江戸っ子には懐かしい味? ご献上品だよこれは。
『神器『ターヘル・アナトミア』があれば、異世界なんて楽勝です〜杉田玄白、異世界に転生する〜は.毎週月曜日と木曜日の更新です。定期更新です。
王城から戻った翌日。
玄白は再び旅に出るために、朝早くから診療所を開け、外に張り紙を貼り出した。
明日から再び休診となるため、この張り紙を見た人で知り合いに患者がいるのなら、今日中に往診に来るようにと。
それを見て慌てて駆けつける患者ですぐに診療所は一杯になり、外に待合用のベンチを置く必要まで出てきた。
すぐにマクシミリアンとミハルの2人も駆けつけて人員整理を始めたり、会計を手伝ってくれたので流れはスムーズになり、どうにか午前中の診療にも目処がつき始めたとき。
『誠に申し訳ありません、フェイール商店のクリスティナと申します。スギタ先生に、ご注文の品をお届けに参りました』
『ああ、ちょっと待っていてくれな……』
そんな声が、窓の外から聞こえてくる。
「フェィールといえば……米じゃ、味噌じゃ!!」
解体新書を閉じて診察室から飛び出すと、ちょうどマクシミリアンが診察室に向かってくるところであった。
「スギタ先生、フェィール商店って知っていますか?」
「知っているも何も、わしの故郷の食材を卸してくれる商人じゃよ!! ついにやってきたかぁぁぁぁ」
感極まってそう叫んでしまう玄白。
これには会計席にいたミハルも興味を持ったのか、ガタッと立ち上がって玄白の後ろをついて行く。
そして正面玄関を開くと、目の前の女商人クリスティナ・フェィールと護衛のブランシュを見て頷いている。
「おお、フェイールさん、お待ちしていましたぞ。実は明日にもこの国から出かけなくてはならなくなってしまって、その準備をしていたのじゃよ。ささ、入ってください」
「では、失礼します」
そのまま診療所の中に2人を案内すると、真っ直ぐに来客用の部屋へと通す。
「ミハルさんや、すまないがお茶を淹れてくれるか? あと、午後の診療は少し遅くなると張り紙を貼っておいてくれると助かる」
「張り紙なら俺がやっておくから、ミハルはお茶を淹れてくれ」
「いつもの自家製ハーブティーで良いのですよね? 少々お待ちください」
すぐにミハルは備え付けの厨房に向かい、玄白自らが作ったハーブティー(ジャパニーズティー)を入れるためにお湯を沸かす。
その間にマクシミリアンは張り紙を作り外に張り付ける。
すっかり、ここの診療所の従業員のように働いている2人だが、最近はこの際方にも満足している。
そしてお茶を持っていってから、マクシミリアンは護衛として玄白の後ろに立つ。
これにはクリスティナの護衛であるブランシュもチラリと2人を見て、何やら頷いているのだが玄白にはそんな仕草の意味がわからず、それよりも早く米と味噌を確認したいという衝動で一杯である。
「それでは、ご注文の品を出しますので、ご確認をお願いします」
──ヒョイヒョイ
商人や職人しか得ることができない神の加護の一つ、【アイテムボックス】。
クリスティナはそこから味噌、醤油、米などを次々と出しはじめては、テーブルの上に一つ一つ説明を加えながら並べていく。
水漏れがないように加工された壺に入っている味噌や醤油、麻袋に入っている玄米を見ると、玄白の心は懐かしい江戸の街並みを歩いているような錯覚をも感じ始めていた。
「こちらは日本酒です。スギタ先生はお酒もいけるとブランシュさんが仰っていましたけど、ご両親が飲まれるのですよね?」
「いやいや、まさか酒まであるとは。これは晩酌が捗るわい」
「え? スギタさんが飲むので?」
「わし、両親などおらんが?」
「え?」
玄白の外見を考えるに。
まだ見た目は麗しき少女、そのような子が晩酌とはハーバリオス王国ではありえない。
成人の儀を終えるか、教会から神託を受けるまでは子供であり、お酒を飲むことは表向きには宜しくないと言われている。
「まあ、国によって違いはあるのでしょう。その辺りは深く問わないようにしますわ。あと、こちらは酒の肴です。日本酒とよく合う肴として、こちらの『あおむろあじくさや』というものをご用意しました。真空パックという特殊な保存をしていますので、食べる時はその透明な皮を破り捨ててください」
その説明を聞き、さらに一つ一つの商品を手に取って確認する玄白。
「確かに。コメと味噌と醤油と、まさかのくさやまであるとは。しかも伊豆のクサヤとはまた、大層な献上品を用意するとはなぁ。それで、お代はいかほどで?」
「そうですね。今回はスギタ先生のお陰で、私どもの用事もスムーズに進められそうですし、そのお礼も兼ねて……この程度で如何でしょうか?」
クリスティナが提示した金額。
それは後ろのミハルとマクシミリアンは表情こそ変えないようにしたものの、かなりの高額である。
一般庶民の何ヶ月分かの生活費、それに近い金額が提示されているのであるが、並んでいる商品の数も多く、わからなくもないという複雑な気持ちである。
そして玄白もその金額については少々高いかもと考えたのだが、解体新書を開いて鑑定するほどでもない、商人の言葉を信じようと納得。
なによりも、これは、この世界では逢えないと思った商品ばかりであり、『あおむろあじのくさや』に至っては、将軍家に献上される品である。
そう考えると、値段は実は安いのではないかとも考え始めていた。
「まあ、予想通りの値段ではないが、この辺りが妥協か。よし、これで良い、ありがたく買い取らせてもらうぞ」
──ジャラッ
解体新書を開き、そこから金貨袋を取り出し、まとめて支払いを済ませる玄白。
さて、これで早速、昼ごはんには米を炊き味噌汁を作り、クサヤを炙って食べられると思うと、少女の顔もニマァと破顔してしまう。
「では、私たちはこれで。そろそろ宿に戻らないとなりませんので」
腰を上げて帰る準備を始めるクリスティナだが、せっかくなら、自国のこの味をこの商人にも教えても良いかと玄白へ考えた。
何より、この美味さを知ったなら、また仕入れてくれる、また買うことができるかもという少しだけ邪な考えが脳裏を横切ったので、思わず。
「ふむふむ。ちょいと待ちなさい。フェイールさんは、このコメとか味噌を食べたことはあるかな?」
そう声を掛けてしまった。
すると、クリスティナも一度座り直してから、玄白に話を始める。
「はい。ハーバリオス王国の港町で、海鮮丼を食べたことはあります」
「では、このクサヤはどうかな? これはわしの故郷の味でね、クセがあるのだけど、食べると本当に美味しくてね。ちょいとご馳走してあげるから、ここで待っていなさい。マクシミリアンさんや、ミハルさんも呼んできてくれるか?」
「了解。スギタ先生がいつも話していた、故郷の味ってやつだろ? せっかくだからご相伴に預からせてもらいますよ」
「私たちも、宜しいのですか?」
そう確認するクリスティナに、玄白はにっこりと笑う。
1人で食べるよりも大勢で食べた方が、食事は楽しい。
それを知っているからこそ、その場の全員に進めた。
「構わん構わん。一緒にどうぞ」
そう告げられると、クリスティナとブランシュも御相伴に預かることになり、しばしば客間で待ってもらう事にした。
「さて、この透明の皮を剥がして……おおう、これはまたなんとも、馨しい香りじゃなぁ。さて、火は起こしてあるので米を炊いて……」
まず米を研ぎかまどに移す。
味噌汁は出来立てがうまいので準備だけをしておき、特製の炭焼き焜炉に炭を起こし、網を乗せてクサヤを乗せる。
火加減を調節すると、やがてクサヤ独特の発酵臭と炭に落ちた油の匂いが、厨房を抜けて外へと流れ始めていた。
「おおう、これはまた少しキツイが……これぞまさに焼き魚よのう」
嬉しそうに横で味噌汁の準備をしつつ、炭火を少し弱める。
よりふっくらと焼き上げるような工程を踏んでいる最中、そとの客間ではまさかの地獄絵図が展開されていた。
………
……
…
──プゥゥゥゥゥゥゥン
「うっ……な、なんだこの匂いは?」
「す、酸っぱ臭い!! なんでしょうこの香りは? ブランシュさん、これは……ってうわぉぁぉぉ!!」
マクシミリアンが鼻をつまみつつ周囲を警戒。
同じようにクリスティナも口元をタオルで抑えていたのだが、その隣のブランシュはユニコーン特有の超感覚にクサヤの香りが直撃。
一瞬で口から泡を吹いて気絶してしまった。
「うわぁぁ、ダメだ、なんだこの匂いは。スギタ先生、何か腐臭がします、泥沼から出て来たゾンビが焦げたような臭いです!!」
「何かあったのですか? 魔族の襲撃ですか? 開けますよ!!」
マクシミリアンが慌てて客間から廊下へ続く扉を開き、部屋の外へと避難しようとしたが、廊下は厨房とつながっているため、廊下の方が臭いがきつい。
その瞬間、クリスティナも急いで部屋から外に飛び出し、建物から出ていった。
「ううっ、うっ、るおうっ!!」
マクシミリアンさんとミハルさんも外に避難すると、建物の横にある側溝に向かい、嘔吐する。
逃げて来て、建物の影で嘔吐しています。
そしてブランシュも慌てて出てくると、すぐさま浄化の魔法陣を発動して、クリスティナを中に引き摺り込みます。
「なんだこれは? 俺も知らないぞ、こんな臭い匂いは? 魔族の襲撃か?新しい毒系魔術かと思ったが」
「ふ、ふぁい!! 私も初めてでふ、鼻がまがりまふ」
アイテムボックスから水袋を取り出して喉を潤わせるクリスティナ。
そして建物の影でぐったりしているミハルとマクシミリアンの2人を手招きし、魔法陣の中に避難させている。
やがて、近所の民家の人たちもいきなりな腐臭に家から逃げ出してくると、クリスティナたちの張り巡らしている結界に向かって走り出した。
「ブランシュさん、範囲拡大できますか?」
「任せろ!!」
──ブゥン
魔法陣の範囲が大きくなるにつれ、隣近所のように逃げてくる人たちが次々と入っていく。
しまいには巡回中の警備騎士までやって来て、戦闘体制をとって診療所を包囲し始めると、隊長らしき人物が、建物に向かって大声を上げ始めた。
「スギタ先生!! 何が起こったのですか? 無事ですか??」
「ダメだ、返事がない。全員、突撃準備!!」
今、まさに建物の中に入ろうとしたとき。
味噌汁の入っている鍋を手に、玄白が玄関に顔を出した。
「んんん? 客間に誰もいないと思ったら、なんで皆、外に出ているんじゃ? そろそろクサヤも焼けたし、米も炊けた味噌汁もできた。さあ、江戸前とはいかんが、わしの故郷の味を堪能しようではないか?」
焼きたてのクサヤを網ごと持ってきたスギタ先生が、屈託のない笑顔でそう話しているのだが。
その様子を見て、クリスティナは恐る恐る玄白に話しかける。
「あの、スギタ先生!! あのですね」
「う〜む。ひょっとして、この臭いがダメなのか?」
「だめも何も、それは食べ物なのですか? 腐敗したドラゴンゾンビが焼け爛れているのではないですよね?」
「失礼な。我が故郷の味じゃぞ!! 確かに臭いかもしれないが、この臭さが堪らんのじゃが……うむ、残念じゃ」
クサヤは玄白にとってはご馳走。
だが、この世界では食べ物とみなされているのかどうかさえ怪しい。
そう感じたのか、寂しそうに呟く玄白を見て、クリスティナは意を決して結界から外に出た。
「もう準備はできたのでしょうか? それでは御相伴に預からせていただきますけど」
「そうか? 匂いはキツくないか?」
「確かにきついですけど、これが美味しいというのであれば、私も商人です。食べてこそ、そのものの本質を知ることができるのであれば、私は喜んで食べさせてもらいます!!」
「そうかそうか!! では、こちらへどうぞ。という事で騎士たちよ、これは食べ物であって毒でもなんでもないわ。じゃから安心するが良い」
その言葉で、騎士たちもお互いの顔を見合わせてから、その場から離れていく。
そして、楽しい食事会が始まったのだ。
味噌焼きおにぎりと炙ったくさや、そしてナッパの味噌汁。
マクシミリアンとミハルも覚悟を決め、感覚遮断の術式を使ったのかブランシュもどうにか参加。
不思議なことに、あれだけ逃げ回っていたマクシミリアンとミハルは食べているうちに少しずつ慣れていったようだが、クリスティナとブランシュはクサヤを少し食べた程度、味噌汁と焼きおにぎりを堪能していた。
「あの!! 実はですね、まだクサヤはあるのですよ。ここは特別価格でご提供しますので、全て買い取っていただけますか!!」
食後にテーブルの上に、真空パックのクサヤをずらりと並べるクリスティナ。
どうやら美味しかったらよそにも売ろうと考えていたらしいが、これは危険なものであると判断。
全てをここで売り捌こうと考えた模様。
値段もかなり安く、恐らくは採算度外視の値段で交渉を始めた結果、全てを玄白が購入することになった。
これで取引は完了、意識が朦朧としてきたクリスティナはブランシュが抱き抱えて撤退。
──コンコン
そして玄関をノックする音と同時に、王国騎士団が玄関前に集まってきた。
「ん? 怪我人か? それとも何かあったのか?」
「はい。この診療所を中心とした一定区画が悪臭によって被害を受けています。それで報告によると、スギタ先生の家が元凶であるという話でしたので、詳しい話を聞きたいのですが……」
鼻を抑えつつ、騎士団長が説明する。
まあ、流石に近隣にまで迷惑をかけたとなると、素直についていくしかあるまいと玄白は王城にある王国騎士団の詰め所まで向かうことになり、一晩みっちりと説教されることになった。
なお、玄白がクサヤを調理する際には、宮廷魔導師による風の結界を施すこと、事前に申請することを約束させられてようやく釈放されたことは、いうまでもなく。
この騒動により、またしても出発が二日遅れることになってしまった。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。




