13 どうしても欲しいの
次の朝、起きるとアロイスはまだいた。
フィオナは感情を爆発させてしまったので、ちょっと気まずい。
不思議なことに、このアロイスは留守がちなわりに使用人達に慕われている。実家の家族は使用人達に横柄だが、アロイスは彼らにも丁寧だ。しかし、本当にそれだけだろうかと、フィオナはときおり疑問に思う。しかし、彼女はあまり考えないたちだ。
それよりも、昨日の非礼をきちんと詫びよう。
「アロイス様。昨日は大きな声をだしてしまって、とても失礼なことを言ってしまいました。申し訳ありません」
「別に気にしていないよ。昨日はゆっくり休めた?」
何事もなかったかのようにさらっと流されて、ほっとしたものの、なぜだか、もやっとした。
ほどなくして二人分の朝食が運ばれてきた。
食堂から見える素晴らしい景色を楽しみながら、淡々と食事は進んだ。そういえば会話がないが、いいのだろうか。
いままでも二人でとる食事はこんな感じだっただろうか。フィオナは思い出してみようと思ったが特に印象はない。
別に彼と話すようなことも思い浮かばなかったので、また、大きな窓に視線を戻した。今日もとてもよい天気だ。一日何をしよう、庭の散歩でもしようか。などとフィオナは考えていた。
最後のフルーツをフォークに刺したとき、だしぬけに声をかけられた。
「ときに、フィオナ」
フィオナはビクッとしてフォークを取り落としそうになった。景色に見惚れながらいつものように自分の世界に入り込んでいた。完全にアロイスが同じ食卓にいたことを失念していた。
彼は、そんなフィオナを見て苦笑を浮かべた。
「誕生日には何が欲しい?」
そう問われるとフィオナは素直にこたえた。
「花の苗が欲しいです」
「え?」
アロイスが怪訝そうな顔をした。彼は、フィオナの手紙と行き違いになってしまったようだ。フィオナは自分の書いた手紙の内容を説明して、庭に小さいものでよいから、花を植える場所が欲しいとお願いしてみた。実は花壇によさそうな場所はもう見つけてあった。
「えーっと、それは庭が寂しいから、花が欲しいという事?」
質問で返された。どうやら快諾してはしてくれないらしい。
「はい。花があった方が楽しみがあるというか……。庭の目立たない場所でいいのです。ちょっと自分で選んだ花を育ててみたいな。なんて思ったんです」
訥々と拙く思いを伝えるフィオナに対して、アロイスの言葉は淀みない。
「花を育てるといっても虫もいるし、水も肥料もやらなくてはならない、手間もかかるよ。手だって気を付けなければけがをしたり、荒れたりしてしまうよ」
これはダメかなと思い、フィオナはしょんぼりと肩を落とした。手紙を送って、彼の返事を気長に待っていた分、花への思いが膨らんでいたようだ。
しばらくの沈黙を挟んだあと、アロイスがしょうがないなというように口を開いた。
「いいよ。これから、花の苗でも探しに行こうか。そのかわり、目立たない場所で細々と育ててね。間違っても庭を花でいっぱいにしないように」
フィオナは勢いよく顔を上げた。
「本当ですか!嬉しい」
フィオナ自身は図鑑で見た花を注文するつもりだったが、外出の許可まで出た。いつも窓辺から見る街へ、一度は降りてみたいと思っていたのだ。フィオナは子供のようにはしゃいだ。
行きの馬車では、窓にべったり顔をつけかねない浮かれぶりだった。
「ああ、フィオナ窓から顔を出したりしないでね。お忍びではあるけれど、一応、君は領主の妻だからね。それと王都みたいに道路が整備されているわけはないから、揺れるよ。あぶないから落ち着いて座って、フィオナ」
呆れてアロイスがたしなめた。しかし、彼も強くはいえない。彼女を家に閉じ込めてしまっていたのだから。久しぶりの外出となれば彼女がはしゃぐのも無理はないのかもしれない。
実際フィオナはそれほど活発には見えない。見た目は大人しそうで儚げな雰囲気だ。どちらかというと、家の中の方が好きそうだ。
今まで彼女から、外出の許可を取りに来たことはないし、店に出かけて買い物をしたがることもなかった。服飾品を選ぶ時も消極的だ。
結婚してからは、実家の家族と話すか、もくもくと刺繍や裁縫に没頭するような生活を送っていた。家庭教師に対しても従順で、まじめに学んでいた。
どうやらこの土地に来て、彼女の中に変化があったようだ。それともこの南国の開放的な雰囲気が彼女の肌にあったのか。
少々、はしゃぎすぎだと思うが、それがなぜかとても新鮮だった。アロイスは、いつの間にか、素直に感情を表にだす彼女に安らぎを覚えていた。多分フィオナは正直で嘘が吐けないタイプだ。
それは公爵夫人としては褒められたことではないが、わかりやすい彼女は一緒にいると気が休まる。
どのみち、ここには久しぶりに帰ってきたので、教会が運営している孤児院にも挨拶に行かねばならない。援助の件で話をしなければならない。その時は彼女も同行して紹介しようと思った。
馬車は街で一番大きなマルシェに着いた。もちろん、夫妻だけで外出というのは出来ないので、護衛がすこし離れて目立たないように付いてきている。人が行きかう中を連れだって見て回った。
花屋はその一角にあった。フィオナは、育てやすくかわいいヒマワリの種を買った。これなら自分でも種から育てられると思ったのだ。それから、ガーベラを選んだ。そして何よりも気に入ったのが、この地方に来て初めて見たハイビスカスとプルメリア。
フィオナはもともとあまり物欲がない娘だったが、ここにきてどうしても欲しくなってしまった。こんなことは初めてだ。しかし、狭くて目立たないという条件から限りなく外れていっている。
「アロイス様、これ、とってもかわいくてきれいです」
「……」
反応がない。フィオナはアロイスに一生懸命、図鑑で仕入れた花の魅力を訴えた。果ては、街の景観にどれほど貢献しているかを力説し始めた。フィオナがこんなにしゃべったのは生まれて初めてかもしれない。
「わかった。いいよ、それを買おう。君は意外と交渉が上手なようだ」
と苦笑した。そこにいつもの貼り付いたような笑みはない。とうとうアロイスが折れた。フィオナは大満足だった。
そのあと二人は南国の花に彩られた、明るい雰囲気の店で昼食をとった。それほど格式ばった店ではなくてフィオナはホッとした。
聞けば、ここら辺では王都ほどマナーが厳格ではないらしい。美味しい郷土料理に舌鼓をうちつつ、欲しかった種と花の苗を買ってもらったことが嬉しくて、フィオナはひたすら花の話をしてしまい「フィオナ、少し落ちついて食事をしようか」と諭され赤面した。だいぶこの土地にきて、気持ちが緩んでしまったようだ。
それともこんな風に誰かと向かいあって、話しながら食事をすることに飢えていたのだろうか。
そのあとアロイスにどこへ行きたいかが聞かれたので、フィオナは浜辺とこたえた。いつも窓辺から眺めながら、ぼんやりと行ってみたいなと思っていたのだ。
ゆっくり食事をしてお茶を飲んでいたので、日はだいぶ傾いていた。海風の吹く気持ちの良い浜辺を少し歩いた。潮の香りが心地よかった。さらさらとした砂がすこし歩きにくくて、すぐに浜辺からでた。
フィオナは寄せては返す波に触れてみたかったが、あまりにも子供っぽいし、服を汚してしまうかもしれないので諦めた。
その時、一陣の風が吹いた。
「フィオナ、帽子を風に飛ばされないように」
アロイスが、そう言って楽しそうに笑う。そう言われてフィオナは慌てて、しっかりと帽子を押さえた。フィオナは子供の頃、帽子が波にさらわれたことを思い出した。
でもアロイスに話したら馬鹿にされそうなので、だまっていた。ふと視線を上げるとアロイスは眩しそうに煌めく海を眺めていた。彼も海が好きなのかもしれない。フィオナはやっと彼との共通点を見つけた気がした。
帰りにもう一度街を見て回った。使用人達へのお土産を選んだあと、アロイスが宝飾店に入ろうと言う。フィオナはあまり興味もないし、今もっているもので十分だった。
「アロイス様のものをなにか買ったら、いいのではないですか?」
「私の物も買うけど。フィオナの物も買うよ」
店に入ると、店主はすぐに彼が領主だとわかって挨拶にきて、二人は別室に通された。フィオナはこの特別扱いのような空気になかなか慣れなかった。
「アロイス様、私は本当に充分です。何もいりません」
とフィオナは耳打ちすると
「フィオナ、自分の領地に金を落としていくのも領主の務めなんだよ」
とアロイスが返す。フィオナはなるほど納得した。結局この土地の名産であるサンゴの飾りを夫婦揃いで購入した。
領地にいる間、街に出るときにはドレスも宝飾品もここで手に入れたものを身に着けるように教えられた。なぜかと聞いたら、領主の妻が身に着けていると地域経済の活性化につながるそうだ。
そんなことを言われてもフィオナにはさっぱりわからない。やはり貴族としての教養が足りないのだろうか。とりあえず「はい」といい返事をしておいた。
帰り際にコーラルピンクの可愛らしい腕輪が目についた。フィオナがじっと見ているとそれも買ってくれた。まるでねだったようで恥ずかしくて、真っ赤になった。
「これはドレスには合わないから、普段使いね」などとアロイスが言っていた。そういうものなのかと思いフィオナは頷いて礼を言った。
「アロイス様。普段使いってことは、今身に着けていいってことですよね」
というと彼が声をたてて笑った。初めて見た。今日のアロイスはとてもよく笑う。いつも微笑んではいるが、それは同じ表情で、そこに楽しいという感情は伴ってはいない。それが今日は本当に楽しそうだ。この人は私が結婚したローズブレイド公爵と同じ人なのだろうかと不思議に思った。
早速フィオナは可愛らしい腕輪を包みの中から取り出した。アロイスが留め金をつけてくれた。少し気恥ずかしい。かざしてみるとサンゴのやさしいコーラルピンクはフィオナの白い肌によく映えた。
楽しい一日ではあったが、フィオナはすっかり疲れてしまった。湯浴みも夕食も気を抜くと目が閉じてしまいそうだった。アロイスが何か話していたが、眠くて右から左に抜けていった。
その夜フィオナは、楽しい思い出を胸に、お気に入りのベッドにもぐりこんだ。
そういえば、アロイス様は、いつまでここにいるのだろう……。