兄
私には生まれたときから特別な力があった。双子の兄である千明と精神を入れ替えることの出来る能力だ。その能力は私の好きなときに好きなようにいつだって使うことが出来た。すべては私の思うがまま。
兄の意思など関係なかった。
兄は私の能力を口では疎ましく思っているようなことを言うが、いざ能力を使ったときは、私の思うように動いた。兄は私が不利になることを決してやらなかった。兄のおかげでテストの点数はいつも良かった。素行不良なクラスメイトに憧れたときは兄の体を使って夜、遊びに行ったりした。その後、悪い仲間との縁を切りたくなったときは兄に任せた。顔面アザだらけの兄が帰って来たときは少しだけ申し訳なく思った。だが、兄は絶対に私のことを許すし、そもそも本気で怒らないことはわかっていたから謝らなかった。
兄は私に従順だった。従順すぎてつまらないほどに。
高校生になる頃には入れ替わって遊ぶことにも飽きてきて、入れ替わる頻度はぐっと減った。兄の体を使うよりも楽しいことが沢山あった。
兄は同じ高校に通っていたが、クラスも違っていたし、自分から関わりに行かないから学校内で会うことはほぼなかった。ときどき兄が教室に一人ぽつんと居るのを見るので恐らく友達がいないのだろう。根暗な男だ。あのクラス内において、兄はカースト最下層に違いない。そんな男と兄妹だなんて気分が悪くなる。
次第に兄の存在が目障りになってきた。その存在が私を嫌な気分にさせるのだから、私が少しくらい兄に意地悪をしたっていいだろう。兄のせいでストレスを溜めるハメになっているのだから兄は私のストレスを解消させる義務がある。
兄を困らせたくなった。嫌がる顔が見たくなった。だけど、あの男は散々私と入れ替わって酷い目にあっているが、いつも素知らぬ顔でひょうひょうとしている。まるで何も気にしていないみたいだ。
何か兄の嫌がることはないか。必死に考えた。考えた結果、あの男を使うことにした。
同じクラスの四十万 大河。暗くてじめじめとしたあの男。
「禅院さんって二人いるの?」
ろくに話したこともないのに、放課後廊下を歩いているときに突然話しかけられた。にやにやとした君の悪い笑顔を浮かべていて気持ちが悪い。
「何でそう思うの?」
「僕、人の魂が見えるんだ」
「私、オカルトには興味ないから」
そのときは気にもしなかったが、それからあの男がニヤついた顔で私のことを見ていることに気がついた。私のことを好きなんだか知らないが、その視線に酷く腹が立った。あの男も兄と一緒に痛めつけられたら最高ではないか。そう思うようになった。
兄を使って四十万を惚れさせよう。そしてその後にこっ酷く振ってやるのだ。
私は可愛い顔をしているからあの陰湿男は話しかけられただけでも喜ぶに違いない。幸せな気持ちからどん底に落としてやろう。奴の絶望した顔を見ればきっと胸がスッとして気持ちがいいだろう。
それに兄も男と恋愛ごっこをさせられたらきっと顔を歪めて嫌がるだろう。部屋にあったアダルト雑誌は胸の大きい女のものだった。兄の恋愛対象は女の筈だ。
さっそく兄に話を持ちかけた。兄は困惑した様子だったが私の提案を受け入れた。
兄はすんなりと四十万と距離をちかづけていった。だけどひと月も経つとこの作戦に飽きてしまった。
そんなときに兄からもういいだろうと、作戦の終わりを持ちかけられた。渡りに船と私はこの作戦を止めることにした。急に私が素っ気なくなったら四十万は少なからず傷つくだろう。四十万のことはそれで、許してやることにしよう。
「禅院さん、話があるんだけど」
「私はないわ」
「僕はある」
四十万がやけに馴れ馴れしくなった。冷たくしても話しかけてくる。我慢できなくなって一度だけ話をして、それで終わりにしようと思った。それなのに四十万は二人きりになるといきなり私の体を押し倒して来た。
「いったあ……最悪。何すんのよ?」
「ごめんごめん。でも、逃げられたら困るからさ。ねえ、千明出してよ」
「はあ? どうしてお兄ちゃんが出てくるのよ」
「だって今まで僕と一緒に居てくれたの、千明でしょ」
馴れ馴れしく兄の名前を呼ぶ。腹が立った。
「千明は、僕のこと好きになってくれたよ」
「そんなわけない! お兄ちゃんはあんたなんか好きにならない」
「なら試してみようか? 千明は僕がキスしたいって言えばさせてくれるよ」
「何よ、それ」
「証明してあげるからさ、千明と変わってよ」
私は兄と四十万が何をして過ごしていたのか兄に報告されたことしか知らない。もし、この男が言っていることが本当だったら……。気分が悪くなった。
気がつくとつい兄と入れ替わってしまっていた。すぐに戻ろうかと思ったが、もしも四十万とキスしている最中に戻ってしまったら気持ちが悪過ぎて耐えられない。
その後、兄から四十万とキスをしたと報告された。最悪だった。
更に最悪だったことは、四十万がそのときの様子を盗撮していたことだ。恋人のようにキスしている様子を収められた。
「禅院さん、僕と付き合ってよ。別に周りに言う必要はないし、僕も言わない。千明にだけ付き合ったって言っておいてくれたらいいよ」
「そんなこと……」
「千明に言わなかったらこの写真を君の友達に送る。カースト最下位の僕とキスしたなんて友達に知られたくないよね?」
「……わかったわよ。お兄ちゃんにだけ言えばいいんでしょ」
それから暫くは何もなかった。だから油断していたのだ。
「付き合ってるんだから偶には一緒に帰ろう」
四十万にそう言われ、二メートル距離を空けて四十万の後に続いた。これでは一緒に帰っていると言えないが、四十万はそれをよしとした。
「私の家、別の方向だから」
「何言ってるの? 僕の家に行くんだよ」
「何する気……気持ち悪い」
「君に何かするつもりはないよ。来ないんだったら写真をばら撒く」
四十万の家に着くと、彼は笑いながら「今日は親、居ないんだ」と物騒なことを言う。部屋に入るとすぐにベッドに押し倒された。
「何もしないって言ったじゃない」
「君には何もしない。早く千明と変わって」
「嫌よ。そんなことしたらまたあんた写真撮るでしょ」
「なら、君が相手になってくれるの? 気持ち悪い僕の?」
「最悪」
もうどうしようもなかった。僅かな兄が抵抗してくれる可能性に賭けてみたが、賭けには負けた。
四十万の顔を見るのも嫌で学校に行かなくなった。そしたら、どうやって家を知ったのか、いや、十中八九兄が教えたのだろう。奴は私の家に通うようになったのだ。少しもあいつと話したくなくて兄と何度も入れ替わった。
そうして過ごしているうちに気がついた。何で私がこんな目に合わないといけないの。私は何も悪いことしてない。なのに私だけこんな辛い目にあって、兄は悠々と学校に通えている。腹が立つ。
そうだ。私がこんな目に合っているのは兄が四十万を好きになったせいだ。兄なんて居なくなってしまえばいいのに。
いい方法を思いついた。私が罪悪感を持つことなく兄を消す方法。
兄は私に従順だ。だが私が屋上から飛び降りろと言ったところで流石に言うことを聞くことはないだろう。それにそれでは私が自殺教唆したことになってしまう。
だから、私が自殺するふりをすればいい。兄は私を必ず助けようとする。私が落とすのではなく、勝手に落ちてくれればいいのだ。
予想通り兄は自殺しようとする私を前に激しく動揺してみせた。そして、私を助けるために飛び出し、その体は宙に放り出された。
「ありがとう、お兄ちゃん。ばいばい」
四十万もここに呼んでいる。奴は兄の死体を見て絶望すればいい。これでようやく心から笑える。
ぐしゃりと聞き慣れない音がした。
いきなり目の前が真っ赤になって体が動かなくなった。
何で? どうして?
落ちたのはお兄ちゃんなのに。何が起こったの?
わからない。何もわからない。