だって、血液検査の結果が良かったからッ(>_<。)
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通院日はいつもいつもどきどきです。私もおっさん、なのでね。タイトルのとおり、血液検査の結果が良好だったので、とても気分が良いのですよ、今般の場合、だから調子に乗って、「何か」を書いてしまうのですよ。
さて、一部、タグに記しましたとおり、私が好きなキャラクターは、概ね、その作品における「主人公」ではありません。特に押さえておきたい五〇悟なんかは、遅ればせながら、それでも最近にあってもかなりホットな人物と言えるでしょう。くだんのアニメーションがマイナーなわけがありませんから、当該が有名である以上、彼の風貌や性格を参考にした輩が登場するのは、ある意味、当然の帰結と言えます。
それは悪いこととは言えない。
何を描くにも、オリジナルを生み出すことは存外難しい。何か手がかりが必要だ――となります。完全無欠的に個性的なキャラクターなんて、実は存在しないのかもしれません。書き手からすると一生懸命に脳の深淵、あるいはフレッシュな生身から絞り出している場合もあるのでしょうけれど、誰かから見るとそれだってパターン化された代物で、二番煎じ、使い古された手法からなるエイリアンで、ゆえに目新しさに欠けるものなのかもしれない――となるわけです。
――といった具合にネガティブに捉えてしまうと、結局のところ、最悪、何も書けなくなってしまうのかもしれません。ですからそこに必要なのはある種の「オラオラ」で、ずんずん書き進められる体育会的精神構造が正義なのだろう――とまでは申し上げませんが、どうあれ自らの価値観に絶対的に則した格好で物を創れると、そうあるほうがずいぶんと建設的です。建設的。良い言葉です。創作するにあたっては強く意識し、また啓蒙したい。モチベーションの源泉と言えます。
さてさて、モデルケースはあって良いのではないでしょうか? そのへん、二度ならず三度までも語らい、謳いたいところです。だからといって、個性を描くことを参考文献に頼りすぎるのはいかがなものか? ――そう考えるわけです。
矛盾です。
量産はあって然るべきだが、オリジナリティは欲しい。
要は、バランスです。
この物言いについても、様々、ご意見はあることだろうと思います。
ただ、どうあれ、型、テンプレートはあるわけです。婚約破棄なるテーマでどれだけの作品が描かれたことでしょうか、描かれていることでしょうか、描かれつづけることでしょうか。
婚約破棄等々、ニーズがあるから売れるのであり、――で、私みたいなにわかにはわからない個性がそこには介在し、だからこそ、一概に「婚約破棄モノ」などと定義できないわけで、目の肥えた方からすると、そのへん、当然のことなのだと思います。興味深い事象だと考えます。蛇の道は蛇? 少し違う――かな? その道はその道で、確実に昇華への道を辿っているように、私には見受けられます。よくも知らないうちに馬鹿にすることほど滑稽で非生産的な行為はありません。批判するにしたってバイアス抜きに触れてからにしましょう――そういうことです。
盛大極まりなく話が逸れたような気がします。
自らの浅薄さを朗らかに露呈したような気もいたします。
僭越ながらも、短い内容で、誰かに派手に刺さるモノを書きたかった。
世の中に出回っているコンテンツは、あたりまえのことですが、グラデーションはあれど、少なからずニーズを掴んでいる。その事実から目を背けて個人戦に突っ走ると、目標が大きな人こそ、挫折に晒されるのかもしれません。需要と供給の関係って実は業界問わずに大原則で――ただ、そうであることに面白味を感じない、私を含めた底辺作家が存在することも事実なのだと思います。
本当に、私は実績において「下の下」です。その思いを新たにしつつ、噛み締めつつ、どうあれば健全かつ健康的に「なろう」をはじめとするwebの小説サイトを楽しめるのか、いつも考え、あるいは苦悩しています。つらいならいっそやめてしまえばいいというのはもっともなご指摘ですけれど、私は続けます。しんどい以上に好きだから。世間一般の縮図に身を投じることが嫌いではないから。怖いもの見たさという表現が、あるいはしっくりくるのかもしれません。
物を書き始めて私はもう十年以上にもなりますけれど、そんな私よりも歴が浅い方は数多くいらっしゃるはずだ。若い人たちには、「諦めるのはまだ早いぞっ!」と、偉そうなことを上から目線でのたまっておきます。しかし、ホント、腐るのはいつだってできる。筆を止めるな! です。
私は「みなさん、がんばえぇ」的なエッセイをしばしば残しますが、実のところ、それは自分に対するエールなのかもしれません。
(ノ∀`)