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死神と呼ばれた″元″男  作者: トンカツ
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第七話

 

 空が白みがかってくる。

 山の向こうから太陽が僅かに顔を出す。

 後数刻もすれば闇に包まれた世界は一転、光に包まれた世界へと変貌するだろう。

 その様子を彼女は、屋根の上からぼんやりと眺めていた。


 どこかで鳥の鳴き声がする。朝を感じると同時に起き出したのか、耳を澄ませば獣の鳴き声も聞こえてきた。


 季節は芽吹きの時期だ。朝の風は依然として、やや肌寒い。しかし、平原にかかる緑は一層濃さを増し、季節の変わり目をまざまざと映し出す。


「アイーシャさーん!」


 ふと自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 視線を落としてみると、此方を見上げる形で立っているミルシィの姿があった。


 時間か‥‥‥


 立ちあがり、ミルシィの目の前へ軽やかに着地する。出会ってからずっと変わらない、にこやかな笑みを浮かべたまま、ミルシィは口を開いた。


「どうでしたか?」


 聞くまでもないことだ。これは一種の意志確認。

 彼女の答えは変わらない。


「十分だ」


「そうですか‥‥‥」


 浮かべた表情は酷く曖昧なものだった。

 嬉しそうな、寂しそうな。しかし、その表情も一瞬にして切り替わる。


「では、行きますか」


「あぁ」


 そう言って先頭を歩くミルシィに着いていく。


 旅立ちの時がきたのであった。




 ◇◆◇




「さて、準備は良いですか?」


「準備ねぇ」


 あの世界で旅をすることには慣れていた。

 飯は現地調達。服は適当に水を被せておけば良いし、なんならそのままでも構わない。当然、身体を洗うのも近くに水源があれば、といった感じだ。


 手ぶらな格好のまま、問題ないなといったアイーシャに向けて、ミルシィは暗い笑みを浮かべて詰め寄る。


「何ですか、その格好?舐めてますか?舐めてますね?」


「いや。特には」


「あのですねぇ‥‥‥忘れたんですか!?貴女は女の子なんですよ!お!ん!な!の!こ!

 服一式は最低7!手拭いも勿論充分に確保します!そして石鹸!香水!これらはホントの本当に最低限の装備です!」


「要らん」


「要ります!んもー!」


 頬を膨らましたミルシィは唐突に指を鳴らす。

 瞬間、目の前に大きな袋が現れた。


「ッ!?」


「えーーっと。これとこれを増やして‥‥‥これも‥‥‥」


 驚きの表情を浮かべるアイーシャを無視し、ぶつぶつと呟きながら袋の中へ手を入れる。時折袋から光が漏れるのは、どういう訳だろう。


 幾度かの点滅を終えた袋は、再び虚空へと消え、ミルシィは満足げな息を吐いた。


「これでよし!───どうしました?」


「いや‥‥‥」


 今更コイツに理屈を求めたところでな、とアイーシャは思考を止める。

 何はともあれ、


「で、準備の方は良いのか?」


「えぇ!ばっちりです!」


「そうか‥‥‥」


 ならば問題無いのだろう。

 振り返り、今一度村の景色を視界に納める。


「本当に、良かったので?」


「良いんだよ。これで」


 親にも、兄達にも今日旅立つことは伝えていない。何となく察してはいるのだろうが、今となっては解らない。


「書き置きぐらい残していけば良いと思うんですけどねぇ」


「要らねぇよ」


 そう言って彼女は顔を上に向ける。

 雲一つない青空がそこにはある。どこまでも広がっていく無窮の青。息を吸い込めば涼やかな空気が肺を満たした。


「運命ってのがあるなら、」


 これは()が得た教訓でもあり、戒めだ。


「いずれまた出会うものだ。出会わなければ、それまで。俺の中に、彼等は既に刻み込まれている」


 それだけで充分だと嘯く彼女を見つめ、ミルシィは僅かに顔を歪ませる。

 彼女は未だに、自身をこの世界の異物と捉えていた。産まれてくる筈の無かった子供。前世を知る者。


(違うと‥‥‥いえ、割り切れるものではありませんよね‥‥‥)


 だから彼女に出来ることは精一杯笑うことだけだった。

 貴女は此処にいる。怒れば良い。悲しめば良い。喜べば良い。笑えば良い。それを伝えたくて。それは、今の貴女の感情だと。


 対称的に顔を伏せるミルシィ。その内心を何となく察したアイーシャであったが、何も言うことは無かった。

 2人は並びながら、村の入り口に置かれてある門へと進んでいく。

 木で作られた簡素な門だった。防衛の為ではなく、ここから先に人里があるということを知らせる為だけのものである。


 その門のすくそばに人影があった。こんな早朝に?とアイーシャは思ったが気にせず近づいていく。

 やかて朧気だった影は鮮明に映し出されていき、彼女は目をみはった。


 スラリと長い背丈。乱雑に纏めあげられた赤く長い髪。勝ち気な瞳は静かに閉じられていた。腕を組み、柱へもたれかける彼女こそアイーシャの実の母、スミニアであった。


「母さん‥‥‥」


 顔が引きつるのが解った。バッと隣を見る。下手くそな口笛を吹きながら、ミルシィは反対の方を向いていた。


「ォイ‥‥‥ミ───」


「アイーシャ」


 静かな、しかし確かな響きを含んだ声がアイーシャの言葉を遮る。

 諦めたように顔を伏せると、やがてゆっくりとスミニアの方へと歩み寄った。


「‥‥‥何で居るんだよ」


「おや?悪いかい?娘の旅立ちを見に態々早起きしたってのにさ」


「‥‥‥チッ」


 ばつが悪そうにアイーシャは頬を掻く。スミニアは気にしていない風にカカと笑ってみせた。


「産まれて少しのちんちくりんが、随分と立派になったじゃないか。なーに格好つけてんのか知らないけど、一丁前の事を言いやがって」


「うるせぇよ」


 ガシガシと撫でてくる手を乱暴に振り払い、そっぽを向く。しかし、そんな表情すら愛おしいのかスミニアは彼女を力強く引き寄せると、


「しっかりな。途中で諦めんなよ」


「‥‥‥ッ!?」


 温かな感覚。抱きしめられていると理解した瞬間、不意に涙が零れ落ちた。

 震えそうになる身体を必死に抑える。スミニアの言葉は続いた。


「けど、もうどうしようもなくて。挫けて、泣いて、辛くなって、諦めた時は、此処に帰ってきなさい。何処に行こうと、どんな人間になろうと、アンタの居場所は此処だよ、アイーシャ」


「‥‥‥」


 遠い記憶が不意に脳裏を過る。何時だったのかも、誰だったのかも解らない。

 けれどその温かな言葉は確かに彼を、そして彼女を優しく包み込むもので、


「‥‥‥あぁ、行ってくる」


 気付けばその言葉だけが、口をついて出たのであった。





 ◇◆◇




「さて、計画をおさらいしましょう。この先にある村に来る行商の方々が引く馬車に乗せてもらい、ガルガティア王国へ向かう。そこで『自由人』となって、お金を貯める‥‥‥聞いてます?」


「聞いてる」


 だからそのニマニマ笑いを止めろと、アイーシャは顔をしかめる。

 涙を見せたのは迂闊だった、思うが既に時遅し。意地悪そうに、しかしどこか嬉しそうに笑うミルシィに対し、アイーシャは先程から不機嫌そうに口を曲げたままであった。


「んもう!照れ屋さんなんだから!良いお母さんじゃないですか!娘の旅立ちを抱擁で見送ってくれるなんて、なかなか出来ませんよ?」


「知るか」


 そもそも彼女の中に母親という存在はスミニアしか居ない。だから良いお母さんと言われてもピンと来ないものがあったが、


「チッ‥‥‥」


 解っている。そんなことは解っている。あれこそ正しく母親の目だった。不出来な娘を見守る、優しい瞳。


「クソッ」


「ホラホラ。そんなにカッカしないで!もう村が見えてきましたよ!だから笑顔笑顔!」


 ニコニコと笑いながら、唇の端を無理矢理持ち上げられると、先程までの心のつっかえが嘘みたいに晴れてくる。

 コイツには敵わんなと思いながら、肩を竦めながら優しく張り倒してあげたのだった。


 バチーンと小気味の良い音が、青空に吸い込まれていった。




 ───




「おう嬢ちゃん達。飯の時間だ。気分が悪くなってたり、怪我はないか?」


「えぇ、お気遣い有り難うございます」


「なら良かった。あ、ここに飯を置いといていいか?」


 「おぉ!何から何まで有り難うございます」


 「なーに、良いってことよ!」


 交渉は全てミルシィに任せたところ、何と無料で乗せて貰えることになった。こういう交渉事は本当に巧いなと感心する。


 しかし、まぁ、


 「改めて見ると、随分と大所帯ですねぇ」


 ぐるりと辺りを見渡したミルシィが口を開く。アイーシャもまた、同じ意見だった。馬車の数は6。これで頭目格は一人だというのだから、かなりの数だ。

 それもその筈、と商人は笑ってみせる。


 「幸運の女神様が微笑んでくれてね!道中に超がつくほどの値打ちものを拾っちまってよぉ!お蔭で傭兵を雇うための金が嵩んでしょうがねぇ!」


 そう言いつつも笑ってみせるその姿から、困った様子はまるで見受けられない。

 余程の物を拾ったのだろう。ミルシィの目が僅かに光った。


 「因みにですが、傭兵さん達は私達の事を守ってくれたりします?」


 「ん?あー。契約内容には入ってないが、頼めば守ってくれるだろうよ。

 それに安心しな。頼んだのはレベル4の傭兵を、しかも3パーティーだ。よっぽどの敵が居ねぇと話にならんよ」


 この世界には強さを表す指標として『レベル』というものがつけられている。とはいえ基準はバラバラな上に、人にしか適用されていないため、ごっこ遊びの延長とも言えるわけだが‥‥‥


 因みに傭兵の最高レベルは8。それも現在1パーティーしか居ないようだ。それを考慮すると、彼等の強さはかなりのものであると、アイーシャは考えた。


「ほー。それは嬉しい話ですね!けど、レベル4のパーティーを3つもですか。余程実入りが期待出来る代物なんですね」


「ははっ!まぁな」


 自慢げに話す商人から目をそらし外の方を眺める。

 夕暮れの中、野営の準備を進める彼等の姿は、成る程。確かな慣れを感じさせるものだった。腕に自信があるというのも嘘ではないのだろう。各々が準備を進める中、誰一人として警戒を怠っていない。


「‥‥‥だが任せっぱなしにするわけにもいかないだろ?そろそろ戻って守ってた方が良いんじゃないか?」


 ここに来てようやくアイーシャが口を開く。寡黙な彼女に対して、どう接すれば解らなかった商人は内心ホッとしつつ、おどけた調子で、


「おっと!そうだな。忠告感謝するぜ、嬢ちゃん」


 商人が顔を引っ込めると幕が下り、再び2人だけの空間が出来上がる。

 商人が置いていった湯気を立てるスープをジッと見つつ、不意にアイーシャは口を開いた。


「30、か」


「ん?何の話です?」


 スープに浸したパンを頬張っていたミルシィが首を傾げた。

 それに対しアイーシャは呆れた声を出す。


「決まってるだろ。て───」


 キィィィィンと金属が鳴ったような、澄んだ音が響き、続けざまに怒号が響き渡る。


「敵襲だ!テメェ等!武器を構えろ!」


 成る程、今の音が彼等にとっての警報となるようだ。瞬く間にあっちこっちから響く怒号。無数の剣戟。

 それを聞いてもなおアイーシャの表情に変化はない。正面に座っているミルシィもまた、同じ気持ちのようだった。


「あー。運の無い方達ですねぇ。ま、暫く待ってたら勝手に終わるでしょう」


「そうだな」


 そう言ってアイーシャは立ちあがり、幕を上げる。


「混ざってくるので?」


 振り向くこともなく、彼女は肩を竦めてみせる。


 「パンのおかわりだよ」


 そのまま彼女は馬車を出て、悠々と夕暮れの中へ消えていったのであった。




 ◇◆◇




 男はついていた。


 はじめは何て任務だと思った。強姦は厳禁。不要な殺人や略奪もだ。これでは何のために盗賊をやっているのか解らないと、内心で何度叫んだことか。

 奪うことこそが生き甲斐だった。犯すことが喜びだった。


(けどまぁ、仕方ねぇ)


 俺達の中で一番強い頭の命令は絶対だ。納得はいかなくても、それをなけなしの理性で押さえ付けていた。


 しかし、運はどうやら男に味方したようだった。


(へへっ。ついてるぜ)


 男に与えられたのは潜入任務だった。外で仲間が気を引いている間に目的の物を掻っ払ってくるというものだ。

 潜入は容易であった。この行商の頭はよっぽど上機嫌だったのか、疑うこともなく、しかも無料で男の乗車を許可したのであった。


 幸運は終わらない。雇われた傭兵はどいつもこいつも強者だ。誘導役の仲間に加わっていれば、あっさりとその命を散らしていたであろう。


 そして、


(しっかし、とんでもねぇ上玉だな)


 隣を歩く女を見て、小さく口笛を吹く。男が今まで見た中で断トツで綺麗な顔立ちだった。凛々しい瞳にふっくらした淡い赤の唇。スッと通る鼻筋。胸もかなりの大きさだ。夕陽を吸い込んだかのような艶やかな真っ赤な髪は、肩の後ろまで長く伸ばされ、歩く度にさわさわと揺れていた。


 出会った時は焦ったもんだとしみじみと思う。何とか言いくるめ、ホッとしたのもつかの間。同じ場所に用があると聞いたときは、内心歓喜に満ち溢れていた。


 目的の物を奪う際は殺しは解禁されている。その時にちょっとした役得があってもいいだろう。


 そう考えた男は手に忍ばせていた針を取り替える。大型の獣をも昏倒させる猛毒の針から、簡単な痺れ毒の針へ。


 さてどうやって遊んでやろうかと浮かれていた男は、ついぞ気付くことはなかった。

 この襲撃のなか、呑気に出歩くこの女は何者であるか、など。




 暫く並んで歩いていると、ふと女が立ち止まる。

 続くように男も立ち止まると、女は何やら奇妙な事を口走った。


「聞きたいんだが、この世界には相手の強さを見るような魔術は無いのか?」


「?」


 何を言っているのか解らない、という風に男は首を傾げる。

 彼女の言葉は続いた。


「しかし、随分とつまらないものを使う」


 そう言って彼女は腕を持ち上げる。握られてるのは赤い血を滴らせる手首、その先には真っ黒な針。


「は‥‥‥?」


「だが、まぁ。成る程。女であればこういった戦いかたも出来るのだな。勉強になった」


 男は最後まで幸運だった。

 何故ならそこに痛みは無かったから。

 そして最後まで理解は追い付かなかったから。


 視界が反転する。最後に映り込んだのは笑う女の姿であった。


「さて、向こうも終わったか」


 そういって女───アイーシャはふむと首をかしげ、そしてゆっくりと横に振る。


 「ま。帰るとするか」


 別段興味を引くようなことでもない。ならば参加する理由もない。


 ───本当に───


 ただ、それだけのことだった。


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