エムブラ宮殿奮闘記[ヴィル]
歴代の神薙は「酒と肉と男以外では喜ばない」と言われるほど、偏向的趣向の持ち主ばかりだった。己の欲に突っ走り、知的な活動は一切しない。ところが、新しい神薙はなめる程度しか酒を飲まず、小食だが好き嫌いがないという。
夫は一人しか持つ気がなく、降りて以降、一度も男を閨に呼んだことがない。そればかりか、男を見ても礼儀正しく挨拶をするだけ。試しに団員に手を振らせたところ、笑顔で手を振り返して終わりだった。
朝は早く起き、朝食を終えると静かに茶を飲みながら新聞を読む。昼間は図書室へ行き、この国の歴史や地理、マナーなどの本を読みあさる。まるで修行中の聖職者のような暮らしだ。
「彼女は与えられた環境に順応しようと必死です。気の毒なほど努力をしている」と、アレンは言う。
彼女は毎日のように常識を覆し続けているのだ。
神薙がエムブラ宮殿に入って以来、侍女と執事長は連日忙殺されていた。なぜなら、あらゆるものを、新神薙に合うよう変更しなくてはならなかったからだ。
彼らは王宮が前もって用意していたものを片っ端から確認し、要否の判断からやり直した。
執事長は毒々しい色の家具や調度品をすべて撤去し、倉庫にぶち込むよう指示した。そのせいで、一時的に屋敷の中が殺風景になった。日を避けるカーテンもなく、すべての窓が丸裸だ。それでも「あんなものが掛かっているよりマシだ」と彼は言ったらしい。
大急ぎで可憐な神薙に合うものを手配すると、落ち着いてゆっくりと倉庫から毒家具を運び出し、王宮へ突き返した。
執事長も大変だったが、三人の侍女はもっと気の毒だった。
彼女たちは衣裳部屋から毒ドレスや禍々しい宝石類を取り出し、王宮へ戻さなくてはならなかった。しかし、メイドを使える時間は限られていて、か弱い貴族令嬢三人ではとても手が足りなかった。
そこでアレンは「判断は侍女、作業は団員」という方針を打ち出し、神薙が部屋からいなくなった隙を狙って作業をさせた。
侍女が一心不乱に衣裳部屋から放り投げた不要品を団員がかき集め、大急ぎで箱に詰め込んで倉庫へと運び出す。
それが終わると、新しい清楚なドレスと、控えめなデザインの飾りを発注し直すので大騒ぎだ。
神薙が図書室にこもっている時間が長かったおかげで、作業時間には事欠かなかったが、あまりにも足りないものが多すぎた。見積もりを取ってのんびりとドレスの発注をしている暇などない。明日明後日にも着る服がなくなるかも知れない、という危機的状況だった。
団員が侍女を貴族街の店へ連れて行き、既製品を片っ端から買う手伝いをした。神薙が既製品を身に着けるなど、過去の事例を考えると有り得ないことだが、その状況では致し方ない。物の足りない時期をどうにか乗り切るしかなかった。
そんな折、大変な事件が起きた。
最も服の数が減った状態の衣装部屋を、神薙に見られてしまったのだ。
「罰を与えられる。雷で殺される。はたまた首を斬られる」と恐れる侍女に向かって、神薙は笑ったらしい。
「こんなにたくさんあったのでは、わたしの体のほうが足りませんね」と。
新しい神薙は無欲を極めていた……。
型破りな神薙を中心に、激動する宮殿。多少の失敗はありながらもアレンは上手くやっていた。
彼は休みと訓練の日以外、神薙のそばを離れようとしない。以前は時々休暇を取って旅に出ていたが、それもしなくなった。酒も飲まなくなった。
神薙もまた、アレンを手放そうとはしなかった。
「書記も男を上げたものだな。リア様が自ら陛下に降格の取り消しを懇願するとは……」
クリスは悔しさを滲ませつつ頭をかいた。
神薙と顔を合わせることもできない第三騎士団からすれば、すぐ近くにいられるアレンは羨望の的だ。
「しかし、そのメガネをかけていると細い岩に見えるらしいな?」
クリスが面白がって言うと「私は逆立ちしても夫にはなれないでしょうね」と、彼は肩を落とした。
「俺はそれを外して口説くなと命じた覚えはないぞ」と言ってやった。
「恵まれた容姿を封印していても、神薙がアレンを必要としていることは間違いない。お前はよくやっているよ」
王宮では、夫の座に最も近いのはアレンだろうと言われている。しかし、彼は仕事中にメガネをかけたがった。
それは本来『神薙避け』として試作されたものであり、彼の男の気配を抑える魔道具だ。職人が少々気合いを入れすぎたのか、男の気配どころか人間の気配をも薄めてしまっている点は問題なのだが、それでも一応目的は果たせていた。
神薙から身を護るために与えたものだが、本人が深い仲になりたいなら、わざわざかける必要はない。
「私が必要としているのは、オマケ機能のほうなのですよ」彼はぶすっとして言った。
メガネには意図せずして、神薙の力を多少防御できるオマケが付いていたらしい。
歴代の神薙とは違って下品な力を放出しっぱなしではないにせよ、新しい神薙からも多少は漏れているだろう。チリも積もれば山となる。それを浴びっ放しで長時間過ごすアレンは、メガネがあると楽らしい。
メガネを外して口説くにしても、神薙の妙な力に触発されるような形で手を出すことは彼の矜持が許さないようだ。逆にそういう真面目なところが神薙に刺さっている可能性もある。
「ヴィルはリア様と何を話した?」と、クリスが聞いてきた。
「うーん……なんだったかな」
すぐには何を話したかが思い出せなかった。
「会話らしい会話をした記憶はない。ゴロツキを追い払って、彼女のケガを冷やしただけだ。ただ……」
「ただ?」
俺は右手の感触を思い出しながら、あの時のように動かした。
「抱き心地が最高に良かった。まるであつらえたかのようにピッタリと。しかも、花のようないい香りがして――」
次の瞬間、ぶおっと突風が吹き荒れた。俺の髪が一瞬、全部上を向いた。
机の上の書類という書類が舞い上がり、天井からバラバラと落ちてくる。学生チェス大会でもらった優勝杯などが倒れ、壁の絵が斜めになり、掛けてあった外套がぶっ飛んで床に落ちた。
俺の執務室は、かわいそうなほどメチャクチャになった。
しかも、目の前ではクリスがバカでかい特注の剣を抜いている。
こ……ここは、戦場か……?
クリスに限り、私服の時は帯剣してはいけない規則を作ったほうがいい。剣がデカすぎて、さすがの俺でも怖い。
おいコラ、そこの野獣、剣に魔力を流すな。俺に触れてビリビリしたらどうする。それに、上の許可なく味方に向かって抜剣するのは騎士法違反だぞ。
「お、お前ら、相手が俺だから笑って済むが……」
注意しようとしたが、彼らは聞いていない。
「人を変態ゴリラ呼ばわりしておきながら、このド変態クソ野郎が!」
「やはり不届きなことをしていましたね。このナンパ野郎」
「ちょ、アレン、これ、片付けてくれるんだよな?」と、俺は書類が散らばった床を指さした。
「うるせえ、自分でやれ!」
ドスの利いた彼の声とともに、二度目の突風が吹いた。
「最近、魔力が漏れやすいのはメガネのせいではないか」と文句を言っていたくせに、メガネがなくても特大の魔力漏れをやらかしているではないか。
「ん? なんだ?」
風に煽られ、封筒が頭の上に落ちてきた――
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