第二話
4996、と
男は静かに呟く。
遠目で見ても解る。覇王と剣聖は死んだ。驚くほどあっさりと。
いや、驚くほどというのは少し違うか。
予想通り、と言い換えた方が良いのかもしれない。
いずれにせよ、残るは3人。
3人も、だ。
「ヒュッ───」
男が短く息を吸い、バネのように身体を縮ませ、飛び出す。
狙いは、賢者。
速い。賢者は素直にそう感じた。己の力では目視は不可能。矢よりも速く己に迫り来る『死』
しかし、それを前にしても尚、賢者には余裕があった。
男の爪が賢者の目前にまで迫る。その瞬間、
大地が、爆ぜた。
「罠魔術───」
予め仕掛けておいた魔術が、敵を感知し起動する。もたらされる結果は歴然。
防御の暇もなく、男の身体は爆発に巻き込まれた。しかし、それだけは終わらない。
賢者の背後に幾つもの雷で編まれた弾丸が浮かび上がる。彼が最も有効だと感じた属性。
「穿て」
躊躇は無かった。先程罠が発動した場所へ殺到する。
立ち込める煙幕の中、次々と閃光が走り、心胆を震え上がらせる轟音が響く。
じっと賢者は目を凝らす。手応えは確かにあった。これならば死んだは───
───ニュッと煙幕から突き出された指が賢者の眼を抉る───
直前に背後に飛ぶ。あと僅かな距離で獲物を逃した指はすぐさま煙幕の中へと消え、同時に男の気配も消えた。
(こやつ‥‥‥)
背中を冷たい汗が伝う。魔術は命中した。人が耐えれるものじゃない。奴が防御魔術を習得出来るわけが無い。何故死ななかった?
そんな様々な思考を、彼は鼻を鳴らすことで吹き飛ばす。
下らない。奴は生きた。
それだけだ。
煙幕の中に居るであろう奴の居場所を掴む術を、賢者は持っていない。
しかし、この場には一人。まさに動物的センスで居場所を探る事の出来る者がいる。
ギン、ギンと鈍い音が煙の中で断続的に鳴り響く。爪と鉄がぶつかり合う音。戦いの証。
杖を構え、じっと佇む。練り上げられる魔力。呼応するかのように放たれた、別の場所での魔力上昇の波動。
笑う。ここだと杖を振った。一瞬で晴れる煙。
目にも止まらぬ速さで動き続ける両者だったが、彼等は目で見て戦っていた訳じゃない。天性のセンス。或いは直感。
いずれにせよ、彼等は見えないという状況下で戦っていた。今までは。
晴れる煙幕。突如開けた視界。反応が遅れる。
魔王が剣を大きく振りかぶった。本能が警鐘を鳴らし、迷うことなく男が駆け出す。
「運べ───」
紡がれた言葉が世界の理をねじ曲げる。一瞬で魔王の背後に移動した賢者。
続く言葉も、また酷く短い。
「凍てつけ───」
効果は絶大だった。
氷が走り、巨大な氷塊に男が飲み込まれた。直後、魔王の剣から極黒の魔力が吹き出し、天高く登り詰める。
破滅とはこの一振りこそを表すと誰が語ったか。
放たれるのは終末をもたらす一撃。
「終極の一撃───」
魔王が剣を振り下ろす、その直前だった。
「何‥‥‥?」
狼狽した声。魔王の腕が止まり、魔力が霧散する。
「シャクシャディ!」
焦りを含んだ怒鳴り声。魔術を放った彼だからこそ解り、魔王の反応もまた必然だと理解できた。
故に名を呼ぶ。そうではないと、伝えるために。
結果はまもなく訪れた。
氷塊が砕け、煌めく破片を撒き散らしながら男が迫る。
瞬間、魔王は理解した。
(この男、気配を───)
誰が予想できようか。目の前に居るにも関わらず、存在を欠片も感じさせない、完璧な隠形を使えることを。ましてやこの状況下。氷塊に閉じ込められたこの状況下で。
中途半端に振り下ろした剣を再度加速させる。しかし、腕が何かに引っ張られたように後ろへ下がる。
剣だ。いつの間にそこにあったのか。一本の剣が腕に突き立てられていた。
(隔離刃───)
「4997───」
男が呟く。瞬時に理解した。誰がやられたか。
放たれた剣は2本。防御する間もなく喉笛に剣を突き立てられた賢者は崩れ落ちた。即死だった。
「クソッ‥‥‥!」
毒づくも男は既に目前まで迫っている。判断は一瞬だ。迷う余地も与えられない。
無事な方の手を前に突き出し魔力を練り上げる。必然、男はその手に注意を向けた。
反射的に、させまいと、男が魔王の腕を切り飛ばす。僅かに出来た余裕の時間。腕が動く。
練り上げた魔力は一瞬で消える訳じゃない。残留していたありったけの魔力をかき集め、彼はその技名を言い放つ。
「終極の一撃───ッ!」
「処断の一撃───」
力と力がぶつかり合い、強烈な爆風が辺りに吹き荒れる。
爆風を受け、魔王は大きく後ろへ下がった。
そこで彼は息を吐き、腕を押さえ、魔力で編んだ紐で切り口を縛り上げる。
剣は、見当たらない。爆風に晒されたか。探す時間すら惜しい。
対する男の方は吹き飛ばされただけでは終わらなかった。
力なく、勢いのまま大地を転がり続ける。それを追う1つの影。
獣が吼え、跳躍する。男が大地を叩き、跳ね上がった。巨大な爪が大地を抉る。
「ガ‥‥‥ッ!」
回避した直後の反撃の拳が見事、獣王の顔面を捉える。鼻柱がへし折れ、血が吹き出た。苦悶の声が上がる。
更に横方向からの回し蹴り。反応し、咄嗟に腕でガードする。
ベキベキという鈍い音。意識が飛びかける。
「ォ、ォォォオオオオ!!!」
吼えた。獣が爪を振るい、その度に大地が抉り取られる。そのすべてを回避しつつ、男は静かに機を伺い続けた。
「───ッ!」
業を煮やした獣王が繰り出す大振りの一撃。速度、力、2つが充分に乗った一撃は容易く大地を砕き、大きな穴を生み出す。
しかし男には当たらない。拳を紙一重でかわしてみせた男はすぐさま拳を振り抜く。
揺らいだままの体勢の獣王に避ける術は無い。拳はまっすぐに獣王の頬に吸い込まれ───
「グ、ブ‥‥‥」
───る直前に男の身体が横からくの字に折れる。身体の中から響く異音が脳を揺らす。
魔王だ。意識の外から放たれた拳は見事に彼の身体を捉えた。しかし、
「───ッ!」
「つか、まえた‥‥‥」
魔王の目が見開く。拳が男の身体から離れない。
離すことを許されない。
腕が、肘が本来は許されない方へ曲げられる。走る激痛。魔王の身体が硬直する。
故に反応が遅れた。放たれた強烈な蹴りが魔王の顎を捉える。空高く打ち上げられた魔王に、しかし、男は追撃を加えることなく退がる。
獣王の爪が、眼前を通りすぎていく。
「これも、かわすか‥‥‥ッ!」
呻く獣王だが、その顔には僅かに笑みが刻まれていた。
これでこそ、命の賭けがいがあると。
男は腰を落とし、脚部に力を込める。手には鈍く輝く剣が。
獣もまた応えるように四肢に力を込めた。ミシミシと、筋肉が悲鳴を上げる。
ダン!と大地を叩く音。
片や無言で、片や雄叫びを上げながら互いの得物を振るう。
決着は一瞬。
獣の爪が男の身体に触れる。肩から先が爆ぜるように消し飛ばされた。
「先生‥‥‥」
僅かに目を見開いた獣王がボツリと洩らす。その声音は酷く優しげで、寂しげなものであった。
ドサリと音が鳴り、俯きながら男は4997と呟く。
顔を上げ、吼えた。感情を剥き出しにしたような獣の咆哮。
様々な想いをその咆哮に乗せ、彼は再び跳躍した。
残る力全てを振り絞った跳躍は、彼の身体を高々と運ぶ。
剣を大きく振りかぶった。狙いは、未だ宙に留まる魔王。
応えるように魔王もまた、その拳へありったけの魔力を込める。漆黒の波動が彼の拳へ集約していく。あれこそが、見る者全てを畏怖させる、黒の輝き。
「処断の───」
「終極の───」
両者が吼え、高らかにその技の名を叫ぶ。
全霊を込めた一撃は再び───
「「一撃!!!」」
───激突した。
空が爆ぜる。大気が震え、その瞬間、生きとし生けるものすべてが空を見上げた。
ある者は恐怖し、
またある者は涙を流し、
全ての者が、はるか後生にまで語り継がれる戦いの終わりを予感したのだった。
空より落ちてくる1つの影。
力なく地面に叩き付けられたその影は、しかし震えながらも進もうと足掻く。
「よん、せん‥‥‥きゅうひゃく‥‥‥」
半身は消し飛ばされた。
「きゅう、じゅう‥‥‥」
脚に力が入らない。
僅かに残った指の力だけで、彼はそれでも這って進もうとする。
進まねばならぬ、理由がある。
「きゅ、う‥‥‥」
そうだ。彼は生き残った。生き残ってしまった。
これだけの命を散らしても尚、彼を殺すことはかなわなかった。
『絶望』は、『死神』は生きている。
放って置いても死ぬだろう。それは間違いない。
しかし、誰か殺さねば、誰かがその証明をしない限り、『絶望』は残り続ける。恐怖が終わることはない。
だが、言うではないか。
古来より絶望を断ちきるのは、何時だって
『希望』であると──────
しかし、あぁ、そうだな。
以上でもなく、以下でもなく、
ぴったり5000とは、実に彼女らしいと、彼は静かに笑う。
斬った数は4999。
あと、一人───
そいつは現れた───────────
絶大な魔力を纏わせ、戦場に降り立つ『希望』
金色の翼を震わせ、辺りを覆う暗闇を一瞬にして吹き飛ばした。
やはりか、と男は笑ってみせる。最後の一人。この死闘の終演を飾るに相応しい人物。
そいつを、男は知っていた。誰よりも知っていた。
『勇者』と、呼ばれた男を。
「来た、か‥‥‥」
血反吐をぶちまけつつ、男が立ち上がる。
脚が震える。視界も、もう見えちゃいない。剣を握る力すら無い。
あぁ、それでも。
俺は、テメェと戦いたい───
「グ、ボッ‥‥‥」
一歩一歩、踏ん張りながら歩き続ける。
倒れた。すぐに立ち上がる。出来ない。這え。這って進め。立ち上がる。倒れる。這う。立ち上がる。
腕を持ち上げた。先には何かあるのか?解らない。解らないけど、取り敢えず振るう。
安心しろよ。外しはせんさ。
腕が軽くなった。ダランとぶら下がる。体勢が崩れ、手をつこうとする。出来ない。倒れる。
「ク、ソ‥‥‥」
「何故だ‥‥‥」
勇者が呟く。男に反応はない。それでも、勇者は語り続けた。
「何故そこまでして、貴方は殺しを成す?何の意味があって、人を殺す?」
問い詰めるような口調ではない。男が知るように勇者もまた、男を知っていた。
他の、誰よりも。
故にこそ出る疑問。
彼ほどの強さを持つ人間が、何故‥‥‥
「知る、かよ‥‥‥」
返答を期待してた訳じゃないのだろう。勇者の目が驚いたように見開かれる。
「んな、記憶。とうに、ねぇ‥‥‥俺には、この、生き方しか、知ら、なかった‥‥‥それだけだ‥‥‥」
「貴方なら救えた筈だ!より多くの人間を!僕なんかよりもずっと‥‥‥ッ!」
「ただ、そうだな‥‥‥」
何か、思い出しそうな気がする。とうに無くした昔の記憶が彼を動かす。
あぁ、そうだ。これだけは、伝えとかないと。
「これで、テメェは、晴れて、勇者だ‥‥‥誇、れよ。おめでと、さん‥‥‥」
「違う!こんな勇者は望んじゃいない!僕は───」
「‥‥‥」
「貴方を、救いたかった‥‥‥ッ!」
「言ったろ、理由、なんざ、ねぇ‥‥‥殺したいから、殺した‥‥‥あるはずが、ねぇ‥‥‥」
「───ッ!?貴方は───」
この男は、もう───
「学、校‥‥‥?なんだ、そりゃ。テメェ、は、なん、だ‥‥‥クル、シャ‥‥‥」
「‥‥‥」
「あ、ぁ‥‥‥待た、せたな‥‥‥殺し、しか、知らな‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
ここに墓標を刻もう。
五千の命が眠るこの森の名は『弔いの森』
遥か未来まで語り継がれ、人々の記憶に残り続けるだろう。
勇者の誕生に祝福を
英雄達の死には盃を
死神の敗北を嗤い
今日も、世界は回る。
これにて死神の物語はおしまい。
悪は打ち倒され、正義が勝利する、そんなありふれた物語。
人々の記憶に残るのはそれだけだ。
しかし、終点ではない。世界が回るように、また運命も巡り、
「───もしもーし。もしもーし。聞こえますかー?」
新たな物語が、始まる─────────