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22 夜のお散歩1

 その日はいつものように教養の座学やマナー、ダンスのレッスンに明け暮れていた。アロイスも忙しいらしく、食事の時間もお茶の時間もフィオナひとりだった。


 合間をみて庭にでた。花壇の世話をし、庭師のアダムスと今度は何を植えようかと相談する。もちろんアロイスを説得するのはフィオナの役目だ。着々と花壇の花は増えている。

 しかしひと段落してしまうとなにか物足りない。侍女のマリーやアリアが話し相手になってくれるが、なぜか寂しい。

 アロイスがいないからだ。

 

 最初は実家の借金を肩代わりしてくれたので、感謝の気持ちでいっぱいだった。愛も会話もなくても別に大丈夫、自分はただ夫に尽くすだけなどと思っていたはずなのに。

 今は……思いのほかフィオナの中で彼の存在が大きくなってきてしまっていた。

 



 その夜、そろそろベッドに入ろうかという頃、ドアをノックする音が聞こえた。

 

 誰だろう?マリーかアリアかな?

 

 しかし、開いた扉の向こうに立っていたのは、アロイスだった。何しに来たのかと思いきょとんとした。

 今日は一日放置されていたので、今から、話し相手になってもらえるのだろうか?これは早速お茶の準備をしなくてはと思い、はたと気づいた。

 そういえば、彼はフィオナの夫なのだ。 意識したとたんに緊張して、どきどきした。こんな時間だし、さすがにただ話にきたのではないとわかる。二人は夫婦なのだし……。


 最近では愉快な遊び相手だと思って、うっかり忘れていた。結婚式から随分経っているし、もうそういう夫婦の営みはないものなのだろうとなんとなく思い込んでいた。

 なぜ、今になって……。どうふるまうのが正解なのかわからないまま、フィオナは混乱した。

 そもそもフィオナには経験のないことだ。普通の妻はどうやって夫を部屋に招き入れるのだろうか。それすらもわからず、戸惑っていた。

 彼女は実家でまともに教育を受けてこなかったうえに、家の事情に振り回され社交にも顔を出さなかったので、男女の秘め事についての知識がほとんどない。


 だから、彼になんと声をかけたらよいのかわからない。「お待ちしておりました」「いらっしゃいませ」「ようこそ」どれがいいのだろう。こんなことなら実家で母に聞いておけばよかった。などと見当違いのことを考えて、フィオナの思考はどきどきするよりも、頭を悩ます方向に進んでいった。 

 いや、ここは多分「こんばんは」だなどという結論が出たところで、ふと視線を落とすとアロイスの手元にランプが二つ揺れていた。


なんでランプが二つ?


フィオナは目を丸くした。思わず見上げると、いたずらっぽい緑の瞳と目が合う。


「ちょっと散歩しない?」


 軽い口調でそういうと、彼は楽しそうに微笑んだ。なぜだかはしゃいでいるように見える。そのせいか、いつもの彼よりほんの少し幼い。


 え!やっぱり遊んでくれるの?


 フィオナはいままで頭を悩ませていたことなどすっぽりと忘れ、いそいそと夜着の上に大きめのケープを羽織り、ぱたぱたと彼の後について部屋を出た。




 光量を落とした広く薄暗い廊下を抜け、狭い通路に入った。しばらく歩くと小さな扉の前で止まる。その向こうには綺麗な夕景を一緒にみたあのバルコニーへ続く狭い階段がある。


「フィオナ、鍵もってる?」

「はい」


 フィオナが首から下げた鍵を取り出すと、アロイスが驚きに軽く目を見張る。彼女は言いつけ通りにちゃんと肌身離さず持っていた。それなのに彼は「フィオナいい考えだ。約束を守って偉いよ」といいつつ「くくくっ」と笑いが収まらない。フィオナはほんのちょっと気を悪くした。結構いい思い付きだとおもっていたのだ。


「そんなに笑わないでください」


 何がおかしいのかと言わんばかりに、フィオナが抗議する。


「いや、女性はポーチとかに入れて持つものかとおもっていたから、ふふふっ。今度、鍵を下げる用のネックレスを注文しよう。その調子で肌身離さずね」


などと前半は笑いながら、後半は真面目な口調で言う。しかし、まだ彼のエメラルドの瞳は笑っている。多分、「肌身離さず」は比喩だったのだろう。あいにくフィオナに比喩は通じない。


 気を取り直して金色のカギを鍵穴に差し込んだ。ノブをひねるとカチャリと音を立てドアが開いた。

 上にのびる急な階段は、この間より暗く、すこし不気味に見えた。夕方と夜更けでは随分受ける印象が違う。


「足元に気を付けて」


 そういわれて、ランプを手渡された。片方の手で手すりにつかまり、フィオナは慎重に階段を上った。夜の静寂に、階段を踏む音がきしりと響いた。


「なんだか、暗くて怖いです」

「そう?この時間に、ここから見る月の無い夜空は最高だよ。星が降るようで」


 そういうものなのだろうか?月がなければかなり暗いではないか、少し怖いなと思いつつ、フィオナは曖昧にうなずいた。


「今日は星をみにきたのですか?」


 夫はロマンチストなのだろうか。


「違う、散歩だよ。でも空を見るものいいかもしれない。今夜は少し変わった月がでている」


 アロイスはとても機嫌がよさそうだ。

 そういえば、今夜はフィオナの手を引いてくれない。最近は手を引かれて歩くことが多かったので、少し違和感がある。しかし、よくよく考えてみると片手にランプ、もう片方は手すり、両手は塞がっていた。


 広い廊下にでた。そして、このあいだ、瞬きをするのも惜しいほど綺麗な夕景をみたバルコニーの横を通る。

 しかし、残念なことに夜空には赤く大きな月が浮かんでいた。それはそれでとてもきれいなのだが、美しさの分だけ気味の悪さが増す。血を連想させた。


「やっぱり不気味……」


 ランプの明かり越しにそんなフィオナの反応をみて、笑っているアロイスがいる。


「足元に気を付けて」


 広い廊下を彼の後について黙々と歩いた。バルコニーと反対側の壁にはいくつかの部屋が並んでいた。

 アロイスに聞くと、今は使っていないから、掃除していないと言っていた。よく考えたら、ここが屋敷の主人の場所ならば、自分で掃除しなければならないのではないか?フィオナは鍵を持っている。


「アロイス様、今度、私がお掃除に来ましょうか」


フィオナがそういうと彼は苦笑した。


「いいよ。そんなこと心配しなくて。結構広いしね」



 思ったより廊下は長く続いていた。わきに狭い通路が見えてくる。アロイスはそこへ入っていった。ところどころ明かり取りの窓があるので廊下には月明かりがさす。


 しんと静まり返った廊下には微かな衣擦れと二人の足音しかしない。

 暗さにも慣れて足元に不安もなくなったころ、アロイスがフィオナに手を差しのべた。いつも察しの良い彼が今夜はタイミングをずらしている。今はそれほど足場は悪くない。


「大丈夫です。一人で歩けますから」


 そっけなく、そう言ってしまった自分が少し恥ずかしい。これではまるで、今まで手をつないでくれなかったからといって拗ねているようだ。

 と……そのときフィオナの背後でガサリと音がした。突然聞こえてきた音にフィオナは驚いて自分のランプを落としそうになった。


「フィオナ、どうしたの?」


 アロイスがすぐに彼女を支える。


「え、今音が。何もないのに音がしたの」


 そう言いながら震える。口調も無意識に砕けてしまっていた。


「何もいないのに音がするわけないでしょ。大方ネズミかなにかだよ」

「ひっ!」


 フィオナは無意識にアロイスにしがみついた。彼は慌てたフィオナの手から、危なげに揺れるランプを取り上げる。


「今度はどうしたの?」

「ねずみ嫌い……」

「えっ?」


アロイスが微かに首を傾げる。


「あの……あのね。子供の頃、父にひどく叱られて、屋根裏部屋にとじこめられて。そのとき、ねずみが、でて……すごく怖かったんです」


フィオナは本当に怯えていた。


「まいったな。そんな苦手があるとは……」


 アロイスが小さく呟いたが、その言葉はフィオナの耳には入らなかった。

 幼虫に続いてネズミ、意外に苦手が多い。アロイスはフィオナの華奢な背中を優しくさすった。ここに来て随分食べるようになって、ふっくらとしてきたが、それでもまだ痩せている。

 しばらくして気を取り直したフィオナに声をかける。


「ほかに苦手は?」

「蜘蛛です!」


 即答だった。


「うん、わかった。要するに屋根裏が駄目なんだね」

「あ、でも、ここは好きです。景色がとてもきれいだし、広いし、バルコニーは素敵だし、夕方までなら楽しいです。それとアロイス様と一緒なら」


 フィオナが慌てて言い募った。彼女が最後に付け足した一言が、思いのほか心にしみた。

 彼女はおそらく子供の頃、ひどい折檻を受けたのだろう。そう思うと胸が痛む。もう少し、だらしのないジョージを締め上げてやろうかと思った。


 最近のフィオナはアロイスにとてもなついてきている。王都の屋敷の庭が燃えたときは、さすがに警戒されていたが、今は呼べば喜んでついてくる。まるで臆病な子猫のように。最初の頃、とてもおどおどしていたのが嘘のようだ。それはそれで……。













長いので二話に分けました。明日続きを投稿します。

いつも誤字脱字報告ありがとうございます。




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