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月夜に閃く刃 その1

 アル殿から告げられた事実を繰り返し頭の中で巡らせながら、私は孤児院の庭でひたすらに禍月を握り素振りをしていた。


 月明かりの下でただ心の中を無にするつもりだったのに、告げられた事実が私の中で渦巻いて離さない。


 禍月を呪っているのは私、この事実を伝えられて私は何故かすとんと腑に落ちた気がした。心の底では私は真実を受け入れていたのか、薄々感づいていただけなのか分からないが、どちらにせよ私はその事を知っていたのだ。


 あの夜の事は何時でも何処でも鮮明に思い出す事が出来る、喉と肺が焼けてしまうかと思う程火の手が回り、血が海のように広がって体のあらゆる部分がそこら中に散っていた。


 父は私に見るなとしきりに言っていたが、目に焼き付いて離れなかった。


 優しくしてくれた近所のおばさんが首だけになっていた。いたずらを優しく叱ってくれたおじさんは手足が離れ離れになっていた。遊んでいた子が、仲が良かった友達が、辺り一面を埋め尽くしていた。


 私を守る事に必死になっていた父は、血の涙を流しながら助けを求める声を無視して、屍を踏みつけただひたすらに走っていた。心優しい父は、どれだけその事が心苦しいか私には痛いほど伝わってきた。それでも私を守ると決めて父は走った。


 禍月を携え薄気味悪い笑顔を貼り付け、血に塗れた国主が現れた時には父も私も明確に死を覚悟した。


 それでも父は刀を抜いて国主に立ち向かった。勿論私を守りたいという気持ちもあっただろうが、本当の所は責任感という気持ちの方が強いと思う。


 主君を歪めてしまった禍月を献上したのは父だ、それが妖刀だと分からなかったとは言え、この国を焼いて主君を死に至らしめたのは自分だという思いがあったのだろう。


 せめて自分の手で決着を、その覚悟が父を奮い立たせたのだと思う。激しい切り合いが始まり、父の怒号と凄まじい戦闘音が夜空に響いた。


 私は物陰でガタガタと震えていて、ただその様子を見守るしかなかった。恐ろしさに失禁してしまい、涙が止まらなかった。どうか父が無事であるようにと祈るしか出来ない小娘だった。


 父は侍であったが、実力者という訳ではなかった。父より腕の立つ達人はヒアラシには沢山いたし、あまり好戦的でない性格も相まって父の侍としての評価はぱっとしないものだった。


 だがこの時ばかりは違った。命という薪を燃やして覚悟という信念を輝かす。ただ一人の大切なものを守る為に修羅となり、その一時だけ誰よりも強い侍となったのだ。


 戦いの末主君の首を斬り落とした。その時父は泣いていたのだろうか、それとも絶望していたのだろうか、私はそこだけが定かではなかった。ただ父は恩人の首を斬り落とした。それが事実だ。


 しかしここで父の命の火は消えてしまったのかもしれない、元々限界を越えて活動していた体だったのもあり、主君の体の主導権を握っていたのが禍月であるとは見抜く事は出来なかった。


 父は胴から二つに分かたれてどしゃりと地に落ちた。私は半狂乱になって父にすがった。もう助かる筈もない父に何度も死なないで死なないでと泣いて叫んだ。私は父の死を受け入れることが出来なかった。


 そんな私を守る為か、祈りが通じたのか、奇跡は起こった。私に迫る凶刃を、上半身だけになった父は白刃取りでそれを受け止めて、更には折れることがありえない妖刀を力任せに折った。


 私は確かにその時に聞いた。この世のものと思えない断末魔は禍月から聞こえてきていた。禍月には魔力以外にも得体の知れない何かが宿っていたのかもしれない、クローイシュ王国へ来て、グラン殿に助けられて、アザレア殿と出会って私は始めてその考えに至った。


 迷宮の宝箱の中からは、人知を超えた逸品だけでなく、魂の宿る意思あるものが生まれるのではないだろうか。アザレア殿は善良な存在だが、禍月は悪性な存在だった。父はその悪性を打ち負かしたのだ。


 あの日以来、私の手には禍月が握られている。私の生まれた国を焼き、国主を憑き殺し、父の命を奪った忌むべき妖刀が、今私を生かしているのだ。


 私は何度もこの刀を手放した。あらゆる手段を用いて禍月を破棄しようとした。だけどそれは叶わない、何故なら本当は禍月が私の元に戻ってくるのではなく、私が禍月をいつの間にか取り戻しているのだ。それこそあらゆる手段を用いてだ。


 アル殿に、禍月と私が融合していると言われても忌諱感はなかった。私は本来刀も握った事のないただの力ない小娘だった。戦いの事などまるで知らなかったし、そんな覚悟も持っていなかった。


 一人になって宛もなく旅に出て、様々な脅威と出会った。私はその度禍月を抜き放ち戦った。戦い方は禍月が教えてくれた。殺し方は自然と身についていった。魔物や人を殺めて血を見る度に吐いていた小娘はいつの間にか天下無双の力を得ていた。


 私は殺せば殺す程強くなっていった。今まで理由は分からなかったが今なら分かる、禍月の力が私の力となったのだ。血と魂を喰らいそれを糧とする、私は禍月そのものだった。


 様々な偶然と奇跡が重なって禍月と私の融合は果たされた。アル殿は何故私が禍月を呪い縛り付けているかは分からないと言っていたが、私にはその理由が分かる。


 この世で一番禍月を憎んでいる人間は私だけだ、そしてこの世で一番禍月を頼りにしているのも私だけ、そんな相反する複雑な感情が禍月を縛り付けているのだと私は思う。


 消し去りたいけど消せない、憎々しく思いながらその力を振るう、私の心はあの時あの場所で壊れてしまったのだろう。壊れきった私の心が禍々しい妖刀の魔力を上回っているから、禍月はもう私と運命を共にするしかない。


 違う、嘘だ、禍月だけを楽にはさせない。好きなだけ血と魂を喰らえばいい、だけどもうお前は自由に力を使う事は出来ない、私が絶対に地獄まで連れて行く。


「精が出ますね」


 急に聞こえてきた声に私はハッと驚いた。まったく気配を感じなかったが、背後に立っていたのは神父殿だった。


「も、申し訳ありません、うるさかったですか?」

「いえいえ、そんな事はありません。私も歳を取ったからか、たまにこうして寝付けない夜があるのですよ」


 そう言って神父殿は私に手ぬぐいを差し出してくれた。気がつくと大粒の汗が全身を濡らしていた。


「かたじけない」


 私は手ぬぐいを受け取ると、取り敢えず顔を拭いた。刀を鞘に納め荒立った息を整える。


「何か悩み事ですか?」

「え?」

「勘違いでしたら申し訳ありません、しかしツバキ様がそんなお顔をしていましたので」


 そうだっただろうか、こうして一人でいる時はあまり感情を表に出さないようにしているのに、何故神父殿はそう思ったのだろう。


「拙者そんな顔してましたか?」

「そうですね、悩み苦しんでいるように感じられました」


 神父殿の目はまっすぐと私を捉えていて、本当にすべてを見透かされているように感じた。人の気持ちを読み取るなんてそんな事出来るはずもないのに、何故か私はそう思った。


「職業柄悩みを抱えた人の顔をよく目にします。そして苦しみを抱えた人の顔も、だからですかね、何となく分かってしまうのですよ、その人が何を悩み苦しんでいるのか。よかったら私に話してみてはいかがですか?」


 神父殿の提案に私は困った。こんな感情をどう話したらいいのか分からなかったし、伝えた所でどうなるのかと、そんな失礼な事を考えてしまった。


「言った所でどうにもならない、今そう思いましたね?」

「なっ!?」

「どうやら当たったようです。ふふふ」


 神父殿は柔和な笑顔を浮かべるが、私は気持ちを言い当てられて内心ドキドキと心臓が脈打っていた。


「な、何故分かったのですか?あ、いや、その失礼だとは思っているのですが」


 私が焦っていると神父殿は笑って答えた。


「ツバキ様、思い悩む事は生きる上で必要な事です」

「はえ?」

「どんな感情であれ、人は常に悩みと向き合い続けて生きていかなければなりません。但しそのことに囚われてはいけない、思い続け悩み続けても足は前に進めなければいけないのです。そんな時誰かに話すという行為は意外な発見をもたらすものですよ」


 まあどうにもならない時もありますがと付け加えて神父殿は笑った。私はそんな神父殿の笑顔を見ている内に、奥底から湧き上がってきた言葉を漏らしてしまった。


「憎くて憎くて堪らないのです」


 ゆっくりと、ぽつりぽつりと、私は私の言葉で神父殿に胸の内を明かし始めた。

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