氷の迷宮と小さな出会い その3
迷宮で見つけた宝箱の中から現れたのは、本の挿絵でしか見たことのない小さなドラゴンだった。
宝箱の中身にはあまり縁がない俺は、生き物が宝箱の中に入っているという状況が珍しい事なのか、それともよくある事なのか分からなかった。肩に乗っかって楽しそうにキュイキュイ鳴き声を上げている。
「アル、これって一体?」
「これは…見たままで言うのならドラゴンの幼体の様に見えるな」
やはりそうなのかと改めて驚いた。俺が頭を撫でてやると、気持ちよさそうに目を閉じている。
「しかしこんな事、ありえるのか?そもそも宝箱の中に生物が入っていたなんて聞いたことがないぞ。しかもよりによってドラゴンだと?私でさえその姿を確認した事は数回しかない。更に言うなら成体ではなく幼体だと?存在すら確認された事のない魔物じゃあないか」
アルは何やらブツブツと呟きながら思案に耽ってしまった。何度か声をかけても反応がなくなったので、俺はドラゴンを抱きかかえて様子を見る事にした。
大きさは子犬より少し小さいくらいだろうか、それでも手足に生えた爪は鋭く、体つきは強靭に見える。背中にある翼は小さくみえるが、広げると体よりも大きい。全身を固く白い鱗で覆われており、長くてしなやかな尾をブンブンと振っている。目の色は透き通る水色で、丁度この迷宮の氷を思わせるような色合いだった。
「お前、どうして宝箱の中にいたんだ?」
「キュイ?」
ドラゴンは小首を傾げた。
「まあ人間の言葉を分かる筈もないか」
俺がそう呟くと、ドラゴンはキュイキュイと鳴きながら首を横に振った。
「なんだ?言葉が分かるのか?」
「キュイ!」
「じゃあ飛んで俺の頭の上を一回転してみろ、出来るか?」
キュイと鳴いて翼をはためかすと、ドラゴンは言われた通り頭上を旋回した後俺の肩に降り立った。
「キュイ!」
「何だよ、本当に言葉が分かるんだな。すごいじゃないかお前」
「キュイキュイ!」
ドラゴンは褒められた事が嬉しいと言うように尾をブンブンと振る、俺が頭を撫でてやると、ドラゴンの方から俺の手にすり寄ってきた。
「ははは、くすぐったいよ。しかし言葉が分かるって事は、お前も宝箱の中にいた理由は分からないんだな」
「キュイ」
「お前名前とかあるのか?」
俺の問いかけにドラゴンはまた小首を傾げる、どうやら名前すらないようだ。俺はドラゴンに肩に止まっているようにと言うと、自分の世界にすっかり入り込んでしまったアルを大声をかけて呼び戻した。
「アル!アルッ!しっかりしろよ」
「ん?おおグラン、いつの間に。あれ?ここはあの迷宮か?何故この場所にいる?」
「馬鹿!本当にしっかりしてくれよ。一緒に迷宮に来ただろうが。それよりもこのドラゴン、人間の言葉が分かるみたいだぞ」
アルは暫くぼけっとしていたが、俺の肩にいるドラゴンの姿を見て我に返ったようだ。興味深そうにドラゴンに顔を近づけてまじまじと観察する。
「本当にドラゴンの幼体なのだな。魔物の中でもドラゴンは特殊でな、高い知性を持ち合わせていて、聞く所によると人の言葉を解するだけでなく喋った個体もいたそうだ」
「へー、お前の仲間って賢いんだな」
俺がそう言うと、ドラゴンはキュイッと自慢気に鼻を鳴らした。
「しかし今だに信じられん。宝箱の中にいた事も、ドラゴンの幼体だと言う事も、まったく前例がないからな」
「こいつ何で自分が宝箱の中にいたのか分からないんだって」
「そうか、謎は増すばかりだな」
珍しい事に、アルは自分も知らなかったような経験を前にしてあまり興奮していなかった。いつもだったら飛びついて観察しかじりついて研究し、あまりに興奮すると服を脱ぎすてる所までいくのだが、今回はなんだか嬉しそうにしていなかった。
「お前、親はいるのか?」
「キュウウ」
俺の問いかけにドラゴンは首を何度も傾げた。困ったような様子で俺の方を見つめる。
「もしかして分からないのか?」
「キュイ」
「そうか…。なら俺と同じだな、俺にも親がいないんだ。捨てられて、今生きているのかも分からない、お前の仲間だな」
ドラゴンは頭を俺の頬に擦り寄せてきた。そして目から涙をこぼした。まるで俺の悲しみを代わりに受けたかのように、静かに涙したのだ。
「ありがとな、俺なんかの為に」
俺とドラゴンのやり取りを見ていたアルは、何か言いにくいように下を向いて視線を逸らすと俺に言った。
「グラン、こいつはここで殺した方がいいと思う」
「は?」
アルから飛び出た衝撃的な発言に、俺は怒りと驚きで思わず拳を握りしめた。
俺はアルに詰め寄った。
「殺すって何だよ?まだ子供だぞ?」
「子供でも魔物で、特に危険なドラゴンだ。しかも宝箱の中から出てきたなんて特殊すぎる。ここに放す訳にもいかない」
俺はアルの胸ぐらに掴みかかった。
「だからここで殺すってのか?この子はまだ何もしてないだろう」
「今はまだな、だけどいずれ成長すれば人を殺す」
「襲わないように教えればいいじゃないか!別に魔物は人を食べないといけないって訳じゃないだろう?」
「それは、確かにそうだが…」
迷宮内で魔物は人に襲いかかる、そして倒されず勝ち残った場合人間は魔物の餌になる事が多い。しかしそれは絶対じゃないし、人だけを食べる魔物はいない。迷宮内では魔物同士の捕食する側される側が形成されており、冒険者はその中に割り込んでいるに過ぎない。
「こっちの側の勝手な都合をこの子に押し付けるのかよ!?」
「しかしドラゴンはとても強力な魔物だ。迷宮の主となり力を蓄え外に出たという事例もある。その時は一国がドラゴンに滅ぼされた」
迷宮の主、俺は聞いたことのない言葉が出てくる。それが何なのか俺には分からないが、それでも今ここでこの子を殺す事は間違っていると思う。
「アルは迷宮や魔物について詳しい、俺の知らない事も沢山知っているんだと思う。懸念している事も理解できる。だけどこの子はこのまま生まれた意味も知らずに死ねって言うのか?」
そんな悲しい事をさせたくない、このドラゴンは心を通わす事が出来た。生きていて感情があって理性がある、他の魔物とは違う。人間より優しい心があるんだ。
ここでこの子を見捨てたら俺の大嫌いな親と同じ事をするという事だ。生まれた命を見放すという事だ。それだけは絶対に嫌だった。
「このドラゴンの事情はとても特殊だ。亡骸は私が責任を持って研究機関に送り届けて、人々の未来の為に活用すると誓うよ。それなら生まれた意味もあるだろう?」
「お前それ本気で言ってるのか?本当にそんな事でこの子の生まれた価値を生み出せるって思ってんのかよ」
アルは力なく頷いた。俺は拳をアルの顔目掛けて力いっぱい振り下ろした。アルはびくともしないし、殴った手の方が痛んだ。それでも俺は殴らずにいられなかった。
「テメエの都合を押し付けてこの子の命はお終いか?ふざけんな!そんなの無責任で身勝手な大人の言い訳だ!俺はあんなクズ共と同じにはならない!」
俺はもう一発アルに拳を叩き込もうとした。
「キュイ!キュイキュイ!」
しかし俺の振り上げた拳は幼いドラゴンに止められた。袖に噛みついて懸命に俺の事を止める。その目は喧嘩しないでと訴えかけてきているように見えた。
俺は振り上げた拳を下ろした。掴みかかっていたアルの胸ぐらも離して、ドラゴンの事を抱きしめた。
「アル、殴ってごめん」
「いや、私はそれだけの事を言った。殴られて当然の事だ」
「それでもごめん。アルにも考えや事情がちゃんとあるのにさ、俺の事ばかり押し付けた」
俺は一度冷静になる必要があると思った。そして今ここは迷宮内で、とても落ち着いて話が出来るような場所ではない事に気がついた。
「取り敢えずさ、一度外に出ないか?ドラゴンの今後を決めるにしても、ちゃんと話し合う必要があると思うんだ」
「分かった。確かに私も結論を急ぎすぎたと思う。子供の前でみっともなかったな」
俺とアルは顔を見合わせて苦笑いした。こんな見苦しい言い争いはドラゴンでも子供の前でするべきじゃあない、俺もその通りだと思った。
「じゃあ一度出よう、ドラゴンはそうだな。グランの道具袋の中に隠しておこう。迷宮から出る時はバレないように静かにしているんだぞ、いいな?」
アルはドラゴンにそう話しかけた。しかしドラゴンはまだキュイキュイと鳴いて大人しくならず、俺の腕の辺りをくるくると回っていた。
「どうしたんだ?何か言いたい事でもあるのか?」
俺がそう聞くと、ドラゴンは袖を噛んで飛び上がり俺の腕を眼の前まで持ち上げた。
「「あっ」」
アルを殴りつけた手首は、骨が折れて見事にぶらぶらとしていた。俺は興奮してその事に気がついておらず、ドラゴンは気が付かない俺を心配していたのだ。
折れていた事を確認した途端に痛みが襲いかかってきた。アルがすぐに俺に薬を飲ませて処置してくれたが、まさか殴った方が怪我するとは思いもしなかった。