11 何しに来たの?
荷解きをしたあと、軽くお茶を飲み休憩してから、白亜の優美な建物をまわった。回廊の中にはこじんまりとしていて日の差す中庭があり、テーブルセットが置いてあった。
二つの食堂、図書館、小サロン、大サロンに案内された。主要な施設はすべて、一階と二階にあり東側の廊下の隅にある階段をあがると使用人達の部屋になっているという。
その他の場所は、手入れが行き届いていないから、いかないようにと言われた。確かに広い屋敷だが、これだけの使用人がいて、手入れが行き届かない部屋がいくつもあるというのはおかしい。多分、王都のローズブレイド邸と一緒で、フィオナが出入りを許されていない秘密の部屋なのだろう。彼女は別段気にも留めなかった。
屋敷について三日を過ぎると、フィオナはこの屋敷に馴染んできた。
ジェームズはいかめしい感じのチェスターと違い、陽気なタイプだった。若いアリアも交えていろいろ話をした。フィオナはそこで初めて、執事や侍女を養成する学校があることを知った。
「知らなかったわ。みんなそういう学校を卒業したのね。てっきり先輩について教わるのかと思っていたわ」
「はい、大半のお家はまだそうだと思います」
とアリアが答えた。
「だいたい学校に通うのは、下位貴族や商家の次男次女以下の者が多いのです」
どおりで、公爵家の使用人はみな威厳があるはずだ。それにフィオナより、ずっと教養があり、礼儀作法も完璧だ。そして隙がない。
フィオナの家も傾く前は、2,3人雇っていたと思う。しかし、彼らとは全然違った。
使用人達は母のメリッサと喧嘩をして出ていってしまったり、姉イーデスと上手くいかなかったりで、しょっちゅうかわっていたような覚えがある。
そういえば、彼らは不平不満の多い父母と上手に付き合っていた。彼らと一緒にキャリントン家を引き上げるときには、フィオナを引き留めることはなかったが、お気に入りのチェスターとマリーを連れて行かないでくれと言われてしまった。
昼食がすむとフィオナは、ジェームズの案内で庭へ出た。マリーに帽子をかぶせられ、アリアに日傘を渡された。ここでも日に焼けてはいけないのは一緒だった。
思った通り庭は広く見晴らしもいい。緑であふれかえってはいるのだが、なぜか色が少ないとフィオナは感じた。せっかく開放感がある場所なのに、どこか王都の公爵家と似通っている。なんというか固い印象だ。
フィオナは庭に花が極端に少ないことに気づいた。屋敷の中は、色とりどりの花で綺麗に飾られているのに、なぜか庭には花がない。
庭を少し歩くと、茂みの先に小さな小屋が見えてきた。フィオナはそこで庭師のアダムスに紹介された。茶色の髪にこげ茶の瞳を持った明るい感じの青年だった。
その小屋は彼の仕事場だという。中を少し見学させてもらったが、堆肥や造園作業に必要なものが置いてあった。
ジェームズはまだ仕事があるので屋敷に戻り、ここから先はアダムスに庭を案内してもらうことになった。彼は、ここの地方特有の木や草の名前を教えてくれた。
花は好きだが、それほど詳しくはない。そして、いままで草木にそれほど興味を持ったことはなかったが、庭師の話は面白く、知らない世界の話に次第に引き込まれて行った。その日は、この地方特有の珍しい植物もたくさん見ることが出来た。
「ここのお庭はとても素敵ね。でも、花が少ないような気がするのだけれど、どうして?」
フィオナは、さきほど思いついた疑問をぶつけてみた。
考えてみれば大きなお屋敷はたいてい温室をもっている。そういえばローズブレイド家は王都にもこの別邸にも温室を持たない。
「旦那様が、必要ないとおっしゃるので」
「えっ」
フィオナはびっくりした。フィオナによく花を贈ってくれたので、彼も花が好きなのかと勝手に考えていた。
「アロイス様は、花がお好きではないのね」
先ほど花壇によさそうな場所を見つけていたので、フィオナは少しがっかりした。
「いえっ、決してそういうわけではなく。あの、その!」
アダムスが慌てはじめた。ふと視線をアリアに移すと彼女もこまったような顔をしている。
これはこの家では触れてはいけない話題のようだ。仕方がない、庭に花を植えるのは諦めよう、また他の楽しみを見つければいい。
「奥様から旦那様に花を植えるようにお願いしてみてはいかがでしょう」
マリーが言った。
「えっ?聞いてくださるかしら」
フィオナには自信がなかった。彼は駄目なものはダメと言う人だ。
「大丈夫ですよ。奥様の御願いなら、聞いてくださいますよ」
とマリーが言えば、アリアも「いい考えだと思います」と言ってくれた。
「花を植えられるようになったら、楽しみです」
といってアダムスが笑った。フィオナの心は決まった。
フィオナはその日の夕食がすむと早速図書室へ行った。
花の図鑑を見に行ったのだ。この地方にはどんな花が適しているのだろう。わくわくしながら図鑑を開いた。精緻に描かれた花の絵が美しい。
フィオナはその夜、花の図鑑をもって寝室へ行った。
花を植えたいと言ったら、アロイスはなんて言うだろう。明日は彼に手紙を出そう。もし、許可がおりたら、フィオナは自分でも花を育ててみたいと思っていた。こんな美しくきれいな場所で、部屋に籠って刺繍ばかりしているのはもったいない。
ここは王都から遠く、一日おきにアロイスから届いていた花とカードは来ない。手紙を書いてもいつ返事がくるかわからないが、フィオナは図書室の本で花の勉強をしながら、ゆっくりと気長に待つつもりだった。
ルクレシアでの生活がスタートして、気付くと十日以上が過ぎていた。フィオナはいままでの人生で一番の解放感を存分に味わっていた。
夕方になると海から吹く風が潮のかおりを運んでくる。フィオナは窓から緩やかに入ってくる潮風がこんなにも心地の良いものだとは思わなかった。
高台にある屋敷の食堂やサロンから海に沈む夕日を眺めることが出来る。そんなとき静かに食事をするのが至福の時になっている。ちょっと一人では味気ない気もするが……。
部屋で就寝前のひと時を彼女は紅茶を飲みながら楽しんでいた。いつの間にか夢中になって植物図鑑を読み進めていると、ドアをノックするものがあった。
アリアかマリーだろう。
「どうぞ」
声をかけるとカチャリと扉があいた。
フィオナはふわりとかおるばらの匂いに、目を上げた。アロイスから、手紙の返事と花が届いたのだろうか。
「フィオナ、元気そうだね」
開いた扉の先では、花束を手にし、貴公子然としたアロイスが微笑んでいた。
「あれ?アロイス様……」
何しに来たの?