12 なんでまだいるの?
フィオナは突然のアロイスの訪問に首を傾げた。
しかし、ほどなくして、ここが彼の屋敷であることを思い出した。あわてて彼にかけるべき適切な言葉をさがした。そういえば王妃からも彼に安らげる場所を作ってあげてと頼まれていた。いらっしゃいませではおかしい。だから……。
「お帰りなさいませ」
すると「ふふ」と彼は笑った。意外に楽しそうに。フィオナはいつも貰うものよりも大きめの花束をアロイスから受け取った。いくつもの大輪のバラをレースフラワーが引き立てていた。夜気に香るバラに気持ちが浮き立つ。フィオナは丁寧に礼をいった。
「ちょっと早いけれど、フィオナ、誕生日おめでとう」
「えっ」
フィオナは明日、自分が18歳になることを思い出した。そういえば、家が傾く前は、誕生日にはいつもより豪華な料理を食べた覚えがある。
「ちょっと部屋を見せてくれないかな?」
「はい?」
フィオナはきょとんとした。なぜ、部屋の中など見たいのだろう。フィオナは戸口から退いた。とりあえず花をテーブルに置き、花を生けるための花瓶を用意しようとした。
そこへずかずかとアロイスが入ってくる。女性の部屋に入る時には、男性はもっと気を遣うものだと思っていたフィオナは、彼の態度に少し不満を感じた。しかし、彼がこの家の主であるのだから、何も言わないことにした……つもりだった。
アロイスは、左の扉の前で立ち止まった。彼とフィオナの部屋をつなぐドアだ。フィオナは彼のその行為にふつふつと怒りがわいてきた。
「アロイス様、それは何をなさっているのですか。まさか、私がドアを開けようとしたなどと疑っているのですか!」
フィオナの声がとがっている。
「え?違うよ。フィオナ、誤解だよ。君を疑ったりしてないよ」
「なら、どうして扉を調べているのですか?」
フィオナが詰め寄る。
「いや、それは……」
どうにも歯切れがわるい。彼女は詮索しないという約束をちゃんと守ってきた。結婚式当日の夜、彼が出かけてしまって一晩帰ってこなくても、どこに行っていたのかなんて聞かなかった。それ以降も彼が帰ってくることはほとんどなかった。
それなのに、アロイスに疑われている。悔しくて悔しくて頭にきて、気が付いたら、フィオナはぽろぽろ涙をこぼしていた。
「違うんだフィオナ、これは」
「いいんです。違わないんです。私、もう休みますから、気が済むまで調べたらいいじゃないですか。そうしたら、アロイス様は、またいつもみたいにどこかに出かければいいんです」
フィオナは、ベッドにもぐりこんでシーツをかぶってしまった。そのため、アロイスが、珍しく慌てているのに気が付かなかった。
ふかふかのベッドの中でシーツにくるまって、しばらく泣くとフィオナは落ち着いてきた。もともとあまり長く泣いていられないたちだ。意外に早く涙が止まった。泣き止んでみると、また大きな声を出して癇癪を起こしてしまったことを恥じる気持ちがむくむくと湧いてきた。アロイスがキャリントン家の借金を肩代わりしてくれて、今フィオナは快適な生活を送らせてもらっているのは事実なので、感謝の気持ちを持たなくてはと、気持ちを切り替えた。明日、きちんと謝ろう。フィオナはかぶっていたシーツから顔を出した。
「フィオナ、落ちついた?」
「ひっ!」
突然頭の上から降ってきたアロイスの声にフィオナは驚いて、素早くベッドの端まで移動した。
アロイスが、まだ部屋にいると思わなかったのだ。
「えっと、フィオナ、危ないよ。そんなに端によると、ベッドから落ちてしまうよ」
彼は戸惑ったような困ったような表情を浮かべた。しかし、フィオナは驚いて固ってしまった。
なんで、まだ部屋にいるの?
フィオナはベッドの端で蹲ったまま、アロイスのもとに寄り付かなかった。アロイスは諦めたようにフィオナを見ると口を開いた。
「説明するから、聞いて。ここへ着いたとき、君が、部屋にうち鍵をつけたいと言っているって聞いて、それをちょっと確かめたかったんだ」
「はい?つけていませんよ」
「うん、それは今見た。あとね、ドアの前に何か障害物を置いて塞ぐとかしていたら、危ないから、それも確かめていた」
せっかく明日は謝ろうと決心したのに、彼の言葉を聞いてフィオナの殊勝な気持ちはなえてきた。
「それで、何もありませんよね」
「ん、なかったね」
フィオナは黙り込んでしまった。
「ね、だから君を疑っていなかったでしょ」
フィオナは首を傾げた。アロイスの考え方や行動が彼女にはまったく理解できない。煙に巻かれているようで、素直にうなずけない。信じているのなら聞けばいいのに、彼は自分で確かめた。
そこで思考を止め、難しいことを考えるのは明日にしようとフィオナは思った。
「アロイス様。よくわかりましたので、もう、部屋から出てもらえませんか。私もう寝ますので」
フィオナが平板な口調でそういうと、一瞬アロイスが悲し気な表情をした気がした。しかし、まじまじとみると彼はいつもと同じ微笑を浮かべていた。
「フィオナ、誕生日プレゼント、何がいいか考えておいて」
不意に言われてフィオナは戸惑った。そういえば、まず初めに彼はフィオナの誕生日を祝ってくれたのだった。
「お休み、いい夢を」
そういうと、彼はフィオナの部屋を出て行った。
フィオナの部屋の扉はぴたりと閉じられた。扉を閉じたのは彼なのに、しばらく名残惜しそうにそれを見ていた。
ふと視線を感じ振り返ると、執事のジェームスが廊下で待機していた。彼は扉の外で一部始終を聞いていたようだ。
アロイスにいたわしげな眼差しをおくってくる。それが妙に癇に障った。
「ジェームス」
「はい、旦那様」
呼べば弾けるように返事をする。
「少し感情を顔に出し過ぎだ。またチェスターにしごいてもらったらどうだ」
「え?旦那様、それは勘弁してくださいよ。って、何でですか?」
ジェームスがアロイスの言葉に慌てふためく。チェスターの指導は厳しく、感情が表に出やすいジェームスは、見習いの頃よく叱られていた。アロイスはそれをよく覚えていた。
年下の新妻に、泣かれた上に部屋から追い出された。自業自得だ。八つ当たりだとわかってはいるが他人から同情されるのは願い下げだった。
ジェームスの慌てぶりをみて少し留飲を下げた。
「フィオナの部屋に花瓶を、それから、軽くつまめるものとホットミルクも用意してやってくれ」
ジェームスは今度は余計な視線など送らず、すぐに指示に従った。「その気遣いができるのに何で奥様を怒らせたの?」とは、もちろん言わなかった。