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死神と呼ばれた″元″男  作者: トンカツ
47/51

第四十七話

 

 薄暗い空間だった。

 等間隔で並べられた柱に取り付けられた灯りのみがぼんやりとその空間を照らしていた。




 ───足音が響く。




 薄く舞う土埃が揺れ、足音の主の存在を知らせる。

 男だ。それも、老兵と呼ばれるほどの齢。

 しかし、その男がただの老兵ではないことは赤子だろうと理解できるだろう。


 2メルを超えるであろう巨躯。鎧などはなく、山脈のごとく鍛え上げられた上体が惜しげもなく晒されていた。

 はちきれんばかりに膨らんだ身体と丸太を思わせる腕と脚。

 眼光は鋭く、辺りを窺う様子を見せることなくただ前方に向けられていた。

 焦りはない。かといって余裕さもない。

 至って普通。散歩だと言えば、それだけで納得しよう。

 にも関わらず一歩。それだけで空間が揺れたかのような錯覚を起こすほど、その男の存在は強烈であった。


 しばらく彼の足音のみが空間内に響き渡る。

 反響する音がほとんどないのは、この空間の広さを物語っていた。


 不意に。

 ほのかに鼻をつく異臭。

 同時に、単調だった老兵の足音に異音が混じる。

 足元に転がっていた小さな瓦礫。どうやらそれを蹴飛ばしてしまったらしい。


 老兵が横へ顔を向ける。不自然に照らされたその場所で瓦礫の山が積まれていた。

 そして、


「よぉ」


 その頂上。

 紅の髪を宿した少女が不敵に微笑んでいた。


「お前が親玉か?」


 不自然。

 真っ先にその考えが頭に浮かぶ。

 この少女は囮で本命は他にある。そう考えた老兵が僅かに視線を巡らした。


 しかし、


「安心しろよ。ここにいるのは俺だけだ」


 その考えを見透かすように彼女は呵々と笑う。

 確かに、他の人の気配はない。とはいえ老兵の知覚能力は至って普通。特殊な術で隠れられていたら、発見するのは不可能だろう。

 ふむ、と彼は腕を組む。


「親玉とは?何のことだ?」


「ん?そこに転がっている奴等のことだよ」


 指を指した方に目を向ける。

 頭部は潰されているが、着ている衣服や武器の装飾には確かに見覚えがあった。


「ダラトラ‥‥‥成程」


 理解した老兵は静かに頷く。

 少女もまたまともな答えは期待していなかったのだろう。

 小さく鼻を鳴らし、


 ───長い息を吐いた。


「───」


 少女の姿が老兵の目の前から消える。

 音すらなく、


 老兵の背後。逆手に握られた棒が振り抜かれる。


「───ッ!」


 腕に伝わる鈍い手応え。違和感を覚えるよりも早く、腹部に訪れた強烈な衝撃。


「かふ───ッ」


 息を吐く間もなく瓦礫の中に身体が叩き込まれる。

 崩れていく瓦礫の山を視界に収めながら、老兵は辺りの気配を探った。


(ふむ‥‥‥)


 増援の気配はない。やはり1人でここにいるのだろうか。

 ダラトラが何人来たのか知らないが、1人ということはあるまい。仮にこの少女が1人で相手をし、勝利を収めたとなると、


「残念だ」


 ガラリ、と。

 瓦礫の山を押しのけて少女が立ち上がる。

 血塊をペッと吐き出した彼女の瞳に恐れの色はなかった。


「───ッ!」


 床が割れ、少女の身体が老兵目掛けて疾駆する。

 とてつもない速度だと、老兵は僅かに目を細めた。


 右手、斜め下からの逆袈裟。返す刀で水平。或いは肩を狙う上段の振り下ろし。

 そして、


「フ───ッ」


 一呼吸置き、瞬きの間に振られた16の連撃。

 老兵は動かない。

 その速度故、動けない───否。


「───ッ!?」


 はじめて少女の顔が歪む。

 手に伝わってきた感触は全てが未知のものであり、奇妙、というほかないものであった。


「こ、れは───ッ」


 口を開くよりも早く老兵が動く。首筋で止められた棒の先を押しのけ、彼は掌を無造作に突き出した。


「轟掌」


 ズン、という鈍い音が響き老兵の目の前の床に放射状のひびが入る。同時に、少女の身体が綿のように吹き飛ばされた。

 ふむ、と掌を見つめた彼は興味深そうに少女が吹き飛ばされた先を見る。


「僅かに身体をずらし緩和したか。上手いものだ」


「───ッ!」


 再度、少女が駆け出す。

 今度は立体的に。柱、天井を駆使し縦横無尽に駆ける少女の姿を捉えつつ、それでも老兵は動かない。

 直上。振り下ろされる棒が老兵の頭部に直撃。一拍すらなく、次いで両の脚が強かに打ち付けられる。

 棒の先端は脇腹へ、更に身体を軸に背中側でくるん(・・・)と回した棒を、老兵の首筋へ叩き込む。


「ふむ」


「───」


 揺らがない。防がれた?違う。あの山の頂上で出会った、あの獣とはまるで違う感触。

 防がれたのではなくこれは───


 思考はそこで途切れ、少女の身体が宙を舞う。否、弾丸のように飛んでいく。

 床が割れ、もうもうと立ち込める粉塵の正面で老兵が軽く首を鳴らした。


「寝ておくことを勧めるが?」


「カッ───」


 ガラリ、と。

 身体を覆う瓦礫を払いのけ彼女は立つ。

 3度打ったにも関わらず立ち上がる姿に、思わず老兵は感心したような声を漏らした。


「損傷は‥‥‥ないか。うむ、見事」


 見た目の派手さとは裏腹に、確かに彼女はほとんど傷を負っていなかった。

 加減したとはいえ、どれも並の人間であれば立ち上がることは難しいだろう。その時点で彼女の実力がうかがえる。

 何より先の棒捌き。老兵には届かなかったとはいえかなりのものだった。


(1人で来るには十分に足りる)


 自国であれば【聖】には届かずとも【師】は確実。

 だからこそ、やはり残念だ。


「なるほど、な‥‥‥」


 少女が小さく言葉をこぼす。


「『無刀(むじん)の加護』、か。

 ハッ。こんなところでお見えになるとはな」


 ほう、と老兵は腕を組んだまま顎を撫でた。


「いかにも」


「チッ───否定はしないんだな」


「したところで何とする?」


「ごもっとも」


 そう言い彼女は肩を竦める。

 とはいえ、正直これは───


(予想外も予想外だ。クソッ。呪いだ祝福だ妙な力が流行りやがって)


 無刀の加護

 それはこの世界において、あまりにも有名な祝福であった。

 効果は2つ。武具による攻撃を一切受け付けない。また武具から派生した攻撃も一切受け付けない。

 例えば通常の剣で切りつける。或いは岩を切りつけ、その破片で攻撃する。

 そのどちらをも防ぐのがこの加護である。


 武具が指すのは剣や斧と言った武器だけではない。鎧や盾、あるいは靴。

 おおよそ戦闘の際に身につける一切による攻撃は、この加護を前にすると無と化す。


 故に無刀。


(1番ふざけてるのは派生による攻撃も防ぐことだがな‥‥‥確か杖から生じた魔術も防ぐんだったか?)


 つまり目の前の老兵を倒す手段は2つ。

 1つ目は毒。しかし、こちらは幾度となく試され失敗に終わっている。それは無刀の加護によるものではなく、恐らく別の手段によるものだろう。

 もう1つは、


「まぁ‥‥‥良いか」


 握っていた棒を放り、その場で軽く跳ねる。

 次いで邪魔な裾を強引に引き千切ると、彼女は獰猛な笑みを浮かべた。


「丁度良い。こっちの練習もしたかったんだ」


「‥‥‥」


 老兵は構えることなく、静かに腕を組んだまま待つ。


 合図はない。少女の足先が僅かに横にずれ、


「───ッ!」


 駆ける。両の手は僅かに開かれている。

 2呼吸あり、両者の間合いが詰まる。瞬間、滑るように放たれた右の拳。


 はじめて老兵に動きがあった。


 とはいえ僅かに右に傾いただけ。拳を皮一枚でかわした老兵は追撃をせず、1歩後ろへ退く。

 いかなる体勢で放たれたのか。直後、少女のつま先が老兵の鼻先をかすめる。


「───フッ」


 放たれた岩石のような拳を脚を使い、いなす。

 流れるように老兵の側方へ。下から突き上げられた拳を受け止め、老兵は手刀を振り下ろす。

 間一髪。横方向へ回転しかわしてみせた少女は両の手で己の身体を跳ね上げる。


「ほぅ」


 天井へ足をつき、更に老兵の背後を取る。

 老兵はまだ振り向いてはいない。しかし、


「───ッ!」


 放たれた拳を身を捻ることでかわし、大ぶりの一撃を放つ。

 ブォンと風を孕んだ重い一撃は少女の鼻先をかすめる。しかし、ただそれだけで少女の鼻から僅かに血が零れた。


 1度退いた少女は再度駆ける。より速く。速く。

 床。柱。天井。全てを使いかき回す。


 四方八方から放たれる拳に老兵は静かに唸る。


(速い)


 決して捉えきれないわけではない。彼の視界には常に少女の姿を映していた。

 だが、それと反応できるかは別。あるいは反応できたとしても少女が離れる方が早く、僅かに捉えきれない。


 しかし、


 老兵の拳を身を捻ることでかわし、そのまま懐へ。握り締めた拳を胸部へ叩き込む。

 外部ではなく内部への損傷を目的とした拳。

 倒せなくても動きに鈍りが見えてもおかしくはない一撃。にも関わらず老兵の表情に変化はなく、そのまま拳を振り上げる。


「───ッ!」


 反応が遅れた少女の肩を老兵の拳がかすめる。それだけで冗談のように少女の身体が吹き飛ばされた。

 ダン!と力強い音が響き老兵が地を蹴る。瞬時に間合いを詰め少女に追いつくと、勢いのまま拳を繰り出す。


「グ───ッ」


 起き上がると同時に腕を振り上げる。老兵の拳と手の甲がぶつかる───直前に斜め下へと流す。


「ぬっ」


 狙いがずれた拳は床を砕く。

 出来た一瞬の間で少女は体勢を立て直した。


「面白い技だ。帝国由来か?」


「‥‥‥」


 少女が動く。ふむと息をこぼした老兵はクイと首を傾けた。


(速く。巧い)


 速度もある。技術もある。無造作に振られたように見える拳は、その実、全てが人体の急所を捉えていた。

 それは認める。

 だが、


「何度打たれようと───」


 少女の踵が腹を打つ。返ってくる手応えは、最早鋼そのもの。


「無意味だ」


 無造作に振り上げられた脚。少女の身体が浮き上がる。


角甲(かかん)


 ねじり(・・・)が加えられたその一撃を受け、放物線を描くことなく真っ直ぐに吹き飛ばされる。

 2度、3度と床を弾み横たわる少女を見て老兵は静かに嘆息した。


「加減はした。これで───」


 言い終わるよりも早く立ち上がった少女の姿がぶれる。

 拳を顔面で受け止めた彼は、しかし静かに少女へ目を向けていた。


「返答とみた」


 放たれる拳を意に介することなく、老兵は拳を振るう。


 幾度となく交差する両者の拳と脚。鈍い打撃音が鳴りやむことなく、空を叩く。

 かわし、いなすことで老兵の拳は届かない。

 だが、全く損傷が無いわけではない。いなすために振るわれた拳や脚は、風圧を受けただけで軋んだ音を立てている。


 一歩踏み込む。ズン、と音が響き少女の足元が割れる。

 震々撃、と呼ばれていた技であった。


「───ッ!」


 放たれた2連撃は、老兵の胸部を確かに捉える。

 返礼とばかりに、振り下ろされた手刀をかわし、掬い上げるような後回し蹴り。

 難なく受け止めた老兵は少女の脚を掴んだまま、思い切り放る。


 くるん(・・・)と回転した少女は着地と同時に横へ飛ぶ。

 直後、少女が着地した場所が爆ぜるように踏み砕かれた。


「フッ!」


 再度拮抗状態へ。

 少女の拳は受け止められ、老兵の拳は届かない。


「‥‥‥」


 仕方ない、と老兵は目を瞑る。


 放たれた少女の拳を、身体の正面で受け止める。真芯を捉えたその拳は、それでも届かない。


「───ッ!?」


 少女が離れるよりも早く、老兵が腕を掴む。万力のような力が腕にかかる。


(抜けねぇ───ッ)


 少女の身体が浮き、瞬間。

 恐ろしい勢いで少女の身体が床に叩き付けられる。

 ひび割れたと共に身体は反動で浮き上がり、


羅搗(らかつ)


 爆音、であった。


 打突ではない体当たり。老兵の全体重を乗せて放たれたそれは少女の身体を軽々と吹き飛ばす。

 付近の柱にぶつかり、衝撃で崩れ落ちる。しかし、そこでは止まらない。

 2本、3本、そして4本の柱を砕いた少女の身体は大量の瓦礫と共に床に吸い込まれていった。


 しかし‥‥‥


「無常、か‥‥‥」


 敵であれば情けをかける必要はない。むしろ敬意をもって相手をし、結果を受け入れるべきだろう。

 だが、やはり。自分よりも若い者を討ち果たすのは、どうにも気が重い。


「才はある。あるいは運命が変わり、我が下にあれば‥‥‥」


 そこまで言って老兵は首を振る。

 妄言甚だしい。今この結果こそが全てだ。


 大きく息を吐く。もうここにいても仕方ない。

 諦めてくれればそれで良かったが‥‥‥その結末ももうなくなった。


 再度大きく息を吐いて背を向ける。

 思ったよりも時間を使った。早く用をすまして───


 ───ガラ


 聞こえるはずのない音。

 老兵は驚愕の表情で振り返った。


 瓦礫が跳ね上がる。

 直下。乱れた髪をかき上げながら、彼女は嗤っていた。


「‥‥‥獣王ほどの速度はねぇ。魔王ほどの威力もねぇ。剣聖ほどの技もねぇ」


「あの一撃を受けて尚立てるか‥‥‥」


 双方の呟きは届かない。

 飛び上がった彼女の姿が魔力の揺らめきで陽炎のように揺れる。


 紅蓮の魔力を迸らせながら彼女はゆっくりと老兵の方へ歩み寄った。


「全部が中途半端。底は見えたぜ、三流」


「‥‥‥ほう」


 老兵は片眉を軽く跳ね上げた。


「言うではないか、(わっぱ)


 ゆっくりと、構える。

 それはこの日初めて見せた老兵の構えであり、目の前の少女を認めたという何よりの証拠。


 彼女の身体を包む紅い魔力が更に荒ぶる。笑みは消え、眼に宿る光は鋭さを増した。


「───神聖王国七聖が1人。『拳聖』アッタレト」


「───『冒険者』アイーシャ」


 言の葉を紡ぐのはそこまで。


 次の瞬間。


 大地が、爆ぜた。







 ──────────







「ヌゥゥウウウウ!!」


「───────ッ」


 これまでの攻防で追いつかないのは理解した。

 それでも反撃は試みたものの、全てが空振りで終わる。

 1度こちらが拳を振るえば返礼に5発の拳が叩き込まれる。そんなやり取りを繰り返すこと数度。


 理解はしていたが‥‥‥やはりこの後のことを考えると早期決着が望ましい。


 加えて、こちらが攻撃をしても当たらないという事実は彼の矜持をくすぐる。


(とはいえ、此奴の動きは確かに見事なものだ)


 限りなく無駄がそぎ落とされた立ち回り。四方からの攻撃は止め、その全てが正面からのものであった。

 速さは言うまでもない。更に言うのであれば、いかなる技術を用いているのか、先ほどからまるで速度が落ちていない。

 これも驚嘆すべきことだが何より、その速さの中から放たれる拳の精度は、『拳聖』にすら上り詰めたアッタレトですら舌を巻くものであった。


 怒涛の連撃。まるで数十人の武道家から一斉に攻撃を受けているかのような感覚が彼を襲う。

 しかし、彼の心には不満こそあれ、焦りは一欠けらもありはしなかった。


(この程度。窮地にすら感じぬ!)


 肉体に損傷はない。どれだけ手数が多かろうと、届かぬのであればそれまで。


 ならば、


 老兵の動きが止まる。両の脚を曲げ、腕を顔の正面で交差させる。

 現れたのは正しく肉の柱であった。


「───」


(この連撃はいずれ止まる)


 このような速度、保てるはずがないのが道理。

 届かぬのであれば守り切れば良い。それだけのことを成しえる堅牢さを持っている。 

 体力が切れたときか、あるいはそうでなくとも少女の動きが止まったときがこの勝負の終わりである。そう、老兵は確信した。


 腕や腹に伝わる衝撃を前に、老兵の身体はびくともしない。既に何度叩かれた数えるのも馬鹿らしくなるほどの連撃。それでも、動かすには至らない。


 ───ドドドドドドドドドドドドドドドドドド───


(見事だ───)


 心中を満たす賞賛。

 紛れもなく、目の前の少女は最高峰の武術家に近い存在であった。


(見た目は少女だが‥‥‥中身は別なのか?いや、そういう種がいたか?)


 アイーシャに相手の心を見透かす力があれば思わず苦笑が零れるだろう。

 それほどまでに、老兵は彼女の攻撃を意に介していなかった。


 ───ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド───


(同族であれば迎え入れてもいいものの。他種だと叶わぬか。

 やれやれ、我が王にも困ったものだ)


 排斥派に属している彼ではあるが、そこまで思想が強いわけではない。無論嫌悪感はあるが、強者であればある程度の敬意を持って接することは出来た。


 ───ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド───


(生きていれば連れ帰るか。奴隷としてならば目もこぼしてくれよう。

 全てが終わってからだが‥‥‥問題あるまい)


 今回、彼に伝えられた任務は、正直言ってかなり退屈なものだった。

 何故なら相手があまりにも相性が良い(・・・・・)。そういう意味では、この邂逅は彼にとって得難いものであり、幸運なものであった。


 だが勝敗は決した。後はただ待つのみ。


 ───ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド───


(‥‥‥)


 ───ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド───


(‥‥‥)


 ───ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド───


(‥‥‥!?)


 どういうことだ?


(止まらぬ?馬鹿な!?もうどれだけ打っている!?)


 有り得ない。思わず叫びたくなる衝動を抑え、彼は奥歯を噛み締めた。

 いや、まだ。まだ終わらないと決まったわけでは───


 いや、違う。それだけじゃない。


(この腕に伝わる感触‥‥‥いや、まさかッ!?)


 衝撃が、僅かに、だが確実に、


(増している!?馬鹿な!?どういう───)


 ───ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド───


 速度の理由。

 薙原流武装術『流』と呼ばれる技があった。

 それを、アッタレトは知らなかった。


 この技は威力を上げるものではない。あくまでも己が生んだ身体の勢い、流れを留めるための技に過ぎない。


 少女の身体には、僅かなズレがあった。

 脳裏に描く、理想の動きと実際の動きのズレ。

 彼女が生まれ持った身体的才能と、そして()から受け継がれた技と魔力操作の技術。それらが合わさりこれまで違和感なく動かせていたものだったが、雪山での格上との戦闘を経てついにひずみが生じた。


 1度生まれたひずみは治らず、だが彼女はそれに気付くことなく、ただ大きな違和感として残っていた。


 しかし『奈落』。娼館。


 2度の格上との戦闘を経て、ひずみが浮き彫りになった。

 そして今。


 圧倒的格上。自身の攻撃は何一つ通らず、1度攻撃を受ければ完全に防御しても損傷は免れない相手。


 極致に立たされた彼女はただがむしゃらに拳を振るう。


 ───追いつけ───


 ───追いつけ───


 ───追いつけ───ッ!


 徐々に、徐々に、


 ひずみが埋まっていく。


「~~~~~ッ!!」


 彼女の背中から煌々と輝く紅い光に、老兵は思わず目を細め、声にならない呻きをあげる。

 あとどれだけ耐えれば良い?この攻撃は何時まで続く?このまま威力は上がり続けるのか?


 呼吸が僅かに乱れた。思考が、定まらない。


 否、否、否!!


(有り得ん!我が肉体は堅牢!我が肉体は無敵!破ることは何人たりとも不可能!

 このような結末───断じて、有り得ん!!)


 一瞬浮かび上がる、敗北という2文字。

 そんな考えがよぎることすら恥辱だと彼は心の中で咆えた。




 彼は知らない。




 どれだけアイーシャが己のひずみを正そうとも、彼には届かないことを。どれだけの技術を、速度を持っても彼を崩す手段がないことを。




 止まらない、それどころか増していく勢い。いつ終わるのかという思いが、老兵には無かった焦りの心を生み出す。

 ほんの小さな、灯火のような焦燥の念。


 それが少しずつ膨らんでくる。


「オォォオオオオオオオオ!!!」


 奮い立たせるように老兵が咆えた。反撃に転じるか?それとも待つか?

 アイーシャの拳を一身に受け、まとまらない思考を必死に働かせる。


(退くか?否!それこそ有り得ん!だが───)


 歯を食い縛る。

 ───耐えれば良い。攻撃は依然通っていない。奴の攻撃では、自身を破ることは不可能。


 剣を、槍を、斧を、槌を、鉄球を、錫杖を、矢を、魔術を。

 武器による攻撃が一切不可。ならば拳でと挑んできた者は数え切れぬほどいた。そして、その全てを退けてきた。

 自負があった。矜持があった。

 それを、このような小娘1人に───


(あっては!ならぬ!!)


 だが膨れ上がった焦燥。そして果たして終わるのかという疑念は消えることはない。

 表情を歪めながら、それでも何時か来る終わりの時を彼は待つ。


 それで、良かった。筈だった───


 ピシリ、と。


 無意識の内に退いた。退いてしまった足が、背後にあった小石を砕く。


 瞬間、焦燥が弾け、彼の身体を動かす。


「ヌォォオオオオオオ!」


 練り上げた魔力を一瞬で放出する。衝撃による攻撃というよりも、緊急時に相手との距離を取るために使う技であった。

 当然アイーシャに損傷はない。それでもアイーシャとの距離が開く。目算にして、およそ2歩分。


 それだけあれば十分だった。


 ズン


 空間全てを揺らすほどの踏み込み。老兵が思い切り身体を捻る。


 アイーシャの両目が大きく見開かれた。


 放たれたのはアッタレトが持つ最強の一撃。

『拳聖』の名を抱くよりも前。彼の代名詞としても使われていた技。

 海を割り、山を砕くその一撃を、


破山裂波(はざんれっぱ)!!」


 岩のような拳が迫る。

 矢よりも速い一撃。

 回避は───間に合わない。

 流せるか?いや、それをするにはあまりにも威力の桁が違う。


 捉えた。

 そう老兵が思うよりも早く、アイーシャが動く。


 無造作に突き出された腕。老兵のと比べるとあまりにも細い腕。


(腕を捨て拳をかわすか!?いいや!それすら不可能!)


 山を砕くというのは比喩ではない。多くの人々が見た紛れもない事実であった。

 たとえかわそうと衝撃が彼女を包み込む。とてもではないが無傷ではいられない。


 必殺の一撃がアイーシャの腕と交差する。


 そして、


 空間が揺れるほどの轟音と共に、放射状にひび割れていく床。

 その扇の中心。

 ひび割れた床を背に、彼女は立つ。


 老兵の拳は確かにアイーシャに届いた。

 しかし、ただそれだけ。拳は完全に、完膚なきまで受け止められていた。


 老兵は知らない。


 オーファール家が誇る防御術。いかなる攻撃も、かつてある男が使っていた処断の一撃ですら、ただの一撃であれば防ぐことが出来る最強の技を。

 ゲイルサック───またの名を絶理の牢。


 少女は知っていた。


 老兵が持つ最強の一撃を。その形を。


 とどのつまり、この結末はその差によるもの。


「ば、かな───」


 一瞬生じた空白の思考。それすら許さぬとばかりに、老兵の身体が浮き上がる。


「───ッ!?」


 蹴られた。遅れてやってきた顎への凄まじい衝撃が、その事実を知らせる。

 脳が揺さぶられ、身体が麻痺する。


(力が、入らぬ───)


 ぼやけた思考の中で耳に届いたミシリという音。それは目の前の少女の筋肉が軋む音だった。


 訪れたのは、拳打の嵐。

 頭、胸、腹、腕、脚。五体全てに降り注がれる。あまりの速度に老兵の身体は吹き飛ばされることなく、宙に留まったまま打たれ続ける。

 最早視界には何も映っていない。視覚だけではない、聴覚、そして打たれすぎていて自身の身体の間隔すらあやふやだ。

 皮肉にも全身から伝わる衝撃と痛みだけが、生きているという実感を与えてくれていた。


 ぼやけていた視界が徐々に収まる。

 気付けば身体は瓦礫を背に横たわっていた。呼吸をしていたのかすら分からない。

 起き上がろうと腕を動かし───指先が僅かに震えるだけだった。


 戻りかけていた聴覚がコツコツという音を拾う。目を向けなくとも、その足音の主は分かった。


「決着だ。『拳聖』」


 ボロボロだった。肩を激しく上下させ、衣服や足元は言わずもがな。何より目を惹くのはその拳。幾度となくアッタレトの身体を打った拳は見るも無残に砕けており、最早拳としての機能は果たしていないだろう。


 それでも、瞳は爛々と輝いていた。


 本来ならば有り得ざる結末。あってはならない結末。

 だが、


「俺の勝ちだ」


 長い息を吐く。


 身体全体動かすことは叶わなくとも、多少なら動く。懐にあるあれ(・・)を起動すればあるいは───


「ば‥‥‥」


 開きかけた口が閉ざされる。いいや、と彼は内心でゆっくりと首を振った。

 瞳には確かな賞賛の色。口元は薄く、弧を描いていた。


「若き、者よ‥‥‥」


 老兵の目が少女へ向けられる。

 朽ち果てたように、ただそこにあるだけの拳をぶら下げながらも、闘志がいささかも衰えていない瞳を宿した少女へ。


「今一度、名を‥‥‥」


「───アイーシャ」


「そうか、そう、だったな。アイーシャ、か」


 己を打倒した若き戦士の名。

 土産には丁度良い。


「アイーシャよ。それで、私を、殺すのか?」


「‥‥‥まぁ、そうだな」


 命乞いだろうか。

 浮かびかけた思考をすぐに掻き消す。この男に、それはあまりにも似合わない。


「どう、やって?

 お前の、拳は、最早、使い物、にならない。私、の、加護は、健在、だ。

 そこの───」


 そう言って男は視線を別の所へ送る。その先には、アイーシャが捨てた棒が転がっていた。


「武器は、きかぬ。どうする?」


「さてな」


 問われたアイーシャは特別困る様子を見せることなく、軽く肩を竦めてみせた。


「何とかするさ。お前にとっても、俺にとっても地獄を見ることになるかもしれんが」


「クッ───クハハハハハ!ゴホッゴホッ!」


 肺と心臓に痛みが走り、思わずせき込む。それでも、笑いが止まらなかった。

 そうか、と老兵は穏やかに笑う。

 血塊を吐き捨てた彼は先程よりも流暢に口を開いた。


「それは、遠慮したいものだ」


 ふぅ、と老兵は息を吐いた。


「いずれにせよ、時間は、かかる。

 これ以上、若き者の時間をゴホッゴホッ───取るのは惜しいな」


 震える腕を上げ、力を籠める。ミシリ、という音が聞こえてきそうなほど力が籠められたその腕は、男が瀕死であると理解している関わらずアイーシャを警戒させるには十分なほどであった。


「アイーシャよ」


 紡がれた言葉は、穏やかで、明瞭だった。


「お前の勝ちだ」


 腕が、老兵の胸に突き立てられる。

 音が出る程、口元から噴き出す血塊。老兵の身体にはもう震えはなく、瞳は依然として強い力を宿していた。


「最後に」


 老兵の口が小さく動く。


「お前の進む道が、お前にとっての正道だ。迷わず、進むと良い。

 ぶつかるのは、いずれにせよどちらか(・・・・)だ。お前ならば───」


 老兵の言葉が途切れる。既に瞳に光は無かった。


 フン、とアイーシャは鼻を鳴らした。


「言われなくとも、だ。

 だが、まぁ。忠告は受け取っておこう」


 棒を拾う。走る激痛を無視し彼女は一言、


「じゃあな」


 音すら追い越すほどの一撃が振られる。

 地下を揺るがす轟音と共に、老兵の身体はこの世界から完全に消えたのであった。


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