第三十九話
通路は広く、肩幅4人ほどといったところだろうか。
誰かを連れ歩いてすれ違うには十分ということだ。
道順はそう複雑ではない。指示された道や階段を素直に進んでいき、数ミニトほどで行き止まりに辿り着く。
「‥‥‥」
壁にそっと手を当て、軽く押す。しっかりとした作りであり、そうそう破ることは出来ないだろう。
ついで軽く床を足で叩く。コツコツと小気味の良い音が響いた。
「このままでも良いが‥‥‥」
ふむ、と軽く顎をさすったアイーシャは1つ頷くと、軽い音を立て跳躍する。そのまま壁に足をかけ、更に跳躍し、
「───ッ!」
パキリ、と小さな音が鳴り、アイーシャの指が天井へ食い込む。ここにミルシィがいたら呆れた顔でを向けるだろう。
片手でぶら下がるような形となったアイーシャはそのまま身体を持ち上げ、天井に耳を当て、次いで軽く叩く。
そして、
「フッ───」
貫手を数度放ち、一度着地する。
上を見上げる。拳大の穴がいくつかある天井がそこにあった。
「無駄にはなりそうだが。まぁ良いか‥‥‥」
小さくそう呟くと、今度は壁を探り出す。
ここら辺だったか、と探していると、僅かなふくらみに気付く。
それは目視では決して気付くことが出来ない膨らみ。そこに手を当てると軽く押し、横へずらす。
現れたのは小さな鍵穴だった。
「無駄に厳重だな‥‥‥」
はぁ、とため息を吐いたアイーシャはアベスタから渡された《影》を鍵穴に当てる。するとすぐさま《影》は形を変え、鍵穴の奥へと入ってく。
カチリと音が鳴り、天井の一部が通路へと落ちてきた。
「っと」
それが音を立てるよりも早く、アイーシャが下で支える。
そっと床へ下ろしながら、彼女は呆れつつも面白い仕掛けだと内心で感心した。
坂道となった天井を登り、上へ。階層的には4階に当たる部分だ。客には見せないであろう通路が目の前に広がっていた。
そこから更に進んでいき、やがて1つの部屋に辿り着く。
とりわけ豪奢というほどではない扉。そこに手を当て、彼女は短く息を吐く。
やがて何かに納得がいったのか、小さく頷くと、再び鍵穴へ《影》をあてがう。
(しかし、便利───いやその言葉で片付けるにはあまりにも‥‥‥)
あらゆる形へ変えることが出来、状況によって質量や十分な硬度を持たせることが出来るもの。これを使えばあらゆる場所に侵入することが出来るだろう。
アベスタ曰く、魔術的な要素が絡んだ鍵は無理だが、ほとんどの扉の開錠は可能という言葉からもその万能さが窺えた。
やがてカチリ、と音が響く。ゆっくりと取っ手を回し、中へ入る。
やはりそこには豪奢さはなく、いくつかの棚と書類に埋もれた机があるだけだった。
ぐるりと一通り内装を見渡したアイーシャは、ある棚へ近づく。棚にはいくつかの小さな引き出しがあり、中段のやや下に位置するものを引く。
中には何もない。しかしよくよく見れば引き出しの底にはうっすらと線が引かれてある。その線に沿うように指を当て、底の端を軽く押す。
すると、軽い音を立てて底が外れて斜めになる。
丁寧に底を外すと、そこには今回の目的であった『天使の涙』と呼ばれる宝石があった。
(これが偽物だったら笑いものだが)
アイーシャに宝石に対する知識はないため、真偽を判別することは出来ない。まぁそれならそれで、と小さく肩を竦めながら宝石を持ってきた小袋へ入れる。
その時だった。
廊下から靴が床を叩く音。数は2。
「はぁ‥‥‥裏方とは、ついてないぜ」
「まぁそう言うなって。この後で少し楽しめるみたいだし。表で突っ立ってるよりかは旨みがあるかもしれんぞ?」
「そうは言ってもなぁ」
何気ない会話が耳に入ってくる。
音の主はこの部屋の前に止まり、
「なっ!?」
2人の男だった。どちらも広間では見かけず、恐らく裏で待機していた者だろう。
そう、こういった不測の事態に備えて配置されていた人員。
男たちの目線が棚へ、そして目の前にいる女へと移る。
赤々としたドレスは目を惹き付けるには十分で、
アイーシャが動くにも十分な時間だった。
アイーシャが跳躍する。男たちが再起動するよりも早く先頭の男に辿り着いたアイーシャは、その勢いのまま男の首に足をかけ、
「ゲェッ───」
身体ごと足を捻る。ゴキンと鈍い音が響き、男の首があらぬ方向へ曲がる。
「1」
「テメ───ッ!?」
首が折られた男の身体を引き倒す。そこでようやくもう1人の男が我を取り戻し、アイーシャに向けて拳を突き出す。
その反応は見事なものだろう。完全な不意をつかれたのにも関わらず、拳には十分な速度が乗っていた。
なるほど、と内心で頷いたアイーシャは拳を僅かな挙動でかわし、男の懐へ潜り込むと蹴りを繰り出す。
「───ッ!?」
咄嗟に男は腕を下げ、守りの体勢に入る。
それでも間に合わない、と直感で感じた男は衝撃に耐えるために腹筋に力を籠める。
しかし予想した衝撃はやってこない。その事実に男は混乱する。
蹴りは無かった。それはアイーシャの僅かな挙動から見えた、否、見させられた幻覚。
気付けばアイーシャの手が目前まで迫り、
「良い悲鳴をあげろよ」
ズブリ
親指から伝わる柔らかく、気味が悪い感触。男の左目に突き刺さった親指を、彼女は引き抜くことはなく、勢いよく横へ引く。
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!」
「2」
眼窩縁どころか、こめかみすら引き千切られた男は痛みのあまり絶叫をあげる。
男が目元を抑え、のたうち回る。その男の首を踏み砕くと、アイーシャは廊下へ駆け出す。
やや遅れて下から怒号が響き、ドカドカと複数人の足音が聞こえてくる。さて、と軽く首を鳴らしたアイーシャは薄く笑い、
「十分そうだな」
待つ間もなく、男たちがアイーシャの元へたどり着く。開け放たれた扉の向こう。地に濡れた彼女の顔と手元で状況を察した彼らは、問いかけることもなく各々が武器を構える。
屋内で戦うことを想定されたためか、それぞれの武器は小さい。しかし殺傷力は十分にあるだろう。
(やはり戦い慣れているな。あの時とは違うか)
先の男にも感じたが、戦闘に入るまでの時間がかなり短い。態勢だけではなく、心構えもだ。
赫狼と戦うのはこれで2度目になる。しかし、今回のは明らかに練度が違った。
「死ねやァ!」
アイーシャに構える隙すら与えないとばかりに、すぐさま先頭にいた男の1人が飛び掛かる。手の甲に付けられた短めのかぎ爪。先は異様な形にねじれており、殺傷よりも痛めつけることを目的としたものだった。
首元を目掛けて振るわれたかぎ爪を、僅かに顔を引くことでかわす。そのまま後ろへと身体を倒し、後転。振り上げられた脚が男の顎を砕いた。
「ガッ───」
「3」
「ラァッ!」
後転のさなか。横合いより迫る脚。それが振るわれるよりも早く、アイーシャは身体を跳ね上げる。
脚が虚空を震わす音。男は小さく舌を打ち、身を捻りながら左の拳を突き出す。
半身の体勢。紙一重でかわしてみせたアイーシャはそのまま男の腕を取り、勢いを殺すことなく、男の身体を持ち上げる。
と、同時に男の襟元を掴み身体を下へ引く。鈍い音が響き、直後に男の背から肉を切り裂く音が聞こえた。
「4」
男の影から攻撃を出そうと思っていたもう1人の男は、予想外の防御手段を受け、僅かに動揺する。
仲間の背中に突き立てた剣を咄嗟に抜こうとし───血で柄が滑る───諦めようとした刹那。
直上より射し込む影。見上げるよりも早く、男の視界が回った。
「5」
パキ、と指を鳴らし戦闘態勢へ。かぎ爪のごとく固められた指先、そして一瞬にして出来上がった死体の山を見て、男たちは無意識の内に喉を鳴らした。
どう出るか。場が緊張に満ちていたその時だった。
「オイ。オイオイオイオイ。なーんだ、こりゃ」
場違いにのんきな声が男たちの後方から聞こえる。
「頭!?」
声が聞こえるのと同時に、男たちが左右に割れ、道が出来る。
その間を、現れた声の主はゆったりと歩いてきた。
くすんだ金髪は短く刈り揃えられ、ギラギラと輝く瞳はどこか獣のそれを思わせる。一見すると優し気な顔は、しかし口元にある大きな傷と額の入れ墨が彼の本性を現していた。
「5人か。なかなかデケェ損失だが‥‥‥」
さして広くない床に転がる5つの死体。それらをどこか愉快そうに眺めた男は、次にアイーシャへと視線を向ける。
「ヒュー!良い女じゃねぇか」
大げさに驚いた仕草を見せる男。しかしその視線は油断なく彼女を見据えていた。
彼は笑いながら続ける。
「腕っぷしも強いと来ている。ただのコソ泥にしておくには勿体ねぇ女だ」
なぁ、と男が手を差し出すように伸ばす。
「どうだ?お前、俺の女にならないか?」
アイーシャが返答をするよりも早く、いや、ちげぇな。と彼は首を横に振った。
「娼婦としても十分過ぎるが、勿体ねぇ。ただの女として置いとくのはあまりにも勿体ねぇ。
そうだな‥‥‥
お前、俺達がどういった組織か知ってるか?」
こめかみに指を当て、何かを考える様子を見せる男。ついて出てきたのはそんな言葉だった。
「‥‥‥赫狼だろ?」
彼女の返事を聞いた男は満足そうに頷いてみせる。
「そうだ。まぁ結構大きな組織でな。
赫狼には幹部が数人いるんだが‥‥‥そいつらのことは?」
こんどは首を横に振る。
だろうな、と男は頷いた。
「あんまり表には出ねぇ奴等でな。
基本的には強けりゃ上に立てる。で、こっからが主題だが。
お前、俺達の仲間にならないか?」
突然の誘いだ。背後にいる男たちがにわかにざわめき、しかし正面に立つ男が1つ指を鳴らすと、すぐさま静かになる。
「つぇえ奴は大歓迎だ。お前みたいな女がいれば華にもなる。なんならすぐにでも幹部候補までいけるだろうよ。
ウチは良いぜ。犯すのも殺すのも盗みもなんでもアリだ。過度に殺しすぎると目立つからって理由であんまりやらないが、同胞殺しも認められている。
今のチンケな盗みなんかよりもよっぽど自由だぜ」
男は腕を伸ばしたまま、どうだ?と首を小さく傾ける。
彼女はそうだな、と顎に手を当て。
「自由、ね。良い響きだと思うよ」
「だろう?なら───「だが生憎とな」」
答えを出そうとする男の声を遮り、彼女は笑う。
目元は仮面で隠れているが、それでも心底嬉しそうだと分かる表情。それは男にとっても思わず見惚れるほどのもので、
「自由ならもう掴んでいる。
なにより想像以上にこの場所が居心地が良くてね」
それにだ、と先程とはまるで違う意味での笑みを浮かべてみせ、
「言葉じゃなくて、身体で堕としてみせろよ短小」
「───ッ!クハハハハハ!イイね!イイねぇ!とことんイイ女だ!
───啼かせたくなる」
男が上着を脱ぎ捨てる。隆々としつつも引き締められた身体を晒しながら、彼は高らかに笑った。
「ァァ‥‥‥ここじゃあ狭ぇな」
言うが否や床に拳を叩き付ける。轟音と共に床が崩落し、部屋にいた全ての者が下へ叩き付けられた。
僅かに出来た煙幕の向こう。何ともなかったかのように立っているアイーシャの姿を見かけ、更に口の端を吊り上げてみせた。
「さぁ、ヤろうぜ!」
腕を広げ、彼は吼えた。
返答はなく、僅かにアイーシャの影が揺らめき、
拳が、男の眼前に迫る──────────




