往診とスラムと、闇ギルド
『神器『ターヘル・アナトミア』があれば、異世界なんて楽勝です〜杉田玄白、異世界に転生する〜は.毎週月曜日と木曜日の更新です。定期更新です。
──トテテテテテテ
今日は、週に一度の往診日。
まあ、玄白に診てもらった患者は、大抵はその日のうちに完全治癒してしまうため、週に一度は治療院にやってくることができない患者がいないかどうか、町の中を歩いて様子を見ているのである。
このオリオーンには、無数の治療院があちこちにある。
だが、患者の取り合いになどならないようにと、商業ギルドが治療院を開院する場所などを事細かに管理している。
ギルドにとっても、折角開院した治療院が数日で廃業などになると、それまでの手間や時間が勿体ない。
それならば、ある程度はギルドが管理して治療院が共倒れしないようにしているのだが。
ここ、スラム地区だけは話が別。
実は、一攫千金を夢見てオリオーンに来たものの、魔の森などの魔物に敵うこともなく、食い詰めて犯罪に走るものも少なくはない。
他にも、脛に傷を持つものや、なんらかの理由で捨てられた孤児、はては犯罪者が集まって組織された闇ギルドなんていうものもある。
そういうものたちが集まっているのがスラム地区。
都市巡回騎士や自警団ですら、スラム地区だけは足を踏み込まない。
領主でさえも、そこには見て見ぬふりを決め込んでいる。
迂闊に触れて、いつ自分の首が落とされるかたまったものではないから。
そして、こんな場所だからこそ、まともな治療院は存在しない。
そこを訪れる治癒師など、酔狂なものぬらいだろうと、街の中でも笑い話になるほどである。
………
……
…
「う〜む。栄養不足じゃなぁ。わしの国ではこれを脚気といってな。まさかこの国で見るとは思わなかったぞ」
スラム地区の一角にある広場。
小さな噴水があるその場所で、玄白は出張治療院を開いていた。
最初のうちは訝しんで近寄るものもなかったのだが、ここ最近はスラムの人々の怪我や病気を診てくれる治癒師ということで、大勢の人が集まってくるようになっている。
「カッケ? ですか?」
「うむ。わしの医学書によるとじゃな。新鮮な果物や野菜、小麦、あとは猪の肉などを食べると良いのじゃが……」
そう告げては見たものの、目の前の老人の身体は筋肉の張りもなく、目も落ち窪んでいる。
明らかな栄養不足からきていることが、よくわかった。
「ここに住んでいるものの殆どは、食うに困って宿にまとまらない奴らや、犯罪を冒して逃げてきたものたちです。そんな我々が、新鮮な野菜や果物を手に入れる方法なんて」
「そんなものがあるのなら、とっくにやっている!! それができないから今の状況なんだろうが」
理不尽に玄白に怒りをぶつける者もいる。
だが、玄白はそういう輩をガラリと見渡して、ため息を吐く。
「なぁ、このスラム地区は、騎士団の巡回もなければ徴税官もやってこないのじゃろ?」
「そりゃそうだ。この辺りは闇ギルドが取り仕切っているからな」
「なら、その闇ギルドの奴らに、こう問いかけて見ては? スラムに畑を作りたいと」
「「「「「「……はぁ?」」」」」
玄白の提案は、普通に考えてあり得ない。
このオリオーンでは、畑は全て城壁の外に造られており、農家は朝一番で城壁の外に出て畑仕事をする。
魔の森の反対側、南側の城門外に耕作地や畑が広がっているのは、そういう理由である。
城塞都市は、人を守るものであり畑を守るものではない。
その常識に対して、玄白はスラムを耕して畑にしろと言っているのである。
「そ、そんなことができるか!! この城塞都市の内部に畑を作るだなんて」
「そんなことをしたら、犯罪者として騎士団に……あれ?」
問題の騎士団や徴税官は、闇ギルドを恐れてスラム地区にはやってこない。
つまり、誰も取り締まることなどできないのである。
「まあ、あくまでもわしの提案としてじゃよ。あとは闇ギルドの偉い人たちと話し合ってくれ」
「そ、そうだな……」
先ほどまでは玄白に食って掛かっていた輩も、僅かな希望が見えたのはその場を走り去る。
「さて。それじゃあ次の患者、ここに来い」
そして玄白は診療を再開する。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
──オリオーン・スラム地区・闇ギルド
古い屋敷。
かつては貴族が建てた別邸であったそれは、今は闇ギルドの詰め所となっている。
闇ギルドと呼ばれているが、正確には盗賊ギルド。
盗み暗殺は当然として、奴隷売買や違法薬物や商品の取引、盗品のオークションなどを行なっている。
このスラム地区に闇ギルドがやってきてからは、仙台領主までは自分の身を案じてスラム地区に関しては手出し無用を厳命していた。
その結果、スラム地区は犯罪者が集まる無法地帯となりつつあったが、闇ギルドの膝下での違法行為は可能な限りご法度であり、住民もそれに従って生きている。
「畑をスラムに作る? はぁ?」
屋敷の居間で、闇ギルドの統括であるミヅチは部下の報告を聞いて頭を捻っている。
「はい。スラム地区の住民からの要望で。スラム地区南側区画の無人の家があるじゃないっすか。あのあたりを解体して、畑を作りたいという要望が届いたんですよ」
「なんで城壁の内側に畑を作るのよ。そこまで食べ物に困っているの?」
「炊き出しだけじゃ無理みたいですね。ほら、この前から定期的にスラムに来る治癒師がいるじゃないですか。あいつの提案らしいんですけど、どうしますか?」
ミヅチは考える。
魔の森の侵食が進み始めているという噂は、何度も耳にしている。
その結果、ここ最近は流れ者がスラムに住み着いている事も、そいつらが無法極まりないことをやらかしていることも。
その結果、そいつらの締め出しに時間と人手を取られてしまい、スラムの住民への救済が疎かになっていることも事実。
しかも、今回の首謀者らしい治癒師・ランガクイーノについては、教会のサミュエル助祭から暗殺依頼が出ている。
「噂の、ランガクイーノ・スギタだったよな。さて、教会の依頼を断って、こいつが手に入らなくなるのは痛手だが……ランガクイーノがスラムでの治療を続けてくれるのなら、使用期限の決まっているこいつを貰う必要もないよなぁ」
手元に置かれている『神の雫』を手に取り、ミヅチは呟く。
サミュエル助祭からこれを格安で手に入れる代わりに、奴の裏での悪事に手を貸してたのも事実。
奴隷売買。
ヴェルディーナ王国では御法度であるが、より安く人手を手に入れることができるため、一部では黙認されているシステム。
流れ者の犯罪者に施される【奴隷刑】を受けたものが売買されるのが基本であるが、一部の商人たちは裏で手を回し、罪なきものに罪を着せて【奴隷刑】を被せている。
その審判を仰ぐのは、各都市の騎士団責任者や教会司祭たちによる【裁判官】が決定するのだが、ここオリオーンでは、サミュエル助祭が裁判官として登録されている。
つまり、無実なものでも自由に犯罪者に仕立て上げ、奴隷として売り飛ばしている。
このスラム地区など、サミュエルにとっては奴隷牧場のようなものである。
無垢な人に罪を被せるのが、闇ギルドの仕事。
あとは報告を受けでサミュエルが騎士たちを連れて犯罪者を取り押さえ、財産を没収後、奴隷に落とす。
その報酬として闇ギルドは、一定量の神の雫と寄附を受けている。
「それで、どうしますか?」
「……畑の件については、好きにやらせておけ。ただし、壊していい場所はしっかりと決めておけ。収穫物を闇ギルドに納める必要はないし、それで得た収益も好きにさせておけ」
「良いのですか?」
「構わんよ。どうせ金の使い道は、スラムの商店だからな。こっちは正攻法で稼がせてもらうだけだ」
毒にも薬にもならない畑など好きにやらせておけ。
それがミヅチの意見。
これでスラムに畑ができることは決定したのだが、問題はランガクイーノの暗殺。
「はてさて、どうしたものかねぇ」
神の雫の入った小瓶を軽く振り、ミヅチは頭を悩ませていた。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。