第五十話
アイーシャたちを乗せた馬車は何の変哲もない道をのんびりと進む。といっても日が沈む前には次の村に辿り着くだろう。
一行の中に既にサーマの姿はない。これから向かう国は排斥派の一角。ヒトの姿に限りなく近い彼女であっても入国は不可能だ。
「そういう意味では、お前も大分危ういが」
「それは‥‥‥どうなんだ?」
視線を向けられた京は首を傾げる。
安心せよ、と言いながら京の影が揺らめいた。
「迂闊な真似はせんよ。それに、牙はなるべく隠しておくものだ」
「‥‥‥隠してたか?」
「───」
影は答えず、京の姿に戻る。何とも信用しがたいが、特に困ることはないかと思い直し、それ以上追及しないことにしたアイーシャは再び地図を見直す。
ブラノから与えられた地図だが、辺りの地形と照らし合わせているとその正確性に驚く。
「ところで最後にお兄様と何を話されていたので?」
「ん?あぁ、大したことじゃない。
あの後、帝都がどうなったか気になって聞いただけだ」
赫狼が起こした騒乱は複数個所に渡り、犠牲もかなり出たという。結局のところ狙いは不明だが、彼ら───公務官の見解としては帝王の暗殺だろうということだ。
忙しくなりそうだとやや疲れた笑みをこぼしていたが、あの調子であれば大丈夫だろう。
同時に、あの地下での出来事は公になっていないことがハッキリした。
(はてさて。何を隠してるんだか)
どうでも良いかと思い直し、これからの行程に目を向ける。
排斥派と迎合派の溝はかなり深い。
今日着く村から更に馬車で進み。そこからは完全に徒歩になる。といった具合に交通の手段すら制限するほどの徹底ぶりだった。
「片道10日以上か‥‥‥分かっていたことだが長旅になるな」
「長旅。良いじゃないですか!アイーシャさんも嫌いじゃないでしょ?」
「まぁ、な」
追われる身であった頃は旅、というかどこかに居座ることも稀だった。特別不満を感じることもない。
懸念点があるとすれば少女の身で耐えうるかという点だが、
「いやいやいや。今更すぎるでしょう」
数多の修羅場───特に絶界を越えて何を今更気にしているのかと。
「いや気にするようになったのは私としては歓迎ですけど。貴女の場合は気にするだけで何もしないでしょう?」
「‥‥‥なってみないことにはな」
「はぁ。そんなのでは何時か腕とか脚とか無くなりますよ?」
その発言に、アイーシャは僅かに目を丸くする。
「随分物騒だな」
「当たり前です」
先程まであった冗談まじりの雰囲気がなくなり、彼女は姿勢を正してアイーシャの方へ身体を向ける。
「正直、ちょっと怒ってます」
「‥‥‥」
「貴女に与えた呪いを忘れたわけではないでしょう?アレは、勿論自死を防ぐという意味もありますが、何より貴女が無茶をしないためです」
絶界では見逃した。大自然を冒険する。秘境に挑む。それはミルシィにとってみれば正しい命の使い方だ。
だが今回は違う。
「他者同士の喧嘩にわざわざ首を突っ込んだあげく大けがを負う。しかも勝っても何もなし」
「‥‥‥いや、得るものはあったぞ?戦闘経験とか」
バン、と床を叩く。アイーシャはついと目をそらした。
「結果論です!今回は、本当に死んでいました」
「結果が全てだ」
「えぇそれが貴女の信条であることは知っています。ですが、今回のは明らかに度が過ぎている」
はぁ、と彼女は大きく息を吐いた。
「貴女の命です。その使い方を、私が強制することは出来ない。
それでも、もう少し大切にしてください」
目を伏せ、そう告げたミルシィに対しアイーシャは頭を掻きながら、小さく息を吐くと、
「ま、無理だな」
「聞いてましたか!?」
アイーシャの肩を掴み大きく揺する。
「いえ何も聞いてませんね!この戦闘狂!死にたがり!アホ!バカ!」
「オイコラ」
最後はただの悪口だった。
うっとうしそうに肩を掴んだ腕を振り払うと、肩をいからせ威嚇するミルシィに指を突き付ける。
そしてそのままドスリとミルシィの額を突く。
「にゅっ!?」
「よく聞け。
確かに今回の戦いははっきり言って無茶だ。死ぬ確率の方が圧倒的にたけぇ」
それでも、と彼女は軽く胸を叩く。
「命を楽しみたい」
さて、それはどちらの気持ちなのか。
いや、あるいはどちらもなのだろう。
「えぇぇ‥‥‥良い笑顔でそう言われましても」
元より言っても聞かないとは思っていたが。
(重症‥‥‥ですねぇ。発破かけたのは私ですが)
選択を間違えたのだろうか。遠い記憶に思いを馳せ、ミルシィは内心で涙を流す。
まぁ、それはさておき。
「あぁぁぁ。もう!とにかく!何か無茶をされるときは必ず!私に!言うこと!
良いですね!?」
「おっ。そろそろ着くか」
「キィイイイ!!」
──────────
「さぁて、と」
丘の上から見下ろした先。道一本すらない草原の向こう側。
戦とは無縁な。そんな様子がうかがえる街並み。
「シュトロンだ」
街に入るのにそこまで詳しい検閲はなかった。最低限の荷物の検めと少々のギルが取られただけ。
良いのか?とは思うが、街を見れば成程と頷ける。
この街は、平和だ。
誰もが満ち足りている表情をしていた。
「成程」
日々の糧。衣食住と少々の娯楽。
ここでは誰もが当たり前のようにそれらを享受している。
帝都が持っていた人の欲望を際限なく掻き立てる造りとはまるで正反対にあった。
「こいつは、流石に驚いたぞ」
むしゃむしゃと噂の『シフォンケーキ』を頬張りながら、彼女はぼやく。
牛乳がふんだんに使われているであろうそれはまろやかな甘みを感じ、フワフワな食感と相まって食べ飽きないものとなっていた。
正面に座るミルシィも頬をほころばせ、シフォンケーキを頬張る。
「しっとり系のケーキも美味しいですが、こういうのもやはり良いですね!
星5を進呈しましょう」
「何だそれ」
呆れ顔で言いつつも、アイーシャもケーキを運ぶ手を止めない。
かつては甘いもの───というより食事そのものに意味を抱いたことはなかったが、中々どうして。
「美味いもの廻りに変えるのも悪くない、か?」
「おぉ!良いですね、それ!」
などと言いつつお互い本気ではない。
先に食べ終わったアイーシャ───ミルシィは3切れ目であることはさておき───は満足そうに頷くと懐から紙束を取り出す。
「何ですか?それ?」
「ん。あぁこれな」
紙一面にびっしりと文字が書き込まれている。印刷技術が乏しいこの世界では、それが手書きであることはすぐに伺える。
そしてその文字数から感じられる狂気も。
「神を崇めよ、か」
書かれてあるのは【ボースタニア】と呼ばれる神の偉業と、それに対する賛辞。
よくもまぁここまで言葉が思いつくものだと感心するほど、それぞれ賛辞に使われる言葉が違った。
「あぁ、入国時に配られたアレですか。てっきりもう捨てているものだと」
「折角だし、どんなものか知りたかったからな」
迎合派の国ではボースタニアと呼ばれる神に関する書物も、それどころか名前すら見かけなかった。
そのため名前だけは知っているが、その実態はまるで掴めなかった。
いや、正確には知っている。
「神、としてではなく王としてだが」
排斥派の頂点。勇者と呼ばれる存在を召喚した人物。
王であるが故にその名を語るのか。あるいは真に神であるのか。
かの神が成した偉業を綴るのに1枚では足りないのか。両面を文字で埋め尽くした紙が全部で8枚。
適当にそれらを眺めていた彼女だったが、気になる一文を見つけ目を留める。
「『勇者』オラシル‥‥‥」
魔王を倒し、大戦を終結に導いた英雄。
どうやら彼はボースタニアから加護を貰い受け、その力を持って押しとどめたとか。
帝都で見かけた書物には確か‥‥‥
(魔王大戦では幾つもの他種族と協力して魔族を打ち倒したとあった。そして、その中心にいたのがオラシルだったと)
オラシルが常に中心にいる。排斥派も迎合派も、この一点だけは共通している。
続きを読む。
加護を与えられたオラシルは仲間とともに魔王へ挑む。犠牲を出しながらもついには魔王を打ち倒した彼は英雄へとなる。
ならず者をまとめ上げた彼はボースタニアの名の元、自由人としての身分を与えることを確約している。
合間に挟まるボースタニアという名前に少々のうざったさを感じつつも、肝心の部分は全て同じ。ただそこに神が絡むか、他種族が絡むかの違いでしかない。
「‥‥‥」
このような書物による印象操作はあっても不自然ではない。
英雄譚を好かない者はそういないだろう。幼いころからこれを常識と伝えられてきていれば、他種族滅ぶべしという考えにも、他種族を受け入れるという考えにも納得がいく。
いずれにせよ。英雄と言う名前は利権のために便利に使われる道具に成り下がったということだろう。
───全く、反吐が出る。
口の中にあった甘さは既に消えている。
代わりに生じた苦みを誤魔化すように、彼女は残っていた紅茶を一息に飲み干したのであった。
──────────
綺麗な街並み。
活気づく露店。
満足のいく料理。
上質な寝具。
多くの娯楽施設。
満ち足りた国だ。
近くに大型の獣が出たという知らせがあった。
鎧に身を包んだ屈強な兵士たちが整然と並び、門の方へ進んでいく。
それを見た街の人々は歓声で彼らを送る。それに応えるように彼らも一層胸をはって進んでいく。
「あやや。この国でも自由人はいらないみたいですね」
「だな」
何を思うでもなく、適当な返事をしたアイーシャはすぐに彼らから視線を切る。
そもそも満ち足りているこの国に、ならず者という概念が存在していない。
路地裏を見ても野良猫一匹いない。
不気味、とまでは思わないまでも好きではない。
「永遠に満ち足りぬからこそ永遠に求める。それが人間の醜さであり美しさ、だったかな?」
「ほほう。良い言葉ですね、含蓄を感じます。
ところで誰の言葉です?」
「今適当に考えた」
頬を膨らませ怒りを主張するミルシィを無視し、しばらく観光を続ける。
幾つかの露店を覗いてみたが、興味の惹くものはなかった。
「というか全部道具店なのですが。服屋とか行かないんですか?」
「服ぅ?寒さをしのげれば十分だろう」
「えぇえぇ。言うと思ってましたよ」
一通り見て終わり、あらかじめ取ってあった宿へ戻る。
価格は抑えめでありながら寝具は上質。
これが排斥派の国か、と彼女はぼんやりと考えた。
「身体を休めるにはもってこいだな」
「あら?その割には随分不満そうで?」
「そうか?」
意識はしていなかったが。
あぁ、だが確かに。
「物足りなさはあるが」
ユンゲルの雑多さ。アストライエの目新しさと比べると、どうしても見劣りする。
とはいえ、言ってしまえばそれだけ。
「そこそこ楽しめそうだ」
「ふふっ。そうですか」
優しく微笑むミルシィに何とも言い難く、顔を背けて布団に潜り込む。
そのまま目を閉じたアイーシャは、疲れもあっただろうすぐさま意識が沈んでいく。
「それなら───」
ミルシィの言葉が届くことはなかった。
◇◆◇
それからいくつかの付近の村を廻り、観光を楽しむ。
名匠が手掛けた噴水広場は、芸術に疎いアイーシャですら目を惹くものであった。露店で買った串焼きを頬張りながら噴水を眺めていると、時間を忘れる。
ある村では祭りをやっており、村人たちは不可思議な仮面をかぶって櫓を囲って踊っていた。異世界から来たという『勇者』が伝えたものだとか。
それを聞いたミルシィはややびくついていたが、幸いアイーシャは気にすることなく純粋に楽しんでいた。
そうして幾日か経ち、アイーシャの手元の紙に10個目の×が付けられた明朝。
ふむ、と頷いたアイーシャは立ち上がり大きく伸びをした。
「むにゃ‥‥‥顔を洗ってきますね」
「ん」
目をこすりながら階下へ歩いていくミルシィを背に、アイーシャは道具を1つずつ整理していく。
シュドゥラから貰った道具はもう残り少ない。どれも一癖あり適当にいくつか選んだものだったが殊の外役に立ったものばかりだった。
もう少し貰っておくべきだったなと内心舌打ちする。ここにミルシィがいれば買うつもりはないんですね、と突っ込みをいれたところだろう。
これから行くコナシアの森の特徴は何と言ってもその広さだろう。
大樹海とも言える森は大陸を東西で隔てるほどであり、何の用意もしていない者であれば瞬時に道を失うだろう。
当然整備された道などない。辛うじて残された不確かな地図を片手に、中心部へ向かうことになる。
目的は1つ。
「獣神祭」
獣族が行う15年に1度の大祭。
公表などはないが、周期的に見れば今年行われるそれを目的に彼女たちは森の奥を目指す。
無論彼女たちだけではないだろう。この祭りの期間はあらゆる種族がこの森に集まる。人族も例外ではない。
道に迷ってそのまま死んだという話も聞く。それでも毎回多くの種族が集まるには理由があった。
『太來武』
獣族の中の最強を決める戦いである。
彼等と直接刃を交えたことはないため実際には見たことはないが、何でも獣族の中でも限られた者にしか使えない技があるようで、それを見ることが楽しみだったりする。
何より、そもそも戦いの場を見るのは嫌いではない。
楽しみだと、彼女は薄く笑ったのであった。




