第十一話
風を切り、振りかぶられた拳を軽くはたくようにいなす。
揺らぎ、隙が出来た胴元を目掛け放たれた蹴りは痛烈な一撃となり、息をつまらせる。
しかし動きを止めることは許されない。歯を食い縛り、短い呼吸と共に掬い上げるように拳を放つ。
風を切る音。空ぶった、と認識したときには視界は青空を映していた。
「ガッ、ハ───」
これで10連敗。柔らかな草地を背にし、荒い息を整える。たった数手の立ち合いだというのに、身体が随分と重い。
「無駄な大振りが多すぎる。それは決めの一手までに取っとくもんだ。んで、テメェの一撃はそこまで速くねぇってことを叩き込んどけ」
涼やかな声とは裏腹な鋭利な言葉が、男の胸を抉る。声の主は息が一切切れていないのか、畳み掛けるように戦闘のダメ押しをしていく。
「足元にも注意を向けろ。何度払われたと思っている。死角からの一撃は常に備えていろ。技を磨く気が無いなら速さを極めろ。武器が拳だってんならその指先まで使いこなせ。盾が無いなら簡単に揺らぐな。デカイ身体なら派手に掻き回せ。そこまで出来て、ようやく二流だ」
「ハッ───」
軽口で言い返せる余裕もない。節々の痛みを抑えつつ、よろよろと立ち上がる。
朝陽を浴びて燦々と輝く、燃え上がるような紅。勝ち気な瞳は薄く細められ、どこか蠱惑的な色を湛えていた。見るものが見ればハッとするような美しさだが男には解る。
あれは馬鹿にしている目つきだと。
「ま、こんなところか。満足か?」
「‥‥‥十分だ」
元より勝つつもりは毛頭ない。というよりも勝てる気などありはしない。
昨日から始まった朝の鍛練は男からの提案だった。丁度良いとばかりにアイーシャも賛成し、以来日課にしようと考えている。
1日に10戦。数に特に意味はない。いや、正確に言うのであれば、10戦が限界ゆえ、ということになるだろうが。
「んじゃあ、飯だ。行くぞ」
無言のままアイーシャの後ろをついていく。思い起こされるのは先の戦闘。
頭を掻く。師を持つ、という経験ははじめてになるが、
(悪くはないものだ)
教えを乞う相手が女だとか子供だとかはどうでも良かった。自分よりもはるかに強者。その保証があれば、グレイはどんな相手だろうと気にはしない。
(技を磨く気がない、か‥‥‥)
言われてみて、納得する。そして、そうでないならと道もくれた。
ならば簡単な話だ。グレイは小さく鼻を鳴らす。
(やってやろうじゃねぇか)
全力を尽くす。端からグレイのやることは、1つだけだった。
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首をぐるりと回し、風に揺れる木々の中を進んでいく。やがてさわさわと涼しげな音が聞こえてきた。
川だ。すぐ側には人影があった。
「こっちは終わったぞ」
近くに寄り、呼び掛けてみれば嬉しそうに顔を綻ばせる。目の前に置かれてある鍋をかき回すのを一時中断し、とことことアイーシャの方へ歩み寄る。
「お疲れ様です。もうすぐ出来ますよ。グレイさんはさっさと水を浴びてきてください。臭いので」
「解ってる」
「あ!浴びる時は下流の方で!貴方の汗が溶けた水なんか飲みたくありませんので!」
「‥‥‥解ってる」
不承不承と頷き背中を向けるグレイを見て、アイーシャはくつくつと笑う。
近くの石へ腰掛けると、臀部からひんやりとした感触が伝わってくる。気持ちよさから思わず息を吐く。ミルシィがこちらを見て、クスクスと笑っていた。
「気持ち良さそうですねぇ、アイーシャさひだい!」
軽口を叩きかけたミルシィを小石で黙らせ、頭上を仰ぎ見る。気持ちの良い天気だ。木漏れ日が辺りをポツポツと照らし、どこか幻想的な雰囲気を漂わせていた。
「ほぁー」
「あ?」
「あ、いえ。何にも‥‥‥」
呆けた目でこちらを見るミルシィに気付き、そちらへ視線を向ける。何故か慌てて視線をそらしたミルシィは、勢いのまま鍋の中身を掬い、口に含む。
熱さに転げ回るミルシィの姿を見て、アイーシャはやれやれと肩を竦めるのであった。
余談だがグレイには別の鍋が与えられてたりする。曰く、こんな男と同じ鍋をつつくなんて考えられない!とのこと。それとは別に、見た目通りの大食らいであるので、鍋を分けるのは当然といった考えがあったためである。
今も2人の姿を尻目に鍋をかき回す大男の姿があることを、残念ながら2人は知る由もなかったのであった。
────────────
「そういえば、あれから2週間が経ちましたねぇ」
2週間、20日。
成る程、もうそんなに経つのかと感慨深げに息を吐く。ひたすらに金を稼ぐ日々であったが、悪くはないものだった。
「2週間が経ちましたねぇ」
そろそろ潮時か、とアイーシャは考える。この町に来た大きな目的は冒険者の登録だ。ついでにと片っ端から高額報酬の依頼を受けていったためか、めぼしいものは殆ど残ってはいなかった。
次の町へ移る、良い機会なのかもしれないな、も彼女は独りごちる。
「‥‥‥2週間が経ちましたねぇ」
「‥‥‥」
「‥‥‥2週間が───ひぎっ!」
「うるさい」
やたらと2週間を強調してくるアホの鼻をひねり上げる。ダバダバと鼻血を流しながら猛然と迫るミルシィに対し、アイーシャはめんどくさそうな表情を浮かべた。
「もう!忘れたんですか!?2週間ですよ!」
鍋が良い感じに煮たってきた。軽くかき混ぜ、口に含むとフワリと辛味が広がってくる。
馴染みのある香草だ、とアイーシャは薄く笑う。名は、カッサウと言ったか。母が良く使ってくれたものだった。
「″オークション“ですよ!この町随一の大規模イベント!並ぶのは全て『神遺』!王国貴族の方々は勿論、噂だと皇族すらお忍びでやって来るほど!
しかもこのオークション、任意制てはありますがなんと!出品者の名前が公表されるんです!つまり、高値がつく『神遺』を出品出来れば、貴族に名を売ることができるんですよ!」
「ほー」
鍋をさらう。いかん、半分を切ったか。
「‥‥‥聞いてます?ってなんかこのネタ、最近もやったような気がするんですけど!?」
「気のせいだろ」
「あ、そうですか───とでも言うと思いましたか!まずは手を止める!あ、ちょっ。もう殆ど残ってないじゃないですかぁ!」
「旨かったぞ」
「それはどうもお粗末様です!いえ、そうではなく!」
喜んだりおこったりと忙しい奴だ。取り敢えず落ち着かせるために、アイーシャはミルシィの脳天に手刀を打ち込んだ。
「え?酷すぎません?」
頭を押さえながら信じられないといった表情を浮かべるミルシィを見て、再び手刀を構える。冗談ですよ!と彼女は笑いながら距離を取った。
「とにかく、オークションです。これに参加しない理由はないですよ」
「そうか」
「時間までまだ空きがありますし、この間にドレスでも見繕いますかね」
「ふーん」
「‥‥‥あの、興味無さげに返事してますが、アイーシャさんも参加するんですよ?」
「あ?」
思わずミルシィを睨み付ける。しかし、そこはやはり長い付き合いか。特に臆することなく、彼女は続ける。
「チケットは2枚ありますしね。捨てるのも勿体無いですし」
「断る」
「いやーおめかししたアイーシャさんの姿も楽しみですねぇ」
「断る」
「お金もありますしね。もしかしたら、良いものが手に入るかもしれませんよ?」
「死ね」
「死ね!?」
しばし睨み合いの時間が続く。先に折れたのは、アイーシャだった。
呆れたように額に手を当てながら、長いため息を吐く。
「どうしても、か?」
「どうしても、です」
昔からこうだった。普段はアイーシャを立てる場面が多いが、一度こうと決めたら頑として動かない、妙な意地を見せる一面もあった。それでアイーシャが不幸を被る事はないにせよ、基本的にはアイーシャが折れる形になる。
今回もそうだった。不満げに頷き、承諾の意志を見せる。
ぱっと華やいだ彼女の顔を見て、アイーシャは再びため息を吐くのであった。
◇◆◇
人々のざわめく声。
タハルタ大通りの見事な石畳は日常的に雑踏に埋もれており、その影を見ることすら困難を極める。しかし、今日はどこか違った様子を見せていた。
雑踏はそのままに、しかしその殆どがどこか陶然とした様子で立ち止まっていたり、或いは道の脇に寄っていたりなどしていた。
そんな彼等を尻目に2人の少女は悠々と進んでいく。片方は僅かに顔を歪めているのはさておき。
「動き辛ぇ‥‥‥」
「我慢ですよ!それに、とてもお似合いです!」
普段の粗野な服に身を包む姿はどこへやったのか。そこに居たのは一角のお嬢様であった。
紅の髪に合わせた、淡い朱を宿したドレス。頭の横にはサヨと呼ばれる花をあしらった金色の髪止め。足元はアイーシャがこれまで見たことのない、踵が上がった靴に包まれており、腕には武器にも成り得はしない細長い鎖。
「だからほら!笑顔笑顔!」
対するミルシィもまた、その身は何時もとは相を変え、見事に着飾られていた。
アイーシャほど派手な装飾ではないが、淡い緑を基調としたドレスに、普段は履かないピンヒール。金色の髪は頭の横で編み込まれ、幾分か幼さの消えた姿となっていた。
そんな彼女達のきらびやかな雰囲気とは裏腹に、アイーシャの心情は最悪だった。
「うるせぇ‥‥‥」
手を出す気力も湧かない。
無駄に人々の注目を浴びながら、彼女はゲンナリとした様子で目的地へと進んでいった。
尚この場にグレイの姿はない。アイーシャの姿を見た瞬間俯き、肩を僅かに震わした彼の行方は、察してあまりあるものである。
『ロコシア』と、この建物はそう呼ばれていた。
半月を冠するその建物は名の通り、球体の上部分を切り取ったような不思議な形をしていた。どうにも中々に有名な建築家の手による建造物であるらしいが、興味が湧くほどではない。
ロコシアについてペラペラと喋るミルシィをほうっておき、アイーシャはぐるりと視線を巡らす。
これでも彼女は一定の常識を持ち合わせていた。つまりは、まだ空気がよめる、ということだ。
建物の中へ入っていく面々を見ると、成る程。普段の服装がいかに場違いなものだったのかを悟る。
つくづくこういう場は向いていないなと、彼女は頭を掻いた。
「ほら、さっさと行くぞ」
「あ!ちょっ、待ってくださ~い!」
そう言って歩き出すこと暫く。不意に後ろから伸びた手に肩を叩かれ───
「いぎっ!」
る直前に腕を掴み、捻り上げる。走る激痛に触れようとしてきた下手人は膝をつき、呻き声上げた。
さてどうしてくれようか。そんな物騒な事を考えていたアイーシャの前に、ミルシィが慌てて入ってきた。
「ストップ!ストップです!って、これじゃあ通じませんよね。取り敢えず、捻るのを止めてあげてください!」
頑張って腕を引き剥がそうとするミルシィ。渋々といった様子で手を離したアイーシャは、で?とミルシィと呻く男の顔を見て、
「なんだ?いつの間に恋人なんて作ったんだ?」
「んな!?言うことにかいてそれですか!?そんな訳───ッ!違いますよ!ほら!よく見てください!」
言われて男の顔をよく見てみる。確かにどこかで見たことのあるような‥‥‥
「グレッグさんですよ!私達をこの町まで運んでいただいた!」
「‥‥‥あぁ」
「‥‥‥覚えてませんね」
鋭い奴である。
まぁ正確に言えば覚えてはいる。精々が顔の輪郭とそんな商人がいたようなという程度だが。そう、うろ覚えというやつだ、忘れてた訳じゃないと彼女は内心深く頷く。
「い、いや。良いんだ嬢ちゃん。まさかとは思って声をかけただけだからよ」
流石商人と言うべきか。今の流れるような暴行に対し、グレッグは顔をひきつらせながらも笑顔を取り繕う。
手を庇うような仕草から察するに相当な痛みであった筈だが、とアイーシャは妙な所で感心した。
「しかし見違えるようだ‥‥‥ってか、そんな服を買える金はあったんだな」
僅かに悔しそうな顔を見せたのは演技だろうか。生憎と見抜けるだけの眼力がないアイーシャは軽く嘆息し、
「この町に来てから稼いだんだよ」
「えぇ!私達、実は自由人になったんです!」
「‥‥‥ほぅ」
男の目の色が僅かに変わったことを、アイーシャは敢えて指摘しなかった。興味がない、というのが大きな理由であるが、その真意を読み取れなかったというのもある。
たしかミルシィが自由人は基本的に見下される職業だと言っていたな、とアイーシャはふと思い出した。
「いや、しかし、そうか‥‥‥俺の見る目は間違っちゃいなかった、って事かね‥‥‥」
小声で何かを呟き、ふむ、と何かを納得したような仕草を見せたグレッグであるが、それも一瞬。手を打ち、なら、と彼は続けて、
「どうだ?俺と一緒にオークションに参加する気は?」
2人はしばし顔を見合わせる。
素性の良く解らぬ男ではあるが、悪い男ではないだろう。何か狙いはあるのだろうが、手を出されたところで返り討ちにするのは容易い。
何より初のオークションだ。勝手が解らない部分も多い。
ありていに言ってしまえば、
「そうだな。よろしく頼む」
断る理由はなかったのであった。
ロコシアの中へ入ると、出迎えたのは涼しげな風であった。
贅沢にも30を超える送風機が取り付けられているこの建物内は常に適温が保たれており、多くの人で埋められても尚、快適に過ごせるように出来ていた。
会場に入る前にグレッグからあるものを渡される。
「着けとけ」
渡されたのは奇妙な形をした仮面だった。かつて落札者を狙って起きた暴動ゆえに出来た処置らしいが、今では催しの一環と化していた。見れば周囲の人々は随分と派手な仮面を被っていた。
「えぇー。もっとお洒落な物は無かったんですかー?」
「正直来るとは思わなかったからな。今あるもので勘弁してくれ」
ぶちぶちと文句を垂れ流しながらもミルシィは仮面を被る。それに倣ってアイーシャもまた仮面を被った。上物なのか、思ったよりも風通しが良い。
敷かれてある赤い絨毯を超え、踏み入れた会場は光に溢れていた。
「ほぅ‥‥‥」
仮面の奥から思わず感嘆の息が漏れる。予想以上、と彼女は素直に感じた。
「綺麗ですね‥‥‥」
ミルシィもまた艶のある声音で言葉を漏らした。
目を引くのはやはり、天井の中央に鎮座する燭台にも似た巨大な建造物だろう。2人の様子を見たグレッグはどこか自慢気にそれを指差し、
「あれはこのロコシアを造り上げた者が設計した照明台で“シャンデリア”って呼ばれてるモンだ。ま、滅多に見ることの無い物だからな。目に焼き付けとけよ」
そんなシャンデリアを眺めること暫く。不意に灯りが消え、会場は闇に包まれた。
ざわめきが徐々に消えていき、訪れる静寂。すると、突如前方に眩い光が降り注がれる。
照らし出されたのは大きな舞台。そして奇妙な帽子を被った1人の男。彼は手にした杖を高々と掲げると胸一杯に息を吸い込み、
「レディース!エーンド!ジェントルメーン!さぁ、皆さまお待ちかねのオークションが今宵も開催されます!揃うのは各国から寄せられてきた様々な珍品!是非是非、ご堪能あれ!
司会を務めさせて頂くのはこの私、ジェーン・アッタイドでございます。どうぞ、お見知りおきを」
深々と頭を下げた男に向けられる万雷の拍手。誰もがこのオークションの開催を心待ちにしていたのだろう。仮面越しからでも伝わる熱気が、彼女の肌に突き刺さる。
そんな沸き立つ観衆の中、彼女は一言。
「なんだ、その奇妙な挨拶は」
「それは言わないお約束で」