05 フィオナと晩餐
それから、一週間後に晩餐にはキャリントン夫人とムアヘッド夫人がやってきた。両家とも夫妻でと招待したのに来たのは夫人だけ。一体どういうことなのだろう。さすがにこれは失礼だ。
晩餐がすすむなか、フィオナは母と姉に腹を立てつつも、アロイスの様子をびくびくしながら窺った。
「キャリントン卿の方は聞いていますよ。今、領地の立て直しで忙しいらしいですね」
とにっこり笑って、メリッサからイーデスに視線を移した。イーデスが得意げに口を開いた。
「まあ、申し訳ありませんわ。うちの夫ったら、仕事で忙しくて急に来られなくなってしまって。本当にどなたかに代わっていただきたいくらいですわ。
でも簡単に変わりが見つかるようなお仕事でもないし、本当に有能なのも考えものですわ」
扇子で口元を覆い、嬉しそうにころころと笑うイーデス。フィオナは彼女の非常識な態度と発言に驚き、心臓が止まりそうになった。
侯爵と公爵の違いを分かっているのだろうか。しかも、この晩餐は彼女たちの方から要求してきたものだ。
「まあ、いいでしょう。これは貸しにしておきましょう」
アロイスは微笑みを絶やさず、冗談でもいうような口調だった。しかし、フィオナは「貸し」という言葉に不穏なものを感じだ。
「それは誰に対する貸しですか」
フィオナはすかさず確認した。キャリントン家なら大変だ。アロイスには借金を肩代わりしてもらっているのだ。
「もちろんムアヘッド家ですよ」
相も変わらず微笑をたやさない。
「まあ、でしたら、今度我が家の晩餐にいらっしゃいませんか? お客様も招待して賑やかにやりたいですわ。ロベルトの部下や知己も呼んで。もちろん今日のようなこじんまりした晩餐もよろしいですけど。
まあ、女主人がこれではなかなか盛大にはいきませんわよね」
「なるほど……」
アロイスが何かいいかけていたが、フィオナはそれどころではなかった。フィオナがアロイスに会ったのはこれで5回目だ。だから、情などはない。恐らく、この人は愛人宅に入りびたりだ。だが、このイーデスの発言は許せなかった。
彼はキャリントン家を没落寸前の状態から救ってくれた恩人だ。フィオナはぶちっと自分の血管が切れる音を聞いた。
「お姉さま、いい加減にしてください! 閣下はキャリントン家の恩人なのよ。それを何ですか。
夫妻で招待しろというから、呼べば夫は来ない。
その上、閣下が折角、お忙しいなかで、お付き合いくださった晩餐なのに、なんて失礼な言い方をするのよ」
気付いたら怒りをあらわに声を張り上げていた。
しーんと静まり返った食堂。
またやってしまったとフィオナは思った。
そう思ったときにはもう遅く、イーデスは空涙をながし、ハンカチを取り出した。
「まあ、なんてことを。イーデスは場を盛り上げようとして一生懸命だったのに。公爵夫人であるあなたが本来は場を取り仕切るべきなのよ」
早速、メリッサによって問題をすり替えられている。
「いいのよ。お母様、私が悪いのよ。いつもそう。いつでもフィオナが一番正しいのよ」
フィオナの熱した感情は一気に氷点下まで下がった。一体なんの小芝居を見せられているのだろう。
しかし、次に続くアロイスの言葉がフィオナの心を抉った。
「まあまあ、フィオナは慣れない生活に疲れているのですよ。フィオナ、自室に戻って今夜はゆっくり休みなさい」
怒っている様子もなく、口調は穏やかで、あくまでもさらりと晩餐から外された。
そしてフィオナに向ける彼の微笑みは、メリッサとイーデスに向けるものと何ら変わりはなかった。
自室に戻ったフィオナは頭を抱えていた。
きっと礼儀がなっていないと思われただろう。どうしよう、離縁されてキャリントン家の借金肩代わりをしてもらえなくなったら、なぜ、あそこでキレてしまったのだろう。
これでは、礼儀知らずの厄介者ではないか……。などと考えながら部屋をうろうろしていたら、ぐうっとお腹がなった。
晩餐半ばで追い出されたので、食べ足りなかったようだ。こんな時までお腹がすいてしまう自分が、間が抜けているように思えて情けなった。
すると侍女のマリーがサンドイッチとフルーツをフィオナの部屋に運んできた。まるではかったようなタイミングである。
「ありがとう」
おずおずと礼をいうと、彼女はいつもの固い表情を崩して微笑んだ。
「奥様がお腹を空かせているだろうから夜食を持っていくようにと、旦那様から申し付かりました」
アロイスの思いやりに、恥ずかしいやら、嬉しいやらでフィオナは少し赤くなった。ありがたくいただいた。
とても美味しい。
キャリントン家の面倒を見てくれるだけあって、公爵はやはり優しい方なのだと思った。彼女は美味しいサンドイッチを完食したあと、いつものように湯浴みを終えて床に就いた。
フィオナは眠りに落ちる寸前、そういえば夫アロイスと会うのは今日で5回目だったなと5本の指をおった。
しかし、夫はそんなに甘くはなかった。
次の日、朝、食堂に降りていくとアロイスがいた。彼と会うのは6回目。出会いから数えはじめて、やっと片手の指では足りなくなった。
フィオナは昨晩の非礼を詫びるとアロイスがいつもの微笑みを浮かべ、鷹揚にうなずいたのでほっとした。
キャリントン家の3倍の広さはある食堂で、緊張しつつテーブルについた。大きな窓から穏やかの朝の日が差している。かちゃりと時々フィオナが食器の音をさせてしまう以外は、開いた窓から鳥のさえずりが聞こえるだけだった。
朝食も終わりに差しかったころ、彼がおもむろに口を開いた。
「実家のご家族と仲が良いのはいいことだね」
「え? あ……はい」
皮肉だろうか。やはり彼は怒っているのだ。しかし、顔はあくまでもにこやかだ。
「ただ、君は公爵家の人間なのだから、相応の立ち居振る舞いをしてほしい」
「至らなくて申し訳ありません。閣下」
これから始まるだろう説教にフィオナはびくびくしながらも背筋を正した。
「もう少ししたら、君を伴って王宮で催される夜会や茶会に出なければならない。だから、実家のご家族と遊ぶのはしばらく控えて、勉強してね」
「はい?…勉強…ですか」
彼のソフトな口調には皮肉が隠れているのかどうか判断がつかない。
「マナー、ダンス、教養その他もろもろ、詳しくはチェスターから聞いて」
アロイスは綺麗なしぐさでナプキンで口元を拭うと席を立った。あっさりしたもので、叱られると思っていたフィオナは拍子抜けした。今日もすぐに出かけてしまうようだ。
次はいつ帰ってくるのだろうと、フィオナがぼうっと背中を見送っていると、彼が急にふり向いた。
驚いたフィオナはビクッとしてしまった。
「フィオナ、閣下はやめてね。アロイスと呼んで」
フィオナは勢いよく、こくこくと頷いた。彼はいつもの微笑をうかべたまま、去っていった。
フィオナは、その微笑に感情がないことに気づいた。優しいけれど仮面みたい。ふと、イーデスの感情豊かなどう猛な笑みを思った。嘘つきでえげつない姉だが、少なくとも彼女は自分の感情や本能に正直だ。
次はいつ会えるだろう……。掴みどころのない夫を思い、その夜もフィオナはひとり眠りについた。