忘れない
ツバキが見つけ出した魔法陣を皆の前に広げた。まさかの発券方法に聞かされた人たちは驚きが隠せず、特にドロシーさんはとんでもない顔で悔しがっていた。
しかしモニカさんだけはニコニコとした表情で嬉しそうにしていた。ツバキと一緒に仲良く談笑していて、いつの間にあんなに仲良くなったのかと疑問に思うが、取り敢えず横に置いておいて話を進める。
「ツバキのお陰でついに手掛かりを得る事が出来ました。ドロシーさん、この魔方陣ってどうすれば発動できますか?」
「…見たところそれ程特別なものじゃない、形さえ整っていれば、後は魔力を流し込むだけで発動する…私がやろうか?」
罠の可能性は否定できないので、ドロシーさんに頼むのは正直心苦しい。だけどいざという時魔法についての対処方法を一番知っているのはドロシーさんだ。
「お願いします。くれぐれも気をつけて」
「…ん、分かった」
ドロシーさんが魔法陣に魔力を込め始める、俺はウルフさんの隣に行って声をかけた。
「万が一何かあった時はお願いします」
「心得ている、しかし心配あるまい。ドロシーは一流の魔法使いだ」
ウルフさんはドロシーさんの事を完全に信頼しきっているようだ。仲間っていいなと思うと同時に、アルは今どうしているだろうかと頭の中にそんな考えがよぎる。
「…皆、そろそろ発動する。ただの投影魔法、危険はないから大丈夫」
ドロシーさんの言葉に皆が魔法陣の元に集まった。円に魔法の光が行き渡り、中の文様を浮かび上がらせる、光が最後まで満ちると魔法陣の上に人の姿が映し出された。
俺はその人物に確かに見覚えがある、警戒心を一気に高めて声を発した。
「アステリオス王…」
俺以外の全員がざわめいた。王の姿を見たことがあるのは、この中で俺しかいないらしい。本当に表にでてこない王だったからか、民に顔すら覚えられていない。
「儂を知っているのかね?まあでもこの魔法陣に宿る儂と、死んだであろう儂は全く別だ警戒するのはいいが同じように扱うなよ」
浮かび上がった王は楽しそうにほっほっほと笑った。本物と違ってなんだかひょうきんと言うか、のんびりとした印象を受ける。
「さてさて、ここまでたどり着いた諸君らよ。君たちに解決の鍵となるものを授けよう、少し離れていなさい」
王の言う通りに皆で少し下がった。それを見届けたのか、王は手をかざして力を込める。すると床の上に中型の箱のような物が現れた。
「その箱は産み直しの箱と言う、本来であれば儂が使おうと思い作らせた物だ。この箱をアレックスの前で開きなさい、さすればアレックスごとすべての力を箱が取り込んで、アレックスを初期化する。要は赤ん坊に戻すのだ」
「アルを赤ん坊に?」
「歪められたアレックスにはもう力を止める事も出来ない、迷宮の統合は果たされて世界はひっくり返る。止めるにはアレックスに施されたすべてを無かった事にするしかない」
思ってもみない解決方法に俺は困惑する。この方法は、今いるアルを消し去ってもう一度始めからやり直させるという事だ。分かっていながらも、俺は王に聞いた。
「今のアルの記憶や思い出は残らないのか?」
「勿論だ。すべてを元に戻すとはそういう事だ」
つまり俺たちとの日々も思い出も、過ごした時間もすべて消える。変態だけど純粋で、情熱を傾けるものに熱心で、俺と共に悩み、時に力を合わせて、喧嘩したり一緒に怒られたりした友人としてのアルは居なくなってしまう。
「この方法以外に何かないのか?」
「アレックスを生かす道はこれしかない、不可能に近いがアレックスを殺す事ができれば当然事態は終息する。注ぐ器がなくなれば迷宮も自然と元に戻るよ」
これ以外道はないということか、俺は震える声を必死で抑えつけながら王に聞いた。
「あんたは何でこんな箱を作ったんだ?」
「儂はこの世界に絶望し飽いていた。儂の記憶は薄汚い手垢と血に塗れている、世界を滅ぼさねば気が済まないだろう。しかし同時に出来ることならやり直したいという気持ちもあった。儂が消費される事のない別の人生があったのならどうなったのか、それが気になったんだ。結局この箱を使う勇気が儂にはなかったが、こうして世界を諦めない者達の為に残すことに決めた」
そうかと呟く事しか俺には出来なかった。アステリオス王に同情の余地はない、だけど彼もまた人間の欲望による被害者だった事も間違いないのだ。だからこその「産み直しの箱」なのだろう、これは王の願いと祈りだ。孤独に捻くれた壊された者の切なる祈り。
「では役目も果たしたことだし儂も消える。不完全とはいえアレックスは今や迷宮そのもの、くれぐれも用心したまえ。ではな」
そう言うと魔法陣と王が消えた。残された箱を見つめて俺はやるせない気持ちに天を仰いだ。
俺は皆にお願いして話し合いはまた後日に改めてもらった。箱は冒険者ギルドの倉庫に厳重に保管されている、作戦実行まで安心して置いておける。
日を改めてもらったのは俺の気持ちの整理がつかないからだ、皆もそれを察したのか、誰も意義を唱えるものはいなかった。気を使わせてしまって悪いとは思っているが、こればかりはどうしてもすぐに何か行動に移す気力がでなかった。
実行することはもう決めている。世界は終わらせない、こんな事は間違っていると断言する事が出来るし、アルにそんな事をさせたくない。
子どもたちの未来も守りたい、こんな世界に先があるのかと俺も思った事はある。だけど、それでも人の可能性を信じさせてくれたのはアルだからだ。
色々な事があった。アルと出会ったこれまでに俺の価値観を変えさせるような大小様々な事件があって、がらりと環境を変えるような事も、心に傷を残すような事も様々にあった。
それでも世の中に大きな影響を残せた訳じゃない、世界は特に変わることもなく、今も人々は欲と利を貪る魔物と同じような存在だ。
人は人を排するし、差別するし、理解できないものは遠ざける。だけどそんな事ばかりじゃなかった。アルも一緒に見てきた筈だ、優しく生きる人だって誰かの為に一生懸命になれる人だっていた。綺麗だって間違いなく言える生き方だって一緒に感じたんだ。
友人としてアルの事を止める。
だけどそれをしたらもう俺の友達は帰ってこない。
考えが纏まらなくって俺は頭をがしがしと掻いた。答えは決まっているのに、何でこんなに揺らいでしまうのか、アルに消えてほしくない、まだ一杯話したい事だって、見たい景色だって沢山あるのに、世界を救うには今のアルを消すしか方法はないんだ。
「あ!グラン兄ちゃんおかえり!」
レニーの声が聞こえてきて俺は顔を上げた。どうやら思案を重ねている内に自然と孤児院に戻ってきてしまったようだ。俺は何でもない顔に表情を戻すとレニーに言った。
「ただいまレニー、外で何してたんだ?」
「あ、いやそのう」
すっかり物騒になってしまったので、子どもたちには窮屈な思いをさせるが外出は大幅に制限させていた。状況が改善されなければどんどん治安は悪くなっていくだろうからと、俺からではなく神父様からの提案だった。
「別に怒らないからさ、言ってみな?」
「うん、あのさ兄ちゃん。アル兄ちゃんってもう遊びにこないのかなあ?」
「…レニーはアルを待ってたのか?」
「待ってたって言うか、いつもみたいに遊んでたらひょっこり来るんじゃないかなって思ってさ。仕事で忙しいのは分かるけど、何か寂しくてさあ」
俺は言葉に詰まった。子どもたちにアルの事情は言っていない、言える訳がなかった。貴族として国をまとめる仕事で忙しいと誤魔化したが、どんなに仕事が忙しかろうと無理やり時間を作って遊びに来ていたから、子どもたちは納得がいかないのだろう。
「なあレニー、アルにもう一度会いたいか?」
「そりゃそうだよ。アル兄ちゃんにボールの投げ方教えてもらうんだ!約束したんだぜ!」
俺はレニーの両肩に手を置いた。
「それなら俺が伝えてやるよ、皆が待ってるって」
「流石グラン兄ちゃん!あ、でも」
「ん?」
「アル兄ちゃんにも何か大切なことがあるって分かってるからさ、あんまり無理しないでってそれも伝えておいてよ」
堪えきれなくなって俺はレニーの体を抱きしめた。涙が流れて止まらない、だけどこの顔を見られる訳にはいかなかった。
「必ず伝えるから」
「どうしたのグラン兄ちゃん?苦しいよ」
「何でもない、何でもないんだよ」
レニーの背中をぽんぽんと叩くと、俺は涙がこぼれないように空を見上げた。決めたよアル、俺はお前を止める。その為にあの箱を使う。