氷の迷宮と小さな出会い その4
折れた手首はアルの適切な処置と、万が一の為にと準備していた強い回復薬のお陰で繋がった。それでも固定しておかなければいけないが、痛みや違和感はまったくない。
俺もアルもドラゴンも一安心してほっと一息ついた。そしてそのまま先程話していたように迷宮から出る為に歩き出す。
道中何事もなく無事に迷宮から出る事が出来た。ドラゴンは言いつけを守って、俺の道具袋の中でじっと動かずにいた。
バレる心配がない場所まで来ると、俺は道具袋からドラゴンを出した。詰め込んだ素材のせいで狭かったのだろう、外に出てすぐに翼を広げて頭上をすいすいと跳び回っていた。
「さてと、それでこのドラゴンについての話しなのだが」
「うん」
「私としての結論はやはりこのままにしておく訳にいかない、しかし殺してしまうという以外の選択肢も用意しないと君は納得しないだろう」
俺は頷いた。
「アルがその意見を変えないって言うなら、もう俺はアルとは迷宮にはいかない。俺はお前より遥かに弱くて脆いけれど、死ぬまでこの子を守ってお前から逃げ続ける覚悟だ」
金は稼げなくなる、ごみ拾いとしての活動もきっと前より悪くなる、命を落とすかもしれない、アルと袂を分かつという事はそういう事だ。
それでも俺は見つけた命を見捨てる事が出来なかった。もう自分と重ねてしまった。合理的な理由なんか必要がない、俺はこのドラゴンを守ると決めた。
「迷宮内での君の剣幕を見ているとそれは伝わった。そしてその選択は私にとって好ましくない、君との友情をこんな事で失いたくないんだ」
「でもアルの言い分も分かるんだ。この子は賢いけれど、魔物は魔物何だよな?飼育とかって出来るのか?」
アルは暫く唸って困ったように考え込んだ。うーんうーんと頭を捻ってぱっと目を開くと俺に言った。
「実は魔物を飼いならす事は可能だ。と言っても成功例は少ないし、まだまだ研究の進んでいない分野だ。でも冒険者の職業の中にテイマーと呼ばれる分野の人がいて、テイマーは魔物を飼いならして自らの戦力とする」
「そうなのか?」
「ああ、だが迷宮外にまで連れて歩ける程飼いならす者は本当に少ないんだ。テイマーは大体迷宮内で戦力を現地調達して迷宮に放すか止めを刺す。使うだけつかってね」
冒険者についてはまったくの門外漢なので、そんな人がいると言うのは初耳だった。
「じゃあ魔物を飼っても大丈夫って事?」
「出来ない事はないということだ。しかしドラゴンを飼いならすなんて聞いた事がないし、まして幼体で出自は宝箱からと何から何まで規格外だ。推奨は出来ない」
俺は空を飛んでいるドラゴンを呼び寄せた。俺の手に降り立ったドラゴンを優しく抱きかかえてアルに言った。
「決めた。俺はこいつの面倒を見る」
「そうか…」
「だけどアルとも約束をしよう。もしこのドラゴンが危険だと判断した時は処遇をアルに任せる。その時には俺はもう文句は言わない、絶対にだ」
アルになら迷宮の事と魔物の事について全幅の信頼を寄せる事が出来る。俺はそれだけは絶対だと言い切れた。
「けど俺だってみすみす殺させやしない、俺の持てるすべての力を使ってこのドラゴンに人と生きる術を教えてみせる。これが俺の覚悟だ」
俺はドラゴンの頭を撫でながら言った。いつもは絶対に訪れる事のない迷宮で、そうそう見つける事のない宝箱の中から現れて、偶然見つけた小さな出会いを守りぬくと決めたのだ。
「危険だと判断する基準は?」
「アルが全部決めていい」
「処遇の内容は?」
「どんなものでも構わない、俺は抵抗せずに受け入れる」
「私が研究の為にと嘘をついて君からドラゴンを奪うとは思わないのか?」
それについては考えないでもなかった。しかし答えは決まっていた。
「俺はアルと出会って全然時が経ってないけれど、今まで一緒にいて分かった。お前がそんな卑怯な嘘をついてまで命を奪うような奴だとは思わない」
俺がそう言い切ると、アルは少し戸惑ったような表情を浮かべた。しかしそれも一瞬で解けて口元をふっと緩めた。
「君の信頼を裏切るような真似だけはしたくないな」
アルの手がドラゴンへ伸びた。近づいて来た手にドラゴンはびくっと体を震わせたが、優しく頭を撫でるアルの手をすぐに受け入れた。
「名前はどうするのだ?」
「え?」
「この世に生まれいでて、最初に貰う祝福だ。グラン、君がつけてあげてくれ」
煌めく白い鱗、その美しさがとても目を引く、俺はある花の名前を思いついて口にした。
「アザレア」
「アザレア?」
「うん、教会の花壇に生えてる花なんだ。白くて綺麗な花、神父様から名前を教えてもらったんだ」
俺はドラゴンを抱えて前に突き出した。顔と目をじっと見て言った。
「お前の名前はアザレアだ。どうかな?」
「キュイ!」
アザレアは嬉しそうに元気よく鳴いた。俺はアザレアを空に向かって投げて放した。すいすいと頭上を一旋回した後、アザレアは俺の肩の上に降り立った。
街に戻る道中でアルは色々な事を教えてくれた。
魔物を飼育するには許可が必要な事、そしてその許可を俺が取るには難しいだろうという事。
冒険者のテイマーでさえ、魔物を連れて歩くには厳しい審査をされるそうだ。俺は安定した収入も、頑丈で壊れない檻を設置できるような施設も持ち合わせていない。魔物を飼育する上ではあまりにも心許ない。
「だがしかし!この私アレックス・ウィンダムに任せたまえ!この程度の許可を通す事など造作もない」
「本当か?」
「ああ問題ない、いい案も思いついた。この事については私に任せておいてくれて構わない」
正直助かった。俺はいっそのこと無許可で飼おうとしていたから、そういった根回しが出来るのなら、アザレアにとってもそうした方がいいに決まっている。
「しかし困ったのは食料だな、アザレア、君は自分が何を食べるのか知っているかい?」
「キュウ?」
それは確かにまずい、何をどれだけ食べるのかまったく分からないのだ。肉食なのか、意外と草食かなのか、俺が考え込んでいるとアザレアはキュイと鳴いて雑木林の中に入っていってしまった。
「アザレア!?」
「キュイキュイ!」
アザレアは何処からか野ネズミを狩ってきた。俺とアルに見せつけるようにそれを一飲みしてみせた。そしてまた雑木林に戻ると、今度は木の実を抱えられるだけ持ってきてパクパクと食べ始めた。
「どうやら食べ物の心配はいらないらしい」
「お前は賢いなアザレア」
俺がアザレアの頭を撫でると、嬉しそうにキュウキュウと鳴いた。本当に賢い子だ、自分に必要な食べ物を自分で見つけてくるなんて、アルが言っていた通りドラゴンは魔物の中でも本当に特殊な種類のようだ。
アザレアが持ってきた木の実を一つずつ俺とアルの手に置いてくれた。俺たちはアザレアにお礼を言ってその木の実を食べた。赤くて甘酸っぱくて美味しい木の実だった。
街に戻る時に、アザレアにはまた道具袋の中に入ってもらった。いや入ってもらったというよりアザレアは自ら道具袋の中に入っていった。恐らく迷宮から出てくる時にアルに言われた事を覚えていたのだろう。
狭苦しい筈だが嫌がらずに大人しくしている。何事もなく街の中に入る事が出来たし、怪しまれた様子もなかった。
「グラン、一度私にアザレアを預けてくれないか?」
「え?」
「大丈夫だ、何かしようって訳じゃない。ただ私の案を通す為にはアザレアの協力が必要なんだ。了承して欲しい」
俺がどうしようかと困って戸惑っていると、道具袋の中のアザレアがキュウと小さい声で鳴いた。
「いいのかアザレア?」
アザレアはもう一度キュウと鳴いた。アルについて行くと自分から言っているようだった。
「分かった。アザレアの事を頼む」
「任せろ」
アルは上着を少し開けて空間を作る、その中にシュッとアザレアは飛び込んだ。アザレアがいる分少々膨らんでいるが、アルならばそれ程怪しまれる事はないだろう。身分も身分だし、意見する者は中々勇気がいると思う。
「ではまた。アザレアは私が孤児院に連れて行くから待っていてくれ」
そう言ってアルは貴族街の方へと歩いて行った。俺はアル達が見えなくなるまで見送った後、今回迷宮で拾ってきた物を売り払う為に買取屋の元に向かうのだった。
買取屋でカウンターに今回拾い集めた物をドサッと置いた。まあ今回は拾った物ではなく剥ぎ取った物しかないのだが。
「おいおい、今回は珍しく魔物の素材ばかりじゃないか。悪いが安く買い叩くぞ」
「まあ仕方がないよ、行った場所が行った場所だし。ごみ何か落ちちゃいなかったからな」
買取屋は素材を丁寧に見ていくが、困った顔をして俺を見た。
「お前どこ行って来たんだよ、こんな素材見たことねえぞ。正直いくらで買い取ったらいいか分からん」
「あーやっぱりそうか、俺も知らない魔物ばかりだったからなあ」
「状態は良いから1シルバーで買い取るか、流せるか分からんなこりゃ」
元より期待していなかったので、買取屋が提示した額をそのまま受け入れた。稼ぎとしては安いが、文句をつけられる知識がない。
「やっぱり気になるなあ、お前本当にどこ行ってきたんだ?」
買取屋がしつこく聞いてくるので俺は教えてやる事にした。
「炎の加護を授けてくれる霊薬を飲まないと死ぬ迷宮だ。生きた心地がしなかったけれど、いい出会いもあったさ」
「はあ!?」
「何だよ?びっくりするなあ」
「お前それ氷麗の迷宮だぞ、このクローイシュ王国が保有する迷宮で最高難易度の迷宮だ。無事に帰ってきただけでも新聞の一面を飾るのに、一体どうやって行って帰ってきたんだ?」
そんな事を聞かされていなかった俺は、今になって恐ろしさに膝が震えてきた。心の中で先に言っておけよ馬鹿とアルに毒づいて、生まれたての子鹿のように手足をぷるぷるとさせながら、俺は買取屋の狭い出入り口をくぐって出た。