第四十一話
キチキチと音を立てながら羽ばたく3匹の魔物。
ヒトツメコウモリと呼ばれる彼らは、目の前に佇む1人の男を訝し気に凝視していた。
男は先程から微動だにせず、そこにいた。腰につるしてある剣の柄に手を当てたまま、片足を後ろに下げ、顔を上げる。まるでそのまま駆け出すかのような構えだった。
動きを見せない様子の男に痺れを切らしたヒトツメコウモリがより高い鳴き声をあげ、飛び掛かる。
男の目前まで迫ったそのときだった。
男の手が霞む。
「───ッ!」
悲鳴を上げる間もなく先頭にいたヒトツメコウモリが両断される。
一瞬にして命を刈り取られた仲間。突然の惨状に、残る2体の動きが止まる。
それを逃すほど男は甘くなかった。裂帛の気合をあげ残る2体を屠った男は、そこで腰を下ろし長い息を吐く。
そんな男に駆け寄る小さな影。
「マサシ!」
とてとて、と今にも転びそうな足取りで彼に駆け寄ると、懐から手拭いを取り出しマサシの額に当てる。
拙くも優しさを感じる手際にマサシは顔をほころばせ、
「ありがとう、ティナ」
ティナの頭を軽く撫でる。
嬉しそうな表情を浮かべる彼女を見て、再度軽く微笑んだ彼は、さて、と言ってやや表情を硬くすると後方を振り返る。
「どうだった?」
そこには興味深そうに顎に手を当て、観察するようにこちらに視線を向けるアイーシャの姿があった。
──────────
【装填《チャージ》】【解放《リリース》】
それが『勇者』として棚町 将司に与えられた『スキル』であった。
「面白いな。俺の知る強化とも違ったものだ。
魔術、とは違うんだろ?」
アイーシャの疑問に対しマサシは肯定するように頷く。
「魔術みたいな難しい技術はいらないからな」
ただ願うだけ。
それだけでああも簡単に力を引き出せるとは。どうもこの『勇者』と言うのは‥‥‥そこで思考を止めたアイーシャは軽く鼻を鳴らす。
「で、何だっけか。剣を鞘に入れた時が【装填】で、抜いた時に自動で【解放】が発動すると」
「そうだ。それで、【装填】された時間に応じて【解放】時のステータスが変動する」
「すてーたす、ねぇ‥‥‥」
その言葉にはピンとくるものはないが。言ってみれば能力値のことだろう。
剣を抜くだけで強化される。便利なものだと彼女は息を吐いた。
「つっても上限があるみたいだが」
マサシは顔を僅かにしかめながら、頷いた。
「俺にこの力の使い方を教えてくれた人は、下手をすれば星を割ることだって出来るって言ってたから、多分魔力量に関係するんだと思う。‥‥‥実際アイツは俺より上手く使えてたし」
「魔力量が増えれば上限も上がると?」
「確証はないけどな」
ふーむ、と考え込むように額に手を当てる。
魔力量の増やし方を、残念ながらアイーシャは知らない。というより、この世界においてその方法は確立されていなかった。
幼少期から魔術を枯渇する直前まで使えば増えるという眉唾な話はあるが、本当だとしても今から実践するにはいかんせん時間が足りない。
猶予は1週間───すなわち10日。
多少の前後はあれど、そこらが限界だろうというのがアイーシャの見解であった。
ならばやることは1つ。
「すきるの使い方は理解した。だったら話は単純だ」
そう言って棒を構えるアイーシャ。薄暗い迷宮の中で、風が唸る音が響く。
「テメェに足りないのは戦い方だ。腕の振り、足の運び、軸の使い方、目線。
生憎と丁寧に口で語れるほど達者じゃないからよ」
実践練習だ、といやらしく笑う彼女を見て喉を鳴らしつつ、それでもマサシは剣を鞘に納め、構える。
それが自分で選択した結果であり、背に立つ彼女を守るためならば尚更。
その様子を見て、アイーシャは僅かに感心する。
(ちょっとはマシになったか)
「いくぞ」
その言葉を合図に駆け出す。
滑るように迫るアイーシャに対しマサシは──────────
◇◆◇
時は昼食時をやや過ぎたあたり。場所は帝都の大衆浴場。
テルマエと名付けられたそこは時間も相まってか人気は少なく、汗を流し、かつゆっくりとするにはうってつけの場所であった。
「それはまた面白いスキルですね。やろうと思えば無限に強くなれる力というわけですか」
顔を赤らめ大きく息を吐いたミルシィがうんと伸びをする。
やや反響した声になっているのは場所が場所だからだろう。下ろした腕がチャポンと音を鳴らし、僅かな波を立てる。
「それで、これからどうされるおつもりですか?」
「暫くは連れ歩くつもりだ。すきるへの理解も深めたいし‥‥‥何よりあっちに任せるわけにはいかんしな」
「んぁーー。まぁ、それはそうですね」
「彼も穴掘りに参加させるの?」
顔だけを上に出し、器用にアイーシャの方へ寄ってきたサーマがそう問いかける。
そうだな、と思案するように顔を上に向けたアイーシャは、
「折角だしやらせるか。授業料だと考えれば安いだろう」
「う~ん。安いかどうかはさておきますが、私は賛成ですね。
わざわざ彼のために時間を使うのも───いえ、別に穴掘りが有意義な時間とは到底思えませんが」
そうです!、といきり立つミルシィ。
腰に手を当て、ビシリとアイーシャに指を突き付けると、
「そろそろ説明してくださっても良いのでは?」
何を、とは聞かない。サーマもまた薄々勘づいていたのだろう。ミルシィの疑問に被せることなく、じっとアイーシャの返答を待つ。
彼女は小さく息を吐き、そうだなと答えた。
「迷宮にこだわる理由だろ‥‥‥定かじゃないからあまり話したくはなかったがな。まぁ仕方がないか」
1つ、彼女が指を立てる。
「俺が言う事は他言しないことを約束しろ」
2人はやや顔を見合わせ、頷く。アイーシャもまた小さく頷き、周囲を軽く一瞥すると、
「じゃあ出るか。腹も減ったし、何か食いながら話すか」
「了解です!」
「‥‥‥」
異論も無く、アイーシャと共に浴場を出る。
外に出ると涼し気な風が吹き、綺麗に乾いた髪を揺らす。髪が痛みますよ、と無駄な魔術を発揮したミルシィを思い出しつつ、早々と向かったのはここに来る途中で気になった店だった。
少し時間を外したからか、まばらに空けられた席が見える。その内の3人で座れる席を見つけたアイーシャは早速とばかりに座り、席に置かれてある注文票を開く。
「海鮮系ですか。良いですね」
内陸部にあるこの街では海鮮系の食材の入手は難しく、そのため他の食事と比べれば幾分か高価になる。
とはいえ彼女たちには依頼による報酬がある。この程度であれば余裕で払える額であった。
「それで」
各々が注文を終え、食事が届くのを待つ間。
先に口を開いたのはミルシィだった。
「あの迷宮に何か気になることでも?」
「ん~、そうだな」
どこから説明するべきか。事の経緯を思い出しつつ、アイーシャはポツリポツリと語りだす。
「最初に立てた仮説。壁には何かしら希少な鉱物があるんじゃないかってのは、事実、そうだと思っていた」
『奈落』という特殊な環境。そこであれば、という期待はかなりあった。
「だが何度掘っても出てくるのは土くればかり。あってもほんの少し魔力を帯びた程度のものだ」
とはいえそれで何もないと断定するには、些か根拠が弱い。そう感じたアイーシャは特に気にすることなく試していった。
そんな中だった。
「掘っていくうちにあるものを見つけてな」
出てきたのは金属片。それもただの金属片ではなく、明らかに加工されたもの。
あ、そういえば‥‥‥」
サーマもまた覚えがあったのか。思わずといった風に声を漏らし、恥ずかしそうに頬を掻く。
「あまり、気にならなかった」
「だろうな。実際俺も探掘者の武器が欠けたものだろうと思った。
だが、続けるうちにこれと似たようなものがいくつか出てきた」
だが、それだけだ。探掘者は日々迷宮内で戦いを繰り広げてる。珍しいものではない。
だが、そのほとんどが掘っていく途中。つまりは壁の中で見つけられたものだった。
「確証に近いものに至ったのは3日目だった」
壁にピッケルを当てたときの感触が明らかに変わる。それまでの硬質なものではなく柔らかく、まるで掘った後埋められたような。
「とまぁ、だが言ってしまえばそんだけだ。
何かある。それが面白いものかつまらないものかはさておきな」
「ほへぇ~。迷宮の、それも壁の中に何者かがいた痕跡があったと」
ズズッと、ミルシィは自身が注文した麺をすすりながら呆けた声を漏らす。ペジョンヌレと呼ばれるその料理はふんだんに海産物が盛られているものであり、この国独自の麺である『パスタ』が使われているものであった。
美味しいですねぇ、と呟くミルシィの横で同じものを頼んでいたアイーシャもまた麺をすする。魚の旨味というべきか、生臭くはなく、ほどよく香辛料で整えられたそれはアイーシャの食欲をそそるものであった。
「んぐんぐ‥‥‥けど、違うかもしれませんよ?例えば壁の中に生息する魔物の可能性もあるわけですし?
それを討とうとして、失敗した探掘者の武器の破片かも」
「そうだな。だからあくまでも予想だ」
だからこそ、とフォークをくるくると皿の中で回しながら彼女は言う。
「確かめたくなったってだけだ。そもそも最初の仮説も、俺はまだ信じているしな」
「成程」
因みにサーマが頼んだのはチョムナと呼ばれる魚のあら汁であり、こちらもまたふんだんに海産物が盛られているものであった。
「じゃあ穴掘りは継続するってこと?」
「あぁ、勿論抜ける抜けないは自由だ」
1部を除いてだが、と目を細めながら呟くアイーシャ。ミルシィはヒィと短く悲鳴を漏らした。
「分かった。私もいくつかやりたいことがあるから、暇なときに参加する」
「そうしろそうしろ」
サーマの目的はエリクシール作り。それを邪魔する気は毛頭なかった。
ところで、とミルシィが話題を変える。
「彼はどうするつもりですか?」
「彼?」
「えぇ、キョウのことです」
「あぁ、アイツか。
しかし、どうするとは?」
疑問の意図が分からないアイーシャはそう返す。ええっとですね、と前置きしたミルシィは、
「ほら、キョウとマサシは、仲が最悪と言いますか。マサシは相手がキョウだということを知りませんが、キョウは認識しているわけですよね?
こうしてアイーシャさんがマサシに力を貸すのは、彼にとって喜ばしい展開ではないのではないかと」
そんなミルシィの言葉に、アイーシャは鼻を鳴らす。
「馬鹿言え。なんで俺が奴のために気を遣わなきゃいけないんだ。なるべく顔を合わせないようにってのは同感だが、俺は依頼された任務をこなすだけだ。
それに───キョウはアイツに任せてある。何とかなるだろ」
そういうもんですかねぇ、とぼやくミルシィに対し、いずれにせよ、とアイーシャは口を開く。
「こっからどうなるか、どうするかはアイツら自身の選択次第だ。
俺はほんの少し手助けするだけだよ」
「意外ですね。そこまで肩入れするとは」
「肩入れじゃない。対価があって、それに応じた働きをしているだけだ」
ふーん、と興味があるのかないのか分からない声を漏らしたミルシィはそうだ、と思い出すように口を開いた。
「ところで次の依頼ですが」
「‥‥‥あぁ」
そう言われてアイーシャもまた思い出す。与えられた次の依頼。面倒なものではなく報酬も十分なものであったが、その背景が少しややこしいものであった。
それはティナを奪還した後のことであった。
◇◆◇
「あぁ。しかし疲れた‥‥‥」
本当に疲れた様子を見せるアイーシャに、ミルシィは驚いたように声を漏らした。
「アイーシャさんが、ですか?」
彼女がここまで疲れた姿を見せるのはかなり珍しい。直近で言えば絶界から帰還してすぐの頃だろうか。組合に届く依頼等で疲れたことは一度もなかった。
「あぁ、そうだ。
いやはや。しかしまぁ、いるじゃねぇか。強いやつがよ」
この世界の戦闘能力に関して、そこまで詳しく知るわけではない。
しかしこれまでの経験と彼の物差しからある程度測り、対人においてはそこまで苦労しないと考えていたが、
(考え直すべきだな)
噂に聞く七聖や鐵だけじゃない。他にもまだ知らぬ強敵は多いだろう。
流石にアイツらほどではないだろう、とは思うが。
「というわけでちょっと休む。着いたら起こしてくれ」
横になったアイーシャはそう言うとすぐさま目を閉じる。
そこそこの広さがある馬車だが、これだけの人数がいれば手狭になるというもの。そんな中で横になったアイーシャを、しかし誰も咎めることは出来ず、2人の男は狭そうに膝を抱えた。
「‥‥‥」
とりわけ会話はない。ミルシィはアイーシャの頭を膝に置きながら寝顔を観察し、マサシもまた何かを考え込むようにティナの方をじっと見つめた形で固まっていた。
そんな中、ふと外の様子がいつもと違うことに気付いたグレイが、おい、と御者台に座るグレッグへ声をかける。
「組合へ向かう道じゃねぇ。どこに向かってる?」
「ん?聞いてなかったか?
実は会わせたい人がいてな」
そう言えば、と言われて思い出す。
先日の会話で、逃走経路を確保するためにコイツが出した交換条件だ。
「そいつの所に向かって行ってるということか?」
「そういうことだ」
「‥‥‥」
チラリと外へ目を向ける。先ほどまでの煌びやかとした世界から一転、そこは落ち着いた雰囲気をもつ高級住宅が並ぶ世界。
視線を下に落とし自身の姿を見ると、真新しいスーツではあるもののすでに煤けている。
アイーシャのはもっと酷い。汚れているどころか、所々破けている箇所もあった。
グレイの何か言いたさげな雰囲気を察したのか、グレッグは前を向きながらヒラヒラと手を振ってみせる。
「気にする必要はねぇよ。先方には伝えてあるし、そもそも向こうさんも気にしちゃいないようだったぜ」
しかしよぉ、と顔をグレイに向けたグレッグはいやらしく笑ってみせた。
「テメェみたいなやつが礼儀を気にするとはなぁ。『黒鬼』」
「‥‥‥必要だと感じただけだ」
忌々しそうに顔を歪めたグレイは、そのまま静かに腕を組み、目を閉じる。
悪かったよ、とカラカラ笑うグレッグの声を最後に、彼の意識もストンと落ちたのであった。
──────────
「着いたようですよ」
「ん‥‥‥おぉ」
肩を揺すられ目を開ける。こちらを覗き込むミルシィをどかし、うんと伸びをした。
「ッはぁ。思っていたより遠かったな」
「そりゃあこっちは帝国の北側だからなぁ。
真反対って言ってもいいぐらいよ」
馬車の扉を開けたグレッグがそう告げる。
正面には大きな門があり、奥にはこれまた大きな屋敷が‥‥‥
「いや、見えないな」
門だけか?そんな疑問を持ちそうになるが、よくよく見れば奥の方に見える影。
冗談みたいな距離だな、と内心乾いた笑いが起きた。
「っと、こっちだぜ」
先導するように先へ進むグレッグの背をアイーシャとミルシィが追う。他の者は待機であった。
門の横に取り付けられた物(タルクだろうか?)に何かを告げるグレッグ。しばらくし、重い音を立てながら門が両側に引きずられるように開かれた。
特に気負うことなく門の先へ向かうグレッグを更に追う。このまま直進すると思いきや、彼は門をくぐるとすぐさま右へ曲がった。
何処へ向かうのか。その疑問はすぐさま解決する。見えてきたのは小さな小屋だった。
「入るぜ」
軽く扉を叩いたグレッグがそう言うが否や、小屋へ入っていく。
中に入ったグレッグが手招きをし、2人もまた小屋へと入る。中は外から見た時よりも広く感じる造りがされていた。
「はじめまして」
不意に声がし、そちらの方へ顔を向ける。
そこにいたのは1人の男だった。黒を基調としたスーツと呼ばれる服。グレイが着ていたものよりも、どこかスッキリとした印象を与える服を着こなしている男はアイーシャに対し、その銀髪の頭を深々と下げた。
「お話はかねがね。お会いしとうございました」
そんな彼を見たアイーシャはついとグレッグに視線を送る。それに気づいたグレッグは大きく頷いて見せた。
「そう、この人が前から言っていた俺の紹介したい人で───」
「名をロウバン・イェラ。ライタック様の〈黒〉を勤めさせていただいております」
彼の言葉を引き継ぐようにそう名乗ってみせたロウバンは視線をあげ、アイーシャをまっすぐに見つめる。
値踏みだろうか。奇妙な視線だと薄く笑ったアイーシャは、僅かに胸を張り、
「『冒険者』アイーシャだ」
そう言って手を差し出す。
差し出された手を前に、ロウバンは僅かに逡巡を見せ、しかし臆することなく手を握り返す。
思いのほか厚みのある手のひらに、アイーシャは小さく眉を上げた。
「遠回りなお話はお好きじゃないと見える。早速お話に移りましょうか」
良く分かってるじゃないか、と笑ったアイーシャは手近にあった椅子へ腰かける。
ミルシィもまたアイーシャの傍の椅子に腰かけ、グレッグは、
「んじゃあ俺はこれでお暇するわ。馬車で待ってるから、終わったら来な」
それだけを告げ、さっさと小屋の外へ出ていく。その背を見送りながら席についたロウバンは、さて、と口を開いた。
「いくつかお話はございますが、まずはこちらから」
そう言って足元に置かれてあった鞄を机の上に置く。ズン、と見た目とは裏腹な重厚さを感じさせる音が響いた。
「依頼の報酬になります」
鞄を一瞥したアイーシャはミルシィに向けて顎をしゃくる。
「はい。では、こちらも。
『天使の涙』になります」
簡素な布で包まれた宝石は、しがし輝きを失うことなくそこにあった。
ロウバンは拝見させて頂きます、と言って丁寧な手つきで宝石を持ち上げる。
ジッと見つめ、手の中で数度向きを変え、頷く。
「紛れもなく、本物でございます」
お見事です、と穏やかに笑ってみせる。
「これは個人的な意見になりますが。失礼ながら、私は貴女方───正確には自由人を信用はしてはいませんでしたが‥‥‥とんだ思い違いだったようです」
深くお詫び申し上げます、と頭を下げるロウバンに対し、気にするなとアイーシャは手を振る。
「それが普通だ。人は、成果を見てそいつを評価し、信用する。
それに、俺も報酬が目当てなわけだしな」
鞄を引き寄せ、中身を確認する。
いくつもの金貨が束にまとめられているのは、依頼人の気遣いだろう。有難いと感じつつ、取り出した金貨の束を並べていく。
「大金貨が100枚。千万ギルってところか。しかしまぁ」
呆れたというべきか。正直これだけの金貨を、たかが一庶民の、それも外れ職業である自由人に渡す額ではない。
それだけの価値がある宝石だったのかはアイーシャの知らぬところではあるが、
「随分と太っ腹なお方だな」
「えぇ。ライタック様はこういったことに出し惜しむことはありませんので」
それに、と彼は続ける。
「これだけの大金を惜しげもなく出す。これは貴女方にとって見える成果でしょう?
貴女方からすれば我が主───ライタック様は信用に当たる依頼人となり、これからの依頼に対しても信用が出てくる」
先行投資の一種ですな、と片目をつぶる。そんなロウバンとは対照的に、アイーシャは苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。
「こっからもよろしくってか」
「ライタック様は貴女方を高く評価しております。それはあの方───グレッグ様からのお話からもあるでしょうが」
その言葉に、アイーシャは納得がいったと頷く。
「ある程度こちらの情報を知っていたってわけか。
というか、あいつは───なんというか、凄い商人なのか」
「うーん語彙力ピギッ」
余計なことを口走るミルシィを黙らせ、どうだ?と首を傾げる。
そんなやりとりに薄く微笑んだロウバンは、そうですね、と口を開いた。
「凄い───えぇ、そうですね。優秀な方です。
我が主もお気に入りの商人であると、聞き及んでおります」
さて、と話を切り替えるようにロウバンは居住まいを正す。
「先行投資、と先程述べましたが。
実は貴女方にお願いしたいことがございます」
「お願い‥‥‥」
えぇ、と小さく頷き、
「どうでしょう?ライタック様専属の自由人───失礼、『冒険者』になっていただくというのは?」
その問いにアイーシャは眉を軽く上げる。
「専属、ってのは?」
「簡単です。ライタック様が出される依頼を最優先に受けていただくと、それだけでございます」
薄く微笑み、細められた眼の奥に潜む彼の真意をはかることは出来ない。
深く息を吐いたアイーシャはこめかみにあたる部分を軽く指でつつく。
「色々と言いたいことはあるが、大前提で何故俺達なんだ?」
この国では自由人という職業はまったくといって良いほど人気がない。それどころか認識すらされているか怪しい。
依頼という意味では探掘者の方が向いている上、言ってしまえば自前の兵士にやらせればいい。
先の一件で信頼は得たのだろう。しかし、それでもわざわざ他所からやってきた自由人を使うだろうか。
疑問を口にしたアイーシャの目前に唐突に影がかかる。
ロウバンだ。身を乗り出した格好でアイーシャに顔を近づけ、すんでのところでミルシィに抑えられていた。
「『絶界』です」
簡潔な答えだった。身を乗り出した格好のまま、彼は続けた。
「貴女方が絶界に挑み、乗り越えたという話は聞いております」
情報源は奴か、とアイーシャは露骨に舌打ちをした。
「『絶界』を越えることが出来る力量があったから、か?」
「左様です」
そこでようやく元の居住まいに戻った彼は目を閉じ、胸に手を当てると穏やかな表情を浮かべた。
「お聞きしたときはそれはもう。胸が奥底から揺さぶられた、そんな気持ちでございました。
人類不可侵と呼ばれる領域。そのような場所から生還される方がいようとは!」
徐々に強くなっていく語気に気圧されるようにアイーシャが僅かに身を引く。
一息で言い切ったロウバンは、そこでようやく我に返り、ともかくと軽く咳ばらいをすると、
「実力は十二分に信用にあたるとの判断です。
どうでしょう?専属となっていただければ定期的に依頼をお出しいたします。当然、報酬もより高くお渡しすることが出来ますよ」
返答にしばらく時間がかかると考えたのだろう。
お外に案内いたしますと告げ、席から立ち───
いいや、とアイーシャの言葉に止められる。
「返答なんざとうに決まってる。俺が聞いたのは、単純に気になっただけだ」
「では───」
「あぁ。答えは否だ。
生憎だが断らさせてもらう」
即決で断られるとは思っていなかったのか。ついぞ崩れることのなかった紳士然とした表情が固まる。
「こと、わると?」
「そうだ」
聞き返すも、アイーシャの答えは変わらない。挑発的な笑みを浮かべるアイーシャに対し、俯き表情を隠したロウバンが問いかける。
「参考までに、理由をお尋ねしても?」
「あ?そんなもん決まってるだろ?」
愚問だと、呆れたように鼻を鳴らした彼女の答えはやはり簡潔であった。
「自由人だからだ」
ロウバンの目が見開かれる。軽いあくびと共にアイーシャは続けた。
「そもそもいつまでもこの国にいるわけじゃないしな。こっから先もこき使われるのはごめんだ」
「‥‥‥そう、でしたか」
小さな声が口の端からこぼれる。
ならば、と彼は顔を上げ、
「貴女方がこの国に滞在する間だけ、というのはいかがでしょうか?」
「うん?」
ピンとこなかったのか。アイーシャが首を傾げる。
「この国に───いえ、この街にいる間のみ専属になっていただく。街から出れば貴女方に関与することは一切ございません。あったとしても、そのときは一介の依頼人として扱いください。
依頼も、無理そうであれば断っていただいて結構です」
見事なドア・イン・ザ・フェイスですねぇ、と小さく呟くミルシィ。
アイーシャもまたその言葉を知るわけではないが怪しさは感じる。しかし、こちらに対する不利益が無いのも事実。
腹の探り合いは苦手だ、と内心でぼやいた彼女はため息を吐くと、
「それなら良いが‥‥‥勝手に内容を変えても良いものなのか?」
「えぇ。この話し合いにおいて、私はライタック様から全権をいただいているので」
それが〈黒〉であると、どこか誇らしげなロウバンにアイーシャは肩をすくめた。
「さて、細かい取り決めはまた後程決めるといたしましょう───あぁ早速なのですが」
そう言って取り出された書類を見て彼女が浮かべた表情は───言うまでもないだろう。
◇◆◇
「『奈落』の20階層の探索、か。奇妙な依頼だったな」
「曰く未踏破の部分を明らかにしてほしいだとか。20階層には厄介な魔物がいて、行けたとしても皆さっさと下へ向かってしまうそうですから」
眉間を揉んだアイーシャは大きく息を吐く。
内容に興味が惹かれたのか。モグモグと勢いよく動かしていたサーマが口を止め、ミルシィに問いかけた。
「厄介な魔物って?」
「オックロックと呼ばれる全身が分厚いで骨のようなもの覆われた亀の魔物のことです。冗談みたいに硬いくせに俊敏な部類だそうで、一部ではその魔物のことを階層主とも」
「主‥‥‥一体しかいないの?」
「さて、そこまでは。分かっていることはかなり強敵で適当な面子ではその硬さと速さで磨り潰されると。
そんな相手がのさばっているため、20階層だけはどうにも上手く探索が進まないようなんですよねぇ」
ならば国が動くのかと思いきや、国の返答は沈黙であった。魔石の採集は19階層までにし、国主導での探索はそれ以上行うことはなかった。
「随分慎重ですよねぇ。まぁわざわざ挑むほどの益があるか分からないからと言われればそうですが」
「で、今回はそんな相手を押し付けられたと」
あら汁を飲み干したサーマが満足げに息を吐く。
対しアイーシャは苦々しく口の端を歪めた。
「断っても良いってのは確かだが‥‥‥野郎、俺の性格をよく分かってる」
「つまり───受けたと?」
ぐっと声をつまらせたアイーシャは苦々し気な表情のまま頷く。
ふんふん、と何度か頷いたサーマはそれなら、と口を開いた。
「私も手伝う。面白そうだし、何かあるかもしれない」
「おぉ~。ではサーマさんも参戦、と。
残りはどうします?」
他に誰か連れていくか。
問われたアイーシャはマサシが持つ能力を思い出しながら、少し考える。
彼の力の底が知りたいのは事実。それはキョウがどうとか勇者がどうとかではなく、単純に興味が湧いたからであった。
問題はティナの方だ。
マサシを連れていけば強制的にティナもついてくる。というかマサシが連れてくる。引き離すのは難しいし、無理に引き離すのは得策ではない。
相手が未知のため、ティナを抱えてどこまで戦えるかは不明だが、
「何はともあれ、まずは一当て、か。
よし」
ゴトン、と食べきった皿を横においたアイーシャが手を打つ。なおすでにその皿が3皿目であることを、ミルシィは努めて無視することにした。
「マサシとキョウも連れていく。そろそろ奴も慣れておく頃合いだろう」
ニヤリと口の端を歪めてみせるアイーシャに、ミルシィはやれやれと首を横に振る。
良いの?と視線で問いかけるサーマに対し、アイーシャは軽く笑うと、
「手を出せば俺がキョウを殺す。出さなくてもバレればマサシが黙っとかないだろう。
そんな状況下でアイツは耐えきれるのか。見物だろ?」
「う~ん、鬼畜ですねぇ」
「同感」
くつくつと嫌らしく笑うアイーシャを見て2人は肩をすくめる。
偶然か否か、突如寒気がした京であるがそれはさておき、
「探索は明後日だ。十分休んでおけ」
【修正】
・五話で『魔術』を『魔力』に書き換えました
・その他誤字の修正




