素顔 §2
こちらの季節は、初秋とのこと。
朝晩は冷えるものの、昼間は日差しも強くて軽く汗ばむくらいまで気温が上がる。
「今日は少し暑いですね」
声をかけると、彼はメガネを光らせながらうなずいた。
彼は頻繁にメガネの位置を指で直す癖があり、そのたびにフチが光を反射する。外だと陽の光が強いので、片合掌した仏像から閃光が放たれているようになるので少々コワイ。
日課のお散歩は一時間から一時間半ほど。庭園の噴水広場で休憩をすることが多かった。大きな丸い噴水は、フチに腰かけられるようになっており、お気に入りの場所だ。そこから花壇も見える。庭師の皆さんが丹精込めて育てたお花を見ていると、心が癒された。
「――リア様のおかげです」
まぶしい日差しに目を細めながら、彼はふいにそう言った。
「リア様が微笑んでおられるからです」
「んっ……?」
意味がわからず、目をぱちくりさせながら彼の銀灰色の瞳を見ていた。
何がわたしのおかげなのかしら。わたしが彼のためにしていることは何一つないのだけれど。
メガネの奥にある瞳からは、相変わらず感情が読み取れない。
この国の人々は髪や瞳の色が皆違っていて個性的なのに、彼の場合はグレーの瞳に無表情が合わさっているせいか、個性が打ち消されている。瞳がパチンコ玉に見えるのは彼くらいのものだ。
「この大陸の民は、リア様の幸福を分け与えられて生きているのです」
こちらの気も知らず、彼はメガネのフチに指をかけて言った。
彼の真剣な眼差しに、わたしは思わず口を開けてしまった。何を言っているのだろう、この人は。また何か説法でも始める気だろうか。今度はなんの宗教だろう?
「えっと……」なんてリアクションすればいいのやら。
「リア様の幸福が私のすべてです」
「んん?」
「私はリア様のために命を懸け、リア様にすべてをささげる者――」
「いや、あの……」
何もささげなくていいのに、すべてをささげようとしているこの人は、神薙至上主義なのだろうか。
「リア様を穢すものは私の敵。リア様の微笑みが私の幸福です」
――ヒョエェェ……妄信的な信者みたいで怖いのですが?
彼は呪文のように言い終えると、トレードマークの銀ぶちメガネを外した。暑かったのか、ポケットから取り出したハンカチで軽く顔の汗を押さえている。
彼がこちらを向いた瞬間、わたしはとっさに危険を察知して目を伏せ、体ごとぐるっと回して顔の向きを変えた。しかし、遅かった。
わたしは見てしまった……巧妙に(?)隠されていた彼の素顔を。
――め、目があぁぁーーッ!
メガネを外して微笑んだ彼は、控えめに言って兵器だった。
信じられないことに、彼は腰を抜かすような美男なのだ。
……おかしい。何をしたら人間の顔面がそんなことになるのだろう。
確かにメガネの有無で印象が変わる人は多い。けれども、岩とダイヤモンドほど違いが出る人なんて見たことがない。
まるで悪魔が持っている巨大フォークのような顔面攻撃力だ。彼がメガネなしで外を歩くことは、無意識のうちに女性を突き刺しながら歩いているも同然だ。
この人……もしかして、本当は全然違う感じの人なのでは? 素顔のままだと街を歩けない人だったり。
あの鉄面皮、ペッタリ髪、銀ぶちメガネの三点セットは、バレないようにするためのカモフラージュ?
彼は陰陽師のような人のもとを訪ねて相談したのかもしれない。
「助けてくれ。このイケメンを隠す方法はないか。こんなにカッコ良くては生活に支障がありすぎるっ!」
「オー、なんてファビュラスなグッドルッキングガイ! そんなに困っているなら助けてしんぜよう。この三つをそろえれば結界が張られ、あなたは仏像に見えるでしょう!」
――で、それを毎日仕込んでいる、と。……きっとそうだ。
一緒に散歩をしていた侍女三人を見ると、顔を真っ赤にして震えていた。貴族令嬢にも刺激が強すぎるのだ。顔面ツヨツヨにも程があるだろう。
神薙様の権限で、女子には撤退令を出させていただこう。というか、わたしが逃げたいので、さようなら。
皆でズザーッと距離を取り、身を寄せ合ってプルプルした。
「あの方は、本来ああいう方なのです」と、侍女のイルサが胸を押さえながら言った。
「何かの実験に参加されてメガネをかけているとのうわさですわ」とマリン。
――仏像になる実験って何?
「我々はリア様を笑顔にするために、おそばに――おや、リア様、なぜそんな所に?」
彼はきょとんとした顔でこちらを見ていた。
声が全然違う。爽やかな普通の声も出せるらしい。
「ちょ、ちょっと(あなたの顔に)問題がありまして。アハハ……」
彼を自分と同じ「サンドウィッチ屋に並べられたおにぎり」だなんて思っていたのが恥ずかしい。彼はサンドウィッチ屋に置かれた超高級「懐石弁当」だ。塩おむすびのわたしが生意気なことを言って申し訳ありませんでした。
再びメガネをかけた彼は、いつもの鉄面皮に戻っていた。もはや視力矯正用ではなく表情筋硬直用メガネだ。
「あのぅ……」わたしはおずおずと話しかけた。
「はい、ナンデショウカ」
安定の自動音声が応答した。ひどすぎる。さっきまで王子様のようにキラキラしていた彼は幻だったのだろうか。
ご用件を、ドウゾ。――ピー。
「メガネは毎日忘れず掛けるのがいいですよね……」
自分でも何を言っているのかよくわからないけれど、わたしの心の平穏のためにも毎日着用しておいてほしい。
「え?」と彼は言った。
「な、なんでもないです。すみません」
わかり合うために会話を増やそうと思っていたのに、メガネが気になって会話にならない。
彼は意思の疎通がうまくいくと微笑んでいるらしく、菩薩のようにゆるっと表情が変化することがあった。しかし、どこからどう見ても石は石だった 。
同時並行的に毎日てんやわんやしている「別件」と相まって、わたしの悩める日々は続いた。