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死神と呼ばれた″元″男  作者: トンカツ
42/51

第四十二話

 

 鈍い金属音が断続的に響く。

 共に聞こえるのは獣の唸り声と裂帛の気合。一際大きな音の直後、今度は鋭く風を切り裂く音が鳴る。


 一条の矢が、綺麗な弾道を描き宙を駆ける。怒号を上げた獣が身体を捻った。

 矢は肩を射抜き、痛烈な痛みが獣を襲う。


 響き渡る悲鳴のような絶叫。暴れようとする獣の身体をいくつもの影が纏う。

 瞬間、


「【解放】」


 極光が走る。憤怒に顔を歪めたまま獣は強引に身を引いた。


 鈍い音。獣の腕が切り落とされる。

 大きく後ろへ下がった獣は対面する敵をゆっくりと睨みつけながら荒い呼吸を繰り返していた。


「ラァッ!」


 地を蹴り、まっすぐに駆けるマサシの背後。キリキリと弦を引き絞ったグレイが静かに狙いを定める。

 更にその横。僅かに視線を落としたキョウが小さく口を動かす。

 這い寄るように獣へ伸びる影が、マサシの一撃を止めた獣の背後に立ち昇る。


「───ッ!」


 咄嗟に振り返り、拳を振るう。しかしそれは影。実態なき影を破ることはなく、拳は虚しく宙を切る。


 ドン、重い音が響く。矢によって頭蓋を破壊された獣はしばらく身体を揺らすと、やがて力なく床に崩れ落ちたのだった。


「フゥ‥‥‥」


 獣の身体を剣の先で軽くつつき、反応がないことを確認したマサシはようやく戦闘の終わりを実感し、長い息を吐いた。

 岩陰に隠れていたティナを呼び寄せると彼女の頭を軽く撫でる。

 嬉しそうに顔をほころばせるティナを満足そうに眺めると、さて、と言って周囲の視線を集める。


「案外何とかなるもんだな」


「‥‥‥」


「‥‥‥えーっ、と」


 問われた両者は何も言葉を発さない。マサシはぎこちなさそうに笑い、頭をかきながら肩を落とすと、


「まぁ取りあえず、このままアイーシャさんたちを探すか‥‥‥」


 その言葉にグレイが頷く。当然、という態度ではあったがようやく反応らしい反応があったことに喜ぶマサシは気付かない。


「よし!じゃあ行くか!」


 そう言ってティナと共に先頭を歩くマサシの後を追いつつ、グレイはちらりと京の方へ視線を送る。

 ここまで特に反応はない。戦闘には参加するし、マサシに殺気を向けることも、それをほのめかすこともない。

 しかし、


(いつ癇癪を起すか分からない、か。面倒だな)


 何故自分がこのような役回りになってしまったのか。彼は諦めきれないように深いため息を吐いたのであった。







 ──────────








 道中は順調であった。また20階層も同様、特筆すべき強敵と会うこともなく、探索はこのまま終わるかと思われた。

 それもそのはずで、知覚能力に優れているアイーシャ、広範囲を索敵出来るアベスタの2人が固める限り、大物の接近に気付くことは容易い。事実、彼女らの力のお蔭で残りの一行はオックロックと接敵するどころかその声すら耳にすることはなかった。


 通ってきた道を、方角を測りながら地図に起こしていく。広大な迷宮内部ではあるが、道はそう複雑ではなかった。時折手分けをしながらも作業は進み、予定していた作業のおおよそ7割方が終わったところだろうか。


 アイーシャが不意に唇に指を当てる。同時にキョウの影が僅かに揺らいだ。


「気のせい、か‥‥‥?」


 オックロックは巨体だと聞く。しかし耳をすましても、地を揺らすような足音どころか小石を蹴ったような音も聞こえない。

 アイーシャの声に、張り詰めた空気が僅かに緩んだ。


「何か気になった音でも?」


 辺りに軽く視線を巡らせながら、サーマが問いかける。いいや、とアイーシャは首を振った。


「音じゃない。なんというか‥‥‥ただの予感だ」


「ふーん?」


 数百年間放浪の旅をしてきたサーマにも似たような感覚はある。人族の言葉で六感、というのだったか。

 改めて周囲の気配を探る。やはり何も感じない。

 サーマは軽く肩を竦めてみせ、


「やっぱり気のせいなんじゃない?特に変わった感じもないし」


「‥‥‥だと良いんだ───」


 開きかけた口を閉じ、視線を横に向ける。先には壁。


「ま───」


「───ッ!」


 一瞬だった。アイーシャが側にいたサーマとミルシィを突き飛ばす。声をあげる間すらない。

 轟音と共に壁が崩れ、アイーシャの姿が土砂の中に消える。


「なっ!?」


 突き飛ばされた2人は瞬時に受け身を取り、アイーシャの行方を探るように目を凝らす。

 遅れてグレイ、京、マサシの順で反応を示し、各々が武器を構えた。


「アイーシャさん!?」


 巻き上げられた土砂が中々晴れない。じれったくなるような時間の中、ミルシィの叫ぶ声が響く。

 咄嗟に両手を突き出すサーマ。不可思議な紋様が現れ、彼女の手に一振りの剣が握られた。


「───ッ」


 最悪だ、とサーマは奥歯を噛む。アイーシャが真っ先に叩かれ、その上で完全に分断された形となった。


(向こう側にいる4人はどうなったのか‥‥‥探ることは難しくないけど)


 魔力の消費は控えた方が良いだろう。優先すべきは自身の命、その次にアイーシャとミルシィだ。

 そう決めたサーマは呼吸を整えると、ゆっくりと煙幕の中へ目をこらす。


 ───オォォオオオオオオ


 響き渡る雄叫びが迷宮を震わす。ともすれば失神してしまいそうな圧力を、しかし涼しい顔で受けるのはサーマと、グレイだった。


「───ッ!駄目だ!泣くな(・・・)!ティナ!」


 マサシは恐怖で声を引き攣らせながらも、隣にいる少女を気にかけるように傍へ寄り、抱きしめる。顔をうずめ歪ながらも笑みを浮かべる少女と、安堵した様子を見せるマサシ。


 それを、京は静かに見ていた。


 思うところがないわけではない。だが、


(今は、こっちが優先か‥‥‥)


 先の雄叫びは己を十分恐怖たらしめるものだった。足が竦んだ。そう自覚出来たと同時に感じたのは恥ずかしさと怒りであった。


(この程度、で‥‥‥ッ!?)


 前方に立つグレイの姿を見る。動じた様子はなく、構えを解くこともなく煙の中を見定める姿を。

 長い息を吐く。少しだけ、冷静になれた。


 その時、


「アイーシャさん!?」


 再びミルシィの絶叫。しかしこれは先の安否を案じる声音ではない。

 それは驚愕を多分に含んだもので、


「───ッ!」


 大地が揺れる。思わずよろめいた京の耳に、ミルシィの声が届いた。


「全力で離れなさい!」


 何だ。どうなった。そんな疑問すら感じることなく、京は振り返って駆け出す。グレイもまた躊躇なく駆け出し、マサシは一瞬の逡巡の後、遅れてティナを引っ張って駆け出す。


 地響きが大きくなっていく。京が一瞬だけ振り返った先。既に煙は晴れ、それ(・・)はそこにいた。


 白い鎧をまとった‥‥‥亀、というべきか。とはいえ顔は亀に似ても似つかない、恐ろしい形相をしていたが。

 いくつもの長い棘が捻じれ、絡み合い身体を覆うさまはいつか見た蓮華の花思い起こさせた。


「オックロック‥‥‥」


 ポツリと呟く京。今なら分かる。アレは強い。

 アレには勝てない。


「裏技を使った甲斐があったな、我が主よ」


 影の中から軽い調子で声をかけるアベスタに応えることなく、京は足を動かす。

 焦りがないわけじゃない。しかし、彼はどこか呆然とした様子で後ろを向きながら駆けていた。


 自身ではどうやっても勝てないと感じた相手。そんな相手が、


「浮いている‥‥‥?」


 錯覚だと笑えば良いのだろうか。否、そうではないことがあのミルシィの切羽詰まった声から感じられた。何より、アイツならばやりかねないという直感があった。


「マズイ───ッ!」


 こちらへ向けて飛んでくる巨大な影。1秒、2秒。進む時間が、嫌にゆっくりと感じられる。更に前へ、前へ。


「全員伏せろォオオ!」


 思わず声を荒げた。バレるかもしれない、という考えはなかった。

 遅れて背後を見たグレイが意図を察し、マサシとティナをぐいと力強く引き寄せる。


「何を───」


 突然の感覚に、マサシが抗議しようとし口を開き、背後を振り返る。その目に映るのは重力に引かれ、下降を始める巨体の姿で、


「───ッ!」


 グレイが2人を引き寄せるのと同時だった。


 轟音が響き、振動が大地を伝わる。衝撃はひびを。ひびから更なる衝撃を。


 床の感覚がなくなり、身体の中身から裏返りそうな浮遊感が襲う。土砂と共に放り出された4人は薄暗闇の中、下へと落ちる。


「ぉぉおおおおお!?」


 落ちる。ただそれだけが、己の意識を占める。

 いや、違う。歯を食い縛り、意識を離すまいと目をカッと開く。


 ───タイミングだ。練習は何度もやった。


「アベスタ───ッ!!!」


 地面が近づく。刹那の間に影が広がった。

 質量を与えた影はイメージ通りの柔らかさをみせ、4人を抱きとめる。ぽっかりと空き、僅かな光を溢す天井をぼんやりと見上げた京は、頬をつつかれる感覚でようやく肩の力が抜けたように息を吐く。


「大事ないか?我が主よ」


「あぁ‥‥‥」


 身体の調子を確かめるようにあっちこっちを動かした京は、ゆっくりと身体を起こす。影はクッションのような形を取り、それは彼のイメージをしっかりと反映した形であった。


「しかし‥‥‥何度も思うが奇妙な感覚だな。くっしょんとやらは分らぬが、ここまで柔らかくも形を崩さないものがあるとは」


 胸のようなものか、というアベスタの呟きに京は顔をしかめる。何とも返し難く、咳払いとともに話題を変えた。


「3人は?」


「いるぞ」


 後方からの声。振り返るとそこには気絶した2人を抱えるグレイの姿があった。


「助かった」


「お、おぉ‥‥‥」


 まさか素直に礼を言われるとは思わず、どもった声で返してしまう。気まずそうに頭を掻いた京はそうだ、と思い出したように慌てて周囲を見渡す。


「あの化け物は!?」


「あぁ、あれなら居なそうだ。まるで気配がない」


「気配は確かにない。だが貴奴は妙な術を使う。断言はしかねるな」


 グレイの言葉にアベスタがそう返す。

 む、と眉を上げたグレイは先の一件を思い出し、小さく頷く。


「ここで戦闘にならないだけ運が良かった、と思うべきだな」


 同意を示すように頷く。情けない話だが、アイーシャが居ない状況で挑めるほど自惚れてはいない。


 ここからどう動くか。問いかけようとし、その口を伸びてきた影が塞ぐ。


「う‥‥‥ん‥‥‥」


 グレイの腕に抱えられていたマサシの瞼がかすかに動く。

 小さな唸り声と共に目を覚ました彼は数瞬ぼんやりとした表情を浮かべ、


「ティナ!?」


 慌てて周囲を探す。しかし身体が硬い何かに挟まれ、思うように動かない。焦るマサシだが、それがグレイの腕だと気付き、そして同じようにグレイに抱えられていたティナを見つけると、ホッとした表情を浮かべ、抵抗を止めた。


「すまない。大丈夫だ」


 気恥ずかしそうに頬を掻いたマサシはグレイの腕を軽く叩き、下ろしても大丈夫だと伝える。小さく頷いたグレイが2人を離すと、すぐさまマサシはティナの元へ駆け寄った。


「怪我は‥‥‥なさそうだ。良かった‥‥‥」


 安堵の笑みを浮かべたマサシは、そうだ、と振り返り、


「助けてくれてありがとう。グレイさん、アベスタさん、と‥‥‥」


 助けてくれた恩人へ感謝を伝えようとしたが、思えば目の前にいるフードを被る人物の名前を聞いていなかった。すまない、と一言断った彼は、


「良ければ名前を教えてくれないか?

 一時かもしれないけど‥‥‥仲間、だしな」


 ゾワリ、と。

 京の首筋を伝う異質な感覚。


 あぁ、これが彼女の言う静かな殺意か。僅かに残った理性がそう告げる。


「すまない。こやつは自身の名前があまり好きではないみたいでな。

 ロア、と呼んでやってくれ」


「そうだったのか‥‥‥すまない、無茶なことを言ってしまって。

 改めて、ありがとうロアさん。貴方たちのお蔭でティナも、俺も助かった」


 庇うように京の前に立ったアベスタがそう告げ、マサシは気まずそうに頭を掻く。

 しかし彼はすぐさま首を横に振り、深々と頭を下げた。そこに嫌味な姿勢はなく、心の底からそう言っているのだと感じられた。


 くつくつと笑ったアベスタが応えるように手を振る。


「よいよい。ここで死なれては浮かばれぬというもの。

 無論、礼は受け取っておくがな」


「ははっ。そう言ってくれると嬉しいよ」


 その姿を、京はどう思ったか。

 横目で彼の様子を窺いつつ、グレイは口を開いた。


「とりあえず上に移動してアイーシャたちと合流する。良いな?」


 勿論、とマサシは返した。


「強くしてもらうって約束したしな。異論はないよ。

 それに‥‥‥」


 目を覚ましキョロキョロと辺りを見渡すティナを見て、口元をほころばせる。


「まだ俺だけじゃ、守り切れないしな」







 ◇◆◇







 かくして前半へ。

 アベスタを含め5人の歩みは、意外にも順調なものであり、特筆することなく彼らは20層へ戻ってきた。


(行きも帰りも際立った強敵はいなかった‥‥‥やはりアレが別格なだけか)


 ここまで積極的に手を出すことなく、後方からの支援に徹していたグレイだったが、それはそうする必要もないと感じたから。背中にかけてある大弓を軽く撫で、やや不満げに鼻を鳴らした。


「あ───」


「っと」


 道に転がっていた石に躓いたティナをマサシが抱き留める。謝るティナに気にするなと首を振ったマサシはつい、とグレイに視線を向ける。


「勝手で申し訳ないんだが、少し休憩を取っても構わないだろうか?」


 見るとティナは表情を僅かに青ざめさせ、荒い呼吸を繰り返していた。

 戦闘には参加して無いとは言えティナは幼い。ここまで来るのにも相当な体力が使われたのだろう。

 アベスタに目配せをし、付近の様子を探ってもらう。

 小さく頷いたアベスタは、僅かな沈黙の後、


「感じた限りではアイーシャも、あの化け物も近くにはおらん。少し行った先に行き止まりに当たる分かれ道があるから、休むにはそこが最適だろう」


「そうか」


 ならば異存はなかった。逸る気持ちもあるが、ここで潰すよりはマシ。そう感じたグレイは、ゆっくりと頷く。


「では少し休むとしよう」


 それからアベスタの指示通り、先へ進むと確かに行き止まりが見える。

 奥にある岩へティナとともに腰を下ろし、鞄から取り出した水筒を傾けたマサシは大きな息を吐く。

 床に座ったグレイもまたつられるように大きな息を吐いた。どうやら思う以上に神経をすり減らしていたようだ。それに、なんだか妙に居心地が悪い。小さく頬を掻いた彼は、そのまま両腕を伸ばし寝転がった。


「いやでもアベスタさん、マジで凄いな!

 ここまでほとんど戦闘がないなんて!」


 マサシは目を輝かせて賞賛の言葉を口にする。勝ち誇ったような視線を京に送ると、そうだろう、と胸を張った。


「どうにもここは我にとってもやりやすく(・・・・・)てな。

 まぁ存分に頼ると良い」


「ははー!」


 ふざけて拝む姿勢に、ティナも追うようにははーっと頭を下げる。それを見てますます気分を良くしたアベスタが高笑いをした。


「ハッハッハッ!うむうむ。我があ───りがたみをお主ももう少し感じると良いぞ?」


 チラリと京の方を見る。フードの下で苦々しく顔を歪めながらも反論することなく、その場で腰を下ろした京はマサシの様子を静かに窺う。


 今のところバレた様子はない。まぁ彼らからすれば霧ケ峰 京は死んでる存在だ。再会なんて、これっぽっちも考えてはいないだろう。


 それで良い───


 心の奥底で暗い笑みを浮かべる。自分たちが殺した存在に復讐を果たされる。その時、彼らはどんな表情を浮かべるのか。


 そんな彼の考えをまるで知らないマサシはティナを心配させまいと、努めて明るく振る舞っていた。


「そういえば。なんかこういった行き止まりって、何かありそうじゃね?」


「ほう?」


 面白い予想だと、アベスタが興味を持ったように視線を巡らす。


「具体的には?」


「あー。ま、勘だけど。例えばここら辺にスイッチがあって、それを押すと隠し部屋があるとか」


「ふむ。どれ───」


 足元から影を広げる。床、壁、天井。

 音もなく広がる闇にマサシは好奇心と同時に僅かな恐怖を感じた。


「うーむ。魔術的な仕掛けはなさそうだな」


「そうか‥‥‥残念だなぁ」


 そう言いながらも、特に気にした様子はなかった。まぁそんなもんだよねぇ、と言いながら先ほどまで真っ黒に染められていた壁を撫でる。


「しっかし、これも凄い力だな。影を操るってのは分かったけど、こんなことも出来───」


 しばらく壁をなぞりながら歩いていたマサシの姿が不意に消える。

 息を呑む面々。真っ先に反応したグレイが警戒態勢を取り、壁を睨みつける。


「アベスタ」


「いや、ない。何もない」


 問われたアベスタが静かにそう返す。事実、それは特別妙なところはない壁であった。

 ジリ、ジリ、と距離を詰める中、おーいと気の抜けた声が響く。


 は?と皆が内心で首を傾げる。すると、音もなく壁から手が生えてきた。

 目を見開く面々。そんな彼らを招くように、手が振られる。


「来いよって!なんか部屋があるぞ!」


 罠か。アベスタとグレイが顔を見合わせる。

 その隙をついて駆け出すティナ。あっ、と思った時には既に遅く、ティナは招かれるまま壁へと吸い込まれていった。


「これは‥‥‥」


「幻術、みたいな?」


 ポツリ、と小さく呟く京。そんなのがあるのかと目を丸くするアベスタの横で、グレイは諦めたように息を吐いた。


「どうあれ、2人を失って文句を言われるのは得策じゃない。

 まずは俺が行くから、2人は後から来い」


「うむ、そうさせてもらおう」


 言うが否や、壁へと向かうグレイ。手を当ててみると、感触はまるで感じず、手はただ空を撫でただけのようだった。

 意を決して、壁の向こう側へ歩を進める。抵抗もなく壁をすり抜けた彼は、意外な光景を目にした。


「───ッ!?」


 部屋だ。変哲の無い───否、確かにその部屋自体にに変哲はない。

 壁の中ということを考慮しなければ、だが。


 壁の中とは思えない程、その部屋は清潔であった。白を基調とし、真四角な空間で切り取られている。設置されたものはなく、それはただの部屋と呼ぶに相応しいものであった。


 あっけに取られていたのも僅か。後方へ控えていた2人を呼ぶと、彼らも同様の反応を見せる。


「いや、スゲェ!スゲェ!

 マジで隠し部屋あるなんてビックリだぜ!」


 発見した当人は先程から意味不明な言葉を連発していた。どうやら喜んで興奮しているみたいだが、グレイには分からない。勇者どうしでは通じているのか、マサシの言葉に京の姿勢が僅かに揺らぐ。


「どういった部屋だと思う?」


「‥‥‥先の化け物から逃げるために作られた部屋、と考えるのは?」


「‥‥‥さて」


 魔術と言う技能がどこまで万能なのか、知る由もないグレイは曖昧な返事をする。

 いや、アベスタの言葉から魔術によるものではないのだろうが。


「それにしては綺麗すぎる気もするが‥‥‥」


 壁をなぞると、見た目に違わないツルリとした手触り。思わず目を瞠り、ほうと息を吐く。

 何時だったか。露店に並べられていた陶磁器すらここまでの感触ではなかった。


 ただの避難場所にここまでの技術を要するだろうか。疑問に対する解答を、彼は持ち合わせていなかった。


 一通り見て回り、何もないことを確認した一行は───とりわけマサシは───やや肩を落としつつ部屋の外へ出る。出た後も変化はなく、試しにもう一度入ってみても同じ部屋が広がっていた。


「気にしてもしかたない、か。折角の隠し部屋だし、何かあっても良さそうだけどなぁ」


「或いは取られた後やも知れんぞ?あれだけの部屋だ。何もないと考えるには、いささか不自然であろう」


「だよなぁ。残念だ」


 アベスタとマサシは軽口を交わし合いつつ、先頭を行く。その背後を京が、殿をグレイが務める形で進む。


 数度の戦闘があり、しばらく進んだ先のことだった。


 戦闘に立つアベスタが止まれと背後に合図を出す。迷うことなく3人が構え、ティナはマサシの背後に隠れるように立つ。最早洗練されたと言っても過言ではない動きは、これまでの戦闘の経験から得たものであった。


「息遣い‥‥‥あぁ」


 静かに目を瞑りながら様子を探っていたアベスタが、納得の声をあげる。

 くるりと振り返った彼女は笑いながら、


「いたぞ。アイーシャたちだ」







 ──────────







「いやぁ。やられたやられた」


 久しぶり───とはいっても数刻前だが───に会うアイーシャの姿は酷いものであった。

 ボロボロの衣服から所々のぞき見える痛々しい傷の痕。乱雑に束ねられた紅の髪にいつもの艶はなく、どこかくすんだ色をしていた。

 右腕はだらんと力なく垂れており、残る片手は青い顔をしたサーマを背負うのに使われていた。


 壮絶な戦闘を思い起こさせ、顔をこわばらせる面々の前で、しかし彼女は快活に笑う。


「強いもんだ。

 取りあえずは痛み分けって感じだ。あの馬鹿みたいに硬い角?何本かへし折ってやったぜ」


 不滅さまさまだと笑う彼女を見て、更に口の端を引き攣らせるのは京だった。


(不滅っていっても壊れないだけだ。あのクソ硬そうなモンに硬ぇもんぶつけるってことは、それだけ衝撃が手にくるってことだろ。どんな握力してやがる───ッ!?)


 釘を打つ際に手をしびれさせた経験がある京は、改めてアイーシャの化け物ぶりを思い知る。魔力の強化があるとはいえ、果たして可能なのだろうか。


 ごめんだね、と乾いた笑みを浮かべた。


「サーマさんは大丈夫なのか?」


「あぁ、ただの魔力切れだ。

 ちょいと無茶をしたっぽくてな」


 背中にいるサーマを軽く揺する。うぅんと呻きながら更に強くアイーシャを掴む彼女を黒い目で見つめる者がいることはさておき、しかしまぁ、とアイーシャは口を開いた。


「なんだかんだ全員いるのか。やるじゃねぇか」


「ふふん。我のお蔭だな!」


 否定は出来ないところが辛いところである。苦笑いを浮かべるマサシを見て、何となく道中の様子を察したのか。一瞬だけ京へと視線を向け、


「んじゃあ、これからの動きだ」


 その言葉に一同は気を引き締める。彼女は2本の指を立てた。


「無理強いはしねぇ。逃げるか戦うかだ。

 好きな方を選びな」


「‥‥‥アイーシャさんは?」


 聞いてはみたものの、結果は分かり切っていた。獰猛な笑みを浮かべた彼女は当然、と前置きし、


「とことんやり合う。分かったことはいくつかあるが、まず勝てない相手じゃない。

 いつかのあの化け物とは違うってのだけは伝えておく」


 あの化け物とは、凍土で出会った獣のことだろう。察したグレイは静かに頷く。

 京とマサシはその存在は知らないこそすれ、確信を持った発言だというのは理解したようだ。頷きつつ、これからの動向をどうするかを考える。


「来るならある程度は守ってやる。とはいえ最終的にはテメェらの管轄だ。特に───」


 言葉を切り、視線をティナの方へ向ける。言わんとしていることを理解したマサシは小さく息を呑んだ。

 傍にいるティナを抱き寄せる手に力が籠る。安全を考えれば、このまま帰った方が良いのは確か。


 しかし、


「行くよ。強くなりたいって決めたんだ。

 俺は、彼女を守れるぐらいに、強くなる」


 己の目的を改めて口にし、奮い立たせる。

 健気だねぇ、と声にならない言葉を口の中で転がし、それで、と視線を別の方へ向けた。


「あー‥‥‥お前らはどうする?」


「ふむ」


 背後に立つ主の意志を探る。酷く単純な解答に、アベスタは薄く笑った。


「折角だ。同行することにしよう。

 何、死にそうになったら一目散に逃げるさ」


 あっけからんと言ってのけるアベスタにアイーシャはからからと面白そうに笑った。


「それでいい。

 じゃあ、行くか」


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