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07 夜会

  一生かかわりは持たないと思っていた高級店の仕立て屋と宝石商がローズブレイド公爵邸にきた。どうやらお得意様らしい。フィオナのドレスを急ピッチで作るという。

  しかし、フィオナは布の一枚すら決められない。どの布も上質で美しく、高いのだろうなと値段ばかり気になっていた。

  するとマリーが「旦那様から、フィオナ様が決められないときの指示は頂いております」とテキパキと決めてくれた。

 一体、アロイスはどのような指示をしたのかとフィオナは首を傾げた。


 そして、夜会の当日、フィオナは薄い青で光沢のあるふんわりした生地のドレスに身を包み、サファイヤのネックレスと揃いのイヤリングを身に着けた。

 髪はアリアがアップに結ってくれた。髪飾りは銀細工にサファイヤがちりばめられたものだ。


「サファイヤもドレスの青も、フィオナの瞳にとても映えているよ」


 とアロイスが褒めてくれた。フィオナは嬉しくて頬を染めた。

 アロイスはカフスにフィオナと揃いのサファイヤを身に着けていた。すべてフィオナの瞳の色にあわせてくれたのだとわかった。それもまた照れくさかった。


 しかし、浮かれているのもそこまでで、フィオナはアロイスの許可を得て行きの馬車で、国王、王妃並びに海外からの賓客への外国語でのあいさつの練習をした。王宮が近づくにつれ、心臓が早鐘のようになり、緊張で唇が渇いてくるような気がした。ドレスの上で握りしめたフィオナの手にアロイスの手がぽんぽんと宥めるように重なった。


「大丈夫だよ。フィオナ。君は一生懸命練習したのだから、ちゃんと出来るよ」


 彼はそういって微笑んだ。



 会場に入ると二人はすぐ陛下夫妻に挨拶をした。次に賓客との挨拶、フィオナはかまずに何とか挨拶できた。しかし、笑顔は引きつっていたかもしれない。

 本日の最重要課題である挨拶が終わりに差し掛かり、フィオナが一息ついたときにそれは起きた。


「いやあね。アロイス、殿下だなんて他人行儀すぎやしない。今まで通りエリザベスとよんで」


 そう宣ったのは、第三王女にしてアロイスの美しき元婚約者エリザベスだ。彼女はアロイスの腕に手をかけ寄り添った。


 フィオナは呆然とした。なぜか二人の間には濃密な空気があって、入り込めないような気がした。妙に生々しい。

 アロイスは普段から、仮面のような微笑を浮かべていて、どこか浮世離れした印象がある。だから、いつの間にか男女の色恋沙汰とは無縁な人のように感じられていた。やはり、彼は男性なのだなと思うと、胸がちくりと痛んだ。彼をふったのはエリザベスなのに……。


「随分可愛らしい方ね。あなたには似合わないわ」


 会場に入った瞬間から彼女を値踏みするようなたくさんの視線は意識していた。フィオナは一番痛いところを突かれ、息が止まりそうになった。

 するとアロイスは、仕草こそ上品だが気遣うことなくエリザベスの手を振りほどいた。


「ええ、フィオナは私にはもったいないくらい、素敵な方ですよ」


 そういうと何の感情も含まない微笑をエリザベスに向けた。


 何事もなかったようにフィオナの手を取ると「失礼いたします」としれっと貴賓席への挨拶を締めくくり、パーティ会場へ降りて行った。フィオナは堂々と王女に無礼な真似をするアロイスに度肝を抜かれた。ちらりとエリザベスを振り返ると怒りで頬を染め、他の王女に宥められていた。

 自分がひどく場違いなところにいるような気がして、気おくれを感じ、フィオナは俯きそうになった。


「フィオナ、俯くな」


 その言葉に、思わずアロイスを見あげた。彼はふっと笑うと


「では、一曲踊りましょうか」


 と澄ましていった。



 ダンスの輪に加わった瞬間、難しいワルツに変わってしまった。まだダンスに自信の持てないフィオナは青ざめた。


「安心して、私は君を転ばせるような真似はしないから。それから、口角を上げてごらん、それだけで微笑んでいるように見えるよ」


 フィオナはステップと、アロイスの出す指示に集中した。なんとか一曲踊り終わると、ほっとして柔らかい笑顔をみせた。

 アロイスがそれを見て苦笑しているのには気付かなかった。



 ダンスが終わると、アロイスは飲み物や食べ物の世話をかいがいしくしてくれた。そうしているとまるで仲睦まじい夫婦のようだ。ほとんどあったことがない夫婦とは思えない。フィオナも頑張って彼に合わせた。

 アロイスは第三王女に捨てられたのだから、彼が恥をかかないように、楽しそうにふるまった。

 本当は会場に入った瞬間から、フィオナに刺さる好奇の視線が痛くて怖くて、顔が引きつりそうになったが、そこは頑張って微笑んだ。


 しばらくするとアロイスを呼びに、立派な身なりをした従僕が来た。


 自分も一緒に行かなくてはならないのだろうかとフィオナが考えていると、アロイスはフィオナにハスラー男爵家令息クロードと令嬢ザカリア兄妹を紹介した。


「私はちょっと行ってくるから、クロード、ザカリア、フィオナを宜しくね」


 そういとアロイスは去っていった。


 この兄妹はブルネットの髪に青い瞳を持つ、すらりと背の高い美しい兄妹だった。フィオナはいきなり知らない人の間にポツンと取り残されて、心細さを感じていたが、この兄妹は感じの良い人たちで、気さくに話かけてくれた。ザカリアはフィオナと年がちかく18歳だと言っていた。

 そしてクロードはアロイスの部下だという。フィオナは図書館で転寝していたアロイスに部下がいることが意外だった。


「歴史書の編纂の仕事をしていると聞きました」


 フィオナがそういうとクロードが固まり、ザカリアが不思議そうな顔をする。


「誰がそのような事を言ったのですか?」

「姉のイーデスから聞きました。」

「いえいえ、奥様違いますよ。閣下のお仕事は、外国語の通訳や翻訳ですよ」


 フィオナは初めて聞く話に目を丸くした。


「え?そうなのですか」

「ほら 今もお仕事をされているではないですか」


 言われて、振り返れば陛下夫妻と外国からの賓客を挟んで話していた。アロイスは、品がよくとても有能そうに見えた。


 図書館でうたたねをしている彼を見て以来、身近に感じていたが、いきなりまた遠のいてしまった気がした。

 近くなったり、遠くなったり、まるでつかみどころがない。万華鏡のような人。


 その時、イーデスのとがった声がフィオナの耳を打った。


「フィオナ、何をしているの?私のところに挨拶にも来ないで」


 ロベルトをともなって近づいてくる。


「そちらのお二人方はどなた?紹介してくれないかしら」


 夫婦そろってずんずんと分け入ってくる。フィオナはイーデスも嫌いだが、ムアヘッド侯爵ロベルトも苦手だ。彼はとても傲慢で不遜な態度をとる。二人を紹介したとたん更にそれが顕著になった。


「あらヤダ男爵家の人間と仲良く付き合っているの?まあ、庶民と大して変わらないじゃない。でも、品のない、あなたにはお似合いかも」


 イーデスのその言葉に場の空気が凍った。クロードは微笑みを貼り付けたままだったが、ザカリアの目が鋭く光った。

 クロードがザカリアを制して口を開きかけた瞬間、フィオナの後ろから穏やかな声がふってきた。


「フィオナ、賑やかで楽しそうだね。仲間に入れてくれるかな。あれ、どうかしたの?私の大切な友人のクロードとザカリアの顔色が悪いようだ」


 いつの間にか陛下たちと話していたはずのアロイスがきていた。いつもの微笑を浮かべ、口調は楽し気なのに、その目は一切笑っていない。濃いグリーンの瞳が氷のようだ。

 今までも時々彼から、圧を感じることはあったが、フィオナはこの時、彼が怖いと感じた。


 アロイスが来た途端、ムアヘッド侯爵ロベルトの尊大さが影を潜め、代わりに愛想笑いを浮かべた。その豹変ぶりにフィオナは呆れた。早々に去ろうとする姿は、逃げ出すようで滑稽だった。イーデスはそんな夫にとても不満げで、フィオナを憎々し気に睨んでいた。最後は顔色を失くしたロベルトに引きずられるようにして連れ出された。




 帰りの馬車は初めての夜会なのに少しもロマンチックな雰囲気はなく、反省会が開かれた。


「自分より下位の者を守るのも、上位貴族の務めだよ。だからまず相手に挨拶させてね。礼儀は大切だから。今度彼らがだしぬけに声をかけて来たら、無視をするか非礼を詫びさせてね」


 アロイスはいつもの微笑を浮かべ穏やかに諭すように高位貴族の心得をいう。そこには先ほど感じた怖さはひと欠片もなかった。


 しかし、彼は今度同じことがあったら、姉に謝るように言えと言っている。フィオナは途方に暮れた。あの傲慢で尊大な姉に……。

 かなり舐められている自分は公爵家に相応しい人間なのかと気持ちが挫けそうになったが、彼の妻であるからにはやはり精進しなくてはと決意を新たにした。

 するとアロイスはフィオナの気持ちをよんだようにいう。


「フィオナ、慌てる必要はないよ。ゆっくりでいいからね」


 この人は心の機微に敏感なのだ。一見そうは見えないが、繊細なのかもしれない。フィオナは、素直に「はい」と返事をした。


 そのあと屋敷につくまで、アロイスは、ダンスも上手でマナーが格段に良くなったとほめてくれた。フィオナは嬉しくて頬がつい緩んでしまう。



 屋敷へ着くとアロイスは、夜更けにも拘らず出かけて行った。いつもの事なので、フィオナは気にしなかった。


 王女が彼に触れたとき、嫌な感じがした。なぜだろう……。


 つらつらと夜会のことを思い出しているうちにフィオナは安らかな眠りに落ちた。




 ♢♢♢♢♢




 その後、夜会を一つとお茶会を二つほどこなした。


 アロイスと会えた回数が10回を超えた。両手の指がすべて折り曲げられた。フィオナはそこで数えるのをやめることにした。


 そして王宮での夜会以来、姉夫婦は向こうから挨拶に来るようになった。

 いつも会話もそこそこに夫妻は立ち去っていく。ロベルトに腕を引かれ、イーデスは不満げだ。時々フィオナにとがった視線を向けてくる。目が合うと憎悪を向けられることもしばしばだ。


 もう一つ不思議なことに、どの夜会でもお茶会でも父母の姿を見かけなかった。借金があるときもダンスが得意なメリッサは夜会に出たがったのにどうしたことかと思った。


 チェスターに聞くと、今は父が一人領地に赴き、母が留守をまもっているという。さぞや退屈な生活送っていることだろう。



 しばらくは、平穏で変化のない日々が続いた。アロイスと屋敷内で会うことはほとんどなかった。





 ♢♢♢♢♢




 そして兆しは突然訪れた。


 ある朝、目覚めると屋敷が騒然としていた。


 フィオナは何事かと、ベッドから出た。夜着の上にガウンを羽織るとドアを開け廊下を覗いてみた。それをみかけた従僕が、あわててフィオナに近づいてきた。


「奥様、部屋へお戻りください。今しばらくお待ちください。マリーかアリアを呼んでまいりますので」


 フィオナは大人しく部屋に戻った。

 しかし、落ちつかない。いつもは侍女があけてくれるカーテンを さっと引くとさわやかな朝の日が部屋に差し込んだ。


 そして庭に目を落として、フィオナはそのまま固まった。


「……小鳥やリスが来る木がないわ」


 緑に溢れた庭が一変していた。三分の一ほどが、荒らされ焼け焦げている。呆然としてみていると、横から、逞しい男性の腕が伸びてきて、シャッと音をさせ素早くカーテンを閉めた。


 驚いて見上げたフィオナの視線の先にはアロイスが立っていた。一瞬厳しい表情をしたので、フィオナの心臓がはねた。

 しかし、アロイスはすぐにいつもの感情をうかがわせない笑顔を浮かべた。


「今日は家庭教師は来ない。フィオナは大人しく部屋で刺繍でもしていてくださいね」


 口調は静かで、どこまでも穏やかだった。フィオナは口をあんぐりと開けて背の高い彼を見上げた。

 いつもきちんとした服装をしている彼らしくなく、袖口がまくり上げられ、胸元があいて少し乱れている。そしていつもはなでつけられている前髪が、額に落ちていた。


「フィオナ、いい加減に口を閉じて。そして、わかったのなら返事をして」


  声音は穏やかだが、明らかに命令口調のアロイスのその言葉に、フィオナの意識は現実に引き戻された。


「え、ちょっと待ってください。お庭がたいへんです。おかしいわ。あれ、絶対に変だわ。

 何があったのですか?話してください」


  フィオナは動揺して、アロイスにまくしたてた。すると彼は一呼吸おいて口を開いた。


「言いたいことはそれだけ?詮索はしない、そういう約束だよ」


  初めて、ぴしりと言われて驚いた。いつもとテンションが違うアロイスにおされ、フィオナは「はい」と返事をした。


  そして踵を返すとアロイスは、部屋からでて行った。彼がフィオナの部屋に入ってきたのはこれが初めてだ。


  フィオナはぴたりと閉じられた扉に向かって憤然といった。


「これって、詮索するなって言う方が、おかしいわ」












読了ありがとうございました。

長くてすみません (;^_^A

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