ニンゲン・フォビア~Kei.ThaWest式精神糜爛人造恐怖譚~
駅前のお惣菜屋さんがいつも激安特価な理由
いかにも下町といった感じの、こじんまりとした家屋が密集する駅前商店街。お世辞にも美観とは言い難いごちゃっとした小汚い雰囲気だが、夕暮れ時、人々の活気に溢れたこの一角には庶民的で妙にぬくもりのある独特の風情が漂っていた。
駅構内への侵入を防ぐフェンスと並行するように狭い道が一本、通っている。仕事終わりのくたびれたサラリーマン。徒党を組んでバカ騒ぎしながら自転車を押している学生の群れ。何気ない日常。
個人商店が軒を連ねるその一角に主婦が群がっている。彼女らのお目当ては、とある惣菜屋。一見何の変哲もない、昔ながらのお店である。揚げ物や焼き物、一品おかずが小分けのパックに入れられて軒先に並んでいる。またお弁当も販売しているようだ。
周囲の店には客はほとんど入っていない。この店だけが客を独占しているかのような活況っぷりだった。何がそんなに余所の店と違うのか。
値段である。
おかず一品で100円。お弁当で280円。激安特価である。作った時間が早かったから痛んでしまう前に値段を安くしたのではない。元々、こういう値段設定なのだ。
「これとこれ、あとこれもちょうだい」
唐揚げ、ほうれんそうのお浸し、高野豆腐。今晩のおかずにするつもりであろう。恰幅のいい中年主婦がねじり鉢巻きの店主に300円を手渡す。
「あいよ、毎度あり」
チャキチャキと威勢のいい受け答えは見ていても気持ちがいい。角ばった相貌をした店主のオヤジが、よく日焼けした強面をくしゃっと崩して愛想を振りまいている。
「毎度あり、いつもどうも」
慣れた動作で次々と客を捌いていく。そんなオヤジの隣で、目の下に酷いクマを作った女房がふらふらと働いていた。いかにも疲労困憊の様子は旦那とは対照的で、生気のない瞳は濁り焦点が定まらず、客に応対する声にも覇気は無い。
「おう、秋絵、アレ取ってくれや」
オヤジが言った。
「……」
女房は上の空で、テーブルの空いたスペースに新たなお惣菜を並べているところだった。オヤジの声にまるで反応しない。それどころか、女房は深いため息をついて、拳で自分の肩をトントンと叩き始めた。
「おい、秋絵、アレ」
「……え、あぁ、はいはい」
二度目の呼びかけでようやく、女房はのろのろと動いて、輪ゴムの箱を奥の収納棚から掴んで戻ってきた。
「それじゃねぇよ、バカかお前!」
激昂し、オヤジは女房の頬を張り倒した。
「割り箸に決まってるだろうが! 早く取ってこいや!」
うずくまった女房の尻をゴム靴の底で蹴り飛ばしてから、オヤジは笑顔で接客を再開する。
「ねぇ、このお弁当ひとつちょうだいな」
「まいど、280円ね」
アジフライ弁当が売れた。
客は、目の前で繰り広げられている暴力を見て見ぬふり。まるで興味が無いようだった。
「ほんと、このお店は安くて助かるわー」
「いえいえ、お客さんにこうして喜んでもらえるだけで、ウチとしちゃ満足なんで。その為に原価を削って削って、頑張ってますからね」
オヤジは胸を張った。この言葉に嘘はない。お人よしのこの男は、儲けを度外視した価格設定でお惣菜やお弁当を販売している。お客さんの笑顔の為に。人件費を削る為にバイトは雇わず、夫婦だけでお店を営んでいる。自分は日が昇る前から市場へ仕入れに行き、妻には開店準備と朝の仕込みをさせる。店は年中無休。大型連休も年末年始も休まない。お客さんに喜んでもらう為に。
秋絵は、疲れ果てていた。生来、頑丈な体ではない。睡眠時間を削り、毎日の仕事に精を出しても、まるで儲からない。旦那の酷い値段設定のせいだ。利益が出ない。その事に文句を言えば、口ごたえ出来なくなるくらい殴られる。しかも痣が見えにくいように、お腹や背中、お尻などをやられる。
度重なる暴力により彼女にはもう、旦那に反抗する気力は残されていなかった。ただ一日一日を、無事に過ごせるように。ロボットのように。
特急電車が駅を通過する。160km/hに迫ろうかという速度でホームに滑り込んできた電車が突如、けたたましいブレーキ音を鳴り響かせた。
店主のオヤジがその音を聞いてうんざりとした表情になった。
「またかよ」
急ブレーキが踏まれた直後、どすんという重たい音がして、ホームにいた客が悲鳴を上げた。
飛び込みだった。
高速で動く鉄の塊に激突し即死した男の体は衝撃によってバラバラになり、血と臓物をまき散らして夕暮れ時に鮮血の花を咲かせた。
回転しながら、千切れた頭部が降ってくる。フェンスを越え、総菜屋の軒先に。
ベシャアッ。
お弁当のパックの上に落ちた頭部はバウンドして、店の床に転がった。主婦たちは絶句し、立ち竦む。
「毎度毎度、ご苦労なこった……」
冷めた声でオヤジは吐き捨て、眠るように安らかな顔をしたサラリーマンの頭部を掴んで持ち上げた。首から生温かい血が流れ、床を汚してゆく。
「秋絵、モップ持って来い! また“ほとけさん”だ」
舌打ちした後でオヤジは店先に歩いていって、ごみ袋でも投げるみたいに死体の首を道端に捨てた。
「なんでいつも、俺の店に飛んでくるんだよ」
特急や快速は、一番端のホームを通過する。フェンスを挟んですぐ向こうに商店街はある。普通しか停まらないこの駅を通過する際、電車は区間最高速度に達していることが多い。これから自殺を考える者にとっては実に都合がいい。
にしても。妙に、この惣菜屋には“パーツ”が飛んでくる頻度が高い。
「血が付いちまったよ」
ふきんでお弁当のパックにこびりついた血を拭き取ろうとするも、ただ塗り広げる結果にしかならない。
「しゃあねぇな」
オヤジは丸くて白いシールに油性マジックで“50”と書いて、ベッタリと血をこびりつかせたパックの上に張ってゆく。
「さぁさぁ安いよ安いよ、お弁当、パックが汚れちまったから50円で大放出だ! 安いよ安いよー!」
店を遠巻きに見ていた主婦たちが、また軒先に群がってきた。50円玉が、飛び交った。
秋絵は近頃、肩が重いとよく愚痴を零す。
夜、不可解な物音を耳にする機会が増えた気がする。
「安いよ安いよ、大特価! ここの棚のお弁当、どれでも50円だ!」
壁にも床にも、どす黒い染みが出来ていた。
腕が、足が、頭が、あるいは肉片が。
何度も、何度も、そこに叩きつけられたからだ。
「売り切れ御免! 激安弁当、早いもの勝ち!」
今日も、そのお惣菜屋さんは繁盛している。
店主であるオヤジの“血の滲むような”努力の結果である。
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