グランのやりたい事
アルが姿を消した事を俺が知ることになったのは、その日から3日経った後だった。
極度の疲労と緊張感に晒されて俺の体は限界だったらしい、起きるまでに3日もかかってしまった。正確に言えば、食事や水分補給等の世話の為に何度か起こされていたのだが、俺の事を気遣ってその事実は伏せられていた。
アンナの口からアルの事を聞かされた時、俺は何故か「そうだよな」と思った。自分でも説明の出来ない納得感が俺の中にあって、ショックより先に納得がきてしまった。
でも時間が経つにつれてアルがいない事実が俺にずしりとのしかかってきた。何も分からない内に友が消えてしまった。俺は一体何処で何を間違えたのだろうか、そんな考えが頭の中でぐるぐると巡った。
間違えたと言えば、もうずっと間違えていたのかもしれない。アルを無理やりにでも迷宮から引き剥がす必要があったんだ。それを色々な事情を言い訳に使って看過した。それが一番間違っていた。
俺はツバキに頼んで寝ていた分の体力を取り戻す為に訓練をつけてもらっていた。ツバキだけでなく、心配して様子を見に来てくれたジルさんにロビンさんも手伝ってくれた。
ウルフさんはヒーラーの技を使って体を癒やしてくれて、ドロシーさんは俺の為に調合した回復薬を持ってきてくれた。皆のお陰で俺の体調はすっかり元通り所か、前よりも体力がついたかもしれない。
バルバトスさんはギルド長と一緒に来てくれた。ギルド長から本当はエドムントから止められているから内緒にしてくれと、相変わらずの調子で頼まれた。バルバトスさんは俺のお見舞いに来てくれるついでにギルド長をここまで護衛して来てくれたらしい。
俺は皆に感謝の言葉を述べながらも、どこか心の中は空虚だった。心にぽっかりと穴が空いてしまったような、何をしたらいいのか分からない、先の展開が何も見えない、今まで色々あったがその度何かやらなければならない事があった。自分が動く必要があった。だけど今、何を目指すべきなのか分からなかった。
体調は万全に戻った。だけど迷宮に潜る気にはならない。
迷宮に行かなければならない、ごみ拾いをしてお金を稼がないと、今までの頑張りがすべて無に帰してしまう。アルが居なくても元の活動に戻るだけだ、アザレアだっているしツバキだって頼めば付いてきてくれるだろう。
でも今俺は何もせずに庭の草原で寝転んでいた。こんな事をしているくらいならアルを探しに行くべきだ、情報を集めるべきだ、迷宮で金を稼ぐべきだ。なのにどうしてそれが出来ない、それが俺には分からなかった。
「グラン君、体はどうですか?」
「神父様」
俺が起き上がろうとすると神父様はそれを手で制した。
「そのままでいいですよ。気持ちのいい陽気ですねえ」
神父様は呑気にそんな事を言っている、こうして働きもしない俺が呑気だなんておかしな事を言っているのは分かっているが、そんな風に考えてしまった。
「神父様、ごめんなさい」
「何を謝ることがありますか、グラン君がこうして元気に目を覚ましてくれて私はとても嬉しいですよ」
「そうじゃなくて…」
何も出来ないでいる俺を俺自身が恥じていた。それを無性に謝りたかった。
「君の考えている事は何となく分かります。今とても歯がゆい気持ちで一杯なのでしょう?」
そうですと返事がしたかったけれど言葉が出てこなかった。それでも神父様は笑顔で話を続けた。
「グラン君は今自分がどうしたいのかが分からないのだと思います。どうすればいいかは君なら分かっているでしょう、でもどうしたいかが今重要何ですよ」
「どうしたいか?」
「どうにも君は何事も自分で納得してしまってその先へと進む事が苦手ですね、気持ちを押さえつけて、どうするかを考えてしまう。私が不甲斐ないばかりに申し訳ありません」
「そんな事は!」
そんな事絶対にありえない、神父様が居なければ今ここに俺は居なかった。俺の命を繋いでくれたのは神父様が子供達を見捨てなかったからだ、拾える命を拾ってくれたからだ。
「神父様は不甲斐なくありません!俺を、俺たちを救ってくれたじゃないですか!」
俺は起き上がり四つん這いになって言った。神父様にだけは己を卑下して欲しくなかった。
「ありがとうございますグラン君、でも私は命を拾い集める事が出来ても、未来を夢見れるような育みは出来なかった。それは紛うことなき事実なのですよ」
「そ、それだって、神父様のせいじゃないです」
「確かに世の中は厳しい、君たちに向けられる目も侮蔑と差別に満ちている。それ自体は私にはどうする事も出来ませんが、それは言い訳にはなりません」
神父様はそう言うと俺の隣に腰を下ろした。俺も神父様の隣に座り直す。
「グラン君私はね、神に仕える気なんて本当は無かったんですよ」
「え?」
「私は昔君たちが知らない国の特殊な仕事を請け負う兵士でした。仕事の内容は暗殺や諜報など国の暗部を担っていました。私はその為に幼少期から訓練を施された人間だったんですよ」
神父様はそうして自分の過去を語り始めた。
デイビッドは物心ついた時からすでに厳しい訓練を重ねていた。それは想像を絶するもので、仲良く共同生活を行っていた友人を、次の日には生き残りを賭けて殺し合うというものだった。
相手を大切に思いながらも非常に徹する心をもつ、そんな兵士を育てる為に悪魔のような訓練は繰り返されていた。そうしなければ生きられないから、デイビッドを含めそこに生きる子供達は必死だった。
デイビッドはそこで気が狂いそうになりながらも戦い続けた。死にたくない。生物としての本能がデイビッドをそうさせた。
良好な人間関係を築けない者は排除される、絆を深めた相手を殺せないと自分が殺される。そんな地獄を生き抜いてデイビッドはやがて一流の兵士へと育った。数多の屍を踏み越えて勝ち取った生は、新たな死への始まりだとはその時は知るよしもなかった。
用心暗殺、密偵、諜報、破壊工作、デイビッドが特に任された任務は殺しにまつわるものが多かった。生き残る為に示した有用性が、自らをまた死地に送り込む事になるとは皮肉な話だった。
遂行できなければ死ぬ、殺らなければ殺られる、デイビッドが死を刻まない日はなかった。自分が生きていく毎に心は着々と死んでいった。
ある時の任務で、デイビッドに転機が訪れた。
子どもたちを集めて兵士を育成し、それを捨て駒として使おうとしている団体の抹殺を任命された。デイビッドに任ぜられた内容は皆殺しだ、首領とその側近、幹部連中を音もなく死に引きずり込むと、デイビッドは与えられた任務をこなそうと子どもたちの元に向かった。
そこで見たのは、自分があの地獄を経験させられるよりずっと幼い子どもたちが沢山身を寄せ合っている光景だった。この団体は、より人間の油断を誘う為に外道にも劣る所業をしていたのだ。
子どもたちは涙ながらに武器を手に取った。しかしデイビッドは手に持った武器を捨てて子どもたちを抱きしめた。もういい、もう十分だ。こんなことが許させる事などあっていいはずがない、デイビッドは抱きしめた温もりからそれを悟った。
皆殺しを命ぜられたにも関わらず、デイビッドは子どもたちを保護した。任務を命じた上官はデイビッドと子どもたちを始末しようとしたが、逆に返り討ちにあって皆殺しにされた。
デイビッドは国に、所属していた特殊部隊の上官と要職の死体と、国に蔓延る反乱分子の頭目達の首を送りつけた。国が消そうとしていた不穏の芽を自ら調べ上げてすべて自分の手で始末した。
そして自分の命と引き換えに子どもたちの養育を国王に約束させた。いつでもその首に死神の鎌がかかっているぞと、そう脅し文句をつけただけで簡単に落ちた。国王はデイビッドを始末しようと刺客を何人も送り込んだが、その悉くが死体となって戻ってきた事に恐怖していたのだ。
約束は果たされてデイビッドの死体が国王の元に届いた。しかしそれはデイビッドの用意した精巧な替え玉で、自らの死を偽装して国を出奔した。
生きていくだけなら何でも出来るデイビッドだったが、何の為に生きるのかを分からなかった。各国を巡り、苦しみ悲しむ人たちを見て助けたいと願う内に、デイビッドは神の使徒となったのだった。
「神職に就く事はあらゆる国を訪れる事にも役立ちました。そして私はやがてこの国にたどり着き、多くの孤児が生まれる現状を嘆いて教会と孤児院を建てたのです」
神父様の話は一度聞いただけでは理解しがたい程壮絶なものだった。だけど嘘は言っていない、それだけは分かった。
「でも結局、私はどれだけ祈りを胸に生きていたとして、その本質は奪う人間な事なのは変わりません。あなた達に幸福への道を敷く事は出来なかった。方法が分からなかったんです」
神父様はそう自嘲すると、俺の目を見て言った。
「だけどねグラン君、ここで生きて生まれて育った君たちは違います。心を育み意思を持ち、可能性に満ちた子たちなんです。私はいい人間でもいい大人でもないけれど、君たちにとっていい父親である事だけは自信があります。グラン君、成したいことを成しなさい、あなたの心の赴くままに」
そう言って神父様は俺の背中をぽんと優しく叩いた。俺は服の袖で涙を拭うと、今自分がやりたい事をはっきりと口にした。
「もう一度アルに会いたい」
こんな形で友達と分かれることになるなんてごめんだ、何故アルが居なくなったのか、今どうしているのか、そして助けが必要ならば俺が手を差し伸べるんだ。そう心に誓うと立ち上がって神父様にお礼を言った。
「ありがとう神父様、俺行ってきます」
「行ってらっしゃい、帰る家はいつでもここにありますよ」
神父様に見送られながら俺は駆け出した。まずはゲイルさんの所に行こう、何か知っているのならこの人以上にいない筈だから。




