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敬愛の口づけと共に[ヴィル]

 神薙は俺の生活を変えた――

 外出先から寄り道もせず、急いで執務室へ戻るようになった。

 アレンの持ってくる面倒くさい紙の処理も、とっとと手を付けて終わらせた。そのせいか、アレンの小言がぴたりと止まった。

 机がいつも片付いていた。

 神薙からの手紙は、辛抱(レタス)だらけの人生(パン)に挟まった、ほんの少しの幸福(ハム)だった。


 王都は毎日晴れていた。

 神薙は突然拉致されたにも関わらず、ただの一度も、それについての恨み言はおろか家族のことを手紙には書いてこなかった。あえて文字にするのを避けているようにも思えた。

 アレンからエムブラ宮殿の報告を聞くかぎりでは、神薙の周りでは日々それなりに事件が起きている。ところが、神薙の精神は常に安定しており、周りに気を配りながら朗らかに微笑んでいた。

 自分の身に置き換えると……俺には到底できないことだった。


 アレンから度々「身分を明かせ」と言われた。

 彼に面倒をかけているのは承知しているが、それはできない。俺の一存で勝手なことをするわけにいかなかった。

 神薙への手紙を「敬愛の口づけとともに」という恥ずかしい一言で結んだ。


 手紙を送る手配を済ませると、王宮にある父の執務室を訪ねた。

 父は相変わらず忙しそうだったが、俺の顔を見るとサッサと部下を払い、茶をいれさせると「座れ」と言った。

 疲労の色が濃い。何かあったのかと尋ねると、父は「エルディル辺境伯領に再び隣国が攻め込んできた」と言った。ちょうど援軍など諸々の手を打ち終えたところだったようだ。

「五年前、たった三人の若造にしてやられたというのに懲りない連中だ」

「新しいペンを頂けるなら、またその時の若造が旅行がてら行きますよ」

「あの若造どもは出世してしまったからな。別の若造を行かせるさ」

「それは残念です」

「……しばらく見ないうちに、だいぶ落ち着いた目をするようになったな」と、父が目を細めた。

 父と向かい合って二人だけで話をするのは久し振りのことだった。

「実は、あのペンを神薙に貸しました」

「それはまた面白いことをしたな」


 俺がここまでの経緯を説明し、本題に入ろうとした時だ。

「その件だが」と、父はこちらの話を遮り、叔父の署名が入った書類を差し出した。まるで俺が来るのを見越していたかのようだ。

「神薙を連れて、ここへ行け」

「は?」

「これは我がランドルフ家の仕事だ。弟には言うな」

「……その『弟さん』が、ここに署名をしているのに、ですか?」

 俺は書類の署名欄を指さした。

 父は王兄だが、表向きは王の部下だ。コソコソと動き回れば、面倒なことになる。

「お前の友が行きたがっている、という名目で貰ってきた」

「勝手に私の名前を使わないで下さい」

「デートの段取りをしてやったのだぞ?」

「神薙と距離を置けと言っていたのは何だったのですか?」

「それは先代の話だろう。不満なのか?」

「……デートぐらい、自分で誘います」

「しかし、お前はここに何があるかも知らないし、行ったこともないだろう?」

「それは……はい……」

「なかなかだぞ。今がちょうどいい時期だ」

 父は書類の一番上の真ん中をトントンと指でたたいている。そこには「北の庭園 入園許可証」と書いてあった。

「ここ、何があるのですか?」

「魔法植物『王の白花』だ。可憐(かれん)な神薙は喜ぶだろう。私なら絶対にここに連れて行く」

 そう言うと、父は「ヴィルさんステキ、となるに違いない」と茶化した。


 デートの段取りと言いつつ、おそらくこれは、俺に何かしろという任務の話だ。事もあろうに神薙が絡んでいる。

「そこで、今から言うとおりにしろ」と、父は言った。

 ほら、始まった……と、俺はため息をついた。

「私には自由にデートをする権利もないのですか?」

「ここ以外は自由にしていい。最初か最後に寄ればいい」

「ほかをあたってください。なぜ私がそんなことを……」

「お前が神薙にしたようなことを別の男がしても構わないのなら、ほかを当たるが?」と、父は何かを含んだように言う。

「どこまで知っているのですか」

「介抱するふりをして、口づけをしていたことぐらいか」

「そこまではしていません!」

「別にオーディンスやクリスの坊に頼んでもいい。彼らは上手くやるだろうな。すぐ夫に選ばれるくらいに。クリスではお前とケンカになりそうだから、オーディンスに頼むか。身分も申し分ない」

「……っ!」

 父は楽しげに「たいそう可憐(かれん)な神薙らしいな」と笑っていた。

 王都の全兵力の頂点に君臨している父は、情報網を国内外に張り巡らせている。時々、俺の行動も何もかも筒抜けなのではないかと思えてゾッとする。

 あと何年経ったら、俺は父を越えられるのだろうか……。


「ウソ以外にして下さい。俺は今、すでに神薙を(だま)しています」と、俺は白状せざるを得なくなった。

「家名を伏せて、一般の騎士ということに……」

「それはひどいな。いずれきちんとわびろ」

「すみません。距離を置けと言われていたものの、街で偶然出会ってしまったので」

「わかった。では、こうしよう」

 父は妙なことを俺に指示したが、幸い、俺が偽りを言わなくても済む話だった。


「それを言うことで何がわかるのですか?」と尋ねてみると、父は薄く笑った。

「私が必要としている情報だ」

「ですから、それが何かと」

「披露目の会の一週間前までには報告が欲しい」

 詳しいことを話す気はないらしい。こうなると「わかりました」と言うほかない。

「来週、我が家に伝わる御守りを贈る、と伝えろ」

「護符か何かですか?」

「それをお前の報告次第で決める。いずれにせよ、当代の神薙にふさわしいものにしよう」

「はあ……そうですか」

「必ず受け取るよう、言質を取れ」

「なぜ、そこまで?」と、俺は顔をしかめた。

「『要りません』と断られても困るからだ」

 渋々、北の庭園の入園許可証を懐に突っ込んだ。

 父からの任務に抵抗や反発をするのは過去に散々やってきた。抵抗するだけ時間の無駄だとわかっている。

 帰り際「そういえば、お前の用はなんだった?」と聞かれた。

「もう済みましたよ」と答えると、父は不愛想な顔で「そうか」とだけ言った。


 あまり気分は良くなかったが、「父上の方針に背いて神薙をデートに誘おうと思っていますが構いませんか?」と、許可を貰う必要は、今さらなかった。


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