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21 雨の日の遊び相手

 アロイスから鍵を預かった次の日は、海辺の街には珍しいことに雨が降った。激しくはないが大粒の雨で、今日は庭に出られない。

 

 フィオナの部屋から見える街は雨に濡れ、その色彩はワントーン暗くなったようだった。しかし、陰鬱さはなく、眼下の街はぼんやりと浮かび上がり、雨音が耳に心地よい。


 そんな日に限って、マナーもダンスも教養の座学もお休みだ。最近活動的になったフィオナにとっては少し退屈だった。



 久しぶりに刺繍でも刺そうかと思いたった。

 アロイスにハンカチを贈ろう。ローズブレイド家の紋章と彼のイニシャルが入ったものは前に作ったので、今度はそれにハイビスカスを取り入れてみようか。

 

 早速図案化した。それが完成すると、フィオナは銀の糸を選んで刺し始めた。

アロイスは金髪にグリーンの瞳をもっているが、なぜかフィオナがイメージする彼の色は銀だった。




 しばらく刺繍に集中していると、珍しくアロイスがフィオナの部屋にやってきた。もちろん、廊下側のドアからノックの音ともに。


「フィオナ、おいで。暇でしょ」


 断定している口調だ。どうやらアロイスはフィオナが目の前に居なくても彼女の考えが読めるらしい。前は刺繍を退屈しのぎなどと思わなかった。それが今は……。いつの間にか彼女は少しずつ変わってきていた。


「お仕事の方は大丈夫なのですか?」

「問題ないよ」


 そういうと彼は微笑んだ。

 今日はあいにくの雨で庭にも出られないし、ちょうど時間を持て余していた。遊び相手ができたとばかりにいそいそと刺繍の道具を片付けて、彼のあとについて行った。


 その姿をほほえましそうに、マリーとアリアが見送った。


「一時はどうなることかと思いましたけど、旦那様と仲が良くてよかったです」


 とアリアが口にする。マリーも頷く。


「奥様が良い方で、良かったわ」


 実はアロイスは人当たりがソフトなようで、選り好みをする質なのだ。嫌いな人間に対しては、無関心を貫く。

 

 マリーや今は王都の屋敷で留守をまもっている執事長のチェスターも、彼のフィオナに対する態度をみて、ほっとしていた。

 アロイスは忙しいわりに、時間を見つけてはマメにフィオナを構っている。どうやら、この屋敷の主人は気立ての良い妻をとても気に入っているらしい。二人は表面だけの冷たい関係の夫婦にならなくて済みそうだ。

 


 

 

 フィオナは遊戯室に足を踏み入れた。

 ここに来たのは、ジェームスに屋敷を案内された日以来だ。


「何をして遊ぶのですか?」


 きらきらと青い瞳を輝かせて問うフィオナに、アロイスは「ふふっ」と笑った。フィオナの無垢な反応にちょっとした悪戯心が芽生えた。


「フィオナは可愛いね。小さな女の子みたいだ。そうだな……かくれんぼでもする?」


 楽し気に誘うように笑う。


「え?」


 その笑顔に惑わされ、一瞬きょとんとした。アロイスに可愛いと褒められたのではなく、ましてや本当に二人でかくれんぼするのではなく、からかわれたことに気づいた。


「しません。それに私は子供ではありません」


 フィオナは真っ赤になって、むきになって言い返した。

幼いころ実家でやったかくれんぼでは、姉のイーデスにすら見つからなかった。彼女のひそかな自慢である。それを言いたいのだけれど、口にすれば、アロイスに更に揶揄われそうだ。

 くるりと背を向けた彼の肩が、小刻みに揺れている。


「いいですよ。別に大声で笑っても」


 彼は、ときどき意地悪だ。フィオナはいつもいいように揶揄われてしまう。彼女がいじけ気味に言うと、いつの間にか隣に来たアロイスがフィオナの頭にぽんと優しく手を置いた。


「ビリヤード、やってみる?」




 フィオナはキューの握り方から彼に教わった。アロイスがティップにチョークを塗り付けてくれる。そうするとミスショットが少なくなるそうだ。


 教わったゲームのルールはいたって簡単で、相手より先にボールを落とせばいいだけだ。だんだんボールに思い通りに当たるようになってきた。すると楽しくなって、いつの間にか夢中になっていた。しかし、アロイスには一回も勝てない。


 彼はそんなフィオナに付き合ってくれた。なぜだか途中から、明らかにフィオナに勝たせようと手を抜いているというより、フィオナの都合のいい位置にボールを打ってくる。

 アロイスの厚意を無駄にしないとばかりに、つい力んでしまった。勢いよくショットすると、びりっと布の裂ける音がしてアップルグリーンのラシャがやぶれた。


「わあ!どうしましょっ」


 ラシャは高価なものだと聞いている。フィオナがキューを握ったままあたふたしながら謝ると、危ないからといってアロイスが彼女からキューを取り上げ、声をたてて笑っていた。



 

 そのあと二人は休憩をとってお茶にした。


「午後からチェスをしようか」


 今日は一日フィオナと遊んでくれるらしい。

 

 チェスは、イーデスとジョージがやっていたのを見たことがある。その時はフィオナが相手ではつまらないからと入れてもらえなかった。


 教わってみると駒の動きを覚えるのに手間取ってゲームどころではなかった。アロイスは慣れれば、楽しいよと言ってくれたが、フィオナはあまり頭を使うことは好きではない。彼の相手になれなくて少し残念だった。





 フィオナから見てアロイスは不思議な人だった。結婚当初、彼との心の距離はものすごく開いていて、縮まることはないと思っていた。それなのに、今は実家の家族よりずっと近しいし、安心できる。秘密の多い人なのに……。




 外は雨で、大きな窓から見える景色は早くから夜の闇に沈み込んでいるのに、二人でとる夕食はとても楽しくてなぜか気分が浮き立った。

 そんな時は燭台にともされた炎がいつもより、きらきらと明るい光を放っているような気がして、窓から見える街の景色も、雨の日ですら、鮮やかに目に映る。


 何気ない会話のおりに彼のエメラルドグリーンの瞳と目が合うと、ときおり胸の鼓動が早くなって、妙に息苦しい。どこも具合は悪くないのに……。




 一緒にいると安心できるはずなのに、どうしてドキドキするのだろう。フィオナは戸惑い、その思いに名前を付けることを躊躇した。







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