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終わりと始まり

「何か久しぶりだな」


 俺が話しかけるとアルはぱっと顔を明るくした。


「そうだな、こうしてまた話せるとは思わなかったから嬉しいよ」

「俺もだよ、まったくここまで来るのに手間かけさせやがって」

「そこは許して欲しいな、私は私で真剣だったのだから」

「分かってるよ、嫌味だ嫌味」


 俺とアルは笑った。こんなやり取りをするのに、随分と時間がかかってしまった。だけど今は誰も何も邪魔するものはない。


「それで、俺に何の話しだ?」

「おいおい別れの挨拶もさせてくれないのか?」


 俺は仕舞っていた物を取り出してアルに手渡した。それは孤児院の子どもたちからの手紙だった。まだ字を書けない子も多くいたが、ある人の協力でこの手紙を書くことが出来た。


「別れの挨拶もいいけどさ、皆からの言葉も受け取ってくれよ。今のアルにしか受け取れない言葉だからさ」

「これ、皆が私に書いてくれたのか?」

「ゲイルさんが協力してくれたんだ、子どもたちに字を教えてくれたんだよ。今ゲイルさんは沢山の子どもたちの為に尽力してるんだ、理由が分かるか?」


 アルが首を横に振るので俺が代わりに答えた。


「お前の為だよアル、ゲイルさんはお前の苦しみを理解してあげられなかった事を悔いていて、代わりにはならないって分かりながらも子どもたちを助けるって前を向き始めてるんだ」

「そうか…、ゲイル兄さん。ごめん、本当にごめんよ」


 ゲイルさんはアルと何の繋がりもない兄弟だった。家族そのものが、アルを使う為の名目づくりに利用されていただけ、しかしゲイルさんのアルへの家族愛は本物だったと思う。


「アル、読んでやってくれるか?」

「ああ」


 アルは子どもたちからの手紙を一枚一枚読み始めた。文字を追う度に、時に笑みを浮かべ、時に目に涙し、困ったような表情ではにかみ、嬉しそうに頷いていた。内容は一切見ていないけれど、あの子達がアルに伝えたい事は分かる。


「どんな遊びをしよう」

「次はこれを教えて」

「またあの時の話を聞かせてよ」

「もっと一緒にいよう」


 きっと子どもたちの手紙にはそんな事が書いてある、皆聡い子だ、もしかしたらアルが帰ってこないと感づいている子もいるかもしれない。だからこそ思いの丈を書き記してあると俺は思う。


 手紙を読み終えたアルの目からは、涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。号泣して声を上げるのも憚らない、でもいい、ここにいるのは俺とお前だけなのだから好きなだけ泣けばいい、俺はアルが泣き止むのを黙って待っていた。


「私は」

「ん?」


 一頻り泣いた後アルが唐突に口を開いた。


「私はなグラン、この世界を憎んでいた」

「うん、何となく分かってた」


 俺がそう答えるとアルは意外そうな顔をした。俺としてもしっかりと理解していた訳ではない、だけどアルが時たま見せる人を見る時の表情は、俺たちに見せる表情とは大きく異なりまるで違う世界の人を見るような顔だった。


「そうか気づいていたのか、私は分かりやすかったか?」

「いやいや、多分俺以外ではゲイルさんくらいしか気づいてないと思う。ただ、もしかしたら俺の方がアルと一緒にいる時間が長かったからもうちょっと理解していたかもな」


 ゲイルさんは忙しくしていたし、アルもゲイルさんを尊敬していたけれど避けていた。何故かは分からなかったけれど、今になって思うとアルは家族というものに価値を見出していなかったのだろう。作られた形だけの家族だと本能で察していたのかもしれない。


「理由は、理由は何だろうな、私にもはっきりとした理由は分からんのだ。ただ人を憎む気持ちはアステリオスに植え付けられたものではなく、私自身が感じていたと断言出来る」

「それは何でだ?」

「私はアステリオスと違って人に再生の機会を残すつもりはなかった。あ奴は最後の最後、迷宮を愛するが故に人に施しを残した。自らの思惑という迷宮の中に解決策という宝箱のような報酬を残した。どちらに転んでもいいと思っていたんだよ奴は」


 俺はなるほどと頷いた。確かにアステリオス王のやり方は回りくどい、というより長過ぎる。アルの誕生を待つ必要があったのか、それすらも怪しいものだ。王が死した今真相を知るよしもないが、この悠長さは俺も気になっていた。


「王って何でこんなに我慢強く待ったのかな?」

「想像するに、自分が王となって善き国善き人作りも試してみたかったのだと思う。アステリオスは王に拘る意味はなかった。しかしクローイシュ国王を死ぬまで辞めなかった。国を発展させ生活を豊かにした意義が、奴にはあったのだと思う」

「最後まで訳が分かんない人だったなあ、俺はアルにした仕打ちを許せないけれど、王の甘言に乗って計画を推し進めたのは他の人達でもあるんだよな。俺も何を恨めばいいのか分からないよ」


 王がした事を許す気はないし、死んでも尚苦しみ安らいで欲しくはない。だけど王がすべて悪かったと言われると難しい、すべての事を王が実行した訳でも把握していた訳でも無いだろう。


 貴族の出世欲を煽り、権力を餌にして釣り上げ、欲望を操作して巧みに利を見せつけた。それに乗せられたのは他でもなく人間で、非道に逆らう意思があれば実験を中止させる者がいてもよかった筈だ。


 だがそうはならなかった。命を切り刻み得た富と名声に人々は酔いしれて、王の操り人形と成り下がった。


「私の目の話はしたことがなかったよな?」

「目?」

「そうだ、審美眼と言ってな、魔眼の一種だよ。これは植え付けられたものとかではなく生まれついてのものらしい、何を基準にしているのかは私にも分からないが、物や人の価値を見る事が出来る」


 価値、酷く曖昧なものしか見れない魔眼だな。


「そんなもの人によって大きく変わるんじゃないか?」

「私もずっとそう思っていた。だけどな、ようやく分かったんだ。私が見ていた薄汚く吐き気を催すような景色はアステリオスが作りだしたもので、美しい純白のような輝きを放つ君達は、未来を夢見て生きていた。違いはそこなのだろう」


 よく分からなくて首を捻ると、アルは笑って言った。


「迷宮が私を生み出した理由は、迷宮が人にもたらす富と力を正しく人に伝える為に必要な存在だったんだ。迷宮ソムリエはアステリオスが自身の為に作り出した役職だと思っていたが、迷宮がその素晴らしさを広める為に私を作り出したんだよグラン」

「じゃあアルは迷宮が用意した迷宮ソムリエだったって事か」

「恐らく私に備わった権能はこの審美眼だけだったのだろう、物の価値と使い道を正しく把握し、迷宮のもたらす恵みを正しく人の世に届ける存在が私だったんだ。迷宮に対する倒錯した偏愛も、ただの胎内回帰欲だけではなく、本来の役割をまっとうする本能だったんじゃないかな」


 迷宮は試練に満ちている、命は簡単に死するし、一歩踏み外せば大災厄にも繋がる。


 しかしそれ以上に、挑むものに対して報酬が約束されている。それは命を脅かす存在の魔物も、肉や皮などが素材となって還元され。迷宮にしか生えない草花は、研究されれば難病の特効薬にもなりうる。言わずもがな宝箱とその中身は、人知を超えた力を与え、人の可能性の拡張を促す。


 迷宮は人を生かしもするし殺しもする。それは自然と人間の関わりと大差なく、世界の仕組みとして根付いたものだった。


 アルは迷宮がその存在をアピールする為に作り出した存在、人々に迷宮の素晴らしさを広めて、どのように付き合うべきなのかを教える力を持つ、生まれながらの迷宮ソムリエだったという事だ。


「自称どころか始めからお墨付きだったんだな」

「妙にしっくりくるとは思っていた。だからすんなりと役割を受け入れられたのかもな」

「何もかも歪められてしまったけれど、根底にあるものは変わらなかった。アルは何処までいっても迷宮のすべてを愛し、人に広める事を続けた。やっぱり凄いやつだよお前って」


 そう俺が言った後、暫くどちらも言葉もなく黙っていた。お互い何となく気がついていて、そして口に出したくない事が迫っていた。そろそろお別れの時が近いようだった。


「グラン」

「ん?」

「私の名前をつけてくれた人は、君のお父さんだった。優しさを教えてくれたのはお母さんだった。取り戻した記憶の中でやっと知る事が出来た事実だ」

「…そっか、笑ってたか?」

「え?」

「親父もお袋も笑ってたか?」

「ああ、二人共私に沢山の楽しい事を教えてくれた。笑っていたよ、私の記憶の中の二人は」

「ならいいよ。それならきっとそれでいいんだ。教えてくれてありがとう」

「うん。もう一つ聞いてもいいか?」

「いいよ、何?」

「二人の名前を教えて欲しい、本名はあそこでは奪われてしまっていたから」

「俺も話でしか聞いた事がない、呼ぶのは初めてかもしれないな。父はロジャー、母はリリスって言うらしい」

「そうか、最後に二人の名前を知ることが出来て良かった。イチとニじゃあんまりだものな」


 何だよそれと聞こうとした時、アルの体はばたっと地に倒れ落ちた。俺は慌てて駆けより抱き起こすも、体からは完全に力が抜けきっていた。


「てを…に、にぎって…くれ…ないか?」


 俺は黙ってアルの手を強く握りしめた。


「あ…あり…が…と…あ…あたた…かい…な」


 握っていたアルの手が消えて俺はそのまま拳を握りしめた。辺りを包み込んでいた白い光も、段々と箱の中へと戻っていく、最後まで吸い尽くす所を見届けると箱はひとりでにパタンと閉じた。


 俺は閉じた箱をゆっくりと開いた。そして中にいる小さな新しい命に向かって話しかけるのだった。


「こんにちは、さあおいで世界が君を待っているよ」


 小さな命は元気よく泣いていた。抱きしめると温かくて、目から涙がこぼれた。さようなら、アレックス・ウィンダム、俺の友達。

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