19 アロイスの周辺事情 ~結婚直後~
アロイスは呼ばれてしまった。
よりによって、新婚初夜に。
どうしてもはずせない緊急案件だった。
新妻は大丈夫だろうかと思った。しかし、家を出るときにみた彼女の顔には、驚きはあったものの、怒りや悲しみなどの感情はなかった。結婚生活にそれほど期待をもっていないのだろう。
彼女の気立てがよさそうな分、アロイスは心に僅かな痛みを感じた。きっと妻の心に初夜に戻らなかった夫の記憶が深く刻まれるだろう。
使用人からの報告では、フィオナは突然降ってわいた公爵家との縁談に浮かれることもなく、ただ淡々と日々を過ごしていたらしい。多少訝しんでいる様子はあったが、それだけで思い悩む様子もなかったという。また、大変な働き者だとも言っていた。
結婚式も滞りなく終了した。作法など随分とまじめに取り組んでいたようだ。非の打ちどころがない出来といってよかった。誓いのキス以外は……。
緊張で息をすることも忘れ、今にも倒れそうになっていたフィオナを思い出すとつい笑いがこみあげる。しかたなく、頬に軽くキスを落とした。おそらく彼女は今まで、男性に触れられたことすらなかったのだろう。
ただ若干家族関係に不安要素はあるようだ。王宮の庭園での顔合わせのときに、伯爵家の品位すらない下世話な親をみた。その後、キャリントン家に入れた使用人からもいろいろとよくない報告を受けている。
アロイスはフィオナと約束したように、一年間キャリントン家の生活を支える心づもりでいた。
だが、それは思った以上に困難を伴った。
結婚式後すぐに呼び出された仕事は終わった。だからといってアロイスが解放されることはなかった。
思ったよりもキャリントン家の状態はひどかった。
フィオナの父、ジョージとの間にできたという子供を連れて、一組の男女が乗り込んできたという報告を受けた。女はミランダといい、男は男爵を名乗っているらしい。
早く新妻に会って会話の一つもしなければと思うものの、ジョージから受けただらしない印象が気になって、屋敷には戻らず、直接フィオナの実家に向かった。案の定、修羅場となっていた。
フィオナの母、メリッサがヒステリーを起こし、ジョージの子を産んだというミランダに殴りかかっていた。それに対して、男爵を名乗る男は賠償金を請求し始めるという収拾のつかない状況だった。
その上なぜかジョージは子供を庶子として認めようとしている。
アロイスが、証拠を提出しなければ庶子として認められないとし、それでも居座るつもりならば憲兵に突き出すというと、子連れの男女は這う這うの体で逃げだした。
なぜこれしきのことに、問題がここまで拗れたのか不思議だった。
彼らは十中八九詐欺だろう。公爵家との婚姻を聞きつけて、キャリントン家を狙ったのだ。上手くいけば、慰謝料や養育費としてたんまり金を引き出せる。
彼らにしてみれば女にだらしのないジョージは格好の餌食。彼はまんまとそれに引っかかっていた。呆れて物も言えないとはこのことだ。
しかしながら、彼は見たところお人よしとは程遠い人物である。疑問に思い、なぜ庶子として認めようとしたかを詰問した。
「男子だというし、家を継いでもらえると思ったから」
いけしゃあしゃあという。
更に、養育費や教育はどうするつもりかと問うと「公爵家で払ってくれるのではないのですか?」と平然と答えた。
結局、公爵家から金さえ引っ張れればそれでよいのだ。呆れるほど短絡的で享楽的な人物である。
きっぱりとそれはあり得ないことを伝えると、今度はフィオナとの間にできた子供をくれと言い出す始末。
どうやらいっても分からない人間のようなので、アロイスは実力行使にでることにした。
護衛に命じてなかば拉致するように卿をキャリントン家の領地に連れて行き、領主としての勤めをきちんと果たすよう指導した。
実際、それは骨の折れることだった。ジョージは、領地を収入源としか考えていなかった。今はすっかり、過疎になっているが、昔は、宝石などがとれたらしい。その頃は街も栄えていた。今は見る影もなくさびれている。ジョージは領主としての教育を受けていないのか、はたまたさぼっていたのか、ろくに仕事ができなかった。
しかも領地の邸宅は傷んで雨漏りも放置されていた。荒れたみすぼらしい庭が邸の雰囲気を陰気なものにしていた。
アロイスは、領地の今後の改善を考えた計画書を提出し報告する義務をかした。ジョージはかなり不満のようだ。
キャリントン家は昔は栄えていたので、領地も王都からそれほど離れてはいないが、やることがたくさんあり、なかなか家に帰れなかった。
王都に、何も言わずにおいてきたフィオナのことが気掛かりだった。
「私の領地はあまりよくない土地ですし、街もさびれています。管理を厳しくしたからといって、そうそう採算がとれるものではありませんよ。閣下、あなたのように領地に恵まれているかたとは違うんですよ」
事ここに至って、ジョージはアロイスを閣下と呼び始めた。妙に卑屈に。当てこすりかとも思ったが、今更名前で呼ばれるのもいやだった。
「採算が取れなければ、没落するだけですよ」
「なんだって。あんた、妻の実家を没落させる気か!」
ジョージが気色ばんで叫ぶ。正体を現した。アロイスはこれがこの人の地なのだなと冷静に判断を下した。
「私には関係のないことです」
にべもなく言い放つ。取り繕う必要もない人間だ。
「なら、その時はフィオナとは離縁するのですね?」
ジョージは途端にずるそうな顔をした。
「離縁などしませんよ。彼女には何の落ち度もありませんから」
「なぜだ!私の娘を返してくれ」
まるで娘を思う父親のようなセリフだが、事実は違う。
「今度は、レイノール商会の次男に嫁入りさせるつもりですか?」
アロイスがそういうと、ジョージは一瞬顔色を変え、それから黙り込んだ。図星のようだ。
噂は聞いていた。マコーレ・レイノールは、いまだに美しいフィオナにご執心らしい。そして、ジョージはレイノール商会とつながっている。
彼女はその事実を知らない。
「とにかく、あなたを領地から出す気はありませんから、今まで働いてこなかった分、きっちり務めてください。私がいいというまで、王都へは帰らないように」
そう釘をさして、キャリントン家の領地を後にした。おそらくジョージには蛇蝎のごとく嫌われただろうが、アロイスにとってはどうでも良いことだった。
久しぶりに王都へと戻った。チェスターやマリーに聞くと、フィオナの評判はすこぶるいい。
ただ、使用人相手に垣根が低すぎて困ると言っていた。プロの彼らにしてみれば、ローズブレイド家の奥方として、堂々としてほしいらしい。
どうやら、彼女には裏も表もなく、第一印象通りの人らしい。それを聞いて少し和んだ。
久しぶりに会った彼女は、アロイスの不在をなじることはなかった。詮索しないという約束を律儀に守っているのだろう。健気だと思った。
そして、実家の借金の肩代わりをアロイスがしたことに対し、恐縮し、感謝をしている。
彼女は初対面の時と同じで、相変わらず面白いくらいに考えていることが顔にでる。
性格は穏やかで、忙しくてあまり会えないが、たまに長い時間一緒にいても負担になることはなかった。
フィオナはまだ緊張しているようだ。しかし、アロイスにとっては次第に気楽に付き合える相手となっていった。
彼女が父親の過ちを知る必要はない……とアロイスは思った。