運命の調査隊 その6
唐突に取り乱したアルを取り押さえて、俺は息を切らして壁にもたれ掛かっていた。アルはこちらに暴力こそ振るわなかったものの、物凄い力で暴れたので取り押さえるのにすごく苦労した。
横たわるアルの頭の怪我をツバキが手当てしている、俺も動きたかったが、正直もう指一本動く気がしない。申し訳ないが任せて休ませて貰っていた。
「ハァハァ、アルの様子はどうだ?」
「分かりません、一応止血はしましたが。突然の事で拙者も何が何やら」
「気を失ったままか?」
「はい、動く気配もありません」
アザレアが心配そうにアルに顔を寄せている、一体アルの身に何が起こったのかは誰にも分からない、今は気を失って大人しくしてくれているが起きた時はどうなるか。
「ここに置いておくのも駄目な気がする、もう少し休んだらここを出よう。俺がアルを背負って行くから」
この部屋に入った途端にアルは取り乱した。部屋に何か原因があると考えるのが自然だ、危険を冒してでもここから動かした方がいいと俺は思った。
「グラン殿、大丈夫ですか?」
「ああ、死んでも連れて出る。それよりツバキに護衛を全部任せるけどいいか?」
「無論です」
そうと決まれば俺は兎に角体を休める事に努めた。少しでも多く体力を取り戻して抱えるだけの力を溜めておく。
休憩後、ツバキに手伝ってもらってアルを背に乗せてもらった。気を失っているアルの体は想像以上に重くて俺一人では支えきれなかった。俺はアザレアに頼んで支えてもらった。
「これなら動ける、行こう」
「絶対に拙者の後ろから出ないでください、戦闘も出来るだけ避けます」
ツバキの雰囲気がぴりっと変わった。全力で集中してくれているのだろう、俺も絶対に無事にアルをここから連れて帰ると腹をくくった。
一歩踏みしめる度にアルの体重がずしんと体にかかる、いくらアザレアの助けがあっても足腰がガクガクとし始めていた。
けれど俺はそんな体の悲鳴を無視した。どれだけ限界が来ようとも、足を前に出すことだけは止めなかった。背後でアルの体を支えてくれているアザレアも、珍しく疲労の色を見せていた。
「大丈夫だ、アル、絶対に大丈夫だからな」
俺はアルにも自分にも言い聞かせるように呟き続けた。声を出さない方がいいのは分かっていても、どうしても口から言葉が出続ける。ツバキもいつもなら注意する所だが今回は黙認してくれていた。
ツバキの方を気にかける事は出来ない、俺はもう必死で歩みを進める事だけしか考えられなかった。前方で何か物音が聞こえてもツバキを信頼して確認もせずに付いていった。
汗がどんどん滴り落ちる、下しか見れない俺は進んでいるかどうかを確認するのに、落ちて地面を濡らす汗を使っていた。大丈夫、まだ進めている、大丈夫だアル、絶対に大丈夫だからな、いつしかこの言葉も俺の口から出ずに心の中で唱えるばかりとなった。
「…ン殿」
ツバキの声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「グラン殿…グラン殿!」
呼ばれている、声を出す気力はない。
「グラン殿!出口です!出てこれましたよ!」
ああそうか、通りで少し明るくなったと思った。そんな事を思ったが、俺の意識はそこで途切れた。
目を覚ますと、まずアンナの心配そうな顔が見えた。そして俺の上で眠っているアザレアの姿を見て、近くで禍月を抱えながら座って眠るツバキの姿が見えた。
声を出そうと思ったがかすれてそれも出来ない、アンナはその様子を察したのか体を起こすのを手伝ってくれて水を口に含ませてくれた。
「無理に話さなくていいわ、アザレアもツバキさんもずっとあなたの事を心配して付いていてくれたのよ。やっと眠った所だから静かな方が丁度いい」
そう言ってアンナはもう一度俺の体を横にしてくれた。楽な姿勢を取ることが出来て疲労が背中からベッドに溶け出していくようだ。
話さなくていいとアンナに言われたが、俺は手でアンナを招き寄せた。アンナは耳を俺の口近くに近づけてくれる。
「ア…ア…アル…アル」
アルはどうなったと聞きたかったけれどそこまでしか声が出なかった。アルを迷宮から連れ出す所までは意識があったけれど、そこから先は分からないので心配だった。
「アル様の事ね、ごめんなさい私は見届けていないの。だけどツバキさんが言うにはゲイルさんって人が助けに来てくれたらしいから。家族の方だって話だけどグランは知っている?」
俺はアンナの問いかけに頷いた。そうか、ゲイルさんが来てくれたのか、ならば心配する事はないだろう、顔を見なければ安心出来ないが、取り敢えずはアルの安全は確保出来ていることに俺は安堵した。
それからまた強烈な眠気が襲ってきた。疲労が俺の意識を引っ張っていく、アンアが濡らしたタオルで俺の顔を拭いてくれて「大丈夫よ大丈夫」そう言って俺をなだめた。俺は抗えない眠気に落ちながら声には出ていないだろうけれどありがとうと呟いた。
アルは意識を取り戻していない、僕はずっとアルの手を握り続けていた。
「ゲイル様!大変です!アレックス様が!」
迷宮前で警備にあたっている兵からの報告を僕の部下がいち早く伝えてくれた。僕はすべての職務を投げ出してすぐさまアル達の元に向かった。
アルを背負っていたグラン君は疲労困憊で意識を失っていた。すぐに僕は人を手配させて、アルを自分の馬車に、グラン君達は別の馬車に乗せた。ツバキさんとは初めて会う、手短に自分の名前と身分を伝え、迷宮内で何が起きたのかを聞いた。そしてツバキさんに言った。
「アルは僕の方で見る。悪いけれどグラン君が目を覚ましたらそう伝えてくれ、心配はいらないと、頼む」
不誠実だとは思うが飲んでもらうしかない、グラン君ならばこちらの事情を察している可能性もある。希望的観測だが今はそれに賭けるしかなかった。
僕はアルを連れて本家へと戻った。それからはずっと付きっきりでアルの傍にいた。何よりも僕がそうしたかったし、アルが目を覚ました時真っ先に謝りたいと考えていた。
アルが調査活動を進めるにつれて様子がおかしくなっていっているのを僕は知っていた。未知のエリアを調査する度にアルは憔悴していった。異変にいち早く気がついた僕は父に直談判しに行った。
「今後お前がアレックスの活動について関わりを持つことを禁ずる。お前の子飼いも含めてだ、少しでも動きを見せたら死だと思え、私の意見ではなく王の勅令だ」
父は僕に分かるなと目で訴えかけた。それでどれだけ切羽詰まっているかはよく分かった。そして、僕にはどうする事も出来ないと理解してしまった。
そう、理解してしまったんだ。僕はどうしようもなく力がない。権力はある、財力もある、才能ある人材も数々の組織だって僕の一声で何処までだってやれる。それなのに家族一人守る事が出来ないのだ、僕には苦しむ家族に手を差し伸べる事さえ許されない、王という絶対的権力者相手には僕はただの路傍の石だ。
苦汁をなめさせられ押さえつけられれば何も出来ない、僕だけならまだしも、僕以外の人達の命も危険に晒してしまう。自分の大切なものを守る為にしてきた努力の筈が、僕を縛り付ける鎖となった。
そうしてそこで気が付いた。僕は泳がされていた。
父への反骨心を抱かされ、家長としての責務を負わされ、出来る事が多い僕に出来る限りの事をさせた。家族を守るという気持ちを植え付けられていつの間にか誘導されていたのだ。
こんな事を父程度の人間が思いつき実行できる筈もない、裏にいるのは確実に国王アステリオス様だ。アルに加え父がアステリオス様に謁見を許されていたのは、この計画を事細かに指示をしていたからだ。
僕の性格まで読み切っていたアステリオス様は、僕に守るべきものを多く作らせた。その方が余計に動きを制限出来ると分かっていたからだ。僕にそれらすべてを切り捨ててでもアル一人を取る事が出来るわけがないと分かっていた。
何が起きているのか僕にも分からなかった。ただ国王やその側近と父がアルを使って何かを企んでいる事だけは分かる。アルを中心にして運命が巡る、僕はそんな陰謀からアルを守ろうとしてきた筈なのに、今は何もすることの出来ない役立たずだ。
こうしてアルへの介入を許されている現在を考えると、恐らくもう僕の行動を制限する必要はなくなったのだろう、何かしらの思惑が完遂された。そう判断していいと思う。
アルは生きている、そもそも目的がアルなのだから命を奪うなんて事はありえない、だけど何をされたのか分からない、今はただ無事に目を覚ましてくれる事を願うしか出来なかった。
「アル、頼むから目を覚ましておくれ。僕の大切な家族よ、君の目覚めを待つ友もいる、皆待っているから…」
僕の絞り出したような願いを聞き届けたのか、握っていたアルの手がぴくりと動いて僕の手を握り返した。
「アル!?」
僕はがばっと立ち上がってアルの顔を見た。ゆっくりと目を開けてきょろきょろと辺りを見回した。
「ここはゲイル兄さんの部屋ですね、まだ迷宮かと思いました」
「グラン君がアルを背負って迷宮から連れ出してくれたんだ。アザレアもツバキさんも協力してくれたんだよ、気分はどうだ?何か取ってこようか?」
アルは首を横に振った。
「流石グラン、我が友です。あそこに私を置いておく事を避けましたか、大変だっただろうに、よく決断して行動したものです」
「アルはあそこであった出来事を覚えているのかい?」
「勿論ですよ兄さん、何もかも覚えています。でも説明は後でもいいですか?少し疲れました」
「ああ分かった。アル本当にごめんな、ゆっくりと休んでおくれ」
ありがとうと呟いてアルは再び眠りについた。穏やかな寝息が聞こえてきてやっと僕も安心できた。
しかし、その安心もすぐに打ち砕かれる事になった。
翌日アルが姿を消した。