金魚すくいで救われた金魚、恩返しに現れる
中学は夏休みの真っ最中。
「昨日は、ありがとう」
マンションを出たところで声をかけられ、僕は声がした方を見た。赤っぽいワンピースを着た同い年くらいの女の子が、イタズラっぽい笑いを浮かべていた。
「私、昨日あなたに救ってもらった金魚なの」
「はい?」
蝉が間抜けな声で鳴いてる。
ゴムが焦げたような変な臭いが、熱せられたアスファルトから漂ってくる。
確かに、昨日は金魚をすくった。
同じクラスの好きな子に振られ、失意の中で立ち寄った町内会の夏祭りで、僕は心を落ち着けるために金魚をすくった。
イライラでポイ捌きが乱れたものの、なんとか一匹の金魚をすくい上げると、取れずに落ち込んでいる小学生くらいの女の子にそれを渡してきた。
「あなたに救ってもらえなかったら、たぶん私、廃棄されちゃってたと思う」
「え、金魚って‥‥」
「昨日金魚をすくって、女の子にあげたでしょ」
「うん」
「その金魚が、私」
納得できるわけがない。
そんな僕の頭の中を知ってか知らずか、金魚の女の子は転んだ三日月みたいな口から、からっとした声で捲し立てる。
「私、恩返しに来たの。これから私の鱗を使って、ネックレスを作るから、あなたの家に案内して」
「でも、遊びに行くところだし‥‥」
「遊びにはいつでも行ける。恩返しは今だけだよ」
「えぇ‥‥」
「いいから」
僕の背中を両手で押す。そのしなやかな指の感触に、心がもやもやと乱される。
顔がやたらと熱い。
さっき下りてきた階段を再び上り、家の前へと辿り着く。促されるままにドアを開けようとしたところで、小さな子の声がした。
「お姉ちゃん、何してんの?」
声の方を見ると、昨日金魚をあげた小学生の女の子がいた。
金魚は、僕とその子を交互に見て、可愛らしく舌を出すとバツが悪そうに笑った。
「変なイタズラはやめなよ」赤くなる小学生。
金魚は小学生の頭をくしゃくしゃと撫でると、よくわかってない僕に向けてペコリと頭を下げた。
「イタズラしちゃってごめん。昨日妹に金魚をくれた、親切な男の子が隣の部屋だったから‥‥なんか嬉しくなっちゃって」
「は、はい」
「私、昨日引っ越してきたの。二学期から同じ中学だよね? よろしくね!」
差し出された右手。
その指先を戸惑いながら遠慮がちに握る。汗で湿った指先は、水槽の中のようにひんやりした。
階段を下りながらも、彼女の笑った顔が頭から離れなかった。
昨日すくったあの金魚は、本当に恩を返してくれたのかもしれない。