その銘は朧月
目を覚ますと夜空が見えた。私が起き上がると、横で座りながら大剣を抱いて寝ているバルバトス殿の姿が目に入った。
「おや、目が覚めさましたか?」
「神父殿」
夜空を見上げていた神父殿が私に気がついて声をかけてきた。見ると装備があちこちぼろぼろになっていて、激戦があったのだと思わせた。バルバトス殿は一番消耗が激しくて傷だらけだったけれど、寝顔はどこか満ち足りたように見えた。
「すみません神父殿、まさかここまでの事になるとは」
「いいんですよ、謝る必要はありません。ツバキ様がどうしたいかは分かっていましたし、彼も喜んで協力してくれましたから」
神父殿はそう言ってバルバトス殿に顔を向けた。
「しかしバルバトス殿が何故ここに?」
「私が彼を呼んだんです。あなたの稽古相手を務めていると聞いていましたし、丁度いいと思いましてね。本当に生き生きとしていましたよ」
そう言うと神父殿は私の隣に腰を下ろした。そして私の体を上から下まで見てうんと頷いた。
「お怪我はないようでよかったです。禍月はとても好戦的で大暴れしてましたから、傷つけてしまったらと思うと気が気じゃありませんでした」
「本当にごめんなさい」
「いえいえ、それより心との対話は果たせたようですね」
そう言われて私は手元に刀がないことに気がついた。何処に行ってしまったのかと慌てて辺りを探すと、神父殿が肩をとんとんと叩いた。
「探しものはこれでしょう?」
神父殿は鞘に納められた太刀を手渡してくれた。
「ありがとうございます!よかったちゃんとあって」
私は鞘から抜き取り刀身を見た。何処も変わった所はないが、もうこの刀は妖刀ではない、そして私も以前の私とは違っている。
「もう大丈夫そうですね」
「ええ、禍月はもう消えました。あ、いえちょっと違いますね、人刃合一、私の中に確かに禍月はありますが、一つとなった今隠れているようなものですね」
「では新しく生まれ変わった力に名前を刻んであげなければいけませんね」
神父殿の言葉に私は頷いた。もう銘は決まっている。
「霊刀朧月、それが私達の新しい力です!」
朧月を鞘に納めて私は気になっている事を神父殿に聞いた。
「所で今更なのですが、バルバトス殿と神父殿は何か接点があったのですか?」
「ああ、話していませんでしたね。そうですね、ちょっと私の過去についてもう少し詳しく語りましょうか。グラン君にも話したんですけどね、実は…」
神父殿の壮絶な過去を聞いて私は絶句した。それと同時にあの強さにも納得した。神父殿は心も体も全て一流に鍛え上げられていた。
「で、私が助けて保護を交渉した子供の中の一人が彼だったんです。再開は偶然でしたが、立派になっていて安心しました」
「それは、何だかこちらも嬉しくなりますね」
「ありがとうございます。私もつい最近知った事でまだ驚いているんですけどね、まさか冒険者となってこの国にいたとは思いもしませんでした」
奇跡のような偶然が二人をもう一度引き合わせたのかと思うと、本当によかったなと心から思った。神父殿の視線も、まるで我が子を見るような優しいまなざしだ。
「しかしこう言ってはなんですが、もっとこう、穏やかに生きる道はなかったんでしょうか?」
「バルバトス殿がですか?」
「こんな、戦いに自分を見出す求道者のようになるとは思いませんでした。彼に何があったんでしょうか?恐ろしく強い戦士なのは間違いないのですが」
神父殿は一転して心配そうな顔を向けた。確かに一度使い捨ての駒として育てられた境遇にいて、それを助け出した身としては複雑な思いがあるのだろう。だけど戦わないバルバトス殿を思い浮かべる事が出来ないなと私は思った。
「詳しい事は本人に聞いてみないと分かりませんが、グラン殿はバルバトス殿が強さを求める理由を聞いた事があるそうです。詳しくは二人の間の話しなので教えて貰えませんでしたが、目指している人がいると言っていたそうです」
「目指している人?」
「拙者はその人は神父殿だと思います。何となくですけど」
神父殿は一瞬目を丸くさせた後、穏やかな表情になってバルバトス殿を見て言った。
「そうだったら私も嬉しいですね」
その時、寝ているバルバトス殿がふがっといびきをかいて体をがくんと揺らした。そんな姿を見て、私と神父殿は顔を見合わせて静かに起こさないように笑い合うのだった。
後日の訓練場、私はバルバトス殿と手合わせをしていた。
力強い豪快な攻撃を最小限の動きで躱し振り下ろした木刀を蹴る、姿勢を崩した所に追い打ちをかけて連続攻撃を仕掛ける。
バルバトス殿はよろめきながらもそのすべてを捌ききる、しかし最後の一撃は間に合わずに私の木刀が首筋を捉えた。
「これにて十連勝ですな!」
私はあのボロ負け続きの訓練から打って変わって、バルバトス殿に連戦連勝を収めていた。悔しさを顔に滲ませるバルバトス殿はもう一回とせがんで来る。
「木刀だから駄目なんだ、今度は真剣でやろう。そうすれば俺にも勝ち目がある筈だ」
「それでは稽古にならなくなってしまいますぞ」
私の言葉を聞いて暫くぐぬぬと呻いていたバルバトス殿も、溜息をついて木刀を置いた。
「今の俺じゃあんたには敵わないな、悔しいが認めるしかない。しかしまさか強みを見つけただけでここまでになるとは思わなかった」
「バルバトス殿と神父殿のお陰ですよ、ああでも、切っ掛けとなったのはモニカ殿の言葉だったんです」
「何を言われたんだ?」
「拙者はもう十分に強いって言われました。その言葉でやっと朧月と向き合う気になれたんです」
朧月は今武器置き場にバルバトス殿の大剣と一緒に置かれている、片時も離れられなかった呪いは、今ではすっかりなくなっていて、何処にいようとも通じあえるようになっていた。
「朧月か、いい銘をつけたな」
「我ながらそう思います!禍月は消えた訳ではなく拙者と一つとなっただけですからね、そこに確かにあるけれど、縛り付ける呪いはもうなくなりましたから」
「あんたを通して見る、だからこそ朧月か。その強さのからくりも、あの霊刀が関係しているんだろう?」
流石の洞察力だと私は感服した。バルバトス殿の言う通りで、霊刀と合一を果たした今、宿っている魔力のすべてで私の身体能力は強化されていた。
「それでもまだまだです。それに一番の目的はまだ残っていますからね」
アル殿の救出、今の私なら胸を張ってグラン殿の力になれると言える。今何をしているのか分からないが、そろそろ合流しようかと考えていた。
「そうだな、アレックスとはちゃんとした形で俺も一回手合わせしてみたい。迷宮の王などと気取るあいつは見ていられない。じゃあ行くか」
バルバトス殿は立ち上がって服についた砂埃をパンパンと叩いた。行くと言われても何処に行くんだろうと私は思ってバルバトス殿に聞いた。
「あの、行くってどういうことですか?」
「決まっているグランの所だよ、俺が頼まれていた仕事はグランからの指示だったんだ。あとツバキの力になってやって欲しいと頼まれてな、今のあんたなら問題ないだろう。他の誰よりも今のあんたが一番強い」
私はぽかんと口を開けた。それを見てバルバトス殿が言った。
「何だ間抜けな顔をして?」
「それならそうと言ってくださいよ!もう!」
「いや聞かれなかったし」
私はバルバトス殿の背中をぽかぽかと叩いた。
「いてっちょっ、力込めすぎ、いてっ」
とりあえず気が済むまでぽかぽかと叩かせてもらって気晴らしをさせてもらった。強くなれたのはバルバトス殿のお陰だけれど、秘密主義というか口下手というか、まったくもうと憤慨しながらも私の心は感謝で一杯だった。
「さて次はグラン殿ですね、叩きに行かねば」
「お前、グランにはもっと手加減してやれよ?」
「それは拙者次第ですな!ほら何してるか知りませんが、行きましょう!」
私は立ち上がってバルバトス殿の手を掴んだ。急いでグラン殿に会いたい、今の私なら力になれると伝えたかった。
朧月を手に取る、じんわりと伝わってくる力と温もりに、私は人知れず笑顔を浮かべるのだった。