癒やしを求める者
俺が赤ん坊を抱きかかえて戻ると、ツバキとアザレアが駆け寄って来た。その様子を見ただけで察せるだろう、アザレアがぽつりと言った。
「終わったのですね」
「終わったよ、これで全部」
次の瞬間、迷宮内が揺れてゴゴゴと音を立て始めた。天井からぱらぱらと土が落ちてきて、地面が盛り上がったり割れたりを繰り返している。
「すぐに脱出する必要があります。皆さん私の背に乗ってください」
色々と問いかける前に俺たちはアザレアの背に飛び乗った。そしてアザレアは大きな翼をはためかせ飛び上がると、猛スピードで迷宮の出口まで駆けて行った。
赤ん坊を抱きかかえる俺が振り落とされないように、ツバキが俺に覆いかぶさり守ってくれた。俺はアザレアとツバキに身を任せて、ぎゅっと目を閉じた。
明るくなって目を開く、迷宮から出てきた俺たちはアザレアの背に乗って空を飛んでいた。こんなに高い所から見る景色は初めてだ、俺は興奮して赤ん坊に言った。
「すごいな、いい景色だね!」
赤ん坊はきょとんとした顔をしていたけれど、俺は笑ってまた抱きしめた。こんなに綺麗な世界が待っている、君の未来はきっと希望に満ちているよと心の中で呟いた。
クローイシュ王国が見えた。アザレアはその中心部の広場に向かって飛ぶ、近くまでくると、皆が待ち構えているのが見えてきた。
ツバキに手を借りてアザレアの背から降り立つ、抱えた赤ん坊の姿を見て真っ先にゲイルさんが近寄ってきた。
「グラン君、この子が?」
「ええ、抱っこしてあげてください。俺はもう手が疲れちゃって」
俺はそう言ってゲイルさんに赤ん坊をそっと手渡した。慣れない手付きで赤ん坊を抱きかかえるゲイルさんを、ベアトリスさんがこうするのと教えてやっと落ち着く形で抱える。
ゲイルさんはぼろぼろと泣きながらも、赤ん坊に笑顔を向けていた。そして泣いているゲイルさんの頬に向かって赤ん坊が手を伸ばして触った。
小さな手に触れられながら、ゲイルさんはより泣き崩れた。だけどしっかりと赤ん坊を抱きしめて離さない、家族になれなかった事を悔やむ彼が、この子の存在によってようやく許されたようにも見えた。
「グラン、あんたやったようだね!」
後ろからガバっと肩を抱きかかえられて驚いた。
「ジルさんぼろぼろですね」
「ああ、一生分暴れ倒してやったよ!いやまだ足りないけどねえ!」
そう言って豪快に笑う彼女を見て俺は苦笑いした。確かにジルさんならまだまだ暴れられるだろう。殆ど休みなく強力な魔物と戦っていた筈なのに、とんでもない体力だ。
「俺は当分こんなお祭りはごめんだよ、矢を撃ち尽くして最後は石投げてたんだからな」
「ロビンさんもありがとうございました」
「いやいや、お前さんに比べたらどってことないさ。辛かっただろうによくっやったな」
そう言ってロビンさんは俺の肩をぽんぽんと叩いた。そして俺の肩に抱きつくジルさんを剥ぎ取ると引きずって行く。
「何すんだよ!離せ!」
「怪我の治療があんだろが、いいから行くぞ!」
苦笑いで二人を見送っていると、ウルフさんとドロシーさんがやってきた。
「グラン、我は他の者の治療があるから手早く済ますぞ。無事に帰ってきて何よりだ、怪我があったら言いなさい」
「ありがとうございます。俺は大丈夫です」
「うむ、見たところ体に異常はないようだ。ではこれで、またな」
ウルフさんも俺の肩にぽんと手を置くと、忙しそうに去って行った。それでも時間を作って俺に会いに来てくれたのだから、その心が嬉しかった。
「…無事で良かった」
「はい、ドロシーさんも無事で何よりです」
「…ありがと、私はやりたいようにやっただけ、あなたは世界を救った。誇れないかも知れないけれど、それは覚えておいてね」
そう言うとドロシーさんは俺に頭を下げるようにちょいちょいと手招きした。俺がそれに従って頭を下げると、優しく頭を撫でてよく頑張ったねと囁いた。また涙が出そうになったけれど、ぐっと堪えてお礼を言った。
「…じゃ私も行くね、やることまだまだ一杯あるから」
小さく手を振る彼女を俺は見送る、皆俺の事を心配して来てくれたんだと思うと、申し訳ないやら嬉しいやらで心が一杯だった。
「バルバトス殿!あなたは来ないのですか?」
ツバキに見つかったバルバトスさんは、気まずそうな表情をした後こちらに近づいてきた。
「俺は無事を確認できればそれでよかった。余計な事を」
「またまた、心配していた癖に」
「ええい、鬱陶しい!じゃれるな!」
ツバキに絡まれてバルバトスさんはたじたじだ、そんな二人のやり取りを見て俺は何だか可笑しくって笑った。
「何だ?大丈夫なのかグラン?」
「バルバトス殿の顔が面白いのでは?」
「お前、俺より強くなったから遠慮がなくなったな。いつか痛い目見せてやるからな」
俺は笑った事を謝って息を整えた。
「違うんです。何だか日常が戻ったみたいでほっとしてしまって、ごめんなさいバルバトスさん」
「そうだな、お前にとって辛い日々が続いただろう。ゆっくりと身を休めて英気を養え、いつまでも落ち込んでいられないぞ。お前の力が今後も必要になっていくのだからな」
バルバトスさんはじゃあなと言って背を向けて去った。俺はその背に向かって礼をした。
「素直じゃないですねえ」
「しかしツバキはいつの間にあんなにバルバトスさんと仲良くなったんだ?」
「拙者達は剣を交えましたから、その時に心の会話も済ましたのでしょう。殴り合って友情を確かめる的な、そんな感じです」
「何だよそれ」
俺とツバキが談笑していると、エドムントとフォルテさんがやってきた。二人共疲労困憊といった感じだが、フォルテさんはエドムントよりもっと顔色が悪い。
「大丈夫ですかフォルテさん?」
「大丈夫大丈夫、色々目まぐるしくて大変だっただけ。僕のことより君のことだよ、よく頑張ったね」
「ゲイルの顔を見ろ、あんな顔をする奴は初めて見た。お前のお陰だよグラン」
エドムントの言葉に俺は苦笑いを返した。それについてはまだ素直に喜ぶ事が出来ないでいたし、感情の整理もまだついていなかった。
「お前の気持ちは理解できる。アレックスは死んだ、あの子はアレックスであって違う子だ」
「ちょっとエドムントさん!」
「いいから言わせろフォルテ、お前は友を失ったんだ、その気持ちを誤魔化そうとするな。我慢せずに吐き出せ、きっとそれがアレックスの弔いにもなる。お前は凄い男だグラン、心から尊敬する」
エドムントの真っ直ぐな言葉に俺は励まされた。確かにこの気持ちを押し殺してはいけない、そう気付かされて俺はエドムントにお礼を言った。
「ではな、さっさと戻ってこいよ。やるべきことがまだまだ沢山あるのだから。行くぞフォルテ!」
「あっちょっと!じゃ、じゃあねグラン君!また」
勝手にどんどんと歩いていくエドムントの後をフォルテさんが走って追いかけていく。彼に付き合わされる人は大変だなと思いながらも、あの真っ直ぐさがきっと今後必要になっていくのだと俺は思っていた。
「グラン」
「どうしたアザレア?」
アザレアから話しかけられて俺は聞き返した。
「私ももうこの姿でいるのは限界のようです。力を使いすぎました。元の小竜の姿となり、成長するには遥かな時間を要するでしょう」
「それって」
「はい、今の私とはもうお別れという事です。でも心配いりません、私はずっとあなたの側に居ます。あなたが拾い上げてくれた事、私は絶対に忘れる事はありません。大好きですよグラン」
「俺も大好きだアザレア、これまでもこれからもだ」
最後にふっと笑みを浮かべると、アザレアは元の小竜の姿に戻った。きっともう、俺の生きている間には大人の竜にまで成長する事はないだろう。だからこその別れの言葉だった。
俺はアザレアを優しく抱きしめる、そしてツバキに言った。
「帰ろうか」
「ええ、帰りましょう」
一先ずあの子の事はゲイルさんに任せておこう、俺たちはアンナや神父様、子どもたちが待つ孤児院へと帰る事にした。
孤児院で子どもたちから熱烈な歓迎を受けた後、用意されたご飯を皆で食べて激戦の疲れを癒やした。ツバキが子どもたちの相手になって揉みくちゃにされている隙に、俺はこっそりとそこから抜け出して外に出た。
日が落ち夜が来た。世界は終わらず続いていく、世界を救った感覚はまったくないが、ドロシーさんに言われた通り俺はそれを胸に刻み込む必要があるだろう。
ぼーっと空を眺めていると、後ろから声をかけられた。
「グラン君、隣いいですか?」
「神父様」
俺の隣に腰を下ろすと、神父様は聞いてきた。
「やりたかった事は出来ましたか?」
神父様に過去を打ち明けて貰えたあの時の事を思い出す。その時に言われた事の答えを求められた。
「そうですね、出来たと思います」
「でも浮かない顔ですね」
それはと言って俺は言葉に詰まった。喉の奥で言葉が引っかかって出て来ない感じだ。
「グラン君、心のままに生きる事は時に辛い困難が待ち受けてもいます。力を尽くしても最善の結果が得られないかもしれない、だけど、それでも時間は進みます。世界は続いていくのです」
「そう、ですね」
アルの居ない世界が続いていく、それが世界を救った代償だ。
「正しかったと言いたくないんでしょう?」
神父様の問いかけに俺は黙って頷いた。
「それならそれでもいいんです。あなたはそう信じていていい、気持ちに正直でいていい。だけど心の傷は癒やす必要があります。アレックス様の為にも、君の為にもです。だから話しなさい、気持ちを全部」
そう言うと神父様は立ち上がって去っていった。俺はてっきり神父様が聞いてくれるとばかり思っていたので止めようと振り返ると、そこにはアンナがいた。
「私が聞くわ、適任でしょ?」
アンナは手に持った毛布で俺と自分の体を包んだ、近くにアンナの体温を感じてドキドキする。だけど同時に安心している自分もいた。そしてゆっくりだけど自分の今の気持ちを話そうと思えて、言葉を探し始めた。