23 夜のお散歩2
フィオナが落ちついてくると、どちらからともなく、ポツリポツリと話し始めた。夜は不思議な空間を紡ぎだす。日頃面と向かっては話しにくいこともすんなりと口にできる。
「そういえば、アロイス様は、お父様とお母様どちらに似ているんですか?」
「母似かな。フィオナは父の顔も母の顔も知らなかったね。執務室に肖像画がかけてあるから、今度見においで」
「はい、楽しみです」
彼の両親の肖像画がないことを不思議に思っていたのだ。執務室にあるとは思わなかった。そういえばフィオナは彼の執務室に行ったことがない。今度見せてもらおう。きっととても美しい母なのだろう。
「フィオナは、ご両親のどちらにも似ていないね」
「そうですか?父似だと言われますけれど」
「それは瞳が青いから?青と言っても全然違う色に見えるよ。金髪もフィオナの色とは違う」
そんな風に言われたのは初めてだった。姉のイーデスは、母のメリッサにそっくりだ。家族の誰にも似ていないと言われると、少し寂しく感じる。
「フィオナの鮮やかな青い瞳や淡い金髪の方がずっときれいだよ」
アロイスがそういって微笑んだ。フィオナは真っ赤になって下を向く。褒められて嬉しいのにどう反応していいのかわからない。暗くて良かったと思った。彼にそういってもらえると似ていなくても別にいい気がしてくる。
今まで自分の見た目など気にしたことはほとんどなかったが、結婚してからはそういうわけにはいかなかった。マナーも完璧で見目もよいアロイスの横に並ぶのだ。王都の夜会では気が引けた。
「そろそろ行こうか」とアロイスに促された。二人はまた夜の静まり返った廊下を歩き始めた。
フィオナはまたネズミが出るのではとおっかなびっくりしていた。
「あと少しだけど、駄目そうなら言って。背負ってあげるから」
アロイスが笑っている。
「だ、大丈夫です!」
フィオナは真っ赤になって首をプルプルとふった。羞恥心が恐怖に勝った。
また狭い廊下に入り、ドアの前で立ち止まる。フィオナの持っているカギで扉を開けると階段室だった。
すこし埃っぽい階段は長く続いて、先の方はぽっかりと暗い闇に飲み込まれている。そこを二人でランプを片手に降りて行った。
「なんだか、このお屋敷迷路みたいです」
やっと暗さに慣れてきたのか、フィオナの声に僅かな好奇心が含まれる。
「そんなに複雑ではないよ。右手を壁について歩けばここに出る。ここを下れば外だよ。はぐれても大丈夫だから安心して」
「はぐれるのは、いやです」
そういうとフィオナはアロイスのシャツをしっかりとつかんだ。
「フィオナは随分と怖がりなんだね」
と言ってふふと笑う。
「これが怖くない人なんていませんよ。きっとアロイス様くらいです」
フィオナがむくれて言い返した。アロイスは一人で時折ここに来るらしい。フィオナには信じられないことだった。
階段を下りきったところで、アロイスが立ち止まった。その先にはまた扉がある。正面と右手二つだ。
「右手のドアを開けてごらん」
言われた通しに開けてみると短い上り階段が続いていた。しかし、それは天井にぶつかって途切れている。
アロイスはそこを上り、天井を押し上げた。
ふわりと月明かりが差し込んだ。そこは庭だった。目の前に大きな木と茂みがある。アロイスに手を引かれて階段を登りきると茂みの先にフィオナの花壇が見えた。
「あっ!」
フィオナは気付いた。その横でアロイスがくつくつと笑っている。
「ここから、いらしてたんですね」
昼間、フィオナが庭で植物の世話をしていると時折アロイスが音もなく後ろから現れる。どうやらこの通路を使っていたようだ。どおりで気付かないはずだ。
普段はとても大人なのに、時折、まるで子供のようないたずらをする人。フィオナはアロイスを呆れ半分に睨んだ。
「アロイス様。ひどいです」
フィオナの抗議などどこ吹く風で、彼はくるり背を向けて、まだ笑っている。今夜の散歩はこの種明かしのようだ。
何も夜更けにやることないのに。彼はとても優しいけれど、どこか意地悪だとフィオナは思った。
フィオナが失敗したり、怖がったりするとどこか楽しそうなのだ。ただ、本当に困ったときは、助けてくれる。彼はきっとそういう人だ。
いつの間に月は中空までのぼっていて、血のような赤みが抜け、銀色に輝いていた。
そのまま、アロイスに手を引かれて庭に出る。昼は色鮮やかに花の咲き乱れる花壇が、夜は月の明かりを浴びて銀色に光って見える。ヒマワリはまるで眠っているようだ。
鮮やかな色彩は奪われているのに、綺麗な景色だった。しばらく見惚れていると、ゆるりとアロイスの手がフィオナの腰にまわり、優しく引き寄せられた。
「ひっ!」
フィオナが驚いて声を上げると、アロイスが静かにというように、人差し指を唇の前でたてた。仕草はとても優美なのに、彼が魅力的な男性に見えてしまう瞬間だった。ドキドキしながら頷くと、フィオナの淡い金色の髪をアロイスの長い指がゆっくりとすいていく。
「フィオナ、そんなに固くならないで、結婚式じゃないんだから」
笑いを含んだ優しい声。エメラルドの瞳が揺らぐ。
言われてみるとフィオナには結婚式の記憶があまりない。式の間中、倒れそうなほど緊張していたので記憶が飛んでしまっていた。
それでも優しく髪をすかれていると、しだいに安心して来た。いつもより少し距離が近いだけ。
「誓いのキスのやり直し」
彼が、耳もとでそう囁いた。
アロイスの長い指がすっとフィオナの頬を伝い、頤を軽く押し上げた。触れる指先が熱を帯びる。唇に柔らかい感触が落ちた。フィオナはそっと目を閉じる。胸を高鳴らせながら。
二人そろって屋敷に戻ると夜遅いにもかかわらず、まだ数人の使用人達が仕事をしていた。
「こんな夜中に庭で散歩ですか?」と執事のジェームスからは呆れられ、マリーには「旦那様、こんな夜更けに外に出るなんて、奥様が風邪を召されたらどうするのですか」苦言を呈された。
フィオナを部屋の前までアロイスが送ってくれた。
「お休み、フィオナ。いい夢を」
アロイスはそう言い残して踵を返すと、寝室の扉をぱたんと閉じて廊下へ出て行った。
あっさりした、その別れに、フィオナはあっけにとられた。
あれ?あれれ?やっぱり私、魅力ないの?
夜中の散歩ですっかり疲れてしまったフィオナは、ふかふかのベッドで深い眠りについた。
翌朝早くにフィオナはアロイスを見送りに玄関ホールに立っていた。彼がまた出かけてしまう。
「フィオナ、私はしばらく留守にする」
いつも朝起きるとふいといなくなっていることが多いアロイスが、珍しく今後の予定を告げた。いつもはそんな事は言わない。フィオナは驚いた。
彼は穏やかに微笑んでいる。
「はい…」
わざわざ言うということは、遠くに行ってしまうだろうか?また、結婚当初のように長く留守にするのかもしれない。
今朝の彼は少し疲れて見えた。まだ仕事が残っていたのに、昨晩はフィオナに付き合ってくれたのかもしれない。
でも、何だか、おかしい。上手く説明はできないが、彼がいつもと違うのだ。微笑は同じなのに……。
フィオナは胸騒ぎを覚えた。
「フィオナ、今日から、クロードとザカリアが遊びに来るよ」
「え!」
彼らに会うのは久しぶりで、嬉しい。さっぱりとした気のいい人達だ。
「彼らの領地は隣なんだよ。この時期は毎年遊びに来る。私が戻ってくるまで二人をもてなしてあげてね。」
「はい」
そういわれてフィオナはほっとした。二人の事を頼んでいくという事は、アロイスは近いうちに帰ってくるのだろう。遠くに行ってしまうわけではないのだ、きっと。
しかし、クロードは彼の部下だ。ならば、アロイスの今回の留守は仕事ではないのだろう。
それならば、いったいどこへ?
フィオナがそう思い至ったとき、彼を乗せた馬車は出発していた。
遠くなっていく蹄の音を聞いていると、心がさざなみのように揺れる。こんな感覚は初めてだった。