28 In other words
サロンに水を打ったような沈黙が落ちる。
しかし、しばらくするとアロイスが、「くくくっ」と顔を伏せて笑い出した。それを合図にしたように場の空気がゆるむ。
そのうちサロン全体にその笑いが伝播し、使用人達も笑い始めた。
皆、大笑いして、フィオナだけが蚊帳の外。だんだん恥ずかしくなり、いたたまれなくなってきた。
「あ、ごめん、フィオナ。あまりにも面白いこと言うから、ついうっかり」
そういうアロイスは笑い過ぎて涙目になっている。
「いいです。別に……」
「フィオナ。私は、外国からの亡命者の手助けをしているんだよ。主にオリエン王国のね」
「……はい?」
アロイスの言葉の意味を消化するのに少し時間がかかった。
オリエン王国、確か孤児院にそこの貴族だと言っている子供がいた。
「え!じゃあ。犯罪者じゃないの?いいことをしているんですか?」
フィオナが縋るように聞いてきた。アロイスが苦笑する。
そばに控えていたジェームスがくすくすと笑って、アロイスに軽く小突かれていた。
「いいこととは違うかな。あの国がつい最近まで政情不安定だったのは知っているよね。今もあまりよいとは言えないけれど。内乱はおさまった。
私は、そこへ行って技術や情報を持った人、政の邪魔になって、国から弾かれ、暗殺されようとしている人たちの手引きをしているんだよ。
手当たり次第に困っている人に手を差し伸べているわけではない。もちろん、れっきとした国から与えられた職務だよ。だから長く留守にすることもある」
彼は命のやり取りを仕事にしていたのだ。フィオナが気軽に首を突っ込んでいい世界ではない。
「それをよく思わない者もいる。だから、こうして、ときたま屋敷を襲撃されるんだ。つまり、警告とか、報復とか、邪魔だとか、そんな感じかな」
とても大変なことをさらりという。アロイスの両親もそれがもとで殺されたのだろうか。
「……それは親御さんの代からのお仕事ですか」
アロイスがふっと笑う。
「そうだよ。この仕事はローズブレイド公爵家、コールドウェル公爵家、キャプラン公爵家、リグストーン侯爵家、ファイマン侯爵家、五家での持ち回りでなんだよ。
機密事項だからね。王族の血を引く者達で代々 細々と活動している。なにせ恨みを買うから、それなりの財力と武力と権力が必要になってくる。
有益な情報や技術が国を有利にし、富をもたらすのも事実だ。しかし、それが絶対的な正義だとは思っていない。
私の仕事は、もうすぐ終わりだ。次はキャプラン家の当番。だからと言って平和になるかというとそうもいかないけれどね。恨みは残ってしまうから」
そう言葉を結ぶとアロイスの瞳がふと翳った。フィオナは予想もしていなかった事実に驚いた。まさか自分が国の機密事項と関わり合いになるなどと思ってもみなかったのだ。あまりのことに脳内の処理が追い付かない。
しかし、辛い任務についていた事は確かだ。
「あの……辛いお仕事なんですね。それなのに、ごめんなさい。私、とんでもない勘違いを」
フィオナがオロオロとして謝った。
「別にそれは構わないよ。秘密にしていたのは、こちらなのだから。ただフィオナが今回の襲撃でこの家を嫌になってしまったら悲しいな」
サロンがしんみりとした雰囲気に包まれて、フィオナは驚いた。
「え?なんで嫌になるんです?」
フィオナが驚いたようにいう。
「よかった。それならずっと私の妻でいてくれる?」
そういうとアロイスはにっこりと微笑んだ。命がかかっているのだ。妻に逃げられて文句は言えない。
実はフィオナは人気がある。彼女は今まで社交をしてこなかったので、認知されてなかっただけだ。王宮主催の夜会に出た途端、注目が集まってしまった。
キャプラン公爵家の息子には、アロイスが命を落とすことになったら、骨とフィオナを拾ってやると言われている。大きなお世話だった。
つまりフィオナはアロイスと別れたとしても行先には困らない。妻の持参金を必要としない家など商家を含めればいくらもある。美しくて気立てのよい貴族の娘は、意外に需要があるのだ。
しかし、いまのところ死ぬ予定はないので、それをフィオナに知らせる気はさらさらない。今まで通り社交の際はザカリアとクロードにガードしてもらうつもりだ。
「あの、アロイス様、そのことでお話が……」
「え?」
一瞬アロイスの顔色が変わったが、フィオナは俯いていて気が付かなかった。
「私、キャリントン家の娘ではないのです。それどころか……」
「ん?ちょっと待て。どうしてフィオナがそれを知っているの?ジョージはフィオナはその事は知らないと言っていたよ?」
と言ってアロイスが首を傾げた。
「え?」
アロイスはいったい何をいっているのだろう。今度はフィオナが驚く番だった。彼の言ったことが上手く消化できない。
「フィオナ、君との縁談は王家がもって来たものだよ。ちゃんと調べてあるに決まっているじゃないか。それで、誰からいつ聞いた?」
アロイスが艶然と微笑む。それはとても魅力的で危険な感じのするものだった。彼を見ていると、時折、笑顔が恐ろしいもののように思えてくるから不思議だ。
フィオナは余りの迫力に素直に答えてしまった。
「昨日、姉が手紙で知らせてきたんです」
「ジェームス、どういうことだ?ムアヘッド家からは人も手紙も受け付けないことになっていたよね」
アロイスが穏やかに尋ねる。
「はい。昨日届いたのはキャリントン家からのものです」
「なぜ、中を検めなかったんだ」
アロイスがフィオナの知らないところで勝手に取り決めをして、しかもとんでもないことをいっている。フィオナは目を白黒させた。
この人はいったい何を指示しているのだろう?私に無断で……
「フィオナ、封書はキャリントン家で、中身はイーデスが書いたものだったんだね」
説明する間もなくバレている。
「手紙は捨てていないよね。文机の中かな」
そう言いながら、サロンからすたすたと出ていった。信じられないことにアロイスが勝手にフィオナの文机を調べようとしている。
「駄目です。アロイス様」
フィオナはアロイスの後についていこうとしたが、立ち上がると激痛が走った。どうやら、転んだときに足を痛めてしまったようだ。
「奥様、落ちついてください」
「そうですよ。旦那様に任せておけば大丈夫ですよ」
アリアとマリーがフィオナを宥めるようにいう。
何が、大丈夫なの?おかしくない?私の文机を勝手に……。
「そんなことより奥様、足を冷やしましょう」
二人がかいがいしくフィオナの世話を始めてしまった。フィオナの体を心配していろいろと話しかけてくれる。
「大丈夫よ。マリーもアリアもお仕事があるでしょう。それに今日はもう疲れたでしょう。休んでください」
そこまで言ってフィオナは自分が重大なことを確認していないことに気づいた。
「そういえば、マリーもアリアもどうしてあんなに強いの?というかジェームスも……もしかして、私以外皆戦えるの?」
「はい、皆戦えます」
「なんで?」
どこの公爵家でも侍女や執事は皆強いのだろうか?フィオナはそんな話は聞いたことがない。単にフィオナが物を知らないだけなのだろうか。この屋敷にはちゃんと私設騎士がいる。それなのにメイドまで強い。まあ、確かに今回の襲撃では私設騎士だけでは太刀打ちできないだろう。
「ここの使用人のほとんどが、戦闘経験があるからだよ」
アロイスがもう戻って来た。手にはフィオナ宛の手紙を持っている。フィオナがその手紙を取り返そうと手を出して空をつかむ。アロイスがさっとよけたからだ。そして彼はあらためてフィオナの横に腰かける。
「地下に、修練場があるから今度フィオナにも見せてあげるよ。私はジェームスとよく手合わせするんだ」
当たり前のようにさらりと言われて唖然とした。この屋敷に地下があることも知らない。
それからアロイスはフィオナの髪に手をいれ、引き寄せると額をこつんと合わせた。フィオナはあまりの近さにドギマギした。
「それより、何だこの手紙は?フィオナ、もしかして信じちゃった?」
「まさか!アロイス様が冤罪をかけるだなんて信じていません!」
「いや、そっちじゃなくて、追伸のほう。君が貴族じゃなく庶民の子供だと書いてあるところ」
「……はい、すみません、私、今まで知らなくて」
しゅんとして大きな瞳に涙をためた。いくらなんでも庶民と公爵では結婚できない。
「違うよ。フィオナのご両親はオリエン王国の貴族だよ。残念ながら、まだ乳飲み子だった君を残して亡くなられたらしいけれど」
「……」
フィオナの思考は停止した。
「フィオナの母親はジョージの妹だよ。クリステルという女性で、赤ん坊の頃、オリエン王国の貴族に養女に出されたんだよ」
初めて聞く話に頭はパンク寸前だった。
「そしてここにいる使用人達の半数以上がオリエン王国から亡命してきた者達だよ。だから、彼らは戦える。あの国では戦える者の方が生き残るのに有利だったからね」
フィオナにとって衝撃的な告白だった。
「それじゃ・・・」
マリーに、アリア、ジェームス、サロンにいる使用人達が、皆温かい眼差しでフィオナを見る。
「私たちのほとんどはアロイス様とその先代に助けられたのです」
とジェームスがいう。
「今は落ち着いていますが、つい最近まで、粛清の嵐でした。私は……私たちはローズブレイド家に救われました」
アリアがフィオナの手を握る。そういえばアロイスは孤児院に大口の寄付をしている。あそこにはオリエン王国の子供がいる。フィオナは涙がこぼれた。
「フィオナ、彼らの言う事は大袈裟だから、ローズブレイド家は手伝っただけだよ」
優しく温かい光を湛えた緑の瞳。すこし決まりが悪そうな表情。彼が照れている。
とてもやさしい人。
「アロイス様は、私をオリエン王国の遺児と知って結婚したのですね」
「そうかもしれない。ただ一番の理由は釣書の絵姿かな。あれを見て会ってみたくなった」
「釣書の絵姿?」
そういえばフィオナは自分の釣書を見たことがない。イーデスが絵師にいろいろ注文していたのは憶えている。
「そんなに綺麗に描かれていたのですか?」
「そういうことにしておくよ」
アロイスがくすくすと笑う。
「そんなことより、フィオナはこれから先もずっと私の妻でいてくれるかい?」
そういいながら、ソファーの上でフィオナを優しく抱き寄せた。嬉しいけれど先ほどからずっと人目にさらされている。恥ずかしくてフィオナは真っ赤になった。
「はい」
としっかり返事をした。
「フィオナ、私の光」
アロイスはそういうとフィオナを強く抱きしめた。
フィオナはずっと姉のイーデスと言う名が羨ましかった。イーデス、望まれて生まれてくる者に与えられる名前。しかし、この瞬間、アロイスが囁いてくれる自分の名前が大好きになった。
******
屋敷が襲撃されたあの日、白々と夜が明けるころアロイスは王都へ再び旅立った。
事後処理で忙しいらしい。
フィオナも何かと忙しい日を送った。
自分がキャリントン家の本当の娘ではないと知ったとき、不思議とそれほどショックではなく、「ああ、やっぱりそうなのだ」と思っただけだった。ただ本当の両親には会ってみたかったとは思った。
その三日後、フィオナはのんびりと馬車に揺られてながら、アロイスとの別れ際の会話を思い出していた。
「フィオナ、君と初めて会った日の事を覚えている?」
「王宮での顔合わせの事ですか?」
「違うよ。フィオナ、もっと昔」
笑いを含んだ声。フィオナは首を傾げた。
「ハスラー家とは子供の頃から、付き合いがあってね。よく遊びに行っていたんだ。お忍びでね。男爵家の子息だといって」
そこで彼は言葉を切って、くすくすと笑った。まるでこれからいたずらを始める子供のようだ。
「なんだか楽しそうですね」
アロイスが眩しそうにフィオナを見る。
「そこで海へ行ったときにね。天使のように可愛らしい金髪の女の子がいたんだ。貴族の娘だと思う。お転婆な子でね。波打ち際まで駆けて行って遊び始めたんだ」
「……」
「そうしたら、風で帽子が飛んでしまって……私がとってあげたんだけどね」
フィオナは思い出した。一度だけ家族でいった海岸のそばの避暑地。
彼はあの時の……。
「その子の姉が意地悪でね。いきなり妹の頬をはったんだよ」
「……見てたんですか」
フィオナが恥ずかしそうにもじもじする。アロイスは笑い始めた。
「そ、助けにいったんだけど、それが傑作でね。泣き出すかと思っていたその子が、姉の腕にかみついて逆に泣かせたんだよ」
そこまで言って耐えきれないというように肩をゆらして笑い出した。この人は笑い上戸なのだろうか。フィオナは恥ずかしくて真っ赤になった。
「いっ、いつから気付いていたんですか?」
「ルクレシアに来て、初めてフィオナと海に行ったとき、君の瞳が海と同じ色をしていたから。あの時の女の子だってわかったんだよ。
やっぱり、波打ち際に行ったね。靴なんて脱いでもっと遊びたかった?」
とてもやさしい声で思い出話を語る。そしてぎゅっとフィオナを抱きしめると耳元で囁く。
「待っててね。すぐに私も北の領地に行くから、そうしたら、昼も夜も・・・・一晩中一緒にいよう」
そして、頬に優しくキスを落とした。
フィオナはそんな会話を思い出し、馬車の中で一人赤くなる。
窓の外に目を向けるといつの間に景色は変わって、ヒースの丘が広がっていた。北の領地の館では、チェスターの父が執事長を務めているという。
彼に会うのが今から楽しみだ。
領地ではベリー狩りが楽しめて、狩猟大会もあるという。
「フィオナ様、お屋敷が見えてきましたよ」
アリアの声にフィオナは窓から顔を出した。さわやかな風が頬を撫でる。
アロイスが北の館は、まだ襲撃されたことがないといっていた。そのため、バラの咲く庭園も温室もあるそうだ。
きっとまた楽しい生活が待っている。フィオナはわくわくしてきた。
Fin