03 フィオナの結婚
その後、月日は怒涛のように過ぎて行った。支援するのは結婚後という約束だったが、公爵家から使用人が通いで3人きて、家事全般をやってくれることになった。
フィオナは何年かぶりに家事から解放された。それで自由になったかというとそんなに都合の良いことはなく、家計が傾いたせいで、淑女教育が行き届いていないフィオナには、公爵家が雇った家庭教師が送り込まれた。日々マナーにダンスに教養にとしごかれた。
最低限、式では公爵家に恥をかかせないようにと何度も予行演習をさせられた。ちなみに公爵とは顔合わせ後、婚約式で一回会ったきりだ。
そして結婚式の当日、フィオナは控室で緊張していた。そこへ、ここぞとばかりに着飾った姉のイーデスが侍女を伴ってしゃなりしゃなりと入ってきた。
「フィオナ、綺麗ねえ、厚塗りだけど。馬子にも衣裳と言ったところかしら」
相変わらずの姉だ。結婚式当日でもフィオナに対するスタンスがぶれてない。
「どういたしまして」
そっけなく答える。
「あらあら、公爵夫人になるからって気取っちゃって、みっともない子ね」
早速絡んできたが、フィオナは結婚式で失敗しないか、手順を間違えないか、そっちの方に気を取られていた。
そして油断して心の準備をしていなかった。
「しっかし、傷物と結婚するとはねえ」
「はい?」
自分を傷物と言っているのだろうか。姉の言っていることが理解できなかった。日頃から賢しら発言をしている姉は、時折そこに馬鹿発言を差しはさむ。傷物の意味を知らないのかもしれない。
イーデスはフィオナの耳元で、さらに声を潜めていった。
「だから、傷物公爵。あの方は、婚約者である第三王女に捨てられたのよ。つまり婚約破棄。
こんな不名誉な事ってないわよね。まあ、そんなだから、王家も大慌てで代わりの花嫁を探したってわけ。
でもみんな嫌がるわよねぇ。それに公爵と言っても名ばかりで、特段功績もない方だし。だから、没落寸前のキャリントン家のみすぼらしい子にまで話が来たわけ。つまり、引きとり手がなかったってことね」
「へ?」
フィオナの頭の中は真っ白になった。そんな話は聞いたことがなかった。そしてやはり姉は傷物という言葉の使い方を誤っている。この人はどこか抜けている。そう考えると冷静になった。
フィオナは父が騙されて大損して以来、社交の場に出ることはなく家に籠って家事をしていた。結婚を推し進める父母が徹底的にその情報を排除したのだろう。
イーデスはフィオナにゴシップを伝えるこの瞬間を心待ちにしていたに違いない。
「あら、やだ。あなた知らなかったの?有名なゴシップよ?そういえば夜会にも出たことないものね。
あなたが知らないなんて不思議ねえ。てっきり了承済みかと思ってたわ。それとも皆気を使ってあなたの耳にはいれなかったのかしら。公爵閣下は何もおっしゃらなかったの?」
当たり前だ。わかっていても、そんなこと大っぴらに噂するものはいない。王家と公爵家の問題だ。
言うだけ言って姉は満足げに出て行った。
フィオナは、だから王妃が取り持ったのかと合点がいった。
それと同時に「詮索しないでください」という公爵の言葉を思い出した。もし、かれ自身の婚約破棄のことを言っているのなら、心外だ。フィオナは根ほり葉ほり聞くような無神経なことはしない。いずれはバレることだし、隠す必要のないことだ。案外、気の小さい人なのかもしれないと思った。
とりあえず結婚式で失敗するわけにいかない。借金を肩代わりしてくれる公爵の為にもフィオナは気を引き締めた。
式とそれに付随する行事も終わるころには夜も更けていた。
夫婦となった二人はローズブレイド邸へいった。
フィオナは王都の一等地にある見事な屋敷に驚いた。結婚するまで、この屋敷に足を踏み入れることはなかった。
今回の結婚は何もかも異例尽くしでそれこそ縁談から結婚式まで3か月しかかからなかった。
相手は借金を肩代わりしてくれる上に持参金もいらないと言ってくれる公爵だ。慣例通りではなくても口をつぐむのが得策だ。
「フィオナ、私のことを公爵閣下とよぶことはやめてもらえないかな。夫婦になったのだし」
「それでは、何とお呼びしましょう」
フィオナに夫婦になった実感はわいてこなかった。これで会うのは三度目だ。
「アロイスでいいよ」
「わかりました。アロイス様」
フィオナがそう答えると、彼は「あとは執事に聞いて」というとそのまま玄関から出て行ってしまった。
こんな時間からどこへ出かけるのだろうと不審に思った。
結局フィオナはチェスターと名乗る執事長に部屋へ案内された。
年齢はここの主人より少し上で威厳がある。若干気おくれして「チェスターさん」と呼んだら、「チェスター」とお呼びくださいと強めに言われてしまった。
通された部屋は白を基調としていてとても品よくまとまっていた。豪華な調度品が置かれていた。それに驚くほど広い。天蓋付きの大きなベッドが置かれた。
これが夫婦の寝室かと思いフィオナはドキドキした。
「ここは、奥様専用のお部屋でございます」
「え?」
夫のアロイスはどこで寝るのだろう。不思議に思って聞いてみた。
「旦那様のお部屋はお隣でございます」
「はい……」
どうやら夫婦の寝室は別のようだ。キャリントン家とは違う。何せここのお屋敷は広い、部屋だって余っているはず、きっとそれぞれの家で違うのだろうとフィオナは納得することにした。
「奥様、こちらにお越しくださいませ」
促されて部屋に入ると左手の壁にとびらが付いていた。
「こちらの扉を開けると旦那様のお部屋になります」
部屋はつながっていた。その事実にフィオナは少しほっとすると同時に新たにドキドキしてきて落ちつかなかった。
「しかし、この扉は開けてはいけません。とは言っても鍵がかかっていますので開けるのは不可能でしょう。
旦那様に用事があるときは、なるべくこの部屋のドアではなく。廊下側の正面扉をノックしてくださいませ」
「……はい」
フィオナはアロイスの徹底的な秘密主義にスーッと気持ちがさめていった。これではまるで拒絶されているようだ。仮面夫婦でもやれというのか。いや、よくよく考えてみると彼は最初からそれを望んでいたのだろう。
フィオナには侍女が二人付いた。一人はフィオナと同じ年くらいのアリア、もう一人は年かさのマリーだ。二人ともきびきびしている。フィオナはプロの使用人を前にして、またしても気おくれを感じた。
湯浴みに人の手を借りるなど抵抗があったが、ここの屋敷のしきたりだと言われ、初日の今日は疲れもあって諦めた。明日からは一人でやろうと思った。
それから着替えて、チェスターに促されるまま軽く食事をした。アロイスはどこへ行ってしまったのだろう。「詮索しないでください」そんな言葉フィオナの頭の中で響いた。
それでも一応、今夜は初夜だ。フィオナはドキドキしながら部屋で待った。アロイスはどちらの扉から入ってくるのだろう。そのことで更に緊張を強いられた。フィオナは両方の扉をそわそわしながら見張った。
しかし、東の空が白々としても誰も訪ねてこなかった。フィオナは馬鹿らしくなってベッドに入った。
そして、フィオナは一人さみしく枕を濡らした、というようなことはなく。彼女はふかふかのベッドに感動しながら眠りについた。