エルデン伯家令嬢[ヴィル]
ただ楽しいだけのデートにはならなかった。
「会計で少し目を離した隙に、リアが突き飛ばされた」
「なぜ? 誰に?」
「調べさせたら、どうやらエルデン伯家の令嬢らしい」
「エルデン伯? ヒト族の中では筆頭かそれに近いのではなかったか?」
店内には客に扮した護衛が腐るほど居た。当然だがアレンもいる。物々しくならないよう彼女からはある程度の距離を保っていた。
女性向けの売り場には、我々以外にも貴族令嬢が数人買い物を楽しんでいた。
しかし、まさかそのうちの一人がリアを急襲するとは、誰も思っていなかった。
「反王派ではない。親は……の話だが」と、クリスは言った。
エルデン伯はヒト族の中では身分が高い。しかし、王にへつらうゴマすり貴族だ。
親から指示されてやったのではなく、令嬢が自分の意志で突き飛ばしたと見るのが妥当だろう。
目撃者が多いため、神薙への不敬罪が簡単に適用できる事案だった。
「ところが、彼女が令嬢について何も言わない」
「なぜ?」
「分からない。何度聞いても、自分が悪いと言うだけだった」
「脅されているとか?」
「そういう感じでもない」
「かばっているのか?」
「いや、後から聞いたが二人には面識がなかった。まるで知らない人間をかばうのも不自然だ」
クリスは唸った。
「なぜだろう」
「俺にもさっぱりだ。彼女の真意が分からない」
しかし、出会った日もゴロツキに突き飛ばされていて、今度は女に突き飛ばされた。父の言うとおり、よく効く御守りが必要だ。絶対に。
父が何を用意しているのかは知らないが、来週必ず受け取ってもらおうと思った。
俺は一部の行動を父からの命令で実行することになっていたものの、結果はどうであれ、嘘や心にもないことは言わずに済んでいた。
「一先ずエルデン伯家は第一騎士団の観察対象にした」
「エルデン伯なら、しょっちゅう王宮をフラフラしているぞ」
「領地管理もそこそこに、ゴマをすりに来ている」
「民は不幸だな」
「まったくだ。叔父と父にも今回の件は伝える」
クリスは「そうだな」と言って頷いた。
「それで、リア様に身分を明かしたのだろう? どんな反応だった?」
「いや、それが」
俺は答えに窮した。
言うべきか否か。
言うとしても、どこまで彼に話すべきか悩んだ。
「お前、まさか……」
「いや、そのー、庭園の入り口で一歩も動かなくなったのが、あまりに可憐で……」
俺は髪を鷲掴みにして机に突っ伏した。
思い出すと気が狂いそうになる。
「なぜあんなに可憐なのだ。神薙なのに。おかしいだろう」
「まあ場所も場所だし、時期も時期で、相手も相手だな。ヴィルには酷な状況だとは思う」
「自己嫌悪で死にそうだ」
「何をしたのか言ってみなさい」
「我を忘れて口付けをして、時間切れにナリマシタ……」
「なんと羨ましい……もといクソ馬鹿野郎。ゲス野郎かお前は」
「クリスだったら我慢できるか?」
「ふん、断言してもいい!」
「どちらだ」
「絶対に、無理だ!」
「自信満々に情けないことを言う奴め……」
「まあな」
「俺は多分、すごくいけないことをしている」
「他にもあるのか?」
「少し頭を整理してから話す」
「わかった。話せるようになったら聞いてやる」
再び机に突っ伏して髪をくしゃくしゃにしていると、ドアをノックする音が聞こえた。
応えるとアレンが入ってきた。
報告か? ……いや、それにしては時間が早すぎる。
何かあったのか?
俺は平静を装い、挨拶をした。
「やあ、アレン」
「やあじゃねぇんだよ、この金髪クソヤロウ……」
アレンは怒っていた。
めちゃくちゃ怒っていた。
リアから何か聞いたのかも知れない。
何を聞いた? どこまで聞いた?
頼む。今は勘弁してくれ。
これ以上、俺を痛めつけるな。
もう精神的に死にそうなのに、お前にボコボコにされたら物理的にも死ぬ。
マジで死んでしまう。
「書記? ヴィル君はひどく落ち込んでいる。優しくしてあげなさい?」
ソファーの背もたれに腰かけていたクリスが立ち上がり、アレンの背中をぽんぽんと叩いてなだめた。
「せんぱい、昨日のデート……」
「ぐっ」
アレンが俺を「先輩」と呼ぶのは、部下としてではなく友人として話しているときだ。たった今、奴は仕事を放棄した。そして、一人の後輩、一人の友人としてここにいる。
彼は部下としては、そこそこ従順にしているし、表向きは丁寧で物腰柔らかく、主張は控えめだ。誰とでもうまくやっているように見える。
しかし、素の彼は控えめどころかめちゃくちゃ主張が激しく、けっこう野心家で口が悪い。そういう男だからこそ、俺達とうまくやれているという説もあるのだが……
「リア様に何をしました?」
「う……」
ああ、だめだ。
今日、彼は俺を殺しに来ている。
殺される。
短い人生だった。
俺が何をしたか……?
彼は本当にそれを知りたいのだろうか。
箇条書きにして伝えることは可能だ。
口付けをした。
反応があまりにも可愛くて止まらなくなってしまった。
白い細い指が俺の上着に掴まっていたが、蕩けるように力が抜けていった。
彼女は震えて瞳を潤ませ、囁くような声で俺の名を呼んだ。
馬車の中でも深い口づけをした。
抱き寄せて背中に触れると、ピクリとのけぞって甘い吐息をついた。
左耳が弱くて、息をかけるだけで反応する。
どこもかしこも柔らかくて敏感で甘い。
恥じらって真っ赤になる様子にゾクゾクして気が狂いそうになった。
これを言ったら、俺はこいつに百パーセント殺される……
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