26 うそでしょ?
最終話まで毎日予約投稿いたします。これを含めてあと三話。お付き合い頂ければ幸いです。
え……またなの?
フィオナが呆然として火の手の上がる庭を見ていると、廊下の方が騒がしくなってきた。誰かが争っているよう大きなもの音が聞こえてくる。
心配になって、フィオナは慌てて扉を開き、廊下にでた。
「お部屋にお戻りください!」
マリーの初めて聞く厳しい声に驚いて振り返ると、彼女の手には槍がにぎられていた。そしてその廊下の先にはアリアがいる。
彼女の両手には短剣が握られていた。男が振り下ろす長剣を受け流し、態勢を崩した男の腹を蹴り上げる。流れるような一連の動作にフィオナは恐怖も忘れあっけにとられた。
「うそでしょ……?」
どうやらこの家は賊に襲われているらしい。そして、それを武装した侍女たちが撃退している。
なんとかそこまでは把握できた。
マリーが槍を構え加勢にむかう。次々に襲いかかる男たちを問答無用で槍でないでいく。次々に撃退され男達が悲鳴を上げる。
これって夢よね?
あなたたち、どうしてそんなに強いの?
フィオナは恐怖も忘れ、呆然と立ち尽くした。
「フィオナ様は私が!」
金髪の女がフィオナの腕をとる。
「はい、ザカリア様、頼みましたよ」
アリアとマリーが敵と剣戟を繰り広げながら返事をする。
「へ?ザカリア様その髪色はどうしたのですか!」
ザカリアはブルネットだ。それがみごとな金髪になっている。どうやら鬘をかぶっているようだ。
彼女は華やかな色合いのガウンを身にまとい、しかし腰には長剣を佩いている。
フィオナは金髪のザカリアに自室へ連れ戻された。ブルネットも素敵だが、金髪も似合っている。パニックのさなか、そんなどうでもよい感想が頭に浮かぶ。
「扉に鍵を」
言われるままに部屋の扉に鍵をかけた。それと同時に廊下でひと際大きなドンという音がした。
「ザカリア様、これはいったい?」
フィオナの声は震えた。今になって怖くなってきたのだ。
「申し訳ありませんが、今は説明している時間がありません。続き部屋の扉を開けてもらえませんか」
ザカリアはテキパキと指示を出した。その声は落ち着いている。まるでこういう状況には慣れているかのように。
フィオナは首にかけた鍵を使って、震える手でアロイスの寝室へ続く扉をあけた。彼の部屋を見るのは、これが初めてだ。
その間、ザカリアはフィオナの頭に手早く地味な色合いのショールをかける。
「賊はフィオナ様が金髪であることを知っています。ショールから、極力髪を出さないでくださいね」
狙われているのはフィオナなのだ。なぜ……?
ザカリアの用意したランプに照らしだされたアロイスの寝室には、天蓋付きのベッドと優美なテーブルセットが置いてあるのではなく、短剣から始まって、バトルアックス、長剣、槍、弓などの武器が所せましと並べられていた。
フィオナは再び茫然自失となった。
え?旦那様は、武器コレクターなの?
驚きにマヒした頭でそう考えた。
サクサクと慣れた様子でザカリアは部屋にはいると、なかから小ぶりのメイスを見繕う。驚きに足をすくませているフィオナの腰に慣れた手つきで装着した。
これらの武器は蒐集品ではなく。実戦用だった。
「なんで…?」
フィオナの混乱をよそにザカリアは淡々と説明を始める。
「フィオナ様、メイスはあくまで護身用です。間違ってもご自分から敵に向かっていくことのないようにお願いします。
使い方は簡単です。振り上げて殴るだけです。いざとなったら、投げつけて逃げるのも効果的です。では行きましょう」
間違いなくここは武器庫だ。断じて貴族の豪華なコレクションルームなどではない。
この部屋はアロイスの寝室などではなかった。フィオナは何も知らずに武器庫の横で安眠をむさぼっていたのだ。
今まですっかり騙されていた。
事実を知って再び呆然となり、ザカリアに手を引かれるまま廊下にでた。
表に出た途端、「いたぞ」などと野太い男のさけび声が響き渡り、賊が集まってきた。ほとんどは従者やメイドにはばまれた。すり抜けた強者だけがこちらへ向かってくる。手に武器をもって。
フィオナは恐怖とショックで棒立ちになる。
「どうして……こんなことに?」
フィオナの小さなつぶやきは、儚く乱闘にかき消された。
ザカリアが迫り来る男たちを怯むことなく、剣を振りかざし邪魔なコバエのように追い払う。
そして、フィオナの腕をしっかりとつかみ、ぐいぐいと廊下をつき進む。
2階の廊下から見える吹き抜けの玄関ホールではジェームスとクロードが応戦している。どう見ても賊の方が人数で勝っているのに二人の方が優勢だ。彼らはいったい何者なのだろう?そして、この家の使用人達はどうしてこんなに強いのだろうか?
フィオナはそこではっと目が覚めた。
「私は戦わなくていいのですか?」
自分は留守を預かる女主人だ。先頭に立つべきではと思ったのだ。
ザカリアは驚きに目をみひらいた。か弱そうに見えるフィオナの意外な肝の太さに驚いた。貴婦人ならば卒倒したり、泣き叫んだりしてもいいような状況にあって、彼女は気丈だ。きちんと自分の足で歩いてザカリアの後をついて来る。よくいる甘ったれた貴族の元令嬢とは随分違う。
「彼らはあなたを殺すか、もしくは攫おうとしています。だから、身を隠しながら逃げなくてはなりません」
ザカリアは、はっきりと事実を告げた。きっとこの彼女なら大丈夫だろう。ぼかす必要はない。
フィオナの震える華奢な肩に手を置いた。
「アロイス様から、教えてもらっていますよね。避難経路」
「はい?」
「連れて行ってもらったのでは?この屋敷の主人しか入れない場所に」
あのバルコニーのことなの?
フィオナがコクリと頷くと、ザカリアはフィオナの手を引いてあの狭い廊下に送り込む。
「では、私はここで。フィオナ様、どうかご無事で」
と言うと身をひるがえして、廊下におどりでた。
「きゃああ」と、なぜかとても可愛らしい悲鳴をあげながら。
どうやらフィオナの代役を務めるようだ。それであの金髪に華やかな色合いのガウン……。やっと合点がいった。
彼女は群がってきた賊を限界まで引き寄せると長剣を抜き放った。次々に倒していく。強すぎるザカリアにあっけにとられた。
こんな日常とかけ離れた非現実的な状況において、強くて美しいザカリアにたいする憧憬がフィオナの中にじんわりと湧いてきた。
アロイスの留守を預かる自分が本当に逃げ出してもいいのだろか?しかし、戦えないフィオナは彼らの足手まといだ。ザカリアがフィオナの身代わりとなって、逃がそうとしてくれている。
逡巡したのは一瞬でフィオナは狭い廊下を一人奥まで進み、小さな扉からせまい階段室へと入った。しっかりと鍵もかけ、ランプを片手に暗く急な階段を上り始めた。
外から、ドドドっと複数の足音が響いてきた。彼女は恐怖に背中を押されるように階段を上り始めた。
どうか、みんな無事でいて。こんな頼りない私で、ごめんなさい……。
小さなランプ一つの頼りない灯り、焦りに足はもつれ、転んでしまう。落としてしまったランプの炎がいまにも消えそうだ。
いや、消した方がいいのかもしれない。
おそらく明かり取りの窓やバルコニーから、あかりがもれフィオナの居場所を教えてしまう。
フィオナは怖かったが、意を決してランプの灯をけした。
ネズミも蜘蛛もこわい。転んで打った足もじくじくといたむ。その上辺りは真っ暗。
アロイスの寝室と信じていた場所は武器庫だった。ずっと騙されていた。フィオナの瞳から大粒の涙がポロポロとぼれた。
なぜ、屋敷が襲われて、自分がこのような目に遭うのか分からない。しかし、身を挺して、屋敷とフィオナを守ってくれている皆の為にも見つからないように逃げ切らねばならない。ショールで涙をぬぐうとフィオナは立ち上がった。
思えば結婚してから、良い出会いばかりでフィオナは幸せだった。
夫となったアロイスはとても良い人だ。恵まれない人達に寄付し、王族の血を引く高貴な身分に驕ることなく、没落寸前の伯爵家からきたお荷物でしかないフィオナにも親切にしてくれた。そればかりか実家で与えられなかった教育まで受けさせてくれた。
そして屋敷の親切な使用人たち、チェスターはローズブレイド家のことをいろいろ教えてくれた。マリーもアリアもマナーもろくに知らないフィオナを馬鹿にすることなく、とてもやさしく接してくれた。陽気でおしゃべりな執事のジェームスも庭師のアダムスも皆とても良い人達だ。どうか誰も傷つかないで……。
きっとネズミなんて怖くない。蜘蛛だって大丈夫。フィオナは自分にいい聞かせ、闇のなかを手探りで歩いた。
しばらくすると闇に目が慣れた。どちらへ向かえばいいのだろう。
途方に暮れかけた時、アロイスの言葉を思い出した。
「右手を壁について歩けばいい」
彼はちゃんと教えてくれていた。最大限フィオナを怖がらせないように考えてくれた……それが夜のお散歩だったのだ。
少し怖かったけれど、楽しくてどきどきした、とても素敵なひととき。思い出すとじんわりと心が温かくなる。
気が緩むとまた涙が零れそうになった。