一話
「うーんと、野球部??」
可愛らしく小首を傾げ、同時に緩く巻かれたポニーテールが小さく揺れる。春の穏やかな日差しが彼女を照らしていた。まさに天使のようだと立川はまんざらでもなく思った。
お互い顔をうかがって、どこか教室全体が緊張した雰囲気に包まれる。四月というものは、何度訪れても学生のうちは慣れることがないのではないかと立川は思う。
しかし、季節は移ろい、もう五月に入っていた。桜はもう、散っていた。
「俺って何部に見えた?」そう聞くと必ずと言っていいほど同じ答えが返ってくる。
理由は一つであり、坊主だからである。
「だよなー、坊主だとやっぱりそう見えるよなー。」
そう答える立川の声は緊張で少し震えていた。今、彼の隣には学級のマドンナ、高木七菜が座っている。女性らしく、思わず守りたくなってしまうような小柄な体つきに、可憐な雰囲気、どこかあどけなさを残しつつも、明確な意志を感じる整った小さな顔。敢えて分類しようというならば、美しい系ではなく可愛い系になるだろう。
立川と七菜の通う高校は私服通学が許されていたが、この日は二人とも制服で登校していた。皆が私服の中で、二人は制服、この状況も少なからず立川の心を刺激した。可愛い女の子というのは、制服を着ても様になる。まして私服を見慣れたところでたまに制服姿を見ると、男はドキッとしてしまう。
「ほんとは、サッカー部だよね??」
高木に特徴な可愛らしい声。男というのは単純なもので、こんな些細なことなのに、俺のこと知ってくれてるんだ、とうれしくなってしまうものである。可愛い女の子に目を合わせて言われると、もう男にはどうしようもないのである。もちろん、それは立川も例外ではない。
「え、あ、うん。そうだね。いやマジ坊主にしなきゃよかったわー」
あまりの可愛さに立川は戸惑う。しかし、この戸惑いと緊張はおそらく単なる高木の可愛さからくるものではないだろう。高校三年生の始業式、彼は高木七菜と目が合って、恋に落ちた。七菜の存在は前々から知っていたし、顔だって見たこともあった。しかし、一度目が合っただけで、何も知らない異性のことを好きになってしまうとは、人間というのは全く不思議な生き物である。本能的か、はたまた運命的なのか、どちらなのかはよく分からないが、別に分からなくてよいと立川は思っている。
恋に落ちた、これは古典的な表現であり、異性に恋愛感情を抱き始めることを意味するが、立川はそれ以来、受験勉強にもあまり集中出来ずに、恋という抜け出すにも抜け出せない大穴に、文字通り落ちてしまっていた。そして思いは増すばかりである。現在、高木は彼の隣に座っていた。
「そうかな?似合ってるよ。」
そう言い残して、彼女は紺のリュックサックを背負い、机の合間を縫って下駄箱へ向かっていった。
時に、可愛い女の子というのは、何の気無しにこんな事を平然と言ってのけてしまう。別に、そこに深い意味はないのだ。ただ、似合うと思ったから、そう伝えた、ただそれだけの話。
頭では理解している。しかし感情の方はどうやら追いついていないようだ。思わずにやけてしまっていたし、衝撃で反応が少し遅れてしまった。受け答えにも余裕がない。
「似合ってる・・・・・・??」
そう繰り返すだけであった。そんなに喜ぶことではない、勘違いしてはならない、頭では理解していたはずなのだが・・・・・・。彼女の背中はもう少し先にある。