に出さなくなっている。どうしても呼ばなくてはならないときは「私の神薙様」とか「我が神薙」とか、おかしな呼び方をしていた。
「お手を煩わせてしまって申し訳ありません」と声をかけた。
「いいえ。この者はこちらの要望を聞く気がないようです」
「そのようですね。仮に皆さんが貴族の令嬢と令息でなかったとしても、適切な態度だとは思えません」
わたしたちの短い会話を聞き、マダムの表情が変わった。
騎士は平民でも努力と才能があれば就ける職業らしく、先代の側仕えはヒト族の騎士だったと聞いた。だから、同じようなものだと思ってなめていたのだろう。まさか目の前にいるのが、将来を有望視されている上流貴族の嫡男だとは思っていなかったのだ。
マダムはアワアワと床に膝をついた。師匠の様子を見た弟子たちも、慌てふためいてそれに倣っている。ふかふかのカーペットが敷いてあるので膝は痛くないだろうけれど、あまりにお弟子さんたちが不憫だ。
わたしは望まずしてラスボスのようになっていた。
マダムは自分こそが正義だと勘違いしていたニセモノの勇者だ。この宮殿に彼女のセーブポイントはなく、倒されたらゲームオーバー。この仕事はなかったことになる。
「マダム、もう結構です」と、わたしは言った。
顔も出してしまったことだし、今さら話すことを避ける必要はないだろう。彼女のおかげで、わたしはお茶も喉を通らないほどお腹いっぱいだ。
「こちらの騎士様は、命を懸けてわたしを守ると言ってくれています。侍女もそうです。異世界から来たばかりのわたしを朝から晩まで助けてくれています。いかなる理由であっても、彼らが侮辱されるのは耐えられません。この件は陛下に報告をして白紙に戻します。どうぞお引き取りください」
わたしが退去を促すと、オーディンス副団長がサッと手を上げた。彼の合図で騎士が一斉に動く。




