15 二人の距離
二人が向かった先は教会が母体になっている孤児院だった。
礼拝堂のステンドグラスが強い陽光に綺麗な影をおとし、中に一歩入るとひんやりとした静謐さを感じさせた。
施設内を巡り、子供たちの様子を遠くから見学した。どのような教育をうけ、日々どのように生活しているかなどの報告をシスターから受けた。
アロイスは孤児院に大口の寄付を行っているようで、ほかに街の代表や商家の主人など地元の有力者が来ていた。広い応接室に通され、フィオナはアロイスに紹介され、ひとりひとりに挨拶を終えてほっとした。
報告会やら会議のようなものが続いて行われた。内容はさっぱりわからないながらも、フィオナはアロイスの隣に座り微笑んでいた。
実は、昼食の際にアロイスに口酸っぱく言われていた。
「私のそばから離れないでね」
そんなこと念を押されなくても大丈夫だ。彼から離れるつもりは毛ほどもない。フィオナは雑談でおかしなことを言ってしまったらどうしようかと、会議の間の心配だった。
その点、隣にアロイスがいれば楽だ。微笑んでいればすむのだから、言われなくても積極的にそばにいた。
会議が終わって、雑談が始まってからは、むしろ追いかけているといってもいい。こんなことは結婚以来、初めてだ。地元の名士に話しかけられても困る。フィオナが生まれ育った家とは格式も立場も違うので、うっかりと変な受け答えはできない。下手をすれば公爵家に泥を塗ってしまう。
だがしかし、そう上手く事は運ばなかった。
「閣下、少しご相談したいことが」
などとアロイスが呼ばれてしまった。どうやら内緒の話のようだ。「ちょっと失礼」などと言って彼だけが行ってしまった。
置いていかれたフィオナは、迷子のように心細くなった。思えば、王都の夜会などで彼がフィオナのそばを離れるときは、クロードやザカリアを呼んでくれていた。今は彼らもいない。
そして、ここに今日一緒に来たアリアはいない。彼女は使用人控室にいるのだ。フィオナは、アリアと一緒にいることにした。彼女がいれば心強い。
そっと廊下をのぞくと、アリアはまだ迎えに来ていないようだ。心細いフィオナは、控室に向かった。
えっと……どこだったかしら?
教会という施設は外敵から守るためなのか妙に入りくんでいるようだ。似たような通路ばかりあり、フィオナは方向が分からなくなってしまった。通路はがらんとしていて誰もいない。
フィオナが途方に暮れていると、柱の陰からひょっこりと小さな男の子が顔を出した。
「お姉ちゃん、僕とあそぼー」
そう言って、ぱたぱたとフィオナの元へ走り寄ると、ドレスの裾を引っ張る。5歳くらいだろうか、くりっとした瞳と茶色のふわふわした髪が可愛らしい。
ここの孤児院の子のようだ。たとえ子供でも、このがらんと静まり返った場所に人がいたことにほっとした。
「遊ぶって、何して遊ぶの?」
「ん~とね。かくれんぼ!お姉ちゃん鬼ね。目つぶって10数えて」
全く人見知りの無い子だ。フィオナは結婚する前から、あまり家から出ないたちだったので、
この子をどう扱ってよいのか戸惑った。
「あ、ダニエルなにやってんの!」
そこへ年かさの女の子が慌ててやってきた。そしてダニエルと呼ばれた男の腕をひっぱって連れていこうとする。
「駄目だよ。ダニエル、その人、貴族のとっても偉い人なんだよ」
貴族にはかわりないが、フィオナは別に偉くはない。偉いのはアロイスだ。フィオナは「そんなことないから大丈夫よ」と言ったのだが、少女はぷるぷると首を振ってダニエルと呼ばれた子を引っ張る。
「やだー、僕このお姉ちゃんとあそぶ!」
「だから駄目だって」
女の子が慌てて男の子を引きずって行こうとする。
「いやだ!はなしてよ」
と叫び。少女の手から逃れようとした。
フィオナが慌てて仲裁しようとすると、騒ぎを聞きつけてシスターたちがやってきた。
「まあ、申し訳ありません。奥様。躾が行き届きませんで」
などと恐縮しながら、フィオナに頭を下げる。ふらふらしていたのはフィオナなので、「気にしないでください。私が勝手に声をかけたんですよ」といった。
すっかり騒ぎになってしまった。迷子になって彷徨っていたのは自分なので、フィオナは申し訳なく思った。
すると男の子は「わああ」と泣き喚きだした。かなり情緒不安定なようだ。それとも子供というのはこういうものなのだろうか、フィオナには判断がつかない。いずれにせよ自分が原因のような気がして、ただ狼狽えた。
シスターたちは「わけのわからないこと叫ばないの」「お客様がいるのだから静かにしなさい」などと言い聞かせていたが、フィオナには彼が何を言っているのかはっきりと分かった。
「僕だって貴族だ。偉いんだ。おうちに帰りたい!」
彼はフィオナが勉強した外国語、東の国オリエンの言葉でそう叫んでいた。
王都の夜会にこの言語を話す賓客がいた。外国の子がなぜこの孤児院にいるのだろう?フィオナは不思議に思った。
後でアロイスに聞いてみよう。
「フィオナ、何をしているのかな?」
アロイスだ。静かな口調。振り返るといつもの笑顔。
しかし、フィオナは気付いた。彼がとても不機嫌なことに。
「そばを離れないでって言ったよね?」
畳みかけるように言ってくる。
「いえ、あの。アリアのところへ行こうと思って」
「私は、そのアリアと一緒に、フィオナを探していたんだよ」
アロイスの後ろでアリアが心配そうな顔をしていた。
「……ごめんなさい」
こういうアロイスを見るのは二度目だ。微笑んでいるのにピリピリした感じ。そう、王都の屋敷の庭の燃えた時以来だ。
フィオナは、ダニエルの事を聞くのはやめにした。言い訳もダメ。こんな時は素直に謝るのが一番だ。
「フィオナ、別に怒っているわけではないよ。心配していたんだ。だから、そんなに委縮しないで」
フィオナはびっくりしてアロイスを見上げた。笑っていない。そして怒ってもいない。彼はとても真剣な顔だ。
ああ、そうか。この人は本当のことを話すとき、瞳の緑が深くなる。本当に心配していたのだ。彼の瞳を見ながら、フィオナはそんなことを思った。
それから二人は馬車に揺られて、ローズブレイド家の荘園に行った。
広がるブドウ畑にフィオナは驚いた。
王都に居たとき、チェスターから領地でワインを作っているという話は聞いていたが、まさかこれほどとは思っていなかった。
ワイナリーで作られたワインはルクレシアの街に卸されているという。
「フィオナ、管理人を紹介するから」
そういわれて、瀟洒な邸宅に連れていかれた。そこにはこのブドウ園で働く者たちが30人ほど暮らしているらしい。充分な広さだった。
挨拶に出てきたのはクマのように大きな壮年の男性だった。先代の頃から、ここの管理人をやっているという。
「とても綺麗で可愛らしい奥様ですね」
と言われてフィオナは嬉しかった。
アロイスに気を使っての事だろう。彼の妻となったせいか、皆がフィオナをほめてくれる。だが、褒められ慣れていないので、恥ずかしい。フィオナは真っ赤になった。
それから施設をざっと見学したあと、アロイスは管理人と話があるからアリアと一緒にいるようにと言い残して行ってしまった。
アリアがフィオナの為に、このブドウ園で飲まれているぶどう茶というものを淹れてくれた。一服すると少し緊張が和らいだ。
「このお屋敷は、昔、旦那様のご家族が別荘として使っていたのですよ」
「そうなの?とっても素敵ね」
フィオナが客間の落ちついた色合いの調度品を見回しながらいう。それらは磨き込まれて飴色で、どっしりとした雰囲気があった。手入れをされ大切に使われいるのだろう。
フィオナが今住んでいる解放感あふれる邸宅とはまた違った雰囲気だ。
「はい、旦那様がおひとりでもう使わないから、ここで働く者たちの住まいにと」
と言ってアリアが柔らかく微笑んだ。
フィオナはアロイスが使用人に慕われている理由が何となくわかった気がする。例え、自分が使わないからといってもなかなか出来る事ではない。
でも彼はそれが出来てしまうのだろう。少なくともフィオナの父母や姉は土地や建物に執着心が強い。
また、一時間以上馬車に揺られて家にもどる時には夜もとっぷり暮れていた。
さすがに疲れてフィオナは食欲がわかなかった。アロイスに誘われるままに小サロンに移動してお茶を飲んだ。大きな窓を開けると気持ちのよい夜風が入ってくる。
「どうしたの?フィオナ。食欲ないね。疲れたというより、元気がないように見えるけど」
揶揄うような様子はない。アロイスが心配している。フィオナにもよくわからなかった。なぜだか疲れ方がいつもと違うのだ。
「気になることがあるのなら、言ってごらん」
フィオナは促されるまま、のどに引っ掛かった小骨を取り出すことにした。
「孤児院で会った男の子、僕は貴族だって、外国語で言ってました」
「……」
アロイスが沈黙した。それは別にとげとげしいものではなかった。
「これも、詮索になっちゃうんですよね」
フィオナはちょっと悲しくなって目を伏せる。
「あの孤児院では外国の貴族の子を預かっているよ」
フィオナは彼が答えてくれると思っていなかったので驚いた。顔を上げるとアロイスと目があった。
すると彼が優しく微笑んだ。
「あの子はね。ダニエルといって東方の国、オリエン王国の子なんだ。君も言語をちょっと習ったよね。夜会に客が来ていたし、彼らは援助を求めに、この国に来るんだ。政情が不安定でね。最近ここまで彼の民が流れてくる」
そういうアロイスの緑の瞳には憂いが見えた。
「なんだか、あの子とってもとっても不安定な感じで……。気になっちゃって」
フィオナは不安を口にした。
「フィオナは優しいね。大丈夫、あそこのシスターたちは慣れているし、とても温かい人たちだから」
そう言って、アロイスがそっとフィオナの手を握る。包み込まれているようで、とても安心した。
「フィオナ、詮索してほしくないのは変わらないけど。君の不安はなるべく取り除きたい。だから、答えられる範囲でいいかな?」
「はい」
そのあと「お休み」と言って二人は別れた。
いまフィオナは、アロイスを前よりもずっと身近に感じている。すべてを話したからと言って人と人の距離は近くなるものではないのかなと、ふと思った。
秘密があってもいいのかもしれない。
いま、悲しんでいるのか、楽しいのか、嬉しいのか、寂しいのか、そんな相手の気持ちを感じとったり、お互いの気持ちを伝えあったりすることが、大切なのではないか……。
優しい気持ちに包まれて、フィオナは安心して、いつもの深い眠りについた。