月を探して その1
私はアル殿に手も足も出なかった。刀の軌道は確実に急所を捉えていた。当ててお終いだとその時は確信した。
だが次の瞬間アル殿は私の刀を指先で摘んで受け止めると、私は刀ごと壁に投げつけられた。刀を手放す間もなく、ただ無惨に壁に打ち付けられて気を失った。大きな怪我がなかったのは、アル殿に手加減されたからだ。
悔しい、私は初めてその感情を持った。
私はアル殿を戦う前から無意識に下に見ていた。事実、殺し合ったとしたら私は間違いなくアル殿には負けないだろう、しかしそれは迷宮事変前の話だった。
早い話私は油断していたのだ、勝手に相手の実力を推し量り、自分の実力と比べた。何たる不遜、何たる醜態だ。禍月があるから、剣の実力があるからと私は驕り高ぶっていた。
馬鹿なことだ、私は侍を目指して稽古に励んでいた努力者ではない、父の命と引き換えに妖刀の力からおこぼれを貰っただけのまがい物だ。本当の私は弱くて何の取り柄もない小娘だ。
私は自分の勘違いを恥じた。そして来る決戦の時に向けてバルバトス殿に稽古を頼んだのだった。
木刀を弾き飛ばされて蹴り飛ばされる、私は数え切れない程の手合わせを重ねてすべてに負け続け地を舐めていた。
「もう一回」
「いや一度休憩だ、何度やっても結果は変わらん」
私の言葉を無視してバルバトス殿は背を向けた。私は了承していない、飛ばされた木刀を駆けながら拾いバルバトス殿の首目掛けて振り下ろした。
だがそれも軽く躱されて手首を掴まれる、そのまま私の体は宙を舞い地面に叩きつけられた。
「聞こえなかったか?休憩だ」
地面に投げ捨てられたまま、バルバトス殿はすたすたと歩いて行ってしまった。また負けた。私は地面から見上げた空の景色が、涙で歪んでいくのを認めたくなくてごしごしと目を拭った。
立ち上がってふらふらとした足取りでバルバトス殿の隣に腰を下ろした。手渡された水筒の中身を浴びるように飲んで返した。
「拙者があなたに勝てないのは何故ですか?」
「そんなものは自分で考えろ」
「禍月の力がないからですか?」
「その妖刀を使いたいと言うのならそれでもいいぞ、相手になってやる。しかし結果は変わらん」
私はバルバトス殿の言う通りだと思った。何度も手合わせをして分かった。私には勝つための何かが決定的に欠けている、それは禍月の力で補えるようなものではないと思う。
しかしそれが何なのかが見えてこない、私に足りないものって一体なんだろうか、今まで負けた事がなかったから分からなかった。
「今のあんたはグランにも負けるぞ」
「え?」
その言葉が信じられなくてバルバトス殿の顔を見た。
「本当だ、あいつは強かだ。どうやって勝つかを思いつくかぎり実行してくるだろう、剣の腕前で遥かに劣っていたとしても、今のあんたに勝つのは容易いだろう」
私がグラン殿にも負ける、確かに彼は強かだ。間違いなく強い心を持っているし、頭もよく回る。だけど本当に私が負けるのか、それが信じられなかった。
「嘘だと思うか?まあ思うだろうな。そもそもあいつはあんた相手に全力にはなれない、勝負にすらならないよ。だけど仮にあんたを敵とみなした場合、俺にはあいつが何をしてくるか予想出来ない、だからこそ強いんだ」
「何をしてくるか分からない…」
だから強い、その言葉が私に重く伸し掛かる。グラン殿は持ちうる力で出来る事と出来ない事がしっかりと分かっている、その分を知恵と発想で補うから何をしてくるか分からない、そんな強みが彼にはある。
バルバトス殿の言いたいことが分かった。
「あんたの強みは何だ?」「拙者の強みは何でしょうか?」
発言が被ってしまった。バルバトス殿はふっと笑うと言った。
「俺の言いたい事は分かっているじゃないか」
「ええ、ですがその答えを拙者は分かりません」
「…本来だったら、俺はその問に答えない。何故なら俺もまたその答えを探している一人だからだ。だけどあんたの強みで一つだけ確実にそうだと言える事がある」
「それは一体何ですか?」
私が身を乗り出して聞くと、バルバトス殿は横に置いておいた禍月を指さして言った。
「その妖刀は確実にあんたの強みだ。それ以上の武器を俺は目にした事がない」
「禍月が?でも先程は禍月を使っても勝てないと言っていたじゃないですか」
「それはそうだろう、あんた禍月を手放したいんだろ?自分の力にしたくない武器をどうして使いこなせるんだ?」
そう言われてはっとした。私は確かに禍月の解呪を望んでいる、迷宮を探っていたのも、各国を旅してきたのもそれが理由だ。
しかしアル殿から伝えられた事実は、私が禍月を呪っているという事だった。そしてそれを私も理解している、それなのに私の手にはまだ禍月があるし、その力を使っていた。
自分が忌む力をどうして自分のものに出来ようか、未熟者の私は指摘されるまで気が付かなかった。
「あんたにあった事は聞いた。気の毒に思うし、怒りも理解できる。だけど禍月を振るう理由は何だ?刀をもう一振持てばいいじゃないか、どうして禍月を使う?その武器に拘る理由はなんだ?」
バルバトス殿に聞かれても私は答えられなかった。どうしてなのか私にも分からない、だけど今まで禍月以外の刀を持った事がなかった。
「今日の稽古は終わりだ。これ以上やっても無意味だし、俺も自分の仕事がある」
「そ、そんな、拙者はまだ」
「焦る気持ちは分かるが、闇雲に剣を振るう事が強さに繋がるとは思えない。それに相手はあのアレックスだ、このままじゃあんたは置いていかれるだろう」
私の制止も聞かずバルバトス殿は自分の大剣を担いで行ってしまった。悔しさと惨めさに唇を噛み締めながら、私は後片付けをして稽古場を出た。
どうすればもっと強くなれる、グラン殿の力になれる、アル殿の目を覚まさせる事が出来る。私の思考はずっとその事柄がぐるぐると回っていた。
今のままでは私はただの足手まといだ、アル殿との決戦にも間に合わないかもしれない。それだけは嫌だ、私はどうしてもグラン殿の力になりたかった。
この国に来て日も浅く縁も深くない、ただ助けて貰った恩だけでとどまっているだけの流れ者だ。こんなに長居するつもりもなかったし、適当に恩返しをしたら立ち去るつもりだった。
いつも通りだと思った。私は所詮風来坊、殺しばかりが取り柄の物騒な女、最初こそ歓迎される事もあっても、いつも最後には煙たがられた。
その土地の腕利きの仕事を奪って目を付けられた事もあった。何処にいてもいつかは忌み嫌われる、こう考えると私の在り様は禍月そのものだ。
そんな私をグラン殿は手を差し伸べてくれた。力になりたいと協力してくれて、職まで用意してくれた。私がいつ出ていくか分からないと言ってもそれでもいいと言ってくれた。
いつだったか理由を聞いたことがあった。何故私を置いてくれるのかと、その時グラン殿はこう言ってくれた。
「居たいだけ居ればいいし、出て行きたくなったなら出ていけばいい。俺はツバキが困ってるから助けたかっただけだし、どうしろとも言わないよ。ただツバキがいると明るくて楽しいし、頼りになるから俺は何時までもいて欲しいけど」
私はこの言葉がとても嬉しかった。いつまでも居ていいと言ってくれる人は今まで居なかったから、生活する為の基盤まで用立ててくれる人もグラン殿が初めてだった。
アル殿だってそうだ、私を怪しく思わないのかと聞いた時。
「そんなくだらん事考える必要はない、ツバキはツバキ、生き方は自分で自由に決めるべきだ。それより見ろ!この地面に点々と残された塊を!これはこの迷宮では滅多に出会わない魔物の糞だぞ!何個か採取して行こう!」
思い出して私はくすりと笑ってしまった。アル殿は本当に生き生きとしていた。迷宮で出会うすべてを愛し、そして感じ取っていた。
それを奪う事などあってはならない、今のアル殿に自由はない、そしてアル殿はそれを理解した上で世界を破滅させようとしている。
きっと今誰よりも苦しんでいるのはアル殿だ、自由を奪われて望まない事をさせられているのを誰かが止めてあげなければ、あんなに悲しい顔をしているアル殿を見るのはとても辛いから。
しかし今の私では一つも力になる事が出来ない、このままではいけないという気持ちだけが逸り、私はどうすればいいのか焦った。
「あら、ツバキ様こんにちは」
声をかけられて辺りを見ると、モニカ殿がこちらに向かって手を振って歩いてきた。私は一瞬躊躇ったが、このまま一人で悩んでいても何も解決しないだろうと、手を振り返して私も歩み寄っていった。