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月を探して その3

 私が稽古場に赴くと居るはずの神父殿が居なかった。


 いや、違う。気配は確かにある、とても薄く人がいるとは思えない程の気配ではあるが、確かに神父殿がいる気配がした。


 あの夜背後に気配を感じなかった時と似ている、しかし似て非なるものだった。ヒリヒリと肌を焼くような視線を感じた。


「姿を見せず失敬、このままでお話をさせていただきます」


 暗がりから神父殿の声が聞こえてきた。しかし何処からかは分からない、私は何処へともなく返事をした。


「結構です。もう手合わせは始まっているという事ですね」

「そうですね、私の戦い方は特殊なものでして、全力で応えると決めたからには全盛期より劣るとは言えこうして夜闇に紛れさせてもらいました」


 神父殿の声は出どころが分からず辺り構わず反響して聞こえてくる、恐らくそういった魔法を使っているに違いない、徹底して気配や位置を気取られないように立ち回る様は背中に一筋冷や汗を垂らした。


「ツバキ様、私はこれからあらゆる手段を使ってあなたに攻撃を仕掛けます。避けるもよし迎撃するもよし反撃するもよしです。しかし、一つ絶対に気に留めておいて欲しい事があります」

「して、それは如何に?」

「死なないように全力で身を守ってください」


 飛び道具が飛んでくる、小さな鉄杭が首胸腹目掛けて三つ同時に襲いかかる。すべてを避けるのが無理だとすぐに悟ると、一本は避け後は鞘で打ち落とした。


 しかし背後からまたすぐに同じ殺気を感じた。振り返っていたら間に合わない、禍月を抜き放ち振り向きざまに斬り落とす。息つく間もなく繰り返された攻撃に、私は神経を尖らせた。


 瞬間、耳元でパンッと大きな音が鳴った。身が怯みぐらりと視界が揺れる、攻撃に備えて身構えた直後の事で体が動かなかった。


 前方に神父殿の姿がゆらりと現れる、耳の奥はまだキーンと響いたままだが、禍月を構えて迎撃の準備をする。しかし神父殿は直後に視界から消え失せ、その場には玉のような物が残された。


 いけないと思って目を塞ごうとするも遅く、破裂した玉は強烈な光を放った。視界は白く染まり前が見えない、攻撃ではなくこちらの視界を奪う事が目的だったのか。


 視覚と聴覚、戦いにおいて重要な役割を果たす感覚をあっと言う間に奪われた。鉄杭でさえ、的確に急所を狙って投げられていた。対処が遅れていれば行動は大きく制限されていただろう。


 ただ鉄杭を防げたとしても現状は圧倒的不利なままだ。視覚はまだいい、とっさに目を閉じたしすぐ戻る、しかし音との組み合わせがまずかった。前後不覚になり足元がふらつく、その間にも殺気は肌を突いた。


 すぐにでも次の攻撃がくると身構えたが、意外なことに神父殿の動きはなかった。目も耳もしっかりと回復し状況が把握できるようになる、姿はない、また身を潜められたか。


「何故来ないのですか?」

「これは手合わせです。殺し合いではありません。全力で戦いはしますが一線は引きます。ツバキ様を殺すだけであれば先程の攻防で二十は機会がありました。それはあなたも分かっているのでは?」


 神父殿の言う通りだ、しかし二十通りもその方法を見つける事は私には出来なかった。信じられないが、神父殿にはそれだけの手数がまだあったと言う事だ。


「これが神父殿の戦い…」

「そうです。時間に夜を選んだのも何も周りの迷惑を考えただけではありません。私は闇から闇へと渡り歩く影、不意をつき死角をとるのが私の戦いでした」


 ぞくりと背中に怖気を感じた。魔物との戦いとはまったく違う人が放つ濃密な殺気、勝手に手が震え奥歯がカチカチと鳴る嫌な感じだ。


 人から殺されかけた事は今までも何度かある、しかし神父殿の事を思うとそれはまだ可愛らしいものだ。人は練り上げられればここまでの存在になれるのかと驚いていた。


「さあ、ツバキ様はどうなさいますか?」


 神父殿は私に問いかけた。


「あなただけの強さ、どう見つけるつもりですか?」


 私だけの強さ、私が持つ力、バルバトス殿との稽古を通じて、モニカ殿との対話を経て感じた私の答え、それを体現する為に私は体の力を抜いてすっと目を閉じた。




 暗がりから様子を伺っていたデイビッドは、ツバキの変化に気がついた。意識を完全に手放している、しかし刀を握りしめ立つ事はやめていない。


 恐らく禍月に体を明け渡したのだろう、ツバキから人の気配が感じられなくなったデイビッドはそう思った。


 試しに鉄杭を投擲してみる、当たっても問題ない箇所ではあるがデイビッドの心は痛んだ。しかしその考えはすぐに改める事となる。


 ツバキの体は一瞬で脱力して液体のように地に伏せった。人の動きとは思えない行動に加えて、目で飛んできた場所をはっきりと追っていた。


 まずいと思った矢先に脱力した状態からツバキの体が跳ね起きてデイビッドの元に向かってきた。辛うじて反応できたデイビッドは仕込んでいたナイフを抜きツバキの攻撃を受け止めた。


 動き一つ一つが、動物というよりも殺しの本能のように見えた。禍月に宿る純粋無垢な殺意がそうさせるのだろう、デイビッドは無理やりツバキの刀を跳ね上げて思い切り後ろに跳んだ。


 距離を取ってもすぐに詰めてくるだろう、しかしデイビッドは予め準備していた事があった。この時の為に声をかけておいた戦士がデイビッドとツバキの間に立ちふさがった。


「バルバトス、後は頼みましたよ」

「任せてください、俺も丁度疼いてきた所だ」


 バルバトスは大剣を抜き放つと禍月に体を明け渡したツバキと斬り結んだ。両者の練り上げられた怒涛の剣戟が月夜に閃いた。




 心の中の奥、意識の底に私はいた。そこにはもう一人の禍月わたしがいた。


「まさか体を明け渡すとは思いもしなかった」


 禍月の言葉に私は笑って返した。


「こうでもしなければ話を聞いてもくれないでしょ?」

「馬鹿な女だ、体を明け渡す意味を分かっている癖に」

「ええ、私はもう元に戻る事が出来ない。あなたを呪って縛り付けていた私が鎖を断ち切ったのだから、主導権はもう奪えないわ」


 禍月は怪訝な顔で私を見た。


「それを分かっていながら何故こんな事をした?お前という存在はもう死んだも同然、消えて塵となる定めからは逃れられないぞ?お前が消えた暁には、この体を使ってあらゆる殺戮を繰り返す。命あるものは鏖殺だ」


 私の故郷を滅ぼした時のように、禍月なら本当にそうするのだろう。それが妖刀禍月の本質だから、変わらない、変えられない強さでもあるからだ。


「その程度で満足するのならいくらでもそうすればいい、あなた妖刀とか言う割に案外弱っちいのね」

「何だと?」


 私の顔をした禍月が怒りの形相をしている、鏡でも見る事の出来ないような顔を見て私は何だか笑けてきた。


「膨大な魔力があって、斬れば斬るほど力を増していって、どんな刀よりも美しく壊れも摩耗もしない力の極地。だけど所詮あなたに出来る事って殺す事だけじゃない、そんなのその辺に落ちている石ころでも出来るわよ、あんたはただ刀の形をしているってだけのみみっちい悪魔よ」

「貴様ァ…よくもぬけぬけと」

「でも、あんたの力に私が助けられたのも事実よ。生きる力もない弱々しい小娘が、刀一本でここまで生きてこれた。あんたは私からすべてを奪っていったけど、同時にその後の生も私にくれた。愛憎ってこういう事なのかしらね」


 思いもよらない言葉だったのか禍月から言葉が消えた。間抜けな顔でこちらを見ているので私は話を続けた。


「別にあんたに感謝もしないし、ただ事実を述べているだけよ。ただ、これだけの力がありながら出来る事って殺すだけ?私は色々な人の強さを知ったけれど、殺すだけしか出来ないあんたって誰よりも惨めで矮小だわ」

「お前、この体の主導権が誰にあるのか分かって言っているのか?」

「その程度の脅し文句しか出てこないからあんたは私に呪われるのよ、小娘一人殺すのにそんな強大な力必要ないって言ってるでしょ?やりたきゃさっさとやるの、言われる前にやっとけよグズ」


 私の言葉に完全にキレたのか、禍月から禍々しい殺気が漂ってきた。わなわなと震える手を握りしめ、怒りではち切れそうな程青筋を立てている。


「お前の体も殺してやるよ。お前が死ねば禍月わたしも死ぬが、もう関係ない、呪いの通りお前と地獄に落ちてやる」


 恐らく今私の体を使って首に刀身を当てているだろう、しかし私はそんな事構わない、やりたければやればいいと思っていたし、神父殿の事を信じていた。


「まあ聞きなさいよ、あんたを地獄に道連れにするのは私の願う所だったけど、あんた本当にそれでいいの?」

「今更命乞いかあ?」

「あんた本当に馬鹿ね、このまま本当の強さも知らないままで死んでいいのかって聞いてるのよ」


 禍月の手が止まった。


「何を言っている、禍月はこの世界で一番の力だ。これ以上はない」

「武器としてはね、だけどねさっきも言ったけど殺すだけなら誰にでも出来るの、本当の強さってそんな浅いものじゃないのよ禍月」


 私はもう一人の禍月わたしに近づいて手を取った。びくりと怯えるように反応する禍月を無視して距離を詰める。


「あんたの力は確かに何よりも強い、だけどもっと強くなれる。殺すことじゃない、生かすことによってよ」

「生かすこと?」

「そう、私を通じて見てきたでしょ?今世界を守ろうと必死に足掻いている人たちはどんなに絶望的でも方法がある筈だって諦めていない。それってどんなことより強いことだと思わない?」


 禍月はたじろいで身を引こうとした。それでも私はその手を離さなかった。


「あんたの力、正しく使えば何よりも誰よりも強くなれる。私も手伝ってあげるからやってみましょう?」

「で、でも禍月は刀だ。殺す為にある武器だ。そんな在り方が許される筈もない」

「そんな事あなたが決める事じゃないでしょ!甘ったれてないで一緒に見つけるのよ!その答えを生まれた意味を!」


 私は禍月わたしを抱きしめた。力いっぱい抱きしめて耳元で囁いた。


「私あんたを許すわ、過去の遺恨より未来の命を守る為に」


 その瞬間抱きしめた禍月の体が光となって消えた。ぶわっと暗闇に広がって天を彩る星々のような輝きへと変わり、そして私の所へと降り注いできた。


 私はまた目を閉じて意識をゆっくりと溶かしていく、降り注ぐ光に身を委ねて私はすうっと消えていった。

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